唇と頬
「よっ、いらっしゃい!今日も仲いいねえ。いいよいいよ、半分にするんだろ。任せておきな」
顔馴染の露店の主にそう言われ、照れかけたヴィルヘルムは、はっと気づいてロヴィーサを見た。
「おじさん。今日は、三分の一と三分の二にしてほしいの」
そう注文するロヴィーサの声は冷静さを装っているけれど、耳は赤い。
そのことにヴィルヘルムは安堵した。
「三分の一?」
「そう。私、今日は余り食べられないかもしれないから、三分の一の大きさにして欲しいな、って」
怪訝そうに言う露店の主に、ロヴィーサがにっこりと言う。
「おお、そうかい。それで嬢ちゃんが食べるのが三分の一、と。しかし、三分の一と三分の二にする、なると」
その楕円のパンの大きさと、腸詰の長さ、太さを気にしているのだろう、露天の主が腸詰を挟んだパンをじっと見つめた。
「完全に三等分にしてくれればいい」
「ああ、なるほど!にいさん、いい男だね!」
ヴィルヘルムがかけた言葉に、露店の主は明るい表情になり、さくりと三等分にしてくれる。
「いい男?ヴィルは、確かにいい男だけれど」
今ここでどうしてそれを?
と不思議そうなロヴィーサに、露店の主が、にかっと笑った。
「ひけらかしたりもしないのが、何よりの証拠ってもんだ」
何故かとても嬉しそうに言って、露店の主は三等分にしたパンを紙で包む。
「手間をかけた」
「お世話様です」
「いいってことよ。まいどあり!」
元気のいい声に送り出されるも、三等分の謎が気にかかっていたロヴィーサは、歩き出してから、その会計をヴィルヘルムが済ませたことに気づき立ち止まった。
「ヴィル!お会計、私が払うんだったのに、ぼうっとしちゃっていたわ!」
「え?別にいいよ」
ヴィルヘルムとロヴィーサは、そのロヴィーサの性格もあって会計は折半することも多いが、男女で出かけた場合の出費は男性が持つのが当然と考えている女性も多い。
相手に払わせて当然、とは考えないロヴィーサを好ましく思っているヴィルヘルムではあるが、愛しい婚約者に何でも買ってあげたい気持ちも強い。
なので、このくらいの会計は任せてくれて何も問題は無い、のだが。
「今日はヴィルのご褒美したかったのに・・・私の莫迦」
ロヴィーサは、本気でそう落ち込んでいた。
「なら、骨付き肉を奢ってくれるか?」
ロヴィーサの悲しむ顔は見たくない。
その一心で、ヴィルヘルムがロヴィーサの顔を覗き込み言えば。
「ヴィル素敵!そうよね、そうすれば挽回できるかな!?」
ヴィルヘルムの言葉に嬉しそうに顔をあげ、ロヴィーサは明るい笑顔に戻った。
「そうしてくれたら、俺は凄く嬉しいよ・・・ほら、ロヴィ。人も増えて来たから、はぐれないようにして」
ともすれば手を離して駆け出す勢いのロヴィーサの手を握り直し、ヴィルヘルムは人込みからロヴィーサを護るようにして、ゆっくりと歩みを進めた。
「おお、なるほど。ヴィルってば、本当にいい男だわ」
三等分にした腸詰を挟んだパン。
その真ん中を当たり前のようにロヴィーサに差し出したヴィルヘルムに、謎が解けたとロヴィーサは唸るように言った。
もし普通に三分の一と三分の二にすれば、ロヴィーサはパンの端ばかりを食べることになってしまっただろうことに初めて気づく。
「普通だろ」
「さらっとできるひとは、なかなかいないと思う」
「からかうな」
有難く、と押し頂くように受け取ったロヴィーサの額を、ぐい、と指で押しやるように照れ隠しをすれば、そのヴィルヘルムにロヴィーサが不満の声をあげる。
「本気なのに」
「ロヴィ以外の相手には、やろうとも考えない。だから、別にいい男な訳じゃない」
そう言って自分の分のひとつにかぶり付いたヴィルヘルムは、言外にロヴィーサは特別なのだと言い切った。
「じゃあ、いい男ヴィルは私の独占?」
「当然だろう」
何を今更、と言い切るヴィルヘルムにロヴィーサは、複雑な感情を持つ。
本当に自分を大切に想ってくれるヴィルヘルムだが、実際には密かに想う相手がいるわけで。
もう、嫉妬しないで婚約解消とか、絶対に無理。
思いつつ腸詰を挟んだパンを食べ、骨付き肉を食べている途中で。
「ロヴィ。無理して食べることないぞ」
苦笑するヴィルヘルムに、そう声を掛けられた。
「うう。でも、もったいない」
食べかけてしまった骨付きの肉。
ロヴィーサが思い切れないままに見つめていると、隣からひょいと手が伸びて来て、それを離すように促される。
「ほら、俺が食べるから」
「でも、食べかけ」
「ロヴィなら、問題無い」
「ありがとう」
ヴィルヘルムへと骨付きの肉を渡し、手を布巾で拭いたロヴィーサは、ヴィルヘルムが食べ終わるタイミングで布巾を手渡し、自分の鞄を開けた。
「ヴィル。これ、この間頼まれていたペーパーウェイト」
自分で自分を彫る、という作業に気恥ずかしさを感じつつ作成したそれが入った箱を渡せば、ヴィルヘルムの瞳が目に見えて輝く。
「開けても?」
「もちろん」
出来は悪くない、と思うものの、他の客に商品を渡すのとはまた違う、妙な緊張感を覚えてロヴィーサはヴィルヘルムを見つめた。
「凄いな。ロヴィが居る」
しかして、それを取り出したヴィルヘルムの瞳は益々輝いて、ロヴィーサはほっと肩の力を抜いた。
「自分を彫ったものがプレゼント、って。なんか、恥ずかしいけれど」
「ありがとう。大事にする。それで。俺からは、これを」
ロヴィーサ仕様のペーパーウェイトを大切に仕舞ったヴィルヘルムが、今度はロヴィーサに何かを差し出す。
「これは、短剣?」
「護身用のものだ。ロヴィになら、扱えると思う」
「凄い。手に馴染むし、重さもいい感じ。それに、この装飾」
ヴィルヘルムがロヴィーサの護身用に、と贈ってくれた短剣は重さも握りも誂えたかのようで、それだけでも感動を覚えるものなのに、更にその装飾に使われている宝石が、ロヴィーサの目を引いた。
「俺がロヴィを護る。その、想いを込めた」
柄に輝くのは、ヴィルヘルムの瞳と同じ色をしたサファイア。
「嬉しい」
「そう言ってもらえて安心した。まあ、使うことなど無い方がいいけれどな」
ほっとした表情で、ヴィルヘルムは短剣を握るロヴィーサの手に自分の手を重ねた。
「凄い。最強のお守りだわ。ありがとう、ヴィル」
短剣を大切に抱き、ロヴィーサは感謝の気持ちを籠めてヴィルヘルムを見つめた。
「俺にとっても、このペーパーウェイトはお守りだよ、ロヴィ」
「ヴィル」
穏やかな時間の流れる公園。
そこで飛び立つ鳥の羽ばたき。
それに、ふと気を取られたロヴィーサの頬に触れた柔らかな感触。
「っ!」
驚き見つめた先には、ヴィルヘルムのサファイアの瞳があって。
「そろそろ帰ろう。送るよ、ロヴィ」
照れたように耳を赤くしたヴィルヘルムが、ロヴィーサへと手を伸ばす。
そして、いつものように手を繋ぎ家路を歩く、その間も。
い、今のって、今のって!
ロヴィーサは混乱し続けることになったのだった。
「ふにっ、って・・・した・・・」
ほんの一瞬だけ触れた頬。
けれど、ヴィルヘルムが自分の唇でロヴィーサの頬に触れたのは初めてで。
「嫌がってはいなかった、よな?」
家に送り届ける途中も、何となくぎこちなさはあったものの、ロヴィーサが嫌悪感を抱いた様子は無くて、ヴィルヘルムは歓喜に打ち震えた。
「ロヴィ」
指で、そっと唇を辿る。
そこで、確かに触れたロヴィーサの頬。
「俺だけを見つめ続けてもらえるように、絶対なるから」
やわらかく幸せな気持ちに包まれながら、ヴィルヘルムは、気持ちも新たにそう誓った。




