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I'LL  作者: 結城あさのり
3/3

2

 ギターが曲の最後の音を鳴らした瞬間、沢山の拍手が湧き起こる。男が歌っている間、興奮でずっと胸が痛かった。頭がクラクラして現実感がない。乱れた呼吸を繰り返し、必死に息を整える。


 周りを取り囲んでいた人たちがぼちぼちと去っていくのを、ふらつく足取りで避けながら平田は演奏していた男の元へ近寄る。


 スッと男が顔を上げた。強い意思に満ちた真っ黒な瞳が瞬きを繰り返す。そこには自分に対する絶対的な自信が見てとれる。その強い眼差しに射抜かれて、心臓が再び早鐘を打つ。平田は思わず胸の辺りに手をやるとはぁ、と大きく一呼吸いれる。


「もっと演奏聴かせてください」


 普段であれば見知らぬ人に自分から話かけることなんて絶対にしない。だから、どうかしていたのだ。平田は一気にそう告げるとお尻のポケットに突っ込んでいた財布を取り出し、中に入っていたお金をすべて男が開けっ放しにしていたギターケースに入れる。


 中にはすでに他の観客が入れていったのであろうお金がいくらか入っていた。

 これまで黙って平田のことを見ていた男は、ニヤリと笑ってギターケースを閉じた。


「飽きるまで聴いてってくれな」


 ギターをしっかりと抱え直し、流れるような動作でギターの弦に指を滑らせる。最初に演奏していた曲だ。けれど、男の歌声は先ほどよりも幾分か柔らかく優しく聞こえた。


 決して気持ちを押しつけるような歌詞ではないからか、スッと入ってきてずっと奥に隠していたものをすくい上げられたようだった。静かに一粒ずつ瞳をから零れ落ちた涙が頬を伝って落ちていく。男が言葉を紡ぐたびに星になって平田の目の前を照らす。


 ひと際大きくギターを振り上げたと思うと、まるで切ない叫びのように高い音が響き渡る。少しだけ長い男の前髪がしたたる汗で額にくっついている。あたりに静寂が訪れてなお演奏が終わったということが認識出来ないほどに平田は男の演奏に取り込まれていた。


「どうだった?」


 男から声をかけられ、平田はハッと意識を戻す。そして口を開きかけるが思い直し静かな拍手を送る。男は満足したように微笑み、


「もっと聞く?」


と手を振る。男の問いに平田は無意識に頷いていたらしい。男はもう一度、ギターに手を掛けた。

 知っている曲だ、と思った。 


 次に男が弾いた曲に平田は覚えがあった。驚いて男の顔を見ると、いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべていた。偶然なのかと思ったが、男の顔を見るにどうもそうではないらしい。跳ねるように指が弦を弾く。


 男が弾いた曲は平田が初舞台で歌ったものだった。曲調はアレンジがされていたが、何回も練習して飽きるほど聴いた曲だったから間違いようがない。


 平田の頭の中は「何故」という言葉で支配される。喋るなというように男は人差し指を口に当てている。そう言えば、先程の演奏前も同じポーズをしていたので癖なのかもしれない。


 男の演奏に気がついた人たちが立ち止まりはじめ、平田の周りに人が増えていく。演奏が終わった瞬間、どこからともなく歓声が上がる。湧き上がる拍手につられるように平田も拍手をする。


 ぐるりと辺りを見渡すと、皆思い思いの表情を浮かべて男のことを見つめていた。中でも子どものように目を輝かせて、大きな声で賞賛を送っている女性の存在が目についた。


 見た目も良いし、実力もあるとくればあんなに応援してくれるファンがいるのも頷ける。こちらがじっと見ていたことが気づいたのか、ふいに女性がこちらに顔を向ける。不思議そうにパチパチと瞬きを繰り返していたが、すぐに興味を失くしたように演奏をしている男の元へ視線が移された。


(あの人、どこかであったかな)


 何となくその女性に見覚えがあるような気がして平田は首を捻るが、すぐには思い出せなかった。



 演奏の終わった後、男から少しだけ話をしたいと言われたため、平田はライブの片づけが終わるのを黙って待っていた。手伝った方がいいかと思ったが、大事なものだから自分でやると言って触らせてもらえなかったため手持ち無沙汰で落ち着かない。


「あんた、平田勝吾くんでしょ?」


ギターケースの中に入っていたお金を確認しながら、男は何でもないように聞く。それは問いかけではあったが、確信があって聞いている風でもあった。


「あれ、違う?」


 平田がすぐに反応できなかったからか、男は残念そうに眉を下げた。これまでの自信に満ち溢れた様子からは想像が出来ない弱々しい感じに平田は慌てた。


「あ、いえ、ごめんなさい。そうです、合ってます」


 両手を必死に振り、間違っていないことを告げると男の表情がパッと嬉しそうに変化した。そうか、そうかと何度か頷いていたかと思うと男はポケットの中から黒革の入れ物を取り出し、中から一枚の紙を手渡した。


 真っ黒な背景に白抜きで「坂本 良」と文字が書かれていた。その下には小さく電話番号とメールアドレス。裏にはライブの予定がある。どうやら毎週金曜日の夜に定期的に路上ライブを行っているようだ。


「これ俺の名刺。よければいつでもライブ聴きにきてくれな!」


 男――坂本良はそう言うとギターケースを肩にかけ、荷物を持ち上げる。その様子がどうにも重たそうで声をかけるが気にするなと手を振られる。


「お腹空いてない?」


 それより、と坂本はおどけたように言う。歌い終わるとお腹が空いて仕方がないのだと告げる坂本に、どう返すべきかと平田は迷う。それに気がついた坂本は苦笑をもらす。


「暇なら一緒にどう?」


 その言葉につられるように平田は自然と頷いていた。ファミレスでいいかと言われ、特にこだわりのない平田は二つ返事で返す。坂本は平田の数歩先を歩きながらあまりを酒は飲まないから居酒屋には詳しくないのだと話す。


 自分よりも幾分か小さい背中を平田は見つめながら付いていく。お互いにあまり口数が多くないからか度々沈黙が訪れるがそれを居心地が悪いとは思わなかった。


 ファミレスに入ると、にこやかな笑みを浮かべた女性のウェイトレスが席へ案内してくれる。比較的お店が空いているからか四人掛けの広い席だった。


「何にする?」


 平田の方にメニュー表を向けて坂本は聞く。


「俺はもう決まってるから見ていいよ」


 これでは坂本が見にくいだろうと、メニュー表の向きを変えようとするがそれを手で制される。聞けばいつも食べるものが決まっているらしい。平田はいつもギリギリまで注文する物を悩んでしまうのであらかじめ決めている坂本に驚いた。


 注文ベルを鳴らすと、それほど待たずに店員が来た。坂本は手早く注文するのを見て、こういう気配りが出来る人が人から好かれるのかと平田はぼんやりと思う。他に頼みたいものある?と坂本に視線で問いかけられたので、平田は大丈夫だと首を振った。


「時間は大丈夫?」


「あ、はい、大丈夫……です」


「一人暮らしなの?」


「いいえ、祖父と一緒に暮らしているので」


「じゃあ、お爺さん心配しない?」


 坂本は気遣いが上手い男だった。メニュー表の件もそうだったが、こちらが気がつく前にさりげなく声をかけてくれるので何だか恐縮してしまう。


「どうして、俺のこと知ってたんですか?」


 気になっていたことを平田は聞く。パスタをくるくると巻いていた手を止め、お皿の上にフォークとスプーンを置くとカチャンと大きな音がする。そこまで知名度がないのは自分でも良く分かっているつもりだ。


「分からない?」


 気づいているのかと思った、と坂本は驚いたように目を丸くする。言っている意味を掴みかねて、平田は首を捻る。


「気づいてないなら別にいいや」


 演技をするように両手を広げて大げさに肩を竦めてみせる坂本。その顔には、ニコニコと晴れやかな笑みが浮かんでいて面白い物をみつけたとでもいうようだ。坂本はちょっと待ってて、と一言断ると荷物のたくさん入っている鞄の中身を探る。お目当てのものを探り当てたらしく、パッと顔を綻ばせると何枚かの紙の束を取り出した。


「これ……」


 よく見ると紙の束に見えたものは楽譜だった。悩んで作り上げているのだろう、たくさんの書き込みがある。


「これだけはどうしてもピンとくる歌詞が書けなくてさ……行き詰ってるんだ」


 坂本はそう言うとバツが悪そうに視線を泳がせた。落ち着かないように黒い髪を掻き上げてる。


「なんだか、坂本さんらしくない歌詞ですね」


 不意に口をついてでた言葉に、平田はしまったと思った。出会ったばかりだというのに失礼なことを言ってしまったと思ったからだ。慌てて言い訳をしようと口を開くが、それは坂本が上げた大きな声で遮られてしまう。


「そーだよなー!」


 自分に言い聞かせるように坂本はうんうんと何度も頷く。坂本自身も思うところはあったのかもしれない。怒っていなかったことに平田は少しだけ安堵し、机の上に広げられた楽譜に改めて目を通す。


 歌詞が真っ直ぐすぎるというか直接的な表現が多く、先程聴いた坂本の曲に抱いた世界観とはズレがあるような気がする。坂本は困ったように眉を下げてこちらを見る。


「あのさ、作詞とかしたことある?」


 言いにくそうに坂本が切り出した言葉に、平田は間抜けな声を上げてしまう。あまりに唐突で頭の整理が上手く出来ない。元々話すことは得意ではないが、この時はいつにも増して言葉が出てこなかった。


「この曲の作詞して欲しいんだけど……」


 畳みかけるような坂本の言葉に平田の頭は完全に動かなくなっていた。パクパクと口を動かすだけで、意味をなす言葉は一向に出てこない。「お願い」と言われた瞬間、平田は勢いよく席を立っていた。


 瞬間バンッと大きな音が鳴り、店内にいた客からの視線が一斉に向けられる。そのことに急に恥ずかしさを覚え、顔に熱が集まる。


「失礼します!」


 やっとそれだけを告げ、後は逃げるように店を後にする。頭の中で坂本の言葉がグルグルと混ざり合い気持ちが悪くなった。


 家に辿りついてから少し気持ちが落ち着くと、なんと彼に失礼なことをしてしまったのだろうと後悔が押し寄せる。


「あ、お金……」


 ポツリと呟いた言葉は、真っ暗な部屋の中に消えた。



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