第79話 ザ・フールの暗躍(2)
今回はザ・フール側の活動となります。
6月になったある土曜日。東京では最近は空がどんよりとした雲に覆われる日が増え、梅雨の時期がすぐ目の前に来ている事を窺わせる。
ここは新宿から一駅離れたところにある15階建てマンションの最上階、『ザ・フール』こと須藤一樹が所有する区画だ。
今日もここに日暮遥がやって来た。
一樹は彼女を部屋に招き入れ、淹れたてのコーヒーを出した。遙は舌にやけどをしないよう注意しながらそれを飲む。
「一樹さんのコーヒー、とっても美味しい」
「ふふっ。それは良かった。そうそう、遙ちゃんの学校、中間試験終わったんでしょう?
「今日がちょうど成績の発表日。驚く事に、私が上位50番に入った。私は特に可愛い訳でもなく、運動が得意でもない。勉強だってそれほどでもなかった。それなのに今回は思ってもみない結果だった。これもみな一樹さんのお陰」
「ううん。それは遙ちゃんが頑張ったからだよ。あるとすればここに来る事で勉強が捗ったと言うことなのかもね。遙ちゃん、最近毎日ここへ来てずっと勉強していたじゃない」
「いえ。一樹さんの説明がすごくわかりやすく、頭の中の霞が取り払われたよう」
「それは良かった。それに遥ちゃんは可愛いよ」
一樹は遥にそう言ってウインクした。
遥は奥二重の目で少し団子鼻っぽい感じだ。しかし歯並びは奇麗で、全体のバランスも悪くない。とはいえ美人という程でもないごく普通のどこにでもいる女の子という感じだ。そのことを自覚している遥であるが、一樹の言葉はなぜかすっと彼女の心に入って来た。
「そんな事両親以外に言われたのは初めてだけど・・・・・・一樹さんにそう言ってもらって嬉しいです」
「そうか、素直に受け取ってもらって私も嬉しいよ。それに、成績の方だってこのまま頑張れば期末試験はひと桁台も夢じゃないね」
「いえ、流石にここから先はそう簡単にはいかない。それより急に転校して来た2人は凄い。佐用隼くんが2位、雨宮瑞穂さんが3位」
「そうだったんだ。でも1位では無いんだね。するとやはり1位は司馬信二くんなのかな?」
「司馬くんは上位に入らず、国語は赤点スレスレ。数学、英語、化学、物理は満点だったのに。あの人、ふり幅が大きすぎる。ちなみに1位は両津時子さん」
「意外だな。司馬くんは色々MAGICSを作るから、さぞ成績が良いと思ったんだけどね。それなら遙ちゃんはもう司馬くんを抜いてしまったと言う事になるね」
「そう言う事になります。あの頭の良い司馬くんより成績が上なのは嬉しい事」
『ザ・フール』こと一樹にとって、信二達の成績はそれほど興味の無い話だ。彼女はもっと何か有益な情報は無いかと遥へ別の切り口で尋ねる。
「ところで、クラスの中ではどんな事が話題になっているのかな?」
遥は少し考えて、それからこう話しだした。
「そういえば、司馬くんの話によると、あと少しで『ザ・フール』の正体をつかめそうだとの事。『ザ・フール』という極悪人、一日も早く逮捕されて欲しい。一樹さんも女性の一人暮らし、十分気を付けて下さい」
目の前に『ザ・フール』本人が居る等とは露にも思わない遥は一樹にそう言った。一樹は笑い転げそうになるのを必死にこらえながら遥に答える。
「もちろん気をつけるよ。おそらくその『ザ・フール』という人物も追い詰められている事を感じ取っているだろうし、一体どんな一手を繰り出すのかわからないからね。そう言う事なら遥ちゃんはもう帰るべきだ。何なら私が遥ちゃんの家まで送っていくよ。ついでに遥ちゃんのお父さんとお母さんに挨拶をした方がいいと思って居たところなんだ」
「でも、一樹さんは忙しい。さすがにそれは申し訳無く・・・・・・」
「従妹同士でそんな遠慮をする事も無いと思うよ。最近の遥ちゃんの部屋も行ってみたいな。前に行った時からずいぶん経っているからね」
「一樹さんに私の部屋を見せるのは恥ずかしい。でも嬉しい。早速親に連絡しても?」
「是非そうして欲しい。連絡無しで訪ねたりしたら叔父さん、叔母さんにも迷惑になってしまうからね」
早速遥はニューロンレシーバを使って母親に連絡する。少し経ってから回線を切る。満足そうな顔つきをしているあたり、どうやら上手くいった様だ。
「お母さんがいいと。一樹さん、よろしくお願いします」
「もちろん。支度をして早速行こうか」
「はい」
◆◆◆◆◆◆◆◆
日暮家は地下鉄丸の内線方南町駅から徒歩10分という場所にあり、新宿駅まで丸の内線で10分程度と都心へのアクセスも大変良い。
遥も学校へはこの地下鉄を使って通っており、家から学校までは30分程という所だ。
一樹のマンションからは中野駅行きのバスを使えば乗り換えなしで向かう事が出来、こちらもまた交通の便は良い。遥が毎日のように一樹の部屋へ通ったのもそういった交通の便の良さという側面もある。
そんな日暮家のリビングには遥の父親、悠真と結衣が座っており、向かい合うようにして一樹と遥が座っている。
「一樹ちゃん、久しぶりね。以前こちらに来てもらったのは10年以上前になるのかな。最近遥が貴方のところに通っていると聞いてビックリしたのよ。しかも今回のテストでは成績がグンと伸びたって。叔母さん、貴方にどうやってお礼を言えばいいのかしら」
「それはお気になさらず。私も丁度研究に行き詰っていて、気分転換が必要だったんです。そんな時に遥ちゃんと出会う機会があって。それから私の家へ来てもらって彼女の勉強を身がてら私の話し相手になってもらっていたんですよ」
「けれどもこれだと遥に優秀な家庭教師を無給でつけたような物だ。一樹さんにはどうやってお礼をすればいいのやら」
「そんな、叔父さん、叔母さんもそんな事は全然気にしなくてもいいんです。遥ちゃんは従妹なんだし、家族のようなものでしょう? 迷惑ならともかく、私にとって主に気持ちの面で大変助かっているんです。そうやってお言葉を頂けるだけで十分です」
「一樹ちゃんがそう言うなら・・・・・・でも、今日は一緒に夕飯を食べていかない? そんなに立派な物は出せないけど。差し支えなければ今日はウチに泊っていっても構わないわよ。夜道を女性一人で出歩いて、エンボに襲われでもしたら大変だもの」
一樹は内心しめた、と思ったが顔には一切出さずに答える。
「それであれば・・・・・・明日も日曜で研究所も休みですし、一晩お世話になります。よろしくお願いします」
◆◆◆◆◆◆◆◆
日暮家の3人と夕飯を共にし、風呂もいただいた一樹はパジャマ代わりのスウェットを着ており、遥の部屋へとやって来た。
「ふぅ、なんだか今日はすっかりお世話になってしまったね。急に押しかけてしまった上で泊めてもらうなんて少々心苦しいけれども」
「そんな事、私もお父さんもお母さんも全然気にしていないです。私は一樹さんのおかげで今まで見たことの無い景色を見ることが出来た」
「遥ちゃん、成績を上げた事は凄いことだけど、それはいささか大げさじゃないかな」
「そんな事なんて無いです。私はこれまで部活もやっていなかったし、勉強もごく普通のレベル。私、それほど上手に話す方じゃないから友達もそんなに多くない。学校ではせいぜい望や愛と仲良くしていたくらい。だけど、今回成績がグンと上がっていろんな人が私に話しかけてくれるようになった。突然話しかけられても対応出来ないから碌に話すことが出来なかったけど、それでもうれしかった」
「ふーん。そうなんだ。でも、そうやって遥ちゃんが輝くようになった途端、話しかけてくるような奴らなんてどうせクズばかりだ。放っておくのが吉だと思うよ」
「そうなんだろうか・・・・・・とにかく、私はこれからお風呂に入る。申し訳ないけど一樹さんは本でも見て待っていて下さい」
「わかった。アルバムとかも見せて貰ってもいい?」
「大丈夫です」
そう言って遙は着替えを持って風呂へと向かって行った。
「さて、お言葉に甘えて色々調べさせて貰うよ」
一樹は指紋が残らないよう両手に手袋をはめ、遙の部屋の中を片っ端から調べていく。どこに何があるのかを丹念に、丹念に調べていく。物を出したあとは綺麗に元通りにする。
そろそろ遙が戻って来る頃を見計らい、手袋を外して遙の中学卒業アルバムを取り出してそれを眺める。遙は高校に上がってまだ2か月しか過ぎていない。そのためアルバムに残る遙の顔は今とそれほど違いは無い。
更にアルバムを見ているうちに、望の写真も見つける。この間見かけた時と比べると、幾分顔つきが陰気に見える。
ページをめくると「藤丸旭」と言う名前の生徒が別枠で載っている。
「非凡な能力はあったが若くして死んだ藤丸旭、か。どうせ死ぬなら私の糧になれば良かったものを。全く勿体無い」
独り言を聞かれてはたまらないのでそれ以降は黙ってアルバムを見る一樹。そうしている間に遙が戻ってきた。
「遙ちゃん、おかえり。アルバムを見せて貰っていたよ」
「うん、どうだった?」
「何だか自分の中学時代と重ねて見てしまったよ。私にもこう言う時があったんだと思ってね。ほら、この写真は遙ちゃんがすごく笑っていて可愛いよ」
一樹がそう言って指差した写真は遙と望、そして江沢愛子の3人が並んで爆笑している写真だった。背景に神社が写っている。修学旅行のものだろうか。こうして笑っている遥の顔は普段の無表情な顔とは違い一樹の目を通して見てもとても可愛らしい。
「照れるけど、そう言ってもらえると嬉しい」
「ははは。せっかく今日はここに泊めて頂けると言う事だし、今日は遙ちゃんの色んな事を聞かせてほしいな」
一樹はそう言って遙から日頃の生活や好きな事、嫌いな事など様々な事を聞き出して行った。両親や望、愛子を除くと他人からこんなにも自分の事に興味を持って貰った事の無い遙は嬉しくなって一生懸命一樹に話した。
一樹は遙の目をしっかり見て、ひとつづつ頷いて聞いていた。
やがて夜も更け、たくさん話をして疲れた遙はいつの間にか眠り込んでいた。
「さて、あらかた話は聞けたかな。これでこちらの準備が整った。あとは相手の動きを見ながら行動するだけだ。今回の作戦は五分五分と言ったところか。かなり分が悪いが今回ばかりは仕方がない。覚悟を決めて行動しよう」
そう言って一樹も眠りについたのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆
丁度その頃、LMOS本部の一室。溝口澪はニューロンレシーバを通じていくつものコンピュータにアクセスし、『ザ・フール』、すなわち須藤一樹の正体を追っていた。
LMOS総務部長の 田上蓮二、総務課長の佐藤利絵も同席している。
「溝口君、頼みますよ!」
「溝口さん、どうか!」
「あなた達、少し黙っていてくれるかしら? 集中力が切れてしまう!」
隼や信二たちが入手したエナジーアキュムレーター藤丸グループの作業要領書の作成手順と違う事を確認。澪はその情報を入手していた。
既に六ツ星グループの手順とも違う事を確認している事から澪はもうひとつの大手グループ、出海グループの技術者にターゲットを絞り、候補者を3人にまで絞り込んでいた。
「ここまで絞れば川添さんに指示を出し、スイーパーの情報を抜き取った犯人を辿るのは簡単よ。でも、手順が多すぎて随分時間がかかったしまったわね。それだけ用心深い相手だと言う事だけど・・・・・・『ザ・フール』が川添さんと連絡を取るために使っていた仮想PCのバックアップを発見できたのが大きかったわ」
『ザ・フール』は川添との連絡に使っていた仮想PCの完全削除を敢行したが、その仮想PCが存在しているストレージのバックアップには手を出せなかったのだ。
澪はバックアップから復元した仮想PCにアクセスし、川添とのやり取りを行ったメッセージを確認する。残念ながら川添を切り捨てるメッセージを送る3日前の状態であったが、川添から提供された情報や入金の痕跡を見つける事が出来た。
澪はそれらのメール情報に一致する人物へ遂に辿り着いた。
「見つけたわ、『ザ・フール』! いえ、須藤一樹! 田上さん、佐藤さん! 今から須藤の情報を転送します! 速やかに彼女の口座、並びにニューロンレシーバの使用を停止する手続きを行なってください!」
「佐藤さん、上層部への連絡は私が対応しますので、諸部門への連携をお願いします!」
「わかりました、田上さん! ランクB以上の出動要請をかける事でよろしいですね?」
「それで構いません。正体不明の人物、『ザ・フール』を拘束する絶好の機会です! これは川添さんの弔い合戦でもあります。頼みますよ、佐藤さん!」
「もちろんです! それでは早速対応に入ります」
佐藤課長は警察、通信会社、銀行などあらゆる箇所への連絡を行い、『ザ・フール』包囲網をひく。
『ザ・フール』こと須藤一樹が日暮家に滞在している事が判明したのはそれから10分後の事だった。澪はランクB以上のスイーパーに声をかける。
その中でランクSの十日町紬が対応可能だったのはLMOSにとっては朗報、『ザ・フール』にとっては凶報となるのであった。
遂にLMOSに補足されたザ・フール。信二達を巻き込んだ戦いが始まります。
『第80話 悪魔との戦い(1)』は次週投稿予定です。お楽しみに。