出会い
初連載!よろしくお願いいたします!
ーーなんてことだ。沼から人間の足が突き出てる。
泥にまみれた踵が水面を割り、黒々としたぬかるみに半ば沈んだまま、ピクリとも動かない。
森の奥でそんな光景が目に飛び込んできた瞬間、私は思わず息を呑んだ。
「あと少しで新しい薬が試せるかな……」
湿った空気が鼻をくすぐり、苔むした石が足元に転がる中、薬草を摘んでいたばかり。
ふわっと広がる薬草の清涼な香りに目を細め、呟いた直後の出来事だった。
「え、ちょっと……。うそでしょ!? ……………あ……もしかして…新種の魔物………?だったらいいけど……」
好奇心がむくむくと湧いてくる。
私が星からこぼれ、産まれ落ちてきたとき――それからなぜかある工房にこもる毎日は有意義だけど退屈すぎて。
こういうものには興味が尽きない。
新しい素材ならエリクサーへの道が開けるかもしれない。
古びた本に記された「星の欠片を癒やす、再生薬」の一節が頭をよぎり、期待が胸を膨らませる。
「ちょっと覗くだけよ……」
自分に言い聞かせ、そっと近づいた。
ゴボッと沼が泡立ち、同時にくぐもった声が響く。
「助けてくれ~!」
「……やっぱただの人間じゃない。がっかりだわ!」
肩がガクリと落ちる。
見捨てて帰るのも何かモヤっとするし、沼のそばで膝を丸めて観察した。
「ヒッ……ゴボゴボ…ヴォア……」
泥に半分埋まった男の声がじたばたしながら、情けない悲鳴を連発してる。
「ぶはっ、助けてくれ~!」
「はぁ、全く、厄介なもの見つけちゃったわ」
大きなため息が漏れる。
こんな森の奥でこんな変な人に絡まれるなんて、運が悪すぎるにもほどがある。
「このうるさい声が頭にこびりついたら薬作りに集中できないわね。もう、しかたないんだから……」
渋々目を細め、男が溺れかけてるのを確認すると、私は手を上げて指を軽くパチンと鳴らした。
風がビュッと唸りを上げ、沼の泥を巻き上げながら男を引っ張り出す。
ドボンと派手な音を立てて抜け出した男は、地面に転がって、咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホッ……あ゛ーーー助かった…ゴホッ」
全身にべっとり泥をまとったその姿は、人間って言うより泥だんごにしか見えない。
「おい、あんた! 魔女か? 魔法なんて初めて見たよ、すげぇな! !」
男が泥をバンバン払いながら立ち上がり、上半身の泥を雑に拭う。
髭だらけの顔は泥が落ちきらず、ぐっちゃぐちゃのまま。
「こえ、でっか…」
不快感に眉がピクピク動く。
彼は泥だらけの手で服をバシバシ叩き、ドロドロの水が地面にポタポタ落ちた。
「うっ……ねえ、 耳キーンってしたじゃない!」
「なんだよその態度、これでも俺は英雄さまだぞ! レオンって言うんだ。聞いたことあるだろ?」
「レオン? ………英雄? こんなとこに?英雄?」
レオンと名乗る男をじーっと見つめる。
「しらないわ…」
腰に剣をぶら下げてるけど、刃は錆びてボッロボロ。
「こんな初心者向けの森で沼にハマってるような人が英雄って、冗談でしょ?」
「ちょ、おいおいおい!かなり毒舌だなあ」
彼が近づいてくると、泥の匂いに混じって酒臭さがプーンと漂ってきて、顔がさらに歪む。
「やだぁ、汚いわね…」
一歩下がって呆れた声で言った。
「……落ちぶれ剣士ってとこが精々じゃない? 酔っぱらいの英雄さんはさっさと家に帰ったらどう?」
「ハハ!ま、こんな泥水に浸かってたのが英雄だって言っても、誰も信じねぇよな!だがな、一度掴んだモンは、そう簡単には手放さねぇのが俺の流儀でな!これもなんかの縁だし、」
レオンがバツの悪そうな顔でデカく笑う。
「嘘なら黙っててほしいんだけど…。」
こいつの嘘はあんまり面白くないが、純な瞳に射抜かれなんだか憎めなかった。
彼は泥だらけの手を放り出し、続ける。
「めんどくさいことやらせちまったお詫びに、何でもするからよ! あの沼、……マジで……まじで怖かったんだぜ。助かったよ。」
少し考える。
「剣はあるし、見た目は泥だんごでも護衛くらいにはなるかな。」
「お?護衛依頼か?」
「欲しい素材があるの。崖の上に咲いてて、ちょっと怖い場所にあるし。」
エリクサーへの旅がこんな泥くさい奴で始まるなんて笑っちゃうわ。あまりの貧相な彼の体を見てすこし思いとどまりそうになるが、意を決した。
「……まあいい機会かもね。採取依頼よ。崖の上の星涙花を一緒に採りに行って」
「星涙花? 何だそれ? 食べれるのか?」
レオンが首をかしげると、私は呆れた目を向けた。
薬草袋から古びた本をガサッと取り出してページをペラッとめくる。
「ほらここ、星涙花。星形のちっちゃい白い花で、朝露でキラキラ輝くの。中心に青い雫の模様があって、触るとほんのり温かい。エリクサーの気力回復と輝きの効果があるのよ。朝露も必要だから朝に採らないとダメなの。」
わたしは早口で説明した。
人と話すのは……実は初めてなのだ。
「へぇ、エリクサー? なんか良くわからねぇけど…… 面白そうじゃん!」
「もう……なんなのあなた。ちゃんとできるの?」
「やってみなきゃ分からんだろ。旅は何とやらだ。」
足元はおぼつかず、やけにフラフラしながら言う。
「さっきも言ったけど、崖にあるのよ。ソレ。高いとこ苦手だからさ。一人じゃ怖いし、一緒に行ってくれると助かるんだけど」
「ああ、分かった! 任せとけって! 俺、昔は崖なんて一瞬で――。」
レオンが胸を叩く。
「はいはい、昔話はいいから!」
「俺の話も聞けよな〜。ま、いっちょやるかぁ!」
レオンが泥をバンバン払いながら立ち上がり、剣をドンッと叩いて気合を入れた。
泥がパラパラ落ちて、服にまたちょっと飛び散る。
「ねえ、それ洗ってよね! 汚いって!」
「汚れも英雄の証ってな!」
レオンがふざけた様子で笑った。
「はぁ、本当に、こんな人でいいのかな……」
森の静寂が再び戻り、私は泥だらけのレオンを横目に、自分の工房を思い出す。
埃っぽい棚に並ぶ薬瓶、夜な夜な調合した試作品、そして「エリクサーさえ作れれば何か変わるのかなぁ」そう呟いた夢。
あの退屈な日々が、こんな馬鹿げた出会いで動き出すなんて。
「よし、行こうぜ!俺たちの旅へ!」
レオンの調子のいい泥臭い声が響き、なぜか心に小さな火が灯る。
星の欠片が囁くような、エリクサーへの第一歩が、今確かに始まったみたい。