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 魔力と、魔力が写す情景は、生まれ持ってのものであり、生来変わることはない。稀に成長の過程で変異する場合もいるが、ほとんどの人は子供のころから映す情景を元に、その度合いが変化するものだ。


 赤子の頃は小さな水溜り程度の大きさの池が、大人になると湖と呼べる規模になったり、小石だったものが巨岩になったりなど。


 それぞれ大きさや規模が大きくなる傾向にあるが、本質的な部分である、情景が写す物体や現象は変わらない。


 この情景は、魔力と魔力を持つものとの相性で写す姿が変わり、静的なものや不変的なものほど美しいとされている。逆に嵐や、竜巻など、動的で荒々しいものほど醜いとされている。


 ーーーこれがこの世界の常識だ。


 たしかに容姿よりも先に目に入る魔力の情景は、その人物を表す一つの指標となるだろう、そう自分も考えていた。だが、今となっては不可解なことが三つある。


 なぜ魔力の流れが情景となって現れるのか。


 なぜ人によって魔力が映す情景が異なるのか。


 そして、なぜ動的な魔力ほど醜いと思われるのか。


 人が保有する魔力の根本に関する話しだが、実はまだこのことについて正確なことは判明していない。もしかしたらどこかで研究されているのかもしれないが、少なくとも伯爵家の嫡男たるわたしが知ろうとしても、答えが記された情報はなかった。


 これには、この世界の宗教観も関わってくる。


 "陽耀教(ようききょう)"、という宗教がある。

 太陽神を絶対神とし、この世界は太陽の祖たる神から生み出され、遍く生物は神に見守られているのだ、という説を起源とした宗教だ。主にこの大陸の全土で信仰されており、歴史も深い。この地に降りかかる厄災を払う太陽神の巫女が誕生したのが、600年以上前のこと。巫女のことを語り継ぎ、大陸を襲う厄災から人々を導いてきた実績を持つのが、この陽耀教というわけだ。


 陽耀教の教えの一つとして、「魔力とは、神より人に与えられた祝福である」というものがある。


 ーーー人には本来できぬことを、慈悲深き太陽神が、人が俗世をよりよく暮らすために与えてくださった奇跡の一つが魔力である。故に魔力を軽んじること、否定することは神への冒涜であり、禁忌である。


 そんな考えが、まるで一般常識のように浸透しており、誰もが生まれ持った魔力を受け入れ生活している。農夫でも王族でも変わらないこの常識によって、人は魔力が映す情景についても、「生まれもって神から与えられたもの」として疑いもなく受け入れている。


 いや、受け入れざるを得なくされていると言ってもいいかもしれない。与えられた魔力が映す情景を否定することは、それ即ち神を否定することに他ならない。それは禁忌であり、排斥の対象となってしまうだろう。


 毎日を懸命に生きる民草が、街や村から追い出されれば、待っているのは野盗や魔物が蔓延る過酷な地だ。わざわざ危険を冒して禁忌と思われることを調べようとするものは少ないだろう。


 わたしのような、身分があり、ある程度安全が補償されているような人間は、基本的に自分の利益につながることにしか興味がない。つまり、誰も調べようとは思わない。


「でも、一度くらいは不思議に思ったことはないだろうか?なぜ魔力がこれほどまでに人の価値観に影響を与えるのか」


「ねぇよ、そんな当たり前のことを疑問に思ったことはよ」


 返ってきたぶっきらぼうな返答に、肩をすくめる。


 ここはマティス領の外縁部に近いところにある陽耀教の小さな教会だ。


 教会の考えや禁忌について話を聞くには、やはり陽耀教に直接訪ねるのが手っ取り早いと考えたのだ。

 まあ、突然伯爵家の嫡男が教会の重鎮に話を、なんてことを言い出せば領主たる父上に迷惑がかかるため、身分を"どこぞの金持ちのお坊ちゃま"と偽って下町の小さな教会に赴いているわけだが。


「こらアレン、あまり失礼な言い方をしてはダメよ」


 そう言ってアレンという15歳前後の男の子を宥めているのが、この小さな教会のシスターである、コレットだ。彼女は修道女としてこの教会に所属しており、教会に併設された孤児院の先生でもある。下級の治癒魔法を扱えるため、教会へ寄付した人や孤児たちのけがを治しているのだそうだ。


「でもよ先生、こいつの言ってることがおれにはわからねえよ。魔力があって、その姿が見える。それの何が疑問なんだ?しかもこんな上等な魔力のやつがわざわざこんなところまで来て聞くことがこれだぜ。貧乏な人間を見て楽しんでるとしか思えないね」


 鼻を鳴らして如何にも怒ってます、という風に腕を組むこの青年、アランは、この教会に併設された孤児院の元孤児だそうだ。アレン自身は既に孤児ではなく、冒険者として魔物退治や護衛業務、その他雑用をこなす仕事で生計を立てて独立しているのだが、定期的に世話になったこの教会に顔を出しているのだという。


 一言でいうと、この青年はかなりのお人好しなのだ。今だって必死になって怪しげな金持ちの男が教会に首を突っ込もうとするのを防いでいる。そう思うと彼のこの態度も微笑ましく思えるものだ。


「シスターコレット、あなたはどう思いますか?魔力がもたらす人の良し悪しへの影響について」


「わたしは、…そうですね」


 コレットは細い指を顎にあてて考え込む。30前後に見える彼女だが、下町の教会にいるのが珍しいほど整った容姿をしており、修道服を着て考え込むその姿は一枚の絵画にでもなりそうだ。それでいて、まるで陽の光を連想させる魔力をしており、暖かさと親しみやすさを感じさせる。


 ふと隣を見ると、アレンが歯をむき出してこちらを威嚇していた。番犬かこいつは。


「陽耀教の修道女としては、魔力がもたらす人の良し悪しへの影響は、即ち神より賜った恩寵ですから、それに意を唱えることはできません」


 そう答えると、コレットは申し訳なさそうに目を伏せた。


 まあ、シスターとしてはそう答えるしかないだろう。


「しかし、わたし個人として答えるのであれば、魔力に関わらず、人が物事を良い悪いと判断するのは、【自分にとって利となるか、害となるか】ということだと思います」


「ほう?人に映る魔力による情景にもそれが当てはまると?」


「部分的に、ですが。わたしたちが見る魔力の流れが映し出す景色には、人にとってなにか意味があるのかもしれません。その意味の解釈の仕方が、人の良し悪しを決めてしまっているのかもしれませんね」


「なるほど、とても興味深い意見だね。まさかシスターからそんな意見がもらえるとは思っていなかったよ」


「ふふ、シスターコレットではなく、一人の俗世を生きる人間個人としての考えですよ?」


 そう言うとコレットは悪戯げに片目をパチリと閉じる。堂に入ったその姿は、修道女というより、明るい町娘を連想させた。


 成程、アランを含めてここらの人が彼女を慕う理由がわかった気がする。


「そういうことにしておこう。…さて、となりの猛犬がいつ噛み付いてくるかわからないからね、そろそろお暇させていただこうかな」


「あら、もう帰られるのですか?ローゼン神父はもうすぐ戻ってくるかと思いますが」


「神父には悪いが、このあと予定があってね。孤児院に少し顔をだしてもいいかな?」


「ええ、もちろんですよ。あの子達が何か失礼をしないといいのですけれど…。ふふ、もしよければ我が家の頼れる番犬についていってもらいましょうか」


 コレットが微笑みながらアレンへ声をかけると、あからさまに嫌そうな顔でこちらを見てくる。


 なんだねその苦い野菜を前にした子供のような顔は。

 わたしがここの領主の息子だと知ったら、彼はどうするのだろうか?

 まあ、後が面倒なのでそんなことはしないけれど。


 そんな意地悪なことを考えつつも立ち上がり、アレンへ笑いかける。


「ちょうどいい、アレンの話も聞きたいと思っていたところだ。年上の男が相手で悪いが、エスコートしてもらおう」


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