詩的ないきもの
潮風が頬を優しく撫で、海遠くの水平線に、黒い岩の影がぼんやりと見えてきた。そこから、あの心を掴む歌声が、まるで潮騒に紛れるように、微かに聞こえてくる。
近づくにつれて、歌は次第にその輪郭をはっきりとしてくる。
先程と同じ、優しく、どこか懐かしい旋律。けれど今は、まるで耳元で囁かれているかのように近く、その振動が、直接心臓に響いてくるような感覚だった。
!!あれは……!
「レオン、あそこだよ……!」
私の指が震えた。指差す方向、岩と岩の狭間から、朝日に照らされて水面がキラキラと宝石のように輝いている。その中心に、ゆらゆらと長い髪を揺らす影が浮かんでいた。
人魚だ。
陽の光を浴びて、鱗はまるで七色の虹のように眩く輝き、燃えるような赤い髪は、水面に溶け込むように、優雅に広がっている。
遠くから見ても、その美しさは息を呑むほどだった。吸い込まれそうなほど強い輝きを放つ瞳、すっと通った鼻筋、そして、艶やかで淡いピンク色の唇が、美しい旋律を紡ぎ出している。
「人魚だ……!」
思わず叫ぶと、隣のレオンが、どこか安心したように笑った。
「剣は、いらなそうだな」
人魚は私たちの存在に気づき、ゆっくりとこちらを見た。
その瞳は、まるで夜空に瞬く金色の星のように輝き、奥深く、まるで私の中を見透かしているようだった。
人魚がゆっくりと口を開くと、再びあの歌が流れ出した。
けれど、それはただの心地よい子守唄ではなかった。もっと深く、私たちに何かを語りかけ、魂に直接訴えかけてくるような、そんな響きを持っていた。
耳を澄ますと、言葉が、まるでそっと心に語りかけられるように、鮮明に浮かび上がってくる。
これが、人魚が歌で会話するという意味なのだろうか。
彼女は、そっと水面に浮かぶ、小さな、まるで真珠のような光沢を放つ貝殻を指差し、慈しむように歌い始めた。
♪〜
星影宿る 子守唄貝
夜毎に歌う わが愛し子
わが歌こそが 命の源
共に紡がん 永遠の夢を
この貝こそは わが心なり
夜を呼び寄せ 安らぎ与う
〜♪
人魚の歌声は、まるで古の言葉で紡がれた詩のようだった。
「『星影宿る子守唄貝』か……星の光が宿ってるってことかな?」
「夜毎に歌う、わが愛し子、ねぇ。相当大事にしてるんだな」
「で、『わが歌こそが命の源』ってことは、人魚の歌がないと生きていけないってことか?」
とレオンが少し驚いたように言った。
人魚は、その言葉に同意するように、さらに切なげな表情を浮かべる。
「『共に紡がん永遠の夢を』……なんだかロマンチックだね。ずっと一緒にいたいって気持ちが伝わってくる」
私がうっとりとした表情で言うと、レオンは少し呆れたように言った。
「夢か……まぁ、人魚の考えることはよくわからねぇけどな」
「『この貝こそはわが心なり』……自分の心だって言いきっちゃうなんて、本当に特別な存在なんだね」
私の言葉に、レオンも少し考え込むように頷いた。そして、最後の部分。
「『夜を呼び寄せ安らぎ与う』……この貝が光ることで、夜が来るのかな? そして、その光が安らぎを与える、ってこと?」
私がそう問いかけると、人魚はゆっくりと頷き、再び歌を続けた。
彼女の歌声が水面に繊細な波紋を描き出し、指先で示した貝殻が、まるで人魚の歌に応えるように、微かに、けれど確かに光を増した。
レオンが「マジで歌で喋るのか……変な奴だな」と小さく呟いたけれど、その声には驚きと、ほんの少しの感嘆が混じっているようだった。
私には、その歌声が温かく、深い愛情に満ちているように聞こえた。




