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夜の森と崖への道

夜の森は静寂に包まれていた。

風が木々の葉をざわめかせ、星々が黒い天幕で静かに瞬いている。

私はランタンを手に、薬草袋を背負い直した。

「よい、しょっと……」


薬草袋の重みが肩に食い込む。 


「フンフーン♪」


隣では、泥だらけの服をまとったレオンが、乾いた布ずれの音を立てながら、鼻歌を歌う。

ぼんやりとした足取りで歩いていた。



泥の匂いが鼻腔をくすぐり、森の暗闇が胸に重くのしかかる。


早く星涙花(せいるいか)を見つけたい。


「夜の方が星涙花の輝きが際立つって、本に書いてあったから来たの。朝露にも薬効があるから、採取は朝にするんだけど……私、ほんっっとうに高いところって苦手なのよ」


喉が渇き、声が小さくなる。

頭の中では、崖の縁がぐるぐると回り、心臓が早鐘のように打ち始めた。


「意外だな。魔女なのに怖がりなのか。俺がいるから安心していいのによ」


レオンはニヤリと笑い、私の肩を叩いた。

泥が服にべったりと付着する。


「うぇっ、やめてよ! 汚れるじゃない!」


慌てて泥を払ったが、指先に残る冷たい感触が不快だ。

「泥だらけの剣士さんってば本当にデリカシーがないのね。」


「なんか色々置き忘れてきたんだ俺は」

レオンが乾いた笑いを上げながら足元の石を蹴った。


「仮にも英雄って言うならさ、もっと武勇伝を聞かせて。魔物をバッサリ倒したとか、なんかないの?」


「……今は体が重くて、どうでもいい」


レオンは肩を落とす。


「 剣士ならやる気を出しなさいよ。だらしない。」


泥の匂いが鼻を突き、呆れがこみ上げる。

「作り話をする気もないのに、英雄を名乗るなんて変な人」


「いいだろ、別に。誰も俺のことを覚えてないし」

レオンの目が伏せられる。


「まあ、こんな泥だらけの剣士じゃ、英雄には見えないわね」


寂しげな影がレオンの表情に浮かび、追及する言葉を飲み込んだ。

胸に小さな波紋が広がる。


「英雄とは言えないけど、かつては輝いていたのかもしれないわね。言い過ぎたわ。」


目の前の疲れた顔に、申し訳なさがこみ上げ、ごまかすように笑ったが、足取りはさらに重くなった。



奥に進むと、木々がざわめき、遠くでフクロウの鳴き声が聞こえる。

夜の冷気が首筋を這い、手に持つ光を握り締めた。冷たい金属が手のひらに染み込む。


闇の中に目を凝らすほど、何かが動く影が見える気がするのだ。



「安心しろって言っただろ?ちゃんと守る。」

レオンが笑いかける。


「守るって……そのボロボロの剣で? 役に立ちそうにないんだけど」


「何度も言うな。昔は魔物をバッサリとだな…!」

「はいはい、昔ね」

「——ったく、口だけは達者だ。」


レオンが苦笑する。錆びた剣を握る手が、微かに震えたように見えた。


かつての面影が、一瞬だけ垣間見えた気がした。

その一瞬に、意外な温かさが胸を掠める。



「星涙花は、エリクサーの気力回復に必要不可欠なの。本当は朝に採取するけど、今は花の面白い生態が見たくてね」


「エリクサー? 飲むと強くなるのか?」


「エリクサーは、完全な再生薬よ。どんな状態も完全に修復できると言われている。全ての魔女や薬師の憧れで、私の魂が求めているの。私の人生の目標よ。強くなるだけなら、他の薬で十分」


「へえ。俺も最近疲れがひどくてな。そんな薬あんなら飲んでみたいよ」


レオンの声が沈む。


「しっかりしてよ。だらしないだけじゃないの?」


目の前の泥だらけの姿と、埃っぽい工房で薬を作っていた自分が重なり、胸がざわめく。

レオンの目の下の隈が、深い疲労を物語っていた。 




崖に近づくと、風が強くなり、崖の輪郭が夜空に浮かび上がる。


「あそこよ……やっぱり高いし、暗い。」


落ちたらどうしよう、と膝が笑い始めた。

なんとか歩みを進める。


「だーから、大丈夫だって。しっかり見てるぞ」


「言われなくても頑張るわ。あの光景が見たくて、夜に来たのよ?あなたこそ辛そうだけど。」


レオンは肩を上げて息を切らしていた。



「今は登るのも億劫だな。お前が行きたいなら付き合うけどよ」


「やる気出して。頼りにしてるんだよ、これでも」


「わかった。頼られているなら仕方ないな」

レオンがニヤリと笑う。


「仕方ないって……真面目にしてよね!」


頼りなさそうな背中に目を細める。

ユーモアのある男なのだ。

「あなたって、意外と悪い人じゃないのね。」


暗闇の中で、心が温かくなった。





そうして崖の麓に着くと、星涙花が上空で光を放っていた。



「見て! あれよ、星涙花が輝いてる!」


「なんだ、ありゃ……」


空の雲が晴れ、星の光が花々を優しく照らし出す。


「星の光が粒状に輝き、花とつながった…。これからよ。」



それはまさに、光のカーテンのような様相だ。


崖全体が幻想的な雰囲気に包まれる。

その光景に、私もレオンも目を奪われ、立ち尽くしていた。


「星の地上の人への祈りがこの花を媒介に降り注いでいると言われているわ。わざわざ夜に来たのは、この光景を見たかったから。本当に優しい光……」


「ああ、本当に………きれいだ」

レオンは、その輝きに吸い込まれそうなほど目を輝かせている。


「あなたもこんな素敵な顔ができるのね。」


ちょうど、この星涙花で作ってみたい薬が、レオンの無気力に効くかもしれない。

レオンに聞こえない声でつぶやく。


「ちょっとやる気出しちゃおうかな。この人の笑顔を見るために。」

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