誤解、解消
「どう、かな?」
仕上がった剣帯をヴィルヘルムに渡したロヴィーサは、そのサファイアの瞳がみるみる輝きを増すのを見て、ほっと胸を撫でおろした。
「凄い。本当に凄い。これは、神話の一節だね?」
「うん、そう。太古の昔、神々が邪神を打ち負かした、というあの一節をモチーフにしたの」
ロヴィーサの説明に深く頷きながら、ヴィルヘルムは剣帯に施された刺繍を細かに見ていく。
「本当に凄い。今にも動き出しそうだ」
「それはちょっと言い過ぎだけど。でも、そう言ってくれると嬉しい。良かった」
気に入ってもらえたようだ、とロヴィーサはカップに口を付けながらヴィルヘルムを嬉しい気持ちで見つめた。
「使うのが勿体ない。このまま飾っておきたい」
「そんなこと言わないで、是非使って。他者の加護を付加するのは反則になってしまう、というからそれは出来なかったけれど、ヴィルが勝ちますように、怪我しませんように、って祈りはたくさん込めたから。それに補強はしてあるから、簡単には擦り切れたりしないよ?」
「ロヴィ。君の期待に全力で応える。俺の勝利はすべて君に捧げるよ」
ロヴィーサの言葉に、ヴィルヘルムは剣帯を捧げ持ち神妙な顔で誓った。
「ヴィル。ありがとう。凄く嬉しい」
でも、本当にいいの?
「嬉しい?本当に?迷惑じゃないか?」
勝利をすべて捧げる、と言われ嬉しくも戸惑う気持ちのあるロヴィーサの、その憂いを見抜いたかのように、ヴィルヘルムがロヴィーサの瞳を覗き込む。
「迷惑なんかじゃない、全然」
「でも、俺が勝利を捧げる、ということに何か思うところがあるんだろう?」
「っ」
ずばり言われ、ヴィルヘルムの真剣な瞳に見つめられ、ロヴィーサは言葉を失った。
「ロヴィ。それは時と場合によっては俺の勝利を願えない、ということか?」
そして、続けて言われた予想外の言葉に、ロヴィーサは苛立ちさえ覚える。
「何それ。さっきも言ったでしょう?これには、ヴィルが勝ちますように、って祈りを込めた、って。だから地色は勝色を選んだの。いつだって私はヴィルの勝利を願ってる。時と場合によってヴィルの勝利を願えない、なんてこと絶対に無い」
「でも、もし俺がロヴィの憧れている騎士と当たったら?それでも、俺の勝利を願ってくれるのか?」
きっぱりと言い切るロヴィーサに、それでも不安の残るヴィルヘルムが言えば、ロヴィーサの目が丸くなった。
「憧れの騎士?ヴィルは時々そう言うけど、それって誰のこと?」
「俺が知る筈無いだろう。だが、ロヴィが憧れる騎士が居ることは知っている。出来れば誰なのか教えて欲しい。野蛮なことはしない、と誓うから」
苦し気に言うヴィルヘルムに、けれどロヴィーサは首を傾げる。
「憧れる騎士?私が?そんな人、いないけど?」
「いない?いや、でも。今、巷で噂になっている、想う相手を貝に彫って装飾品として身に着ける、ってあれ、ロヴィの作品だろう?あれの最初はロヴィが自分のために造ったものだ、ってことは俺も聞いている。それとも、それも真実じゃない、ただの噂なのか?」
惑うように言うヴィルヘルムの言葉に、ロヴィーサは、ひゅっ、と息を呑んだ。
「やっぱり、本当なんだな。ペーパーウェイトに彫ったのも、同じ人物なんだろう?」
哀し気に眉を顰め、ヴィルヘルムはロヴィーサを見つめる。
一方、唐突に核心を突かれたロヴィーサは、そんなヴィルヘルムと目を合わせることが出来ない。
「そ、そんなことが噂に。一体どこからばれて・・・」
「ロヴィ?」
「えと、その。確かに、お、同じ人物、だけど、騎士様、じゃなくて・・・あの」
「騎士ではない、のか。それは、俺も知っている人物か?」
「知っている、っていうか。本人、っていうか」
「え?」
「・・・・・私が彫ったの、ヴィル、だから」
真っ直ぐにヴィルヘルムを見つめることが出来ず、うろうろと視線を彷徨わせながらロヴィーサが言った言葉を、ゆっくりと咀嚼するように時間を置いて、ヴィルヘルムは漸く止めていた息を吐き出した。
「俺?ロヴィは、俺を彫った、というのか?」
「うん」
「だってロヴィ、言っていただろう?総合闘技大会で勝ち残る騎士様は凄い、って」
「え?うん。だって、騎士さまって強いよね?毎年、決勝まで残る確率高いじゃない」
ほぼ一年前、自分が聞いたことをヴィルヘルムが言えば、ロヴィーサは当然と頷く。
「いや、それはそうだけれども、そうじゃなくて。ロヴィは、誰か特定の騎士の事を言っていたんじゃないのか?」
「ヴィルが何を勘違いしているのか判らないけど、特定の騎士さまを意識したことはないよ?」
「だって・・・公募の前で」
「公募の前で?ああ、私、総合闘技大会に憧れがあって。一度は出てみたいなあ、って思うんだけど、実力足りなさすぎるから無理だな、って。騎士さまくらい実力ないとな、っては思ってるけど」
「なんだ・・・それじゃあ、ただの俺の勘違い。いやでも、ロヴィ、一年前くらいから俺を避けるようになっただろう?他に気になる奴が出来たから、じゃないのか?」
勘違いなのか、と脱力しそうになりながらもヴィルヘルムが問えば、ロヴィーサは自分こそ不思議に思うことがある、と身を乗り出した。
「それは、ヴィルに好きなひとが出来た、と思ったからよ。でも私という婚約者がいるから公然にできなくて、密かに想っている、んだと」
「何だ、それは」
不機嫌になったヴィルヘルムの圧に耐えつつ、ロヴィーサは過去自分が考えたことを打ち明ける。
「だから、ヴィルには密かに想うひとがいる、って思ったから距離を取るようにしたの。そうしたらヴィルが密かに想うひとと居られる時間が増える、って思ったから。それに、婚約破棄になった時、私も結婚より自立を望んでいる、ってなればふたりへの風当たりも少なくてすむかな、とか色々考えて」
「考えて、いもしない俺の、なんだ、その密かに想うひとと俺が上手くいくよう画策していた、と」
「だって居ると思っていたから。ねえ、本当に居ないの?」
「密かに想う、な。居るといえば居るぞ。鏡見てみろ。そこに映っているから」
「え?」
そう言ったヴィルヘルムは耳まで赤く、ロヴィーサはその赤を信じられない思いで見つめる。
「俺が好きなのは、ロヴィ。お前だよ。言っただろう?俺は、ロヴィとだけ生涯を共にしたいと思っている、と。あれはどういう意味だと思ったんだ」
「あのあたりから、おかしいな、と。最初は、ヴィルに婚約破棄されるんだと思ってて、でも何か違うのかな、って思って。だから、密かに想うひとは身分的に第二夫人にしか出来ないのかな、とか」
「ほんとに色々、愚にも付かないことを考えたんだな」
心底呆れたように言うヴィルヘルムに、ロヴィーサは、きっ、となって過去に自分が聞いた話を音にする。
「だって、ヴィルが言ったんじゃない!私のことは親が決めた婚約者だ、って。休日に出掛けるのは婚約者だから仕方ないだろう、って。私、聞いたんだから!」
あの衝撃の校舎裏は忘れない、とロヴィーサがヴィルヘルムを睨めば。
「ああ、あれを聞いたのか。いつのやつだ?まあ、いつでもいいか。同じことしか言っていないしな。だが、あれを聞いて、どうして俺がお前以外の人間を想っている、なんて勘違いをしたんだ?」
あれを聞いたからこそのロヴィーサの勘違いを、あれを聞いたのに何故そのような勘違いを、とヴィルヘルムは不思議そうな顔で問いかける。
「どうして、って。親の決めた婚約者だけど仕方なく出掛けている、って言われたら、そりゃ、そう思うのが普通じゃない?」
ヴィルヘルムが不思議だと思う感性こそが不思議だとロヴィーサが言えば、ヴィルヘルムが焦ったようにテーブルに半身を置いてロヴィーサに迫った。
「親の決めた婚約者だけど仕方なく出かけている!?何だ、その要約の仕方は!違う、そうじゃない!俺とお前が一緒に出掛けるのは婚約者なんだから当たり前、誰から見ても当たり前のことなんだから、お前らが嫉妬しようと叶わない、仕方ないことだろう、ってことだぞ!?」
「なにそれ」
「なにそれ、じゃない。ロヴィこそ、どうしてそんな勘違いを」
「いやいやいや。普通に考えたら私の方の捉え方が正しいよね?あれがそんな意味だなんて、誰も判らないから!」
ロヴィーサの叫びに、ヴィルヘルムは反論しようとして押し黙った。
「判らない?そんなはず・・・いや待てよ。だから、親が決めた婚約者なのにどうして束縛するんだ、って言われていたのか?」
そして何やらぶつぶつ言い出したヴィルヘルムを、ロヴィーサはじっと見つめる。
「ねえ、ヴィル。ヴィルが好きなのって、本当に私?」
「ああ、間違いない。疑われるなど思いもしなかったくらい、子どもの頃から俺はロヴィだけが好きだ」
「じゃあ、私をヴィルの恋人にしてくれる?婚約者で恋人」
「ロヴィが俺を好きならな」
やさぐれたように言いつつ、ヴィルヘルムの瞳はロヴィーサを真っ直ぐに見つめ続ける。
「好きでもない人の為に、夜なべして剣帯作ったりしません」
冗談のように言ったロヴィーサも、真摯な瞳でヴィルヘルムを見つめ返し。
「ロヴィ。好きだよ」
「私も。ヴィルが大好き」
ヴィルヘルムとロヴィーサは、テーブルの上、互いの手を握り合い、身を寄せ合って。
「総合闘技大会。ロヴィの思いも俺が背負って勝ち抜くよ」
その囁きと共に、そっと唇を触れ合わせた。
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