嫌われ令息は白百合姫に恋をした
俺が産声をあげた夜。
泣き濡れた両の目がうっすらと開き、両親を見た瞬間、父はよろこびの叫びをあげ、母は悲しみの息を呑んだ。
母が薄情だったのではない。薄情なのは父のほうだ。
なぜなら俺の左目には、血のように赤い『魔眼』が現れていたのだから――。
・◆・◇・◆・◇・◆・
「この者は、陛下のお心を裏切っております」
俺の宣告に、後ろ手に縛られた男ははっと息を呑んだ。
男の襟首をつかみ、俺は怯える男の顔を覗き込む。
男の目には俺の目が映っている。
恐怖に体じゅうを包まれながらも視線を逸らすことのできない、赤い『魔眼』が。
「隣国の……ゲオルギ家とつながっているな?」
「……!!」
俺が手を放すと、男の体から力が抜け、男はがくりとうなだれた。否定する気力も失ったようだ。
俺の仕事は、これで終わり。
長くのばした前髪で魔眼を隠しながら、馬鹿な奴め、と俺は内心で毒づいた。
俺の魔眼は万能ではない。心のすべてを見通せるわけじゃない。強く否定すれば俺にもその真偽はわからないというのに、国に背き、隣国へなびこうとした大胆さはどこへやら、こうしてすぐに諦めてしまう。
「わしを謀ったか……愚か者め、すべて吐かせるまで痛めつけよ」
地の底へ響くような国王の下知とともに、男は騎士に引きずられていった。
「大儀であった」
側付きの騎士からさしだされた布袋を、俺は頭の上に掲げて受けとった。中身は、庶民ならば数年は遊んで暮らせるほどの金貨だ。
「またお前の力を借りるときがくる。そのときは頼むぞ、ベレスフォード」
やさしげな笑みを顔にのせて国王は俺を見た。
けれども、魔眼持ちの俺にはわかる。
『気味の悪い小僧め、早く失せろ』
頭の中に声が響く。国王の声だ。
それだけではない、周囲の騎士たちも、似たような罵倒を俺に向けている。
『他人の秘密を暴いて金貨を得るか』
『魔眼持ちなど人ではない、呪われた存在よ』
『虫唾が走る』
――虫唾が走るのはこっちのほうだ。俺の力なしには、内通者もさがし出せない無能どもが。
「陛下のお力になれますことが、このセシル・ベレスフォード、何よりの幸せでございます」
よぎった言葉を口の中で押し殺し、俺は深々と礼をした。
・◆・◆・◆・
魔眼持ち、と呼ばれる人間がいる。
彼らは生まれたときからその身に膨大な魔力を宿し、どちらかの瞳が赤く染まっている。
そしてたいていが、異能を持つ。
魔眼持ちの赤子が生まれれば国に届け出ねばならず、その子は国の管理下に置かれることになる。
俺の異能は、読心だ。
表向きは、〝目をあわせた者の心を読むことができる能力〟。
だが本当は、〝周囲の人間の心を読む能力〟だ。
強すぎる力は、破滅をもたらす。内心の思考がすべて俺に漏れているとわかれば、国王だって俺の前に出たくはないだろう。だから目をあわせた者だけ、俺の魔眼をその目に映した者だけが心を読まれるのだと、そう偽っている。
魔眼持ちは、数年から十年に一度の確率で生まれるそうだ。
しかし国に管理され、利用され、そのうえ侮蔑と敵意を向けられる彼らは、ほとんどが老いることなく死んでしまう。
だから俺が生まれたとき、母は俺の将来を悲観して嘆き、父は金の成る木を得たとよろこんだ。
・◆・◆・◆・
屋敷に戻ると、正面玄関横に見知らぬ馬車が停まっていた。
紋章付きの、たいそう立派な馬車だ。
俺の能力を目当てに貴族どもがやってくることは度々ある。
今回もそういったたぐいかと思ったが、どうも違うようだと屋敷に入った途端に聞こえてくる声で思う。
『お嬢様、お可哀想に』
『いい気味だわ、せいぜい魔眼持ちにいたぶられればいい』
『美しいけれど、なんだか気味が悪いわね……』
『これでベレスフォード家の地位も上がるぞ』
最後の声は父のものだろう。
なんのことだと考えながら応接間に入る。
そこには、一人の令嬢がたたずんでいた。
触れれば雪となってとけてしまいそうな白い肌に、煌めくプラチナブロンドの髪。同じ色の睫毛に縁どられたまぶたの奥には、透き通るような空色の瞳が。
ドレスも、レースでできたヘッドピースも白を基調としたもので、まるでそこにだけ光がさんさんと降りそそいでいるかのように空間が淡く輝いている。
俺に気づいた令嬢が、にこりとほほえんだ。
その笑顔はまるで、洗礼に訪れた教会で見上げた、天使のステンドグラスのようで――。
「帰ったか、セシル」
惚けてしまった俺に、父が話しかけてくる。
使用人たちはそそくさと部屋を出ていった。俺がいるあいだは、同じ部屋に入るなと言いつけてあるのだ。ただでさえ喧しいあいつらの噂話を、心の中でまで聞かされたのではたまったものじゃない。
部屋に留まっている、見かけない顔の使用人たちは令嬢の家からきたのだろう。
先ほどの『お嬢様』という声も彼女らのものかと納得がいく。
「あらためて、ご紹介いたしましょう。我が息子、セシルです。今年で十六になりました」
弾んだ父の声に令嬢は頷いた。
俺のそばまで歩みよると、深々と礼をする。
「初めまして、セシル様。わたくし、フラウレス公爵家の娘、アデレイドと申します」
アデレイドは顔をあげた。
また、にこりとほほえみが向けられる。言葉を返せないでいるうちに、アデレイドの柔らかな手が俺の手を握った。
「不束者ではございますが、どうか、よろしくお願いいたします」
「アデレイド嬢とお前の婚約が決まった。すばらしい縁だ。まったく、フラウレス公爵には感謝せねばならん」
『お可哀想に。お可哀想に、お嬢様。魔眼持ちの、それも格下の家に嫁がされるなんて』
三方から声が聞こえ、俺は物心ついてから初めて、毒づくこともできずに放心してしまった。
・◆・◆・◆・
フラウレス公爵家は、王家の血を引く由緒正しい家系だ。国王からの信頼も厚く、代々王家の金庫番を務めている。
だが、近ごろでは公爵家の資金繰りがうまくいかず、首が回らなくなっていたところだったという。
アデレイド・フラウレスは、フラウレス公爵家の末の令嬢。人目を惹く美貌と、心やさしい性格から、〝白百合姫〟と呼ばれている。
今回の婚約は、公爵家の財政難に目をつけた父が、金で口説き落とした縁談だ。
ベレスフォード家は一介の子爵家。裏の事情がなければ公爵令嬢を婚約者になどできるわけがない。
これが、アデレイドの使用人を通じて俺が得た知識だった。
婚約が結ばれてから、アデレイドは毎日のように馬車に乗ってベレスフォード家へやってくる。手土産のお菓子や、花や、本や、王都で流行っているのだという遊び用のカードなどを携えて。
「ごきげんよう、セシル様」
鈴の音の鳴るような声で、まさに白百合のような美貌に、人なつっこいほほえみをのせながら、俺の機嫌をうかがうのだ。
俺はといえば、アデレイドにどう応対すればよいかもわからず、本を開いて読むふりをするだけ。
するとアデレイドは、俺と同じソファに腰かけ、持参した本を開いて、にこりと笑う。
「セシル様、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「……」
「セシル様は、読書がお好きなのですね」
「……」
「どのような本を読まれるのですか」
王都で俺の名を知る令嬢なら、婚約などを命じられれば泣いて嫌がるはずだ。
なのに、アデレイドからはそういった心の声は聞こえてこない。
俺が何も言わなくても、満足げに隣に寄り添い、本をとりだして読み始める。
そんなアデレイドに、俺は苛立っていた。
訪問の回数が増えるにつれ、アデレイドの使用人たちは応接間の前で踵を返すようになった。
おそらくはやつらも、俺のことを気味悪がっているのだろう。
いくら婚約者とはいえ、年頃の令息と令嬢がふたりきりでいていいわけがない。俺という魔眼持ちを相手に、妙な噂でも流れれば公爵家の名に傷がつく。
なのにアデレイドは気にした様子もなく、こうして隣に居座っている。
いったいなんだ? 何を考えている?
おやさしい〝白百合姫〟は、魔眼持ちにすらやさしくできるということなのか?
そうだ。アデレイドの心の声は聞こえない。彼女は心底、俺と親しくなりたがっている。この婚約を受け入れている。
アデレイドという存在は、掛け値なしに美しいものなのだろう。
そう認めるほどに、アデレイドの光に照らされて俺自身の影は濃くなっていく。
俺が他人の秘密を暴くことで稼いだ金で、父はアデレイドを買った。
母はとうに愛想をつかし、この家を出ていった。
俺が軽蔑されるのは当然だ。
アデレイドが俺を婚約者として扱うのは、ただアデレイドの心が美しいからで、俺自身に価値があるからではない。
・◆・◆・◆・
今日もアデレイドは俺の隣にいる。
ここのところのアデレイドは、せっせと編み物をしていた。どうやら少し歪な形のそれはマフラーで、落ち着いた群青色だった。
白い肌にプラチナブロンドの髪、白いドレスのアデレイドが毛糸を編んでいると、そこだけ異質なものがあふれだしているように見える。
集中したアデレイドが無口になるのはいいが、俺はその光景があまり好きではなかった。
毛糸をたぐる指先の動きが、長くのびていくマフラーが、俺を苛立たせていく。
そのうえ今日のアデレイドは、また妙に饒舌だった。
「あの、セシル様。セシル様は、冬はお好きですか」
「……」
「わたくしは、冬が好きなのです。雪が降ると、王都じゅうが白くなりますから。皆の吐く息も白くなって」
「……」
「このマフラーなのですが……実は、セシル様の髪の色に合わせてみたのです」
ぴくりと肩が震えてしまった。
やはりそうか、と心の中で苦々しい気持ちになる。
だからこそ、のどかな午後の光景から、目をそむけたくなったのだ。アデレイドの無垢なドレスに、俺という染みが広がっていくようで。
「できあがったら、受けとっていただけますか」
それには答えず、俺は立ちあがるとアデレイドから距離をとった。
「アデレイド」
「はい」
名を呼べば、アデレイドはすぐに笑顔になって立ちあがる。
「なんでしょうか、セシル様。初めて名を呼んでくださいましたね」
「俺にかまうな」
だがはしゃいだ声をあげるアデレイドを遮り、俺は彼女を睨みつけた。
これまで耐えようとしてきた苛立ちの箍が外れ、それは沸々とした怒りに変わる。
「俺がお前を愛することはない。俺たちのあいだにあるのは金だけだ。そんなものはいらない」
マフラーを指して言えば、アデレイドの目が見開かれる。その表情から笑みが消えたのをみて、少し溜飲がさがった。
「……はい」
うつむいたアデレイドの声は、震えているような気がした。
哀れだ、自分で傷つけておきながらそう思う。でも同時に、俺の言うことに傷つく必要などないと思った。
ほかの皆と同じように、俺を蔑み、避けて暮らせばいい。
なのに。
「わかりました。でも、わたくしはセシル様をお慕いしております」
顔をあげたアデレイドは、ほほえみを表情に戻し、涙で潤んだ目を細めて俺に笑いかけた。
無垢で、純粋で、俺などとは交わってはいけないもの。
カッと頭に血がのぼる。
「触るな!!」
俺に手をのばそうとしたアデレイドの手を、反射的に払いのけた。
怒りに任せた動作は、俺の予想以上の力を使った。
アデレイドの体がバランスを崩してぐらりと傾く。白いドレスの、幾重にも重なったレースがヒールに絡んだ。
「あ……っ」
小さな叫びをあげたアデレイドは、何かをつかもうと手をさまよわせた。
「アデレイド!」
咄嗟に俺は手をのばす。
だがその手が届くことはなく。
白百合の花が手折られるように、アデレイドの体は倒れていった。
鈍い衝撃と、陶器の砕ける激しい音。
背中から倒れ込んだアデレイドが、飾られていた花瓶にぶつかったのだ。
床に落ちた花瓶は花と水をまき散らして割れ、その上にアデレイドが――。
・◆・◆・◆・
報せを受けた公爵家は、俺を責めなかった。
金ずくの婚約者だから、そういうこともあると諦めていたのかもしれない。俺がアデレイドに手をあげると覚悟の上だったのかもしれない。
ただ、怪我は公爵家の主治医に見せてほしいとだけ言って、医者を送り込んできた。
ベレスフォード家の手配した医者では信用できないのだ。当然のことだろう。
破片の上に倒れ込んだアデレイドの背中には大きな傷が残るそうだ。
幸いにも背中の開いたドレスを着なければ隠れるもので、人目に触れることはないだろうと主治医は言った。
アデレイドの眠る客間へ行けば、目覚めたアデレイドが身を起こす。
「セシル様」
「アデレイド……」
アデレイドはベッドに腰かけた俺の手を握った。もう俺は振り払うことをしなかった。
縋るような瞳が俺に向けられる。
「どうか、わたくしのことを、捨てないでくださいませ」
「ああ、捨てない」
「よかった……」
安堵の表情を浮かべ、アデレイドはほほえんだ。
「わたくしは、セシル様に捨てられたら生きてはいけません」
そのほほえみに胸が締めつけられるようになる。
大きな傷を負った令嬢など、妻にしたいと思う者はいないのだ。傷ついたアデレイドにはもう、俺しかいない。俺を頼るしかなくなってしまった。
そう思うと、急にやさしくしてやりたくなった。
「まだ痛むだろう。今日は眠るといい。薬をもらってきた」
顔にかかったプラチナブロンドの髪を払い、俺は薬と水をさしだした。アデレイドは素直に薬を含み横になると、やがて寝息を立てはじめた。
足音を忍ばせて部屋を出、俺は足取り重く廊下を歩く。
背中の傷が、消えないと聞いたとき。
アデレイドが捨てないでくれと縋りついてきたとき。
嬉しいと思ってしまった。
これで俺がアデレイドに捨てられることはないのだと。
同時に、苛立ちの原因も理解した。
俺はアデレイドに恋をしていたのだ。彼女がまっすぐに俺を見つめ、ほほえみかけたときからずっと。
そして同時に、アデレイドに捨てられることを恐怖した。
彼女が俺を捨てることに怯えて。
俺に贈ってくれた言葉のすべてが偽りかもしれないということに怯えて。
ふと声が聞こえて、俺は足を止めた。
声の主は父とアデレイドの主治医だ。玄関で見送りをしているらしい。
父は公爵家によくよく謝っておいてくれるよう、くり返し主治医に言いつけていた。公爵家が怒りに任せて婚約破棄を申し出れば、せっかくのつながりが消えてしまう。
主治医は頷き、それから、心の中で呟いた。
『まあ、フラウレス家からすれば今回のことは願ったりでしょう』
「――……?」
いったいどういうことか、と訝しむ俺に答えるように、主治医は内心の独り言を続ける。
『あの方々がつけた傷が、全部隠れてしまいましたから』
その瞬間、息が詰まったような気がした。
――お嬢様、お可哀想に。
――いい気味だわ、せいぜい魔眼持ちにいたぶられればいい。
アデレイドに初めて会った日、彼女に付き添っていた使用人たちはそう心の中で言っていた。
あのときの俺は、突然の婚約話とアデレイドに心を奪われ、深く考えることをしなかったのだが……。
アデレイドは、公爵家で虐げられていたのだろうか?
それがなぜかはわからない。
だが、そう考えれば辻褄が合う。
アデレイドが頻繁にベレスフォード家を訪れたのも、俺に取り入ろうとしたのも、傷を負って縋りついてきたのも。
自分を虐げるフラウレス家から、逃げたいためだった。
ああ、と俺はため息をついた。
心臓がひき絞られたように痛くて、服の上から胸を押さえる。
やはりアデレイドにも本心はあったのだ。
俺が読めないほど心の奥深くに閉じ込めていただけで、俺を慕ってくれているわけではなかったのだ。
裏切ったとは思わない。
アデレイドを責める資格は俺にはない。
俺の願いはただ一つ。
そうだとしても、アデレイドを、手放したくない。
どんな手を使ってでも、俺のものに。
・◆・◆・◆・
数日後、俺は国王の御前にいた。
深々と頭をさげ、目をあわせない俺の前で、国王はふんぞり返っているだろう。そして側近たちとちらちらと視線をあわせながら、俺のことを馬鹿にしたように笑う。
見えなくともそれは、心の声でわかる。
以前なら苛立ってもいただろうが、そんなことはもう大した話ではなかった。
俺を蔑みたいのなら好きなだけそうすればいい。こちらも利用させてもらうだけだ。
「願いをお聞き届けくださり、謁見をお許しいただけましたこと、誠にありがとうございます」
頭をさげたまま俺は口上を述べる。
「おお、それで、言いたいこととはなんだ」
「フラウレス公爵家は、陛下の財産をくすねております」
ぴたりと空気が止まった。俺に対する下世話な心の声が鳴りを潜め、緊張を孕んだものになる。
「……どういうことだ」
「そのままの意味です。フラウレス公爵家は財政に苦しんでおりました。わが家との婚約により立て直したかに見えましたが、埋め合わせるにはまだまだ足りないのです」
それは、アデレイドの背中に傷を残してしまった詫びだとフラウレス公爵家を訪れ、読みとったことだった。
アデレイドの話をすれば、公爵や夫人は忌々しげな心の声を漏らした。
アデレイドが折檻の名目でどんな扱いを受けていたか、彼女の白い背にもともとあった傷がどのようについたものかを俺は知った。
ベレスフォード家から縁談が舞い込んだとき、彼らが大よろこびしてアデレイドをさしだしたことも。
お詫びの印だと金を積めば、神妙な顔をして受けとりながらも、心の中では舌なめずりをしていた。
財政難だというのに公爵夫人のドレスは年甲斐もなく煌びやかなもので、髪にも首にも宝石をぶら下げていた。財政難の理由は彼女だろう。
そして公爵の心から、俺は彼が国王の金に手を出していることを知った。
「公爵家の息のかからぬ者に確認をさせてください。たくさんの宝石や、金や、金塊などが、足りなくなっているはずでございます」
「なんということだ……!! すぐに誰かつかわせ!!」
怒りの声とともにバタバタと側近が立ち去る足音がした。
それを見届け、国王は長いため息をついてから俺に向き直る。
「礼を言うぞ。褒美をとらせよう」
「陛下、どうか私の願いを口にすること、お許しいただけますか」
「ほう、なんだ? 言ってみろ」
俺はよりいっそう頭をさげ、恭順の意を示した。
「今回のことが発覚したきっかけは、私の婚約者、アデレイドです。アデレイドは横領には関わらず、そのために両親から疎まれ、俺の婚約者となったのです。どうか、アデレイドだけはお目こぼしを」
「ああ、よいだろう。た易い願いだ」
鷹揚に答え、国王は席を立った。
俺は動かないまま、じっと心の声を聞こうとした。「よい」と答えたのが国王の本心かを確かめたかったのだ。
『〝魔眼持ち〟の婚約者など、すでに罰を受けておるようなものだろうが。不憫なものよ』
そんな声が聞こえて、俺は思わず笑ってしまいそうになった。
たまには正しいことを言うじゃないか。
癪に障る本音だが、アデレイドに手出しをする気はないらしい、と安堵する。
傷を負ったアデレイドは、公爵家には帰していない。安静にしたほうがいいからと、ベレスフォード家に泊まらせている。
アデレイドが気づいたときにはすべてが終わっているだろう。
フラウレス公爵と夫人は捕縛され、アデレイドは本当に帰る場所を失う。
それでいい。あんな家には帰らなくていい。
アデレイドは一生、俺の隣にいるのだ。
・◆・◇・◆・◇・◆・
背中に残った傷を鏡に映し、わたくしは満足げなため息をついた。
たくさんの欠片に切り裂かれた肌は、お母様の鞭の痕をわからなくした。
セシル様の魔眼のお力でそのうち知れてしまうのだろうけれど、しばらくのあいだ、セシル様はわたくしを傷モノにした罪悪感に苛まれるはずだ。
あれから、セシル様は変わった。
以前の態度が嘘のようにやさしくなった。
わたくしを捨てないと約束してくださった。
わたくしをフラウレス家に帰すことなく、この屋敷に置いてくださっている。
「ああ、セシル様……わたくし、とても幸せですわ」
ずっと夢を見てきた。
あの家からわたくしを救いだしてくれる人。
その人のためなら一生を捧げてもいいと思っていた。
わたくしが生まれたとき、よろこんでくれる人は誰もいなかった。
わたくしは公爵であるお父様と、当時公爵家で働いていた侍女のあいだに生まれた子だ。
本当のお母様から受け継いだプラチナブロンドの髪と、お父様から受け継いだ背中の痣。その痣さえなければ、お母様はわたくしのことを隠し通せたでしょうに。
兄姉にも存在する、花のような形の痣は、わたくしがまぎれもなく公爵家の血を引く子であることを告げてしまっていた。
本当のお母様はわたくしを置いて屋敷を出ていくしかなかった。公爵家の印を持った赤ん坊を、外に出すわけにはいかなかったのだ。
わたくしが成長し、プラチナブロンドの髪を持ったままきょうだいの誰よりも美しい容貌を得ると、お母様はわたくしを目の敵にするようになった。
わたくしに難題を言いつけてはできないからと折檻をし、背中の痣を鞭で打つ。
不義の子だからと、わたくしは白いドレスを着せられた。
いつの間にかその姿が無垢を表す〝白百合姫〟という名をとると、お母様の怒りは激しくなった。
お前のせいだと詰るお母様。お母様の散財を止めることもできず、自分のしたことを棚に上げて、そうだお前のせいだとおっしゃるお父様。
兄姉たちも誰も助けてくれない。
セシル様との縁談が持ちあがり、わたくしがどれだけ嬉しかったか。
そして、初めてお会いしたセシル様は、応接室にいたわたくしの姿に驚いたように立ち止まって。
そのとき、揺れた群青色の髪の合間から、隠された左目が見えた。
血のように赤い瞳――。
わたくしは空の色、セシル様は血の色。けれども暗く澱んでいるところはわたくしと同じ。
わたくしはセシル様にほほえみかけた。
わたくしたちは、同じですね、と心の中で語りかけながら。
ほほえみ、媚びを売らなくてすむだけ、きっとセシル様のほうがましな人生を歩んでこられたのだろう。
でも親にすら不信の目を向け、楽しいことが何もなかったのは同じ。
きっとこれは運命だ。
セシル様には誰もいない。でも今度からは、わたくしがいる。
わたくしたちは互いに、唯一無二の存在になれるでしょう。
「そうだわ、セシル様と結婚できたら、お義父様には出ていってもらいましょう。当主のような顔をしているけれど、セシル様の魔眼に寄生しているだけですものね。あんな人は要らないわ」
わたくしは呟いた。声が弾んでしまうのを止められない。
やりようはいくらでもあるだろう。公爵家の評判を落とさぬよう言いつけられて演じていた〝白百合姫〟だったけれども、わたくしの言葉を疑う人はいない。
「使用人も少しずつ解雇しましょう。セシル様を尊敬できない使用人なんて要らないものね。わたくしも家のことなら少しはできるから、食事やお部屋の掃除はわたくしがすればいいわ」
そうして、この家に、セシル様とわたくし、ふたりだけが残るのだ。
「楽しみですね、セシル様」
わたくしは目を細める。
鏡の中のわたくしも、うっとりとほほえみながらわたくしを見返していた。
お読みいただきありがとうございました!
ヤンデレ→無垢に見せかけたヤンデレ×ヤンデレなお話を書いてみたくて書きました。
面白いな、と思ったらページ下部↓の☆☆☆☆☆を押して応援していただけると嬉しいです。
次回作への励みになります~!
また、本作とは正反対なピュアピュア両片想いラブコメのコミカライズが連載開始しております!
コミックシーモアさんで1話無料で読めますのでぜひ☆
『仕事人間な伯爵令嬢は氷の宰相様の愛を見誤っている』
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