売られた喧嘩
「今度の創立祭。クラミ様は恥をかくことになると思いますの。ですから、参加は見送られては?」
創立祭の盛装の最終確認をした翌日。
ロヴィーサは、ひとりの令嬢に絡まれていた。
この方は、確かマーッタ男爵令嬢。
思いつつも、ロヴィーサは首を傾げずにいられない。
マーッタ男爵令嬢とはクラスも違うし、選択している課目も違う。
それなのに何故か、回廊をひとり歩いていたロヴィーサにわざとぶつかって来た。
そして『あーら、ごめんなさい』と、少しも謝っていない高飛車な様子でロヴィーサに声をかけ、今現在、軽んじた瞳を向けられている。
何なのかしら?
それに、創立祭で私が恥をかく、ってどういうこと?
思うロヴィーサに、マーッタ男爵令嬢は、ふふん、と鼻を鳴らした。
「クラミ様の創立祭のドレスはクラミ伯爵、つまりお父君がご用意なさるのだとか。けれどね。ふふ。わたくしのドレスは、モント伯子息様がご用意くださいますの。マダム ジョゼーのお店で」
え?
貴族、淑女として鍛えられているロヴィーサは、表情も変えず、音にもしないものの、心中では驚きの声をあげる。
マダム ジョゼーは今大変な人気で、なかなか予約が取れないと有名なデザイナー。
ロヴィーサとヴィルヘルムも、サンドラとシリヤが彼女と親しくしていたからこそ、創立祭の盛装を造ってもらえることとなった経緯がある。
シリヤ様が、こちらの方の分もお願いしたのかしら?
だとすれば、マーッタ男爵令嬢がヴィルヘルムの望む令嬢なのだろうか、とロヴィーサは騒めく心でマーッタ男爵令嬢を見つめた。
けれど、とロヴィーサは昨日のことを思い出す。
昨日、サンドラはもちろんシリヤも、二着も引き受けてくれてありがとう、とマダム ジョゼーに言っていた。
そして、それに対しマダム ジョゼーは、創立祭で受けた依頼はこの二着だけだったから大丈夫です、と笑顔で答えていなかったか。
「それに、というか、ですから、でしょうか。創立祭では、モント伯子息にエスコートもしていただきますの。楽しみですわ」
え?
奢り高ぶる声で言われ、またも声にせずロヴィーサは首を傾げる。
ヴィルヘルムは、ロヴィーサと揃いの衣装を作成した。
そして、お互いの瞳の色の装飾品も身に着ける。
その出で立ちで、他の令嬢のエスコートをするとは考えにくい。
それに『揃いの衣装で入場したら、目立つだろうね』と、ヴィルヘルムは恥ずかしそうでありながらも嬉しそうに笑って言っていたのだが。
「クラミ様は、どうして、とお思いでしょうけれど、わたくしの父が騎士団におりますの。その父もモント伯子息を高く評価していらして。それで、自宅に招いてお食事したこともございますの。幾度も」
勝ち誇ったように言われ、首を捻りつつも、ロヴィーサはマーッタ男爵令嬢がヴィルヘルムが密かに想う相手かもしれない、という疑念を完全に払うことは出来なかった。
「では、ごきげんよう」
心中はともかく、表向きは無言、無表情を貫いたロヴィーサに勝ち誇ったような表情を浮かべ、マーッタ男爵令嬢は揚々と去って行く。
「どうしたロヴィ?おかしな顔して」
マーッタ男爵令嬢を見送るでもなく見送っていると、待ち合わせをしていたヴィルヘルムがそう言ってロヴィーサの横に立った。
「おかしな顔で悪かったわね。生まれつきよ」
考えごとをしつつも反射で答えれば、ヴィルヘルムがロヴィーサの顔を覗き込む。
「何があった?誰かに、何か言われたのか?誰だ?」
言いつつヴィルヘルムは、あいつか、とマーッタ男爵令嬢の背を睨みつけた。
「マーッタ男爵令嬢が、創立祭のドレスは、ヴィルがマダム ジョゼーのものを贈ってくれて、エスコートもしてくれるんだ、って言っていたわ」
「なっ!そんなことあるわけないだろう!信じていないよな?」
ロヴィーサの言葉に、ヴィルヘルムは焦ったようにロヴィーサの肩に両手を置く。
「でも、お父様が騎士でいらして、ヴィルのことを高く評価しているとかで。ご自宅にヴィルを招いて幾度も一緒にお食事をした、と仰っていたから、そういうこともあるのかな、って」
「無い!確かにマーッタ男爵は騎士だが、特別訓練に参加されたことは無い。よって指導されたことも個人的に話ししたことも無い。にも拘わらず、確かに何度も食事に、と不躾にも家に招かれたが、すべて断っている。同じように、その女から幾度も誘いを受けているが、これもすべて断っている。故に、俺はその女と個人的な繋がりなど何も無い。結論として、俺には疚しいことは何も、欠片も無い。何をかけても、何に誓ってもいい」
喰いつく勢いで顔を寄せ、目力強く言うヴィルヘルムの迫力に、ロヴィーサは只管こくこくと頷いた。
「そ、そうなんだ」
「ああ。理解、納得できたか?できていなければ、何でも幾度でも聞いてくれ」
「う、うん。平気」
そう答えるロヴィーサの瞳を極至近距離で見つめ、ヴィルヘルムは安堵したようにため息を吐く。
「しかし、なんだってそんな嘘をロヴィに言ったんだ?すぐにばれるだろうに」
近頃の令嬢は、虚言癖があるのが普通なのか、とヴィルヘルムは理解できないとばかりに首を振った。
「あ、もしかして。私が創立祭のドレスは家族に用意してもらう、ってことを知っていたから、それでじゃない?」
創立祭のドレスを婚約者であるヴィルヘルムに贈られない、故にロヴィーサさえ創立祭に参加しなければ自分にも機会がある、とマーッタ男爵令嬢は考えたのではないか、とロヴィーサは納得するもヴィルヘルムは不機嫌に眉を寄せる。
「だから、俺が贈ると言ったのに」
そもそも、最初から創立祭のロヴィーサのドレスは自分が贈るつもりだったヴィルヘルムだが、そこにクラミ伯爵の待ったがかかった。
曰く、ドレスを贈るのみならず、揃いの衣装にするなど既にして婚姻済みの者同士がすることのようで、娘をもう嫁に出したような気持ちにさせられ哀しみが止まらないので、揃いの衣装は認めるけれど、贈るのは自分に譲ってほしい。
そう、泣きの涙で言われてしまえば、ヴィルヘルムも、どうしても自分が贈る、とは言い切れなかった。
けれど、自分のその発言が娘の危機を呼ぶなど、クラミ伯爵も思いはしなかっただろう。
何と言っても、ヴィルヘルムがロヴィーサの傍に居ることは確定なのだから。
「まあ。私がヴィルにドレスを贈ってもらわないことは知っていても、それがヴィルとお揃いの衣装だとは知らないみたいだったから、驚くんじゃないかな」
しかも、その衣装は紛うことなきマダム ジョゼーの作である。
マーッタ男爵令嬢が、どのようなドレスで登場するのかは知らないが、ヴィルヘルムとロヴィーサの姿を見て驚くことは確実だろうと思われる。
「そうか、そうだよな。よし、当日はマーッタ男爵令嬢の所へ行こう。ふたり揃って」
「ええ?行くの?わざわざ?」
にやり、と笑ったヴィルヘルムの顔には、徹底的にやり返す、と書いてあって、ロヴィーサは嫌な予感しかしない。
「はっきり、けりを着けてやろうじゃないか。大丈夫。ロヴィは、俺に任せておけばいい」
ロヴィに嫌な思いをさせた報いは、存分にうけさせてやる、とヴィルヘルムは嘯き。
「ああ、だけどロヴィ。安心していいぞ。その後は、たくさんダンスをして、美味しいものを食べて、ロヴィと一緒に楽しい時間を過ごすから」
何も心配いらない、と、ヴィルヘルムは少々悪い笑顔でロヴィーサに力強く頷いてみせた。
「ヴィル。改めて、これ、貰ってくれる?」
タイリングにエメラルドを嵌め、ロヴィーサはヴィルヘルムに完成したそれを差し出した。
「ありがとう」
嬉しそうに受け取り、大切に仕舞うヴィルヘルムにロヴィーサはくすぐったい思いになる。
「でも、どうして最初からエメラルドを入れてくれなかったんだ?嫌、だったのか?」
「そんなことあるわけないでしょ」
むしろ、最初からエメラルドの用意はあった、と口にしそうになり、ロヴィーサは慌てて口を噤んだ。
「なら、良かった。あの時、迷いなく言ってしまったけれど、ロヴィが嫌だったらどうしようかと思った」
ロヴィーサには憧れる騎士がいる、と思い込んでいるヴィルヘルムが言えば、ロヴィーサが理解不能な顔をする。
「私、嫌そうに見えた?」
「いいや。見えなかった」
「そりゃそうよ。嫌じゃないもの。むしろうれし・・っ」
「なら、良かった」
ヴィルヘルムがエメラルドを選んでくれて嬉しい。
ヴィルヘルムに密かに想う相手がいる、と思うロヴィーサはそう言い切ることが出来ずに押し黙るも、ヴィルヘルムは嬉しそうな笑顔を見せた。
真っ赤になって俯いたロヴィーサが、何を言いかけたのかヴィルヘルムには充分に伝わっていて。
照れて真っ赤になってしまうロヴィーサが愛おしくて。
ヴィルヘルムは、益々ロヴィーサに惹かれていく自分を自覚していた。




