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甘やかし







 「ヴィ、ヴィル。私、ひとりで食べられる、から」


 件の茶会から三日。


 そこまで大げさな怪我ではない、と言い張るロヴィーサに対し、家族やヴィルヘルム、果ては使用人までもが頑固たる態度で安静を言い渡した。


 結果、ロヴィーサは今日もベッドの上にテーブルを用意されたうえ、カトラリーを持っているのはヴィルヘルム、という状況に陥っている。


 「利き手を怪我させられたくせに、何を言っているんだ。ほら、口開けて」


 「大げさだってば。大体、もうベッドに居る必要だってないくらいなのに」


 甘やかしが過ぎる、とロヴィーサが言えばヴィルヘルムの眉が寄った。


 「高熱出したくせに、何を言っているんだ。心配したんだぞ」


 「それは、ごめん」


 茶会から戻った折の家人の様子を思い出して、ロヴィーサは素直に謝罪を口にする。


 大切な娘が、妹が、お嬢様が怪我をさせられた、とは先にマンニスト侯爵家よりわび状と共に連絡が行っていたらしかったけれど、ヴィルヘルムに抱き上げられたままだったことも相まって、馬車から下りた瞬間から大騒ぎになった。


 おまけに、ナイフが刺さった手首の傷は結構な深さだったうえ、際どい位置だったとかで、もう少しで本当に手や指を自由に使えなくなるところだった、と医師に言われた時には流石のロヴィーサも恐怖した。


 そして発熱までしてしまい、周りの心配は最高潮となってしまったわけだが、三日たった今日は熱も下がり、傷も化膿しないよう処置をしているのだから問題ないはず、とロヴィーサは思う。


 「わかったらほら。口開けて」


 それに、こうして食事のたびにヴィルヘルムに食べさせてもらう、というのは恥ずかしくて堪らないのだが、ヴィルヘルムも絶対譲ろうとはしない。


 「あのね、ヴィル。私ひとりでも食べられるように、って、ひと口で食べられるようにしてくれているから、大丈夫よ?」


 確かに、昨日までは体調も優れず、なし崩しのように食べさせてもらっていたロヴィーサだが、今日はしっかりと意識も覚醒している。


 それに、用意された肉も野菜も、ひと口大の大きさで盛りつけられている。


 だから大丈夫だ、と幾度も伝えてみるけれど。


 「ああ。食べやすいように、という様々な気遣いを感じる。お前が、愛されている証拠だ」


 斜め上の答えを返し、嬉しそうに笑うヴィルヘルムがカトラリーを手放す気配は無い。


 暫く逡巡はしたけれど、心配をかけた事実もあるし、相手はヴィルヘルムだし、とロヴィーサは自分が折れることにした。


 「えっと・・・じゃあ、よろしくお願いします」


 「なんでいきなり丁寧語」


 「なんとなく」


 「そっか」


 「うん」


 ふふ、と見つめ合って笑い合い、ヴィルヘルムはロヴィーサのペースで、丁寧に肉や野菜、スープをその口に運ぶ。


 口元が汚れないよう、きちんとカトラリーと布巾で拭われて、ロヴィーサは思わず苦笑した。


 「赤ちゃんになったみたい」


 「存分に甘えろ」


 「いや。駄目でしょ、それ。っていうか、私既にしてかなりヴィルに迷惑かけているし」


 茶会の日から、ロヴィーサを案じる余り、ヴィルヘルムはクラミ伯爵家に泊まり込み、ロヴィーサに付き添っている。


 ロヴィーサを送り届け、医師の診察を受けるロヴィーサに付き添い、と、帰るタイミングを逃してしまったヴィルヘルムに、ロヴィーサは申し訳ない気持ちが込み上げた。


 「迷惑?」


 「うん。だって、ずっと泊まり込んでくれて」


 ロヴィーサの言葉に怪訝な顔になったヴィルヘルムは、続けて言ったロヴィーサの言葉に真顔になる。


 「それは、当たり前だろう?」


 「でも、送ってくれたからだって思うと」


 それでタイミングを逃したから、とロヴィーサが言い募れば、カトラリーを置いたヴィルヘルムがそっとロヴィーサの手を取った。


 「ロヴィが怪我させられた、と後から聞いたとしても、俺は同じことをした」


 「ヴィル」


 「それにな。謝るのは、俺の方だ」


 ヴィルヘルムに謝罪され、ロヴィーサは咄嗟にマイサとヴィルヘルムはやはり、と思いかけ、ヴィルヘルムの苦虫を噛み潰したような表情に口を噤む。


 「あの可笑しな女は何故か俺に執着していて、運命の相手なのだから当然だなんだと言って婚約を申し込んで来たことがあるんだ。俺と相愛だと偽ってね。俺には寝耳に水だったから、親から、ロヴィを泣かせるのか、と責めるような目を向けられた時は驚いたよ」


 くったりと疲れたように言うヴィルヘルムが話すのはロヴィーサが初めて聞く話で、単純に驚いてしまった。


 既に婚約者が居る格上の家に婚約を申し込む、などロヴィーサの知る範囲では有り得ないこと。


 「向こうから、ヴィルのお家に婚約を申し込んで来たの?」


 「ああ。しかも自分の家は子爵家で、伯爵家とそう爵位も変わらないのだから、本人の希望通りにするべきだ、娘を嫁がせてやるから有難く思え、とかなんとか言ったらしい」


 約束も無しに格上の伯爵家を訪れたうえ、唐突に、娘とこちらの子息は運命の恋人同士なのだから婚約をさせるべきだ、と居丈高に言われた、と不機嫌を隠そうともしなかった母を思い出し、ヴィルヘルムはため息を吐く。


 「本人の希望・・・」


 「言っておくが、向こうの一方的な、だからな。約束も無しに訪問して来たうえ、傍若無人な態度で一方的に話を進められた、と母がそれはもう怒ってな」


 「お父上・・・パレン子爵も令嬢と似た方なのね」


 「まさに、あの親にしてこの子あり、だな」


 「そう。それで、どうなったの?」


 「ロヴィーサがいるのに、どうこうするわけないだろう。母上は一応、と俺に確認をして来たが、それはもう、嫌悪ここに極まれり、の表情だったよ。それで、俺が関与していない、向こうの一方的な話だと分かった途端、遠慮はいらないとばかりに、まず、爵位だけではない家格の違いや行っている産業のことから、この婚約は有り得ないし、まして教養や礼儀作法が足りない令嬢と婚姻させる気は無い、ときっぱり断っていた」


 凄い。


 全否定されている、とロヴィーサはいつも優しく微笑んで接してくれるヴィルヘルムの母を思い出す。


 まさかそれでも諦めない、などという事態が発生するとは思わなかった、とヴィルヘルムはその時の自分の対処の甘さを悔いる。


 「彼女にとっては、ヴィルは運命だったんだ」


 「迷惑な話だ。婚約を断った後も、待ち伏せされたりしてはいたけれど、ロヴィの事はよく知っているとか言って、話ししてくると、無視もできなくて。それがよくなかったな。ごめん」


 「私のことをよく知っている?あのお茶会で初めて会ったのだけれど」


 頭を下げたヴィルヘルムにロヴィーサが言えば、そのサファイアの瞳が驚いたように見開かれた。


 「え?そうなのか?だって、エルネスティのことだって知っていたぞ?ロヴィが俺以外の男と街歩きして浮気している、と言って来たときも、彼女がエルネスティのことを知っているからこそ、ロヴィが誰と歩いているのか、俺は気になったわけだし、エスコ親方の所にロヴィが行っている、と言って来たのも彼女だ」


 「なんか、気持ち悪い」


 「本当だな。俺はてっきり、友達、ではなくとも顔見知り程度ではあるのだと思っていた。だけどまあ、そうか。茶会だって夜会だって、招待される場が違うものな」


 納得の表情で頷き、ヴィルヘルムはロヴィーサの髪を撫でた。


 「それだけ調べたのに、”リナリア”の情報は無かったのね」


 「誰それと浮気した、とかそういう下世話なことにしか頭が回らないんだろう」


 「でもそっか。私のことを調べて、ヴィルに悪いように吹き込んでいたのね」


 ロヴィーサのなかに、ふつふつと怒りが込み上げる。


 ヴィルヘルムが、密かに想う相手なら仕方が無いとも思う。


 けれど、そうではない相手からそんなことをされる謂れはないと思う。


 「ああ。街歩きの話の時だってエルネスティだと初めから知っていた様子だったからな。ロヴィの信頼を地に落としたかったんだろう。俺に報せがある、などと深刻な顔で言って来た時には、本当に俺を案じているような雰囲気だったが、思えばあれも演技だったんだな」


 「案じられて信じた、と」


 思わず、じと目でヴィルヘルムを見たロヴィーサに、ヴィルヘルムは慌てて首を横に振った。


 「完全に信じたわけじゃない。でも自信も無いし、もしかしたら、っていう・・・ごめん!」


 「まあ、ちゃんと私に聞いてくれたからいいけれど」


 仕方ないから許してあげる、とロヴィーサはおどけた調子でヴィルヘルムの髪に指を滑らせる。


 「それは本当に良かったと思っている。ロヴィときちんと話をすれば、全部解決したからな」


 「会話って大事ね」


 しみじみと言い、ロヴィーサは自分で果物を食べようとして、その手にしたカトラリーをヴィルヘルムに取り上げられた。





ブクマ、評価ありがとうございます。

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