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古都物語  作者: John B. Rabitan
〈巡り来る春〉
14/15

 藤村誠の車は、赤いシルビアだった。良江の好きな機種の一つだ。

 良江の家の近くで良江を拾うと、今出川との交差点からから白川通りを少しあがって、別当町の交差点を右折した。

 ここら東に向かって道は府道30号線、すなわち下鴨大津線になる。

 平日の午前中とあって交通量は少なく、先行のダンプから十分車間距離を取って誠はシルビアを走らせた。

 道は少しずつ高さを増しているようだけれど、坂道を上っているという感じはあまりない。

 それでも確実に標高は高くなってきており、道の左右も民家がだんだん少なくなって自然の木々の間を走るようになった。

 そしてしばらく行くとかなりカーブが多くなってくる。

 そのうち民家やその他の建物も思い出したくらいに時々あるという程度になったが、全くの山の中という感じもなかった。


「なんか、音楽かけようか」


 誠が言うので、良江はうなずいた。


「お任せします」


「ほな、これ入れて」


 誠は右手でハンドルを持ったまま左手でダッシュボードの下のインパネのグローブボックスを開け、カセットテープをいくつか良江に渡した。

 良江はそのラベルを見比べて、大瀧詠一の「A LONG VACATION」を選び、備え付けのカセットデッキに入れた。

 流れてきた「君は天然色」に合わせて、良江は口ずさんでいた。

 道の右側は落石防止網のあるがけが時々あったりする。


 やがてだいぶ山の上まで登って来たという感じのところで、突然県境を越えた。気を付けて見ていないと分からないくらいの看板が、道は京都府から滋賀県の大津市に入ったことを示していた。

 自然と府道は県道となるが、30号という番号は変わらないようだ。

 すぐに山の名前を大きく書いた看板があり、下鴨大津線から離れて有料のドライブウエイに入るゲートが見えてきた。

 ドライブウェイでは、道の左右の景色は一変した。

 もはや民家やレストランなどの建物もなくなり、ここはもう山の上などのだと思える感じだ。

 すぐに右側の下の方に大きく琵琶湖が見え隠れし、左右ともはるかに下界が見渡せる個所もあった。

 だがすぐにそんな景色も木々に隠されてしまう。


 空はよく晴れていた。春の陽ざしが車内までぽかぽかと照らしてくれる。

 まずはせっかく来たのだからと、山の上の歴史的にも有名な寺院を拝観することにした。

 初めてのトンネルを抜けたところに、大きな駐車場があった。

 駐車場にはバス停もある。

 バスで来た場合はここが終点なのだろう。

 良江が誠の車に拾ってもらってから、まだ四十分くらいしかたっていない。

 そこから徒歩で大きな本堂やいくつもの伽藍を二人は見て回った。

 今日ここに来るのを提案したのは誠だからさぞかしいろいろ案内してくれるのだろうと思いきや、理系の彼は全く歴史の知識はないようで、むしろ国文専攻の良江の方が解説してまわる感じになった。

 ただ良江も歴史については理系の誠よりはかなり知ってはいたけれど、とびぬけて詳しいわけではないのでほとんど観光という感じになっていた。


 ひととおり寺を見学しても、まだ昼前だった。


「ほな、展望台、行こう」


 誠がそう言うので駐車場まで戻り、再びトンンルを抜けて元来た方に戻る形になった。

 今度は左手に時々大きく空間が開いて琵琶湖が広く一望できる場所もあったけれど、車のスピードであっという間に通り過ぎてしまう。

 そのあたりが琵琶湖の西岸の坂本から登ってくるケーブルの終点の駅のようだ。

 そこで道は分岐点となり、誠はその右の方に車を入れた。登って来た時とは違う道に入ることになる。

 すぐに左手に雄大に琵琶湖が眺められたが、すぐにまた木々に隠された。

 道は下るどころか大きくカーブを繰り返しながらどんどん登っていく。

 途中、道は再び京都府に入ったけれど、それを示す看板は先程の滋賀県との県境の看板よりもはるかに小さく、ほとんどの人はその背後に雄大に展開されるパノラマに気を取られて気が付かないだろう。

 その道の終点が山頂遊園地だ。

 広い駐車場に車を停めて、入場料500円を払って中に入ると、遊園地というよりも落ち着いた庭園という感じだった。

 エキスポランドやひらかたパークのような大規模なものではない。

 入ってすぐにゴーカートがあり、小さな観覧車も見える。

 そしてメインは円形の展望塔だ。

 まずは二人でゴーカートに乗ったり、観覧車に乗ったりした。

 観覧車は小さいけれど、見晴らしはよかった。京都は周りが山に囲まれてはいるけれど、その中でもひときわ高い山、生まれてこの方ずっと自分の生活を見おろしていたその山の山頂にある観覧車なのだ。

 見晴らしがよくないはずがない。

 お化け屋敷では、実はそれほど怖くはなかったのだけど、良江は思い切り誠にしがみついた。

 誠に触れたのはこの時が初めてだった。もちろん、お化け屋敷を出たらまた今まで通りに離れて歩いている。

 ここは京都の方から登ってくるロープウエイの終着駅が、二人が入ってきたゲートとは反対側のゲートの外にあるけれど、驚いたことにその脇はスキー場だった。そう多くはないけれど何人かの人が滑っている。

 スキー場とはいっても雪があるわけではなく、人工芝のような緑のマットの上を滑るものだ。

 もちろん、そんなに広いわけではない。

 さすがにスキーはパスして、最後にいちばん目立っていた回転展望閣に上った。

 ただ座っているだけで円形の展望台が勝手にゆっくりと回転し、360°の景色が楽しめる。

 琵琶湖をはじめ大津、京都市街、鞍馬、大原などが一望だ。


「わ、大文字山があんなに低い」


 良江がなぜかそんなことにはしゃいでいた。


「なんか箱庭のようやな」


 山々に囲まれたわずかな平地に所狭しと建物が密集している京都の町を見て、誠が言った。


「こうして見ると、狭いなあ」


 そう言う誠の隣で、良江もそんな京都の町を見た。


「そやな。その狭い盆地の、箱庭のような町が、私たちが泣いたり笑うたり怒ったりしながら生きている生活の場なんやな」


「たまにはこうして自分たちの生活の場を、少し距離を置いて高みの見物してみるのもええもんやな」


 誠の言葉に良江もうなずいた。


「そろそろ行こうか」


 誠に言われて展望閣を降りた。近くにレストランがあったけれど、まだ昼食には早い。


「眺めのいいレストランがあるさけ、そっち行こう」


 良江は誠に任せた。


「でも、運転、しんどかったやろ。道くねくねして」


「ドライブはこれからや。これからさらに北へ行って大原に降りよう思うてるし」


「くたびれへん?」


「そんな時間、かからんて。山本さんは疲れたら寝ててもいいし。ってか、山本さんじゃなくて、良江ちゃんって呼んでもええ?」


「ええよ。どう呼んでも、私やって分かればええんやし」


 二人は駐車場に戻った。

 シルビアはまたもと来た道に戻り、さっき通ったトンネルをまた抜けて、大きなお寺の駐車場は今度は素通りしてさらに先に進んだ。

 山の上の道にしては、それほど起伏はなかった。

 ほんの七分ばかりまたくねくねとした道を走ると、レストランの看板があった。

 広い駐車場があってそこに車を停めると、山の崖の上に張り出す形の平屋造りのレストランへ向かった。トタンの屋根だった。

 ものすごく景色のいいレストランで、和食が中心だった。

 誠は親子丼、良江は近江牛のハンバーグがメインの近江ランチを注文した。

 その琵琶湖を一望する景色を見ながら、二人はいろいろと話をしながら食事を楽しんだ。

 お互いの大学のこと、趣味のこと、これまでの生活のことなど、話は多方面に及んだ。

 食事のあと、レストランの脇が展望台のようになっているところに行き、白い手すりに二人は身を預けた。

 風が強い。

 二人の隣には100円で見られる備え付けの大きな双眼鏡があった。

 明るい景色が、二人の前に広がっていた。大きく空間は展開し、視野は開けている。


「ここから風に乗って飛べば、どこまでも飛んでいけそうやな」


 そんなことを言って良江は笑った。

 ずっと下の方に琵琶湖が広がり、遥かにそれを見おろしている。その向こうには低い山々が横たわっている。琵琶湖は盆地の底の水たまりのようだ。


「あれ、鳥け?」


 誠が琵琶湖の水面に浮かぶ無数の白い点を見て言った。


「ちゃうわ。あれヨットやん」


「ヨット!」


「鳥があんな大きいわけないやん」


「そっか。ここから見てあの大きさやったら、えらい大きいもんな」


 良江はクスッと笑った。


 それからまた誠は良江を乗せ、シルビアを発進させた。

 今度は滑らかな下り坂となる。

 大原を通るには、一度琵琶湖の西岸に降りる必要がある。

 だんだんと道は下って、ようやく人里に戻って来たという感じになった。

 しばらくはのどかな田園風景の中を進む。民家も多い。

 そのあとまた少し山道のような感じとなって、長いトンネルもあった。

 北へ向かっていたはずの道もいつの間にか西に進み、そして今は南下している。

 今度はいつの間に滋賀県から京都に入ったのか、全くわからなかった。


 レストランから大原までは30分もかからなかった。

 あとは市街地に向かうだけだ。


「今日は楽しかった。ありがとう」


 助手席から、良江は言った。


「来週の火曜も、どこか行きひん?」


 良江は驚いて、運転する誠の横顔を見た。


「来週も?」


「うん」


 良江は少し考えてから、言った。


「ええけど」


「え? ほんま?」


 一瞬誠が良江を見たので、良江は慌てた。


「あかんあかん、前見てぇな」


 誠は照れて笑った。


「そやけど、藤村さんも暇なんやね」


「まあ、長い春休みやしな」


「なんか私たち、昔からの知り合いみたいやね」


 たしかに、良江の誠に対する言葉からいつの間にか敬語が消えていた。


「ほな、そうしよか」


「どうやって?」


「あと五年もすりゃ、昔からの知り合いになれる」


「どんなんや。たしかにそうやけど」


「そや。ただの知り合いいうより、五年間も付き合うてる恋人同士に五年後になるいうんはどないや?」


「何言うてん、しょうもな」


「あかんけ?」


「今返事せにゃあかんの?」


「できれば」


「そんなんよう言わんわ。なあ、それまじで言うてはんの?」


「どやろな、想像にお任せしますわ」


 誠は笑った。良江もまたからかわれたと苦笑するだけだった。


 やがてシルビアは、京都の市街地にと入っていった。

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