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迷惑な女







 「ヴィル様!」


 その日、騎士団の特別訓練に参加したヴィルヘルムにかかった、くど過ぎる糖蜜のように甘ったるい声。


 その声に、ヴィルヘルムの機嫌が一気に悪くなった。


 顔を見なくても判る。


 あれは、にっくきマイサ パレン。


 一応、子爵家の令嬢ではあるが、あれほどの礼儀知らず呼び捨てで構わない、とヴィルヘルムが唾棄している存在。


 幾度諫めてもヴィルヘルムを愛称で呼び、更にはロヴィを貶めようと必死になっている女など、ヴィルヘルムにとって害悪以外の何者でもない。


 「おお、また来ているのか。彼女、君の熱烈な信者のようだねヴィルヘルム モント。君が来る時は、いつもいる・・・存在そのものが煩い女だな」


 見学席からのその声を受け、鬱陶しそうに言った対戦相手を、ヴィルヘルムは鋭い眼差しで見つめた。


 「ラハティネン副団長。そのようなこと、俺に言われても困ります。それとも、俺相手では、よそ見をしても楽勝だ・・とっ!?」


 「ふっ。今のは、いい突きだったが、まだまだだな」


 ヴィルヘルム渾身の突きを余裕で交わした美男子が、その細身の容姿に似合わぬ剛力で自分の槍を大きく回転させれば、周囲の女性から悲鳴のような声があがる。


 「「「ラハティネン様~!!」」」


 「何のパフォーマンスですか」


 呆れたように言ったヴィルヘルムに、ラハティネンは至極真面目な顔を向けた。


 「普通のご令嬢は、あれほど熱狂的に叫んでも、婚約者でもない男の名を、ましてや愛称など決して叫んだりはしないものだ。まあ、恋人なら、別かもしれないがな」


 その痛烈な言葉は、先のマイサ パレンがヴィルヘルムの名を叫んだことを指している、ということは明らかで。


 「っ・・・あれは、幾度諫めても勝手に呼んでいるだけで」


 「勝手に、か。周りも、そう思ってくれればいいがな」


 ヴィルヘルムの言い訳を、ラハティネンは鋭く切って捨てた。


 その言葉に、ヴィルヘルムは改めて周囲の反応を見る。


 マイサ パレンは目を輝かせてこちらを見ているし、周囲は、その彼女と自分の距離を測っているように感じた。


 「そういうこと、か」


 これは衆目のなかできちんとさせなければならない問題だ、と認識したヴィルヘルムは、ラハティネンに一礼すると、真っ直ぐにマイサ パレンへと歩みを進めた。


 「ヴィル様!」


 そのヴィルヘルムに、マイサ パレンは喜び手を振って迎える。


 「私は、君に名を呼ぶことを許した覚えは、無い」


 しかし、まるで罪人に対するように固く冷たい声と言葉で言い放ったヴィルヘルムに、マイサ パレンの目が驚きに見開かれた。


 「で、でも、わたくしとヴィル様の仲なのです、から」


 「私と君の仲?君が一方的に私に擦り寄り私が迷惑している、それだけだが?」


 ヴィルヘルムの断言に、周囲の目が一斉にマイサ パレンに向く。


 「そんな!わたくしほど、ヴィル様にふさわし」


 「名を呼ぶな、と言っている」


 「どうしてですか!?」


 「私が、不快だからだ」


 その言葉を音にした瞬間、更なる冷酷さを帯びたヴィルヘルムのサファイア色の瞳が、真っ直ぐにマイサ パレンを射抜いた。


 「不快、って。じゃ、じゃあ、ロヴィーサに先にやめるよう言ってください。ロヴィーサも勝手に呼んでいるのでしょう?」


 媚びるように瞳を潤ませ言うマイサを、ヴィルヘルムが蔑んだ瞳で見つめ嘲笑う。


 「そんな訳ないだろう。むしろ、ロヴィにこそは愛称で呼んで欲しい、と、俺が願った」


 そして次の瞬間、ロヴィーサが自分を呼ぶ、その声を思い出したヴィルヘルムの表情がやわらかくなった。


 それはもう、蕩けそうなほどに甘く。


 先に見せた薄笑いとの違いに、周囲は目を見開いて驚いているが、ヴィルヘルムが気づくことはない。


 「それは、婚約者だからでしょう?ヴィルさ・・・ヴィルヘルム様は無理矢理」


 「名で呼ぶな、と幾度言わせれば気が済むのだ」


 「ロヴィーサはヴィルヘルム様に相応しくありません!」


 叫ぶように言ったマイサに、周囲は顔をしかめた。


 このような場所で、今この場に居ない他者を表だって悪しざまに叫ぶなど非常識にも程がある。


 「貴様。幾度言っても私のことを名で呼ぶのみならず、私の婚約者のことまで貶めるとは。これまでも、即刻その行いを改めるよう私は君に忠告してきたはずだ。しかし、何の改善も見られない今、個人的な忠告では理解できないと判断し、モント伯爵家として正式にパレン子爵家に抗議させてもらう」


 「そんなっ。ロヴィーサは、今度は武器を扱う鍛冶屋に通っていて!誰ぞに贈り物をするのでは、とわたくし心配で、それでっ」


 自分とヴィルヘルムを隔てる柵にしがみ付き、髪を振り乱してマイサが大声をあげた。


 「その誰か、は私かも知れないではないか」


 「っ・・・そ、それは」


 静かなヴィルヘルムの声に、マイサが言葉を失う。


 「君は、格上の令嬢であるロヴィーサを呼び捨てにし、いつもロヴィに良くない評判が立つよう行動している。ロヴィが兄であるエルネスティと街歩きしているだけであるにも関わらず、まるで浮気をしているかのように私に進言したことといい、私に付き纏うことといい、至極迷惑だ」


 「っ・・・エルネスティ様が相手だって、なんで・・・」


 「ロヴィと話をしたからに決まっているだろう。何人(なんぴと)たりとも私とロヴィの間に入ることは出来ない。二度と私達に関わるな」


 きっぱり言い切り立ち去るヴィルヘルムに、周囲はそうだったのか、と納得と同情の瞳を向け、マイサは固く拳を握って、振り返らないその背を強く見つめ続けた。


 「うーん。凄いね、彼女。あれ、未だ絶対君のこと諦めていない目だよ」


獲物を見つけた猛禽類のようだ、と肩を竦めてみせるラハティネンを、ヴィルヘルムは胡乱な目で見る。


 「楽しそうですね、ラハティネン副団長」


 「訓練も終わったことだし、ヨアキム、と名で呼んで欲しいかな。な、ヴィルヘルム」


 「何の嫌味ですか」


 今の今、自分の名を呼ぶな、とやり合って来たヴィルヘルムが睨むように言えば、ヨアキムが肩を竦めた。


 「いや。しかし、実に見事だったよ。これで、クラミ嬢に関する良くない噂は払拭されるだろう」


 ほっとしたように言うラハティネンに、ヴィルヘルムは眉根を寄せる。


 「ご忠告くださったことは、感謝します」


 「その顔、感謝と真逆過ぎ。大丈夫だよ。クラミ嬢が悲しむような真似は絶対にしない」


 朗らかに裏無く笑うラハティネンだが、ヴィルヘルムは警戒を緩めない。


 「ロヴィは、俺の婚約者です」


 「判っているよ。でもね、クラミ嬢を泣かせるような真似をしたら許しはしない。絶対に」


 ぞっとするほど冷静な、それでいて熱い瞳。


 「心しておきます」


 上位者に対する礼をして、ヴィルヘルムは誓うように己の槍を握った。


 「ああ、本当に嫌になる。クラミ嬢の婚約者が君でなければ、と今日もまた思わされたよ。本当に、クラミ嬢が好きだもんね、君。まあ僕も、好きっていうだけなら負けてないつもりだけど、ね」


 ぱちん、とウィンクまでして、砕けた調子で言う、そのふざけた言葉に偽りが無いことをヴィルヘルムは嫌というほど知っている。


 侯爵家嫡男であり、騎士としても有能なうえ、人徳も兼ね備えたラハティネンは、ヴィルヘルムにとって尊敬できる存在であり、脅威でもあった。




 もし、ロヴィが憧れている騎士が彼だったら。




 そうしたら、ラハティネンは喜んでロヴィーサの手を取るだろうことは、想像に難くない。


 


 しかし、例えそうだとしても。




 自分はロヴィーサの手を離したくないのだ、とヴィルヘルムは騎士団のなかでも実力随一と言われるラハティネンさえも越えられる騎士になろう、と改めて決意した。


 




「わたくしが謹慎だなんて」


 その日、父子爵に呼ばれたマイサはモント伯爵家からの正式な抗議を受けたとして、謹慎を命じられた。


 尤も、マイサの父子爵は、『ほとぼりが冷めるまでのパフォーマンスだ』と特に気にした様子も無かったけれど。


 「でも、どうしてロヴィーサばかり」


 ヴィルヘルム自身もモント伯爵家も、ロヴィーサばかりを擁護して自分には厳しい、とマイサは唇を噛んだ。


 「わたくしが、誰よりヴィル様に相応しいのに。ああ、ヴィル様。ロヴィーサに騙されておいでなのに・・・・ん?お前、何を持っているの?」


 邸内をうろうろしていたマイサは、外から戻った侍女が持っているものに目を止めた。


 「お嬢様。これは、わたくしの私物でございまして」


 「いいから見せなさい」


 苛々と侍女の手からひったくるように奪ったそれを見たマイサの目が輝く。


 「これは」


 「近頃、街で話題の店の商品です」


 「そう。これは、いいわね。どこの店のもの?」


 そして、その店の場所を聞いたマイサの目が益々輝きを増す。


 「ますますいいじゃない。ロヴィーサ、今にみていなさい」

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