ある将軍の物語 ~海から来た男と空から来た人々の末裔~
昔々、あるところに…。日本の昔ばなしは最初の登場人物がおじいさんおばあさん率が高い気がします。海外の昔ばなしは案外そうでもない、でも。昔々、あるところにのフレーズは好きです。
昔々、ずぅっと昔のこと。この国で太陽が一番早く登る岬に小さな村がありました。村までの道のりは険しい山道と切り立った崖を登らねばならず、海路には渦潮がいくつも逆巻いていて海からは村に近づくことすらできず、何人もおいそれと村にはたどり着けませんでした。
行き交いするにも、ひどく難渋するせいでその村を訪れようとする物好きは居らず、村からは月に数度、岬の村の若者達が取れた魚や貝を天日に干したものを背負子で運び、崖を下ってきては細々と近隣の村々に魚貝の干物を売りに出ていました。
なぜそんな場所に村ができたのか。一説には都を追われた一族が追っ手から逃れ隠れ住んだのが始まりだとか、海賊の末裔が住み着き村を構えたのだとか、異国から流れ着いた異人が住み着いただとか、口さがない人々がやっかみからかのべつ幕なし様々な噂を立てていました。
それと言うのもその村で獲れる魚や貝は他所で獲れるものより大きく、また大層美味しいと評判で干したアワビやイカなどは遠くの都でも重宝されるほどだったからです。けれど口さがない人々の本当のやっかみは別のところにありました。何故ならその村では他所では見たことのないくらいの大きな黒い真珠が獲れたからなのです。その価値ときたら一粒で八人の家族が二年間も暮らせるほどでした。
その昔、真珠を独り占めしようと多くの領主が兵隊を連れて村へ攻め込みました。しかし、どの領主も村に辿り着くことはできませんでした。なぜか村へ続く切り立った崖まで来ると不思議なことに突風が吹きすさび崖を登るどころではなくなり、それでも崖を登ろうとすれば大人二抱えはあろうかと言う大岩が雨霰と降り注ぎ、領主や兵隊達を悉く押しつぶしてしまったのです。
そんなことが続き、いつしかその村を攻めようとする領主は居なくなったのですが、ときおり村から齎される黒真珠を誰が手に入れるか、我先にと競うようになり、黒真珠をめぐって野盗や人殺しまで横行したことが都の王の耳に入り、王が黒真珠をすべて都に運ぶようにお命じになりました。こうして黒真珠を巡る騒動は収まり、村はそれまで通りひっそりと岬にたたずむことになりました。
そうして何年も何年も過ぎ去ったころ、突然岬の村から若者達が来なくなりました。近隣の村々では様々な噂が飛び交いました。疫病が発生したとか、異国に侵攻され滅ぼされたとか、魚が獲れなくなり村中が餓死したとか。どれもこれもがとりとめのない噂でしたが、この噂はついには都にまで届き、王は都第一の将軍ロクヒ・シゲフトに岬の村の調査をお命じになりました。
将軍は悩みました。かつて村に攻め入った領主たちの末路を知っていたからです。けれど王の命令は絶対です。将軍は途方に暮れつつも百人の精兵を引き連れて岬の村に向かいました。
兵士を連れた将軍が村へ続く切り立った崖まで来るとやはり突然の大風が吹き始めました。しかし、都第一と呼び声高いロクヒ将軍の軍に弱卒は居ません。兵士たちが意を決して崖を登ろうとすると崖の上からパラパラと音を立てて小石が落ちてきます。崖を一歩よじ登るたびに小石は礫の大きさになり、さらに一歩よじ登れば大礫となり降り注ぎます。
その様子を崖の下から見ていた将軍は兵士たちに崖から降りるよう命令しました。このまま崖を登れば、いくら精兵と言え崖の上から落ちてくる岩には敵わず無駄死にしてしまうことが目に見えて明らかだったからです。
将軍は兵士に崖から降りるよう命令したものの、このまま岬の村へ行かずに都に帰ることなどできません。そこで将軍は兵士に命じ、近隣の村々から付近の地理地形に詳しい猟師や漁師を集めて話を聞き、それを図にまとめた地形図を作りました。
せっかく作った地形図でしたがやはり崖を迂回する道はなく、海は渦潮に阻まれ、どうやっても岬の村へたどり着けそうにありません。将軍は考えに考えてどうにか渦潮を避けて村へ行くことができないかと海辺の村まで行くことにしました。
海辺の村に着くとハクリョウと言う村一番の漁師に岬の村まで行くことができないか尋ねました。ハクリョウは何度も岬の村へ行こうとしていましたが一度も成功していませんでした。ただ半月になる日の前後で潮が満ちる時間に渦潮が幾分か小さくなることを知っていました。
将軍はハクリョウの力を借り半月の日の満ち潮の時間に渦潮を抜けられないか試すことにしました。海辺の村に付いたのが新月の三日前だったので半月の日まで十日ほどの時間がありました。将軍は大急ぎで兵士たちにしっかりと乾いた木材を集めさせ近隣の村々から船大工を呼んで都合五艘の船を作らせることにしました。
明日が新月と言う晩、海辺の村に大嵐が訪れました。一晩中、大波が岩礁を打ち付け、大雨が浜を洗い流し、風は木々を薙ぐほどで海辺の村人すら経験したことがないような大嵐でした。夜が明けるころになってようやく雨風が弱まり始め、水平線の雲の隙間から太陽が顔をのぞかせました。表に出た将軍は浜辺が騒がしいことに気づき浜辺へ向かいました。
浜辺には人だかりが出来ていて何やら大声で将軍を呼んでいるようです。人だかりから若者が走り出してきて将軍に言いました。「岬の村の見覚えのある若者が浜に流れ着きました。二人です。一人はすでにこと切れていますが一人はまだ生きています。医者か薬師はおりませんか?」と。
将軍は大急ぎで調査に伴っていた軍医と薬師を連れ、二人の若者を村長の家へ運び、息のある若者の手当てをさせました。二人の若者は全身に一寸ほどの無数の怪我をしていました。不思議なことに傷はほとんど塞がっているのか一滴の血も出ておらず、軍医にも何の傷なのか見当もつきませんでした。その不思議な傷以外に怪我はなく、軍医の見立てでは昨晩の嵐で波にのまれ溺れたのだろうということでした。
村人たちはこと切れていた若者の体を洗ってやり、真新しい着物を着せ、息のある若者が目を覚ますまで同じ部屋に横たえておくことにしました。そうしてその日の夕暮れ、息のあった若者が目を覚ましました。ひどく怯え混乱している様子でしたが軍医が気付け薬を嗅がせ、薬湯を飲ませると幾分落ち着きを取り戻しどうにか話ができるようになりました。そして友連れが亡くなったこと知り、人目憚らず涙を流して泣き始めました。
将軍は人払いをして自らの身分を明かし、生き残った若者に岬の村について問いました。若者は強い怯えの表情を浮かべながら将軍に答えました。「海からやってきた男が村人に呪いをかけた。生き残ったのはオレとそこに居る幼馴染だけだった。」若者は続けます。「男が来てから村に奇病が流行り始めた。最初は子供、そして年寄り、やがて男衆も女衆もみんなどこも悪くないのにだんだんと痩せていくんだ。何日か経つと体中に一寸くらいの傷ができ始めてそれから三日もすると傷が開いて…。」そこまで話すと若者は目を伏せ黙り込んでしまいました。
将軍はじっと若者を見つめ言葉の続きを待ちましたが若者は怯えと迷いの表情を浮かべたまま黙り込んだままでした。将軍は若者に体を休めるように伝え、若者の幼馴染の遺体を荼毘に付す許しを請いました。
若者は黙ったまま頷き、横たわるとそのまま眠りにつきました。将軍は部屋を出て、村長に亡くなった若者を荼毘に付す準備をするように伝え、軍医には亡くなった若者の体を自分と一緒に検分するよう命令しました。
軍医は亡くなった若者の亡骸を戸板に乗せ、くまなく全身を見てみましたがやはり一寸程の傷跡以外にこれといった特徴は無いように見えました。将軍は傷跡を切開し、中がどうなっているかを見るように命令しました。軍医が小刀を傷跡にあてがうと傷跡は難なく開きましたがすぐに何か固いものに当たりました。ゆっくりと小刀を固いものに沿わせていくと傷口からぬらぬらとした液に塗れた丸いものがポロリと零れ落ちました。将軍はそれを拾い真新しい布で粘液を拭い取るとそこには黒々と輝きを放つ珠がありました。将軍と軍医が驚愕に目を合わせたところへ眠っていたはずの若者が駆け込んできました。
「やめてくれ!村の秘密を暴かないでくれ!」若者はそう叫んで幼馴染の亡骸に覆いかぶさりそれ以上のことをさせまいと将軍と軍医を睨みつけました。将軍はすぐさま若者に検分の非道を詫び、仔細を尋ねました。若者は観念したようにポツリポツリと将軍に話し始めました。
若者の一族には古くからの言い伝えがありました。数え切れないほどの昔、若者の祖先は空の上に住んでいて故郷で争いに敗れて光る船に乗って空の上からこの国に逃げてきたそうです。彼らは未開の土地だった岬を切り開き、村を作り、村には許可なく人が立ち入れないように海には渦潮をつくり、崖には大風を吹かせ礫が降るようにして村を守ってきたのでした。そして少しずつこの国の人の血が自分たちの子孫に入るよう村の外の人々と血縁を結びこの国に溶け込み、ここを故郷として暮らすよう連綿と伝えられていると。自分たちが空の上から来た証左は死んだ後、眼球が黒い珠となって残ることだと。
岬の村の出自も村人の祖先が空から来たという話も、そして黒真珠と思っていた珠が亡骸の一部ということも、にわかにはとても信じられない話でした。息をのんで話を聞いていた将軍でしたが先程の海からやってきた男の話と若者の一族の話がうまく結びつきません。海から来た男の呪いと一寸の傷跡。そのことを将軍は若者に尋ねました。
若者は男の話になると怯えと戸惑いを露にしました。若者の話では相手が男と言うことは、はっきり覚えているがその風体や面貌が思い出せないというのです。一寸の傷跡についてはしばらく口ごもっていましたが、意を決したように話し始めました。それは空から来た彼らの祖先の元々の姿でした。言い伝えにより受け継がれているその姿はこの国の人々とおなじような姿かたちはしていたものの、決定的に異なる部分がありました。それは全身にある目でした。彼らの祖先はその目で様々な神通力をおこしたと伝わっていましたが、この国の人々と交わりその力もほとんど失われ村を出入りするための力しか残っていないということでした。
男はどんな方法を用いたのか分かりませんが村人達を祖先と同じ体に戻す力があり、村人は祖先と同じ体になるとひどく衰弱してしまい、そのまま息絶えてしまうのでした。若者はそれを呪いと言っていたのでした。そして村人が男の仕業に気づいた時にはもう手遅れで辛うじて若者とその幼馴染だけが何とか村から逃げ延び、嵐に紛れて小舟で出航したものの、小舟は長く持たず転覆し海の中で意識を失い浜に流れ着くことになったと話し、若者はまた口を閉ざしました。
若者の話を聞き、将軍は頭を抱えました。若者の話をどこまで信用していいのか、岬の村に行くべきか、引き返すべきか。若者の話を信じ、若者を連れて都に帰ることも考えました。しかし海から来たという男の目的も分からず、その男によって事実上、村一つが滅ぼされていることも将軍と言う職責からすれば放置できません。半月の日までまだ七日ありましたがロクヒ将軍は意を固めました。
まず、ハクリョウを呼び出航の準備をさせました。出来上がった船は二艘だけでしたが村の漁り船を2艘借り出しました。将軍は六十名の兵を選び、兵士には武器の手入れと戦の支度をさせました。残る四十名のうち十名は伝令として都へ戻らせ、三十名には残りの船を一刻も早く完成させるよう命令しました。
将軍は岬の村の状況をその目で確かめ、男の目的を調べるために村まで案内してもらえないか若者に問いました。本来なら案内を命令することもできましたが若者が回復しきっていないことや亡くなった幼馴染や一族のことを慮ると将軍は若者に命令することはできませんでした。若者はしばし考えると首を縦に振りました。
陽が落ちる前に潮が満ち始めました。四艘の船はするすると沖合へ向かい、そこから岬の方へと舵を切り進んでいきました。いくつもの複雑な潮目をハクリョウは持ち前の技で乗り切り、あとの船もそれに続きます。やがて目の前には大きな渦潮が現れ、アリジゴクの様にすり鉢状の口を広げ飲み込むべき獲物を待ち構えていました。
渦潮まであと数尋と言うところで岬の村の若者がロクヒ将軍に言いました。「渦潮の力を四半刻だけ弱めることができる。その間に渦潮を抜けられれば村までたどり着ける。」そういうや否や何やらぼそぼそとつぶやき始めました。すると渦が少し弱まりました。将軍が若者の顔を見ると若者の目はまるで漆で塗り固めたように黒く輝いていました。
潮目を見ていたハクリョウが全船進行の声を上げました。ハクリョウの操る船を先頭に全船は舵を切り、船を渦潮の隙間を縫うように突き進ませました。ハクリョウの操る船が渦潮の間を抜けるの見て、ほかの船も続きます。すべての船が無事に渦潮を抜けたころ若者は呟くのをやめ、船底に崩れ落ちました。渦潮を弱めるのは相当な負担がかかる様でした。渦潮を越えたあとの海は穏やかで岬の村までキラキラとさざ波が夕暮れの最後の光を照り返す美しい光景が広がっていました。4艘の船は静かな波を切り浜辺へと急ぎます。
そうして浜へ着くころには海が夕日の最後の光を飲み込み、輝いていた水面はか黒い闇を照り返し昼間のそれとは何か別の生き物のようにゆらゆらと蠢いていました。竜骨と砂が擦れきしむ音を響かせ船は浜辺に乗り上げました。夜というのに岬の村には篝の一つもなく、波打つ音以外には何も聞こえず、生き物の気配がありません。
将軍は篝を焚かせました。兵士を十人一組の小隊に分け村の隅々まで探索し、一刻後に浜辺に戻るよう命じました。そして自らも若者を連れ探索に加わり、村の様子を探ることにしました。少しの探索で分かったのは村の有様が到底口に出せない程に酷いものだということでした。住居内はおろか道端にまで村人の亡骸が溢れ、その全ての亡骸は彼らの祖先の姿と同じくして全身に目がありましたが全ての眼窩が抉られ、その眼窩は無念の色を滲ませることもなく虚ろに空を睨むばかりでした。
将軍は若者のことを案じましたが若者も覚悟はしていたのでしょう、蒼白の顔を引き攣らせながら懸命に将軍の横を歩き、息のあるものが居ないか、海から来た男が居ないかと懸命に探索を続けていました。
将軍の率いる小隊が村の中央の広場に差し掛かった時、広場の中央に胡床に座した人影が見えました。全身を覆う襤褸のような外套と目深にかぶった頭巾が、その者の素性を隠していましたが、村で起きたことすべてを物語るかのように胡床の前に無数の黒い玉が積み上げられていました。将軍はこれが海から来た男なのだと思いました。
こちらに気づいたのか男が少し顔を上げたように見えました。そして小隊の中に若者の姿を見留めたのか、頭巾の内でくぐもった咳のような嘲笑を浴びせてきました。そして、あろうことか黒い玉に足を乗せコロコロと転がし始めたのです。若者は男に跳びかかろうとし、将軍に腕を掴まれ引き戻されました。死者の亡骸を冒涜する行為など将軍にも到底許せるものではありません。
怒気を腹の底に抑え込んで将軍は若者に動かぬよう目配せし、小隊の兵士に男を取り囲むよう合図を出しました。兵士に取り囲まれ篝に照らし出された男は身じろぎもせず、相も変わらず咳き込むように笑っています。将軍はゆっくりと男の前まで歩み寄り、イアイと呼ばれる技で抜き打ちに頭巾ごと男の頭に切りつけました。刃風に千切れた頭巾が舞い上がり、男の首も舞い上がるかに見えましたが将軍は手ごたえの無さに違和感を覚え、その場を飛びずさりました。
舞い上がった頭巾の下にあったその顔が篝の元に晒され男の面貌が露わとなりました。将軍も若者も兵士もその場にいるすべてのものがその面貌に慄くことになりました。頭巾の下にあったのは、口も鼻も一切の凹凸が無いぬるりとした黒い顔の上半分に炎の様に揺らめき光る眼が五つ。
次の瞬間、兵士の数人が奇声を上げ暴れ始めました。あるものはその場に蹲り、あるものはケタケタと笑い転げ、あるものは武器を振りかざし仲間に襲い掛かりました。瞬く間に同士討ちが始まり、武器の打ち合う音に他の小隊が集まりだします。
思いもよらない光景に将軍は絶句しました。常々、兵士たちには平常心の大切さを説き、戦場で動揺しないよう心身の鍛錬を重ねてきたのです。そしてそれ以上に自分が動揺していることが恐ろしくなりました。戦場で上官が判断を過てばそれは部隊の破滅につながることを誰よりもよく知っていたからです。心が鎮まらぬままに将軍は指笛を吹き、総員撤退の合図を出しました。
将軍は背中越しに、海から来た男がより大きくはっきりと嘲笑っているのを感じました。臓腑からこみ上げる苦さを噛みしめ、将軍は浜辺まで逃げ戻りました。幸いなことに40数名の兵士が浜辺まで戻り、若者も無事でした。無事を喜ぶのも束の間、将軍は自分が相対している異形がなんなのか検討すら付きませんでした。そして今しがた見てきたはずの異形の顔が朧げにしか思い出せないことに言いようのない恐怖を感じたのでした。異形について若者に尋ねても新たに得る話はなく万策が尽きたかに思えました。
何か手立てはないのか、将軍は事のはじまりから今までのことを時の流れに沿って整理することにしました。岬の村から若者が来なくなったことがはじまりで村へ調査に向かい、海辺の村で岬の村の若者と出会ったこと。若者から岬の村の住人の素性がかつて故郷で戦に敗れ、光る船に乗って空から来た人々の末裔だと聞いたこと。そして海から得体のしれない異形がやってきて村を滅ぼそうとしていること。
何度も何度も整理を繰り返すうち、海から来たという異形の男を見れば、岬の村を拓いたという若者の祖先もまた異形なのだと思い至りました。そして海から来たという異形の男は戦に敗れた若者の祖先を追討しに来たのではないのか、とすれば村を滅ぼそうとする辻褄が合います。そして異形の男もまた海からではなく、実は空から来たのではないのかと。
将軍は若者を呼び、祖先の乗ってきた光る船に付いて知っていることがないかと尋ねましたが芳しい答えは返ってきませんでした。それならと代々大切にしている物や特別な儀式がないかと尋ねたところ、村長が代替わりするときに岬の先端にある洞で継承の儀が行われ、その時に特別な黒い珠が使われることが分かりました。
将軍は若者に岬の洞まで案内を頼みました。特別な黒い珠について若者に尋ねると心配ないと言うだけで若者が仔細を語ることはありませんでした。将軍と若者は二人だけで岬の洞へ向かいました。洞にたどり着くとそこには無数の石碑が立てられていました。将軍はそれを墓標のようだと感じましたが果たしてそれがその通り代々の村長の墓であると聞かされ、さもありなんと思うのでした。
石碑の立ち並ぶ洞の最奥にはそれと見てわかるひときわ大きな石碑がありました。石碑の前には祭壇と思しき台座があり、その中央は丸く削られていました。将軍は若者に台座の穴のことを尋ねようとして息を飲みました。あろうことか若者が自身の左目を抉り出したのです。蒼白な顔を眼窩から溢れる血で赤く染めながら若者は抉り出した目を台座にはめ込みます。将軍は若者が心配ないと言いながら仔細を語らなかった理由を知り、後悔しましたが後の祭りでした。
若者が言いました。「これが村に伝わる儀式なのです。自らを犠牲にして村を護る気概を表すこと。それはこの村の長に求められる資質なのです。」その言葉に将軍は何も答えられませんでしたが、その間にも石碑には変化が現れました。平らに磨き抜かれ硬質ながらもぬるりとした鈍い光を放っていた石碑に人一人が通れるほどの穴がぽっかりと開き、若者は将軍を誘いながら自らもその穴に入りました。穴の奥は緩やかな下り坂で壁と言わず天井と言わずヒカリゴケが星明りのような光を放っていました。
ヒカリゴケの通路を抜けるとそこはかなりの広さを持つ円蓋の広間になっていました。薄明りの中、将軍が天蓋に目を凝らすと巨大な何かが描かれているようです。若者が広間の中央で松明を灯すと円蓋に描かれているものがその全貌を顕わしました。
それは精緻を極めた絵巻物のようでした。まるで景色や生物がそのまま円蓋に貼り付けられているかのようで松明の炎の揺らめきに合わせ妖しく蠢いているようにも見えます。しかし真に驚くべきは描かれているモノでした。口に出すのも悍ましい容貌のモノ共、なんとその中には海から来た男と瓜二つのモノも描かれていたのです。
それは海から来た男がその身を焼こうとする炎から逃れようと足掻いているように見え、炎を操っているのは太陽の様に燃え盛る球体に手足と翼が付いた異形とそれを取りまく全身に目が付いた若者の祖先と思われる人々でした。
「これは…。」将軍は思わず声を上げずにはいられませんでした。さきほど、自分たちが何も分からないまま恐慌に陥れられ、撤退を余儀なくされた相手と思しきモノが異形の炎に焼かれ逃げ惑う姿がそこにあるのです。それもこの村の祖先と思われるモノが関わる形で。
若者が将軍に答えるように呟きました。「炎の神、私達の祖先が仕え、戦の折にお隠れになられたと伝わっています。私もここに入ったのは七つの時に一度だけで描かれている全てを覚えておりませんでした。まさか、このような…。」
将軍と若者はしばし天蓋に描かれている悍ましく恐るべき絵巻物をくまなく見ましたがそれ以上に得られるものはなく、仕方なしに元来たヒカリゴケの通路を戻りました。すると頭上の入ってきた穴から朝日のような白光が差し込んでいます。急いで穴から出ると台座の上に嵌められた若者の左目が夏至の太陽の様に光り輝いていました。
若者がそれに触れようと手を伸ばした刹那。ひときわ明るく輝いたそれは一瞬にして目の前から掻き消えました。将軍も若者も眩んだ眼が闇に慣れるまで身動きできず、何事が起ったのかも知ることはできませんでした。ようやく目が闇に馴染み視界を取り戻した将軍は若者の顔をみて驚きました。台座にはめ込まれていた左目が若者の眼窩に戻っていたのです。そればかりか白目だったところは黒真珠の様に輝き、黒目だったところは燃え盛る太陽の様に白く明るく輝いていました。
当の若者も自分の身に起きたことに驚きました。抉ったはずの左目が戻ったこと、そして燃え盛る瞳とそれ以上に海から来た男への憎悪が煮えたぎる溶岩のように心を焼いていることにも。
若者は駆けだしました。将軍が止める間もなく洞から飛び出すと海辺を矢の様に走り抜け、騒然とする兵士達の呼び声も聞かず村の広場へまっしぐらに駆け抜けました。そしてそこには相変わらず胡床に腰掛け同胞の体の一部だったものを足で転がし続けている異形が咳き込むような嘲笑をあげていました。
若者は怒りに任せ異形に跳びかかりました。しかし、待っていましたとばかりに異形は立ち上がると襤褸のような外套がぱっと花の様に開き若者を打ちのめしました。異形の襤褸と見えたものはそれぞれがウネウネとのたうつ触手だったのです。地面に激しく打ち付けられた若者は気を失ってしまったのかピクリとも動きません。
異形は五つの目を細め、今度こそ本当に笑い出しました。目の下に頬の奥まで裂け目が入るとパカリと開き、鮮血のように赤い口腔の中に何枚もの舌と鮫のように幾重にも生えた黄色い牙をさらけ出し狂ったように笑い声をあげて、ぐったりと横たわる若者を踏みしだきました。ピクリとも動かない若者に異形はさらに高く笑い声をあげました。
そのころ将軍は駆けだした若者の後を追い兵士たちの待つ浜辺まで戻ると二人の優れた兵士だけを連れ広場へ急ぎました。残る兵士には陣を組ませ朝までに将軍が戻らなければ何としても渦潮の海を抜け、都に伝令を出し事の次第を王に伝えるよう命を与えました。
将軍が広場に到着した時、そこで見たものは地面に倒れた若者を足蹴にして笑う異形の姿でした。将軍は二人の兵士を散開させると一息に攻めかかりました。振りかざした刃が異形に届こうかとする刹那、将軍は違和感を覚え、受けの構えを取りました。果たして次の瞬間、襤褸のような触手が刃を弾き将軍は来た方向へ吹き飛ばされました。兵士の一人は胸を触手に貫かれ驚愕の表情を張り付けたまま絶命し、もう一人は腕を刀ごと触手にもがれその場に蹲っています。
将軍は彼我の戦力差は重々予想していました。相手の素性も分からぬまま戦うというのはそういうことなのだと知っていました。しかし将軍はその責務からも民は労わるものという自身の信念からも村に残された最後の一人の若者をむざむざと殺させるわけにはいかなかったのです。将軍は刺し違えてでも異形を屠るべく刀を構えました。
地に横たわる若者は身じろぎもせずもはや死んでしまったかのように見えました。若者を一瞥し将軍は異形に向かい大上段に刀を構えると裂帛の気合と共に駆け出し一気に刀を振り下ろすかに見せ、切っ先が異形に向かうよう刀を投げたのです。異形は刀を触手で叩き落そうと触手を振り下ろします。将軍は勢いのまま異形に駆け寄り脇差を抜き打ちに切りつけました。ピゥッと言う風切り音と共に数本の触手が空に舞いましたが将軍も触手に肩を打ち据えられその場に跪きます。
異形は奇怪な叫び声をあげ残った触手で跪いた将軍を吊るし上げると両の拳で将軍を殴り始めました。鈍い打突音があたりに響きます。腕を失いながらも生き延びた兵士が刀を振りかざし異形に突貫しましたが触手の返り討ちに遭いその場に頽れます。将軍は薄れつつある意識の中で死を覚悟しました。詫びるような気持ちで若者に目を向けたとき、それは起こりました。
胡床の前に積み上げられた黒い珠が赤く燃え盛り、火の玉となって若者の元へ集まったのです。若者にぶつかるやに見えた火の玉はそのまま若者の体に吸い込まれ、若者自身が赤く、いえ白光をまとった太陽のように輝き始めます。すべての火の玉が若者の体に吸い込まれると若者の体は眩く丸く膨れ上がり、炎の四肢と炎の翼を備えたその姿は洞で見た円蓋に描かれていた炎の神そのものでした。
不意に将軍は宙に浮いた体が地に落ちる衝撃で失われかけていた意識を取り戻し、異形が将軍を手放したのだと分かりました。炎の神と化した若者はその力を異形に向けました。幾条もの炎の鞭が異形を捕らえんと放たれます。異形の触手はそれから逃れようと右往左往しますが自在に伸びる炎に焼かれ周囲は黒い煙と焦げ臭い異臭に包まれます。触手を焼かれた異形は苦鳴を上げその場を離れようとしますが炎の鞭がそれを許すことはなく炎の無知が異形を絡めとります。
ブスブスと音を立て生きながら焼かれる異形は必死に腕を宙に向けクルリと円を描くように何度も回し始めました。すると何もなかった宙に漆黒より、か黒い穴がポカリと空いたのです。異形はその穴の縁に手をかけそこへ逃げ込もうとします。炎の鞭がそれをさせまいと異形を締め上げますがブスブスと燃え盛る異形の体が炎に耐え切れずブツリと千切れました。その反動で異形の体は黒い穴へと吸い込まれるように掻き消えるとともに、か黒い穴も消え去ってしまったのです。
炎の鞭は捕らえるものを失い、しばらく宙を舞うように火の粉を振るっていましたが穴が閉じるころにはその光を失い掻き消えるのでした。将軍は異形が穴に吸い込まれるようにして消えたことで脅威が去ったのだと感じましたが炎の神と化した若者がどうなるのか漠たる不安に駆られました。
果たして若者は炎の球から人の体に戻ろうとしていました。しかし、様子がおかしいと将軍は気付きました。それは若者の体がかつての祖先と同じく全身に目がある体になっており、全身が焼け爛れすでにその命が尽きかけているだろうということでした。
将軍が痛む体を引きずり若者の許へたどり着くころ、若者は息も絶え絶えに何かをつぶやいていました。それはこの国の言葉ではなく将軍には奇妙な音の羅列にしか聞こえません。若者は最後の力を振り絞り左目に手を添えると黒く鈍く光る眼玉がポロリと零れます。若者は将軍にそれを手渡すと穏やかに将軍を見つめ、薄く微笑むと息を引き取りました。
将軍は若者の冥福を祈ると、まだ息のあった兵士の血止めを行い、兵士と共に浜辺へ向かいます。広場から見える海の向こうは濃紺の闇からうっすらと群青に色を移しつつありました。浜辺に向かいながら将軍はこの顛末を都の王にいかように告げるかを考えるのでした。
ハクリョウに船頭を任せ、将軍と生き残った兵士たちは渦潮の逆巻く海へ漕ぎ出しました。もう、渦潮を鎮めてくれる若者はいません。ハクリョウも将軍も、そして兵士たちも一か八かの運試しとばかりに渦潮に向かい舵を切りました。その時です。将軍の懐に収まっていた若者の形見である黒い珠がまばゆく光を放つと渦潮がぴたりと鎮まったのです。ハクリョウはここぞとばかりに渦潮の外へ漕ぎ出し、兵士を乗せた船もすべて無事に難所を切り抜けました。珠の光が治まり将軍が振り返るとそこにはまた大きな渦潮が逆巻きはじめたのでした。
海辺の村から都へ戻る道中、将軍にはこれほど都までの距離が憂鬱に感じられたことはありませんでした。悩みに悩んだ末、ありのままを報告し王の裁量に任せるしかないと腹を括り、ついに都へ帰還したのでした。
その後、ロクヒ将軍がどうなったのか。岬の村の一件で守るべきものも守れなかったことへの償いで出家したとも、王に暇を願い遠くへ旅立ったとも言われています。そうして月日は流れ、岬の村のことも人の記憶から薄れたころ岬の村にほど近い海辺の村にロッピ・ジュータと言う老爺が住み着き、ときおりかつての岬の村があった近くの渦潮まで小舟で漕ぎ出す姿が見られたという話ですが、とある日いつになっても小舟が戻ってこず、とうとう渦潮に巻き込まれたのだろうと人々は噂したのでした。
小さくも長きにわたりに営まれ、ある日突然滅んでしまった岬の村の話も、村に滅びをもたらしたという海から来たと言われる正体不明の男の話も今となっては知るものは無く、それについて唯一残されたロクヒ将軍の王への手記が都の書庫の奥深くにひっそりと眠りについているそうです。
書きなぐりで碌に推敲もせずですいません。しかもだいぶ長い1話になってしまいました。ご寛恕ください。