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古都物語  作者: John B. Rabitan
〈冬〉
3/15

 いつもは観光客と修学旅行生くらいしかいないこの通りも、今夜ばかりはものすごい人であふれていた。

 四条でも河原町でもないこの通りが、しかももうすぐ夜半を迎えるというこの時刻にこんなに人であふれるのは一年に一度、この日くらいだろう。

 そんな人混みの中に、良江は高校時代の同級生の千恵子そして早苗と三人といっしょにいた。

 ともに小紋の着物姿で、振袖とかではないので髪は自前の普段通りのヘアメイクである。

 人混みにもみくちゃにされながら、何回もはぐれそうになりながらも、三人は巨大寺院の山門に向かう木々の間の緩やかな上り坂を歩いていた。


「この人混みのお蔭でぬくくてええな」


 ぽつんと早苗がつぶやく。


「でも、着物なんて普段あんまり着ることないし、やっぱ襟んとこ寒いわ」


 たしかに、十分寒いのだ。良江のその言葉に、千恵子は同調してくれた。


「寒いよ。京の底冷えやし」


 高校時代はいつも一緒だった三人だが、連れ立って初詣に来るのは初めてだ。

 これまでの大みそかは自宅のこたつでみかんを食べながら家族で「紅白」と「ゆく年くる年」を見るという日本人として典型的な過ごし方をしてきた良江だったし、昨年は受験前でそれどころではなかった。


「そんな初詣行くんやったら人がようけ集まるとこ行かんかて、うちの近くにお寺も神社でもなんぼでもあるえ」


 幼いころから母にそう言われ続けてきた良江は、京都市外からの参拝客や観光客がどっと押し寄せる有名寺社に初詣など行ったことはない。たしかに母の言う通り家の近くに小さな神社や寺などいくらでもあるから、初詣にはこと欠かなかった。

 それが春からこの三人はそれぞれ別の大学に進学し、めったに会うこともできなくなったので、正月くらい三人で会ってたまには大きなお寺で年越ししようということになったのだ。


 いつもなら大通りに面した高麗門から四、五分で着く距離の山門だけれど、今日はもう二十分以上歩いている。


「もう、『紅白』終わったころやな」


 良江が腕時計を見ながら言った。


「桜田淳子が代わりに『セーラー服と機関銃』歌ういうことやったけど、それだけは見たかったなあ」


 早苗がそう言うと、千恵子が微笑んだ。


「もう勝敗は出たな」


「今年は紅組の勝ち」


 早苗がしたり顔で言うので、二人ともさなえの顔を覗き込んだ。


「え? なんで知ってるん?」


「何となくそんな気がしただけやけど」


「んもう」


 大声で三人は笑うけれど、そんな笑い声も周囲の喧騒に呑み込まれてしまう。


「そしたらはよ行かんと除夜の鐘に間に合わへんえ」


「はよ行かんにもこんなえらい人でよう行かんわ」


 そう言いながらも少しだけ足を早め、ようやく三人は山門が見えるところまで来た。

 本来なら夜の闇に包まれているはずの山門の周りも、今日ばかりは煌々と明かりがついている。

 その山門に近づくと石段の上の、文字通り山のような巨大な門の大きな柱の下の一角が特別な照明でさらに明るく照らされていた。

 収音のマイクやカメラなどの撮影機材も見える。

 スタッフたちの腕章には「NHK」の文字が見えた。


「あれ、『ゆく年くる年』ちがう?」


 千恵子が言うと、早苗ははしゃぎ始めた。


「見に行こ見に行こ」


 だが、それと同時に撮影用のライトは消えた。良江がため息をついた。


「ああ、終わってしもうたんやな。もうちょっとはよくれば」


「そういえばさっき通りがかりの人が、山門のとこに寅さんの映画の監督さんが来てはるって言うてはった」


 千恵子にそう言われて、ますます早苗が肩を落としたそのとき、山門の向こうの黒い森の方から「ゴーン」と長く尾を引いて重い鐘の音が聞こえてきた。


「あ、除夜の鐘やん」


 早苗が顔を挙げる。良江が腕時計を見た。


「あと、1分11秒」


 そのまましばらく歩きこみながら、秒読みが始まった。


「八、七、六」


「それ、秒も合うてるん?」


「うん。出る時合わせてきた。三、二、一」


 三人は互いに顔を見合わせた。


「昭和58年、明けましておめでとう」


 周りの人ごみの人たちもその声を聞いてそれぞれ自分の時計で確認し、互いに新年のあいさつを交わしはじめたりしている。


 そのあと三人は山門をくぐって、境内に入った。境内には整理用のロープは張られ、何人もの警察官が人混みの誘導に当たっている。

 子供の手を離さないようにというアナウンスが、人々の雑踏の上を飛来していた。


 本当ならばこのあと隣接する有名神社へ行っておけらの火をもらい、舞台で有名なお寺まで行こうとか話していた三人だけれど、このお寺に参拝しただけで気力が尽きた。

 それで、一度大通りまで戻って年越しそばを食べようということになった。


「さっき、映画館の下におそば屋さんあったえ」


 千恵子がそう言うので先ほど来た大通りを下って行くと、四条に出る前に右手にあった巨大な映画館の建物の向こう側の角にはみ出す形で大きく店名が縦書きに書かれた看板が見えた。

 建物は四階建てくらいだ。そば屋の看板の手前の、大通りに西向きに面した正面は入口の上には、昔の人が踊っている巨大なタイル壁画があり、その絵の下の方にこの建物の名前が四文字、横書きで入っていた。

 建物は映画館だけではなくその上にボウリング場やディスコもあるようで、三人が目指すそば屋は建物の一階に入っている形だけれど半分はみ出して、独自の瓦屋根を持っている。

 入口は映画館とは別で、これもそば屋だけの独立した入り口だ。

 入口は狭く小ぢんまりとした店だけれど店内は奥に細長く、テーブル数もそこそこあった。

 でもさすがにこの年明けすぐだけに満席とのことで、何組か並んでいた。

 ここはやめて四条の方へ行けばそば屋もきっといっぱいあるけれど、もうほかの店を探すのも疲れていたので、三人は席の空き待ちの列に並んだ。


 やはり正月は不思議な感覚になる。

 普段なら閑散としているはずの時間に通りは人混みであふれ、営業しているはずもない時間なのに店はやっていて行列までできている。

 順番は、思ったより早く来た。

 席についてそばを注文した後、三人はまた姿勢を正した。


「あらためて、明けましておめでとう」


「「おめでとう」」


「今年の抱負は?」


 まず智恵が早苗にマイクを模した右こぶしをその口元に近づけた。


「はい、今年こそ彼氏を見つけたい思います」


「良江は?」


「希望を持てたらいいけど、昭和57年ってどんな年やったか思い返したらな、暗いニュース多かった気するしな」


「そやな。でも世の中は別として、うちらにとってはどんな年やったん?」


 千恵子の問いに早苗がつぶやくように言った。


「うちら三人とも京都生まれの京都育ちやん」


 千恵子と良江もうなずく。


「そやから、今まで京都の人間としか付き合ってきいひんかったけど、大学入って初めて京都以外の人と身近に接するようなったやん」


「そうそう」


 千恵子も相槌を入れる。


「京都の人間がよその土地の人と付き合うんは神経使うし、しんどいわな」


「わかる。でも、そんな中で少しずつ自分が変わっていくの感じるけどな。で、良江は? 去年はどんな年やったん?」


「私は……」


 良江はテーブルの上で握っている茶の入った湯飲みを見ながら言った。


「あまりにも大きすぎる出来事が一つあったから、ほかには何もなかった」


「え? 何それ? どういうこと?」


 千恵子も早苗も互いに顔を見合わせていた。


「実はな、彼氏ができたんやけど、別れた……と思う」


「え? ほんまに?」


「別れた? でも、と思うって?」


 良江は千恵子と早苗の顔を、作り笑いとともに交互に見た。


「知り合ったのは夏やけどな、いろいろあって秋ごろから音信不通になって、多分もう電話来いひん。結局ああいう人やったんやな」


「ああいう人って、どんな人やったん?」


 大学の名前を聞かれたので良江が答えると、二人は目を丸くした。


「うわっ、頭いいんやなあ」


「でも決してハンサムやなかったしな、どんくさかったけど……」


 良江は目を伏せた。


「優しかった。でもな」


 そして目を挙げた。


「誰か言うてはったえ、失恋ってのは愛を失くすことやなくて、はじめから愛はなかったいうことに気づくことやって」


 涙が出そうになるのを良江は必死でこらえて無理に笑っている、そのことがあとの二人にも伝わったようだ。

 だから千恵子が言った。


「そしたら良江、その彼とのこと、出会いから全部話しぃ。そして話したら全部忘れぇ」


「それがいい」


 そこへ注文したそばが来た。

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