心に刻む
「人魚だよね……? 」
私は目を輝かせてレオンを見た。
彼は何も言わなかったけれど、いつものように呆れた顔ではなく、どこか遠い場所を見つめているような、物憂げな表情をしていた。
そのレオンが、星空を見上げたまま、まるで独り言のように呟いた。
「聞いたことないはずなのに……なんだか、心の奥底に染み渡るような……すごく懐かしい歌声だな」
「え? レオン、昔、人魚に会ったことあるの?」
私がそう問いかけると、彼はゆっくりと視線を空から下ろし、少し遠い目をして言った。
「……会うわけねぇよ。ただ……子供の頃、眠りにつく前に微かに聞こえてきた、親の声に、すごくよく似ている気がするんだ」
彼の声は、普段のぶっきらぼうな調子とはまるで違い、どこか物憂げで、ほんの少し震えているように聞こえた。それは、強がっている彼が、ふとした瞬間に見せる脆さのような気がして、私の胸を締め付ける。
「レオンにも、そんな大切な思い出があるんだね」
私はそう言って、そっと微笑んだ。無理に詮索するようなことはせず、ただ彼の心に寄り添いたいと思った。
彼は一瞬、驚いたような顔をしたけれど、すぐにいつもの照れたような苦笑いを浮かべた。
「余計な心配すんなよ。俺は孤児院育ちでな。親の顔なんて、ほとんど覚えてねぇんだ。声なんてもっと曖昧だ。この人魚の歌が、どこかの誰かの歌と混ざって、そんな気がしただけだろ」
そう言いながらも、彼の瞳の奥には、ほんの少しだけ、温かい光が灯っているように見えた。
その顔は、いつもの警戒心に満ちた表情よりもずっと柔らかく、まるで幼い頃の、まだ誰にも心を閉ざす前の面影が垣間見えたようだった。
私は、そんな彼の、普段は見せない素顔を垣間見ることができて、なんだか少しだけ、嬉しくなったのだった。
私たちは二人とも、砂浜に腰を下ろし、星空の下で響く子守唄に静かに耳を傾ける。
無数の星々が輝き、その光が海面に映り込んで、どこまでも幻想的な光景が広がっていた。
人魚の声は、遠くから、近くから、まるで私たちを優しく包み込むように、様々な方向から聞こえてくるように感じる。
「この歌、『永遠の夢を紡ぐ』って……人魚の気持ちなのかな? ずっと昔から歌い続けているのかも」
私がそう呟くと、レオンは空を見上げながら言った。
「あの波鳴草のうるせぇ音よりは、ずっといい」
「でもあの波鳴草が静かになったから、私たちはここに辿り着けたんだよ。ありがとうだよ、この子たちにも」
私はそう言って、バッグをそっと撫でた。
子守唄が続く中、私の心は不思議な感情で満たされていた。
あんなに怖かった昼間の暗い空も、この星空と優しい歌声のおかげで、こんなにも美しく感じられるなんて。
「なぁ、リナ。この歌声が聞こえるってことは、人魚がすぐ近くにいるってことだよ…な?」
レオンがそう言った。私は力強く頷く。
「うん! 明日、もう少し先へ進んで、会いに行こう。マリナさんに報告する面白い話が、またたくさんできるね!」
私がそう言って笑うと、彼はいつものように呆れた顔で肩をすくめた。
「お前が、また厄介事に巻き込まれなきゃいいけどな」
けれど、その声にはいつもの冷たさはなく、どこか温かい響きが感じられて、私はなんだかとても嬉しくなった。
歌声は少しずつ遠ざかり、空の星明かりが、さっきよりもほんの少し明るさを取り戻した気がした。
それでも、あの心に響く人魚の子守唄を聴けただけで、この奇妙な出来事は、私たちにとって忘れられない特別な冒険になった。
「この歌、この光景、絶対に忘れたくない」
私がそう呟くと彼はニヤリと片方の口角を上げて言った。
「忘れねぇよ。お前が、あの草(波鳴草)みてぇに、いつまでも騒がしく話すんだろうが」
「うん、私がちゃんと覚えててあげる! ずっとずっと話してあげるね!」
開けた海岸で、人魚の子守唄の優しい余韻に包まれながら、私たちは、すぐそこに待っているであろう、人魚との出会いに、それぞれの想いを胸に抱いていた。
レオンの金色の瞳の奥には、星明かりにも似た、微かな光が宿っているように見えた。