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少女でおじさんな悪 5

 男は戸惑った。怪我人であり、今は精神が病みかけている。そんな男は自分でも理解していないほど、弱さを見せた。ベッドのわきのパイプ椅子。その上に置かれたバックを目で追ってしまった。襲撃者である少女は、男の視線をたどり理解したようだった。


 片頬を大きく吊り上げた。


 赤いレーザーをそのままに、少女だけが移動する。男は動けず、見守るだけだった。



 椅子の上にあるバックを持ち上げた。少女が笑い、男は悔し気に見る。



「君には過ぎた玩具だよ。もはや君に正義の欠片も‥‥」


 男に対し少女が諦め、飽きたように言いかけた。目を閉じていた相手が、男の表情を渋々確認しようとした。途端言葉が止まる。ぎらついた野望の目が消えかけ、あるのは驚愕したように何度も瞬きを返す。


 予想外といった反応だろうか。


「……」


 男は正義だ。勝てる状況でも無理をしない。あきらめもするかもしれない。逃げるかもしれない。状況ひとつで戦略を変えるタイプだ。だが正義だ。たとえ親族が敵に回ったとしても、社会が敵に回ろうとしてもだ。己の体がボロボロになり、善意を行った対価が仇となってもだ。


 後悔はある。


 だが人助けが無意味だったとは思っていない。




 男の目は正義の意志を見せていた。強い意志を示す眼光をもって、少女を睨みつけている。



「…‥」


 少女が絶句し、笑みを殺す。口を開いては閉ざす。そのくせ妙に目元が艶めかしい。凝視されている。されど男の眼前にいる少女は頭を振った。再び作り上げた嘲笑もたどたどしかった。



「君は誰かを救った。人々のために戦い、結果が多額の医療費だ。人々を救ったのに、救われた人々は君に何もしてくれないんだよ?金を出すことをけちる、今の社会はそうさ。寄付なんて誰もしてくれない。善意だけを他人に押し付け、自分の善意は出し惜しむ」


 男を絶望へ叩き落したいのか。まるで試すようにも感じられた。今の時代の正義とは貴重だ。その貴重さは人々の心を夢中にさせ、そして過大な要求も押し付けられる。



「君のために、誰も正義にはならないんだよ。君だけの正義はあっても、君に対しての正義を向けてくれるやつはいない」



 男には正義があり、人々のために力を出す。人々は男に対し、要求を押し付けても、善意は返さない。



「君の行いは尊いものだよ。認めよう、認めてあげる。だけどね、こうも思う。正義を腐らせるのは周りだ。社会が君を腐らせる。このままでは何も得られない」




 少女が前へ。バックを手にしたうえで近づいてくる。男は注視し、油断をしない。少女が語るものを耳にしながら、頭へいれていく。




「君の意志で変身ギアを手放せ」



 少女がやがて男の両足のわきにたつ。ベットに片膝をのせ、銃口が胸元へ押し付けられた。



「ただとは言わない。変身ギアの代わりに医療費は払う。今までの正義に報いとして、10億は出せる。現金で出そう、マイナンバーにもデジタル社会でも情報は残さないようにする。納税しなくてもいいし、納税するなら、手取り分10億にしてもいい」



 獲物が強く男へ押し付けられる。痛みを感じるほどにだ。苦悶の表情を浮かべた男に対し、少女は諭すように言った。



「君が犠牲になる必要はない。引導を渡したいだけだよ」


 少女が懇願するような気配を見せた。そうしなければいけないという意志すら男は感じた。感じただけで、実際のところはわからない。


 されど男は瓦解せず、少女の言葉を拒絶する。剣呑とした表情をもって、少女へ向けた視線。



「他人にとやかく言われるほど、人生は悩んでいない」


 男は手を伸ばす。胸元へ押し付けられた獲物を自分のほうへ無理やり押し寄せる。突如の行動に少女が追い付いていないのか。反応が遅れた隙を狙い、片膝をつく少女へ体全体を反転させる。


 無理くり反転させたことによる、両足の蹴り。少女の脇腹に一撃を食らわせた。


「くっ」



 痛みによる苦悶に歪ませた表情。


 胸元へ獲物を押し付けているがゆえに身動きがとれず、男の動きに巻き込まれた。一撃とともに形成が逆転した。少女がバランスを崩し、床についていた足が浮く。先ほどとは真逆。男が少女に覆いかぶさる形になり、少女がベッドに身を横たえた。


 獲物は今は男の胸元だ。


 男の拳は少女の眼前へ。



「頭いかれているのかな、君は」



 少女に一瞬のことで逆転したこともそうだ。獲物が押し付けられているにも関わらず、反撃に出る無謀さもそうだ。呆れた様子だが、油断もしていない。獲物の金属質さは服の上からでもわかる。男はいまだにピンチだろう。



「お互いさまだ」


「それもそうだね」


 男が告げれば、少女もうなずいた。



 変身ギアはいまだ相手がもつ。バックは獲物とは違う真逆の手にある。ベッドに投げ出された少女の腕がつかむバック。



「返せ」



「嫌だといったら?命令できる立場じゃないよ。君をこのまま殺せるんだ。二度も幸運は続かないから、次同じことをしそうになったら殺す」



 少女は決して手を離さない。獲物をつかむ手もバックをつかむ手もだ。



「君はヒーロー引退だよ、これは僕の功績だ。僕の手で君はヒーローをやめるんだよ。かわりに10億だし、医療費も負担してあげる。変身ギアを失って不安なら安全だって保障してあげよう」



 君のために追加してあげたよと少女は嗤う。


 そのくせ男の胸元へ押し付ける獲物は身じろぐ。生殺与奪は少女が握っているとアピールだろう。


 これもまた悪の正義攻略の一つ。正義を綺麗な形で引退させることも名誉の一つ。その代わり裏切ることもしてはいけない暗黙の了解がある。



「どうかな?変身ギアを僕に譲ってよ。こんなにも頼み込んでいるんだ」



「頼み込む態度に思えない」


 少女が何度も獲物を引いては押し付ける行為を繰り返す。男の胸元がごつごつとした痛みに覆われる。されどお互い引く気はない。



「なるほど。態度が悪いと」


 少女が繰り返しうなずく。



 「変身ギアを渡して、ヒーローを引退しろ。かわりに10億やるから、はやく引退しろ。金に負けて、安全保障に負けて、欲望にのまれろ!君なんかいてもいなくても、世の中変わらない。君の努力は決して実を結ばない。無駄に生きて、無駄に痛みをおって、年をとるころには何も残らない。健康じゃなくなるだろ、今の君がそうじないか」



 少女が息をつぎ、つづけた。



「提案を受け入れれば、金だけが君の手元に残る。辛さもしらなくていい。痛みを覚えなくてもいい。戦って体を摩耗するなんておかしなことだよ。みんなのために犠牲になるなら自分の好き勝手に生きるべきさ。まあ金持ちは孤独になるらしいから、素敵な未来も手に入るね。孤独最高、自由最高、資本主義最高!命をかけるやつを見下す上級国民になって、世の中満喫しろ」



 すました顔で少女は言い尽くせば、どやっとした態度をもって男を見上げてくる。



「これでどう?素直な態度だった思うけど」



「言葉が悪い」


 少女の煽り口調もそうだ。素直な態度と称して罵倒を混ぜ込んでくるのはどうなのか。男としてはこのままではいられない。あまりの言い分に苛立ちにのまれそうにもなった。


「文句ばっかりだ。人にケチをつけているだけじゃ先へ進めないよ」


 態度も悪ければ言葉も悪い。そんな少女の要求を男は飲む気がなかった



「悪いが渡せない」



 男は少女の要求を跳ねのけた。先ほどの煽りに苛立ちを覚えたこともあるが、断った理由は違う。少女の言う未来は金を手に入れた未来。そのなかにはヒーローをつづけた際の未来もある。どちらにしろ、今を続けても、別の今を手に入れたとしても、幸せになれそうにない。





 他人が決めつけた自分の未来。



「自分の人生を他人に任せたつもりはない!」



 その言葉は己の覚悟。強い精神性をもって少女へ突き付けた。獲物を更に自分に押し付けた男。強い意志が行動を示す。少女が視線を合わせきれず、背けかけた。


 瞬間。


 少女が奪ったバックが光出す。



「ありえない!」



 少女が状況の変化に気づき、バックのほうへ視線を向ける。まばゆい光が部屋を包み、バックがベッドから浮き上がってきた。持ち手をつかむ少女の抵抗むなしく、中身が一つ外へあぶれた。バックの隙間から抜け出たものは見慣れたもの。


 茶色に染まった貝殻。薄汚さを連想させる貝殻だ。その中心部位に押すボタンが小さくあり、男は見慣れた道具を目にして、手を伸ばす。


 その瞬間、殺気が少女から飛び出した。ためらうことなく攻撃の意図があることを悟った。



 押し付けられた獲物が火を噴く前に、男は貝殻をつかんだ。



「転身!」



 放たれた殺気の一撃は男へ直撃したものの、ダメージを負うことはなかった。男の姿は変わり、ヒーローの姿へ。大木を思わせるような焦げた茶色のボディ。全身を覆い、生身の部分が見えない装甲。関節部分のみ薄くした黒の生地。


 胸部の装甲に火花を散らせた金属音が響く。病室を満たしかけた金属音。だが音は外には漏れるほどのものでもない。



 通常の銃声よりは抑制されていた。消音器も装着しているのだろう



「劣化ギアが答えるなんて」


 少女は動揺しているのだろう。空っぽのバックを目を点にして見つめている。だが油断もしていない。

動揺と同時に少女は両足を自身の腹部のほうへ曲げた。



 曲げた両足をばねのように勢いよく、伸ばす。狙いは男の腹部。少女が手にした獲物の衝撃より、重い衝撃が装甲を叩く。腹部を支える装甲が大きく揺れ、体を後方へずらしていく。覆いかぶさる形での拘束はとかれ、少女はすぐさまベットから退避。ベットを蹴り、宙がえりをして床に両足をつける。



 少女は懐から黒の皮手袋を取り出した。


「紛い物のくせに、本物気取り」



 両手に皮手袋を装着し、少女は両手首をふるっていた。態度は悪く、不良が拳をふるう前のストレッチのごとく手を振っている。小柄な姿だが、力は強い。ステップを刻みつつ、構えたスタイル。ボクシングを真似した動きだろう。男は油断もせず、己の武器を世界へ解き放つ。


 小さな発光体が生じ、手の内でやがて形となる。握りしめるは銀のショートソード。



 互いに構え。


 そして衝撃が互いに生じる。ショートソードの一撃と少女の両手の手首を付けた掌底がぶつかる。本来なら切り裂く未来は訪れない。皮手袋すら破けず、合わせた両手首に挟む形で受け止められた。だが受け止められただけで、先へ進むこともない。



「…強いね。正直舐めてた」



 ただの一撃で男を敵と認めたようだった。少女の剣呑とした目は男を見定めている。互いに膠着状態が続くわけもなく、少女が力を弱めた様子。両手の勢いを後ろへ引かせ、男がショートソードにかける力が前のめり気味になる。


 されど男は右足を踏み込ませることで、バランスを崩すことを回避。また迎撃として、ショートソードを引き上げた。だが少女は両手首の合わせた掌底を解除。すぐさま後方へステップした。切っ先が少女へ届くことはなく、切り上げたところで空を切る。



「ただの女の子じゃなさそうだ」



 狭い病室での戦闘。互いに不利だ。剣をふるうには環境が悪く、少女が好き勝手に動くには狭すぎる。



 次第に男と少女の戦いは部屋の中心部分で行われていく。ただの少女を相手に、男は苦戦している。黒のコートを着ただけの少女。魔法少女でもない。肉体スペックがあくまで人間基準だからだ。力が人間より多いだけ、基準とするなら別のもの。



「冒険者か!」


 冒険者は弱い。ヒーローよりも魔法少女よりもだ。だが冒険者は長期的戦闘継続能力をもっている。また特定の姿じゃないと戦えないものと比べ、生身での戦闘がメイン。危機的状況を肌で感じるからこその強さがあった。



「似たようなものかな」


 宙を舞う、少女の飛び蹴り。片足を前へ投げだす一撃を切っ先で迎撃。ショートソードの切っ先が少女の足を下から救い上げるよう切りつけた。切りつけて尚強い抵抗を感じ、断ち切ることすら敵わない。



「っ」


 小さな悲鳴を少女が漏らすが、攻撃の手はやめない。男が救い上げた切っ先の勢いを軸に、バック宙。別足による蹴り。サマーソルトキックが男のショートソードを狙っていった。鋭い一撃が男の手からショートソードを手放させた。手から離れた獲物は天井へ勢いよく突き刺さる。



 されど男は気にしない。


 少女が宙から床へ両足をつけかけた。その時には肉薄し、肘打ちを少女の腹部へたたきつけていた。



「…」



 強い衝撃が、少女の体で受け止められる。吹き飛ばすこともさせない。男が肘打ちをした際、動けないように片足を思いっきり踏みつけていたからだ。



 大きく口をあけ、下をむく少女。何度も咽ては乱れる呼吸。



 間違いなく技は決まった。少女が冒険者だとしてもだ。劣化ギアのヒーローである男の一撃を受けてただで済むわけもない。


「…まさか、まさか、ここまでなんてね」



 咽た様子を見ていないが、表を上げた少女の表情は、あまりに見苦しいものだ。両目にわずかにしたる痛みの涙。口から垂れる唾液の痕跡。されど語れる。会話ができる。


 ヒーローの一撃を生身で受けて会話ができる。



 少女が片手を向けた。


 男が危機感を抱くまでには、吹き飛ばされていた。強い風圧が少女の片手から巻き起こり、男を壁際までたたきつけたからだ。今までに感じない悪寒。



 それもそのはずだ。


 少女は先ほどまで隠していたエネルギー。魔力を隠蔽していない。



 男の装甲が凍っていく。冷気が男の前方から生じ、装甲に霜が降っているのだ。また強い風圧がその凍る速度を加速化させている。


 動けない。


 風で動きが固定されている。また壁にたたきつけられていたのだが、実際は壁に一重でぶつかっていない。間に風の防壁が仕込まれており、病室全体をカバーをしているようだった。男は風の壁に縫い留められ、片手からの風圧によって動きが拘束されていた。



「…魔法を使わされるなんて、劣化ギアなんかに。悔しい。本当に悔しい」



 少女は腹部を撫でながら、片手だけの魔法行使をもって男を圧倒している。悔しさを隠さず、素直に明らかにしたのは年頃の姿そのもの。地団駄を踏む子供のごとく、わずかな涙目。されど冷酷さを示す目でもある。涙を流しているからといって、甘さがあるわけじゃない。


 少女が魔力を大きく引き上げ、風圧の力が増していく。同時並行の別の系統、氷魔法が薄く広く漂い、男だけを包んでいく。


 男の装甲すべてが凍り交じりに姿を変えた。


 

 魔法を解除せず、勢いよく男へ肉薄してくる。


 そして肘打ちをもって男の腹部をとらえた。普段なら頑強な装甲も、凍ってしまえば脆くなる。また少女らしからぬ怪力によって装甲が大きく悲鳴を上げた。


 そして装甲は割れた。胸部の装甲から派生した割れ、それらが派生し、腹部から背中部分までにかけて割れた。


 勢いが割れたことによって軽減するが、されど奥へ。男の腹部を大きくとらえ、衝撃をもってたたきつけられた。



 少女の体と男の体が密着し、肘打ちはより深く突き刺さる。悲鳴もならない痛みが男の口から漏れ出す。漏れだしたが、口を閉ざすように声を抑え込む。



「僕の勝ちだけど、悔しい」


 男はダメージを負った。少女もダメージを負っている。元々傷病人である男はさらなる負荷を肉体に与えたわけだ。だが男は諦めていない。



 少女が食い込ませた肘を抜いていく。鍛えた腹筋によって、貫通することはない。することはないが、鍛えていない人間であれば内臓がいくつか壊れている。それほどの衝撃だ。



 その少女の耳元に顔を寄せた。少女も男がもはや限界だと悟っているのか、もはや好き勝手にさせていた。


 何かを語った男。語ったが少女には伝わっていないようだった。首を傾げられたまま、勝敗は喫した。

 

 男の拘束が解かれ、もたれかかるのは前である少女のほうだ。少女は後退し、男の体が前方へ倒れる隙間を作る。受け止めることはしない。




 

 地面に倒れた男。うつぶせになる形で倒れた男はもごもごと口を開く。床と己の重みが声を濁らせる。そのためか少女が一瞬男のほうへ体をかぶせた。



「なにいってるの」



 少女が覗き込むようにし、男の背をみつめた。その少女の背に上空から気配も残さず、牙が降り注ぐ。ぐさりとした音、男の背にかかったのは熱い体液だ。鉄臭く、生臭い独特のもの。


 男は罠を張り、それは成功した。背を向けているからこそ、事態はわからない。だが浴びた者の意味を知れば意味はわかる。


「なっ」


 血液だ。相手の驚愕が答えを教えてくれた。


 少女の体を背中から腹部へ貫通したものがある。その隙間から垂れたものが男の体へかかっていたのだ。丁度男を覗き込もうとしたさい、男の背の上に体を遮らせた。天井から男を遮った少女の体。自分の体目掛けて落としたのだ。




 銀のショートソードを。



 男がもごもごと口ずさみ、ショートソードは意志をもって、振動する。ボルトシリーズは精神性のみを重視した劣化ギアだ。強く念じれば念ずるほど、その武器も答える。男の意志に劣化ギアが答えたのだろう。



 男が重い体を動かし、うつ伏せから仰向けへ戻す。


 少女が信じられないといった様子で呆然としていた。


 男を呆然とした目で見ていた。


 意識も朦朧とする男は告げる。



「人が命を懸けてまで戦ったのに、無傷でいられると?」


 

 少女は口元からこぼす血流を吹きもしない。男の様子を見下ろし、絶句した様子をただ見せつけている。


 ようやく立ち直ったのか、少女はたどたどしい嘲笑を作っていた。


「…僕がいうのもなんだけど、いかれてる。君はいかれてるよ」




 男は己を犠牲に、武器を落とした。殺気などはない。自殺行為を気軽にやってのけた。己のみを罠にして、少女に一撃を与える戦略。



「…素敵」



 男を少女が見とれている。嘲笑したくせに、その表情は愛情をもった姿そのもの。



「正義は、ここまで愚かだなんて」



 言葉は悪く、態度も悪い。されど少女はショートソードを引き抜き、放り投げる。切っ先を気にせずつかんで放り投げた後。少女は男の顔近くに両膝をつく。意識も朦朧とする男を見惚れていた様子。少女にショートソードが貫通した際にできた傷がきえていく。血の動きが止まっていき、赤の着色だけでとどまっていた。


 

 


 男の耳元に少女が顔を近づける。


 男の耳元で口を開く。開いたうえで耳たぶを加えこむ。唾液が耳元をよごし、その感触に男が一気に意識を覚醒させる。呼吸とともに吐息が当たる感覚。熱を帯びた息が耳から、体全体をつらぬく感覚。心臓がばくりと音をたて、血液が体を循環していく。



 上下の犬歯どうしで耳たぶを挟み込まれた。歯の先端同士が耳たぶを境に接触。ぐりぐりと押しつけられては、ゆっくりと圧が減っていく。解放されたわけでなく、少女の歯は未だ耳たぶを蹂躙している


 挟み込まれたまま、少女からのアプローチを無意識に待っていた。動けないからこそ言い訳が立つ。そんな自分に対する逃げが、言い訳を加速させてしまった。


 動けないから、抵抗できないから。そういう建前を手にして、己を誤魔化した




 そして貫く痛みが男を襲った。


 勢いよく犬歯を振り下ろされた。耳たぶに強い痛みを感じ男が身じろぐ。身じろぐが戦闘の痛みによって抵抗すらもはやできない。耳たぶが少女の口元で穴をあけられた。また痛みを感じる箇所を往復する舌の感触。


 熱が吐息が耳たぶに。


 呼吸が耳の穴を汚していく。


 痛いのに、それらを宥めるかの如く舌が傷口をなぶってくる。


 傷口から血液が流れていることも熱でわかる。それ以上に心が熱を上げている。どくんとした激しい鼓動、間近に迫る少女の感触。幾つもの触れた部分が男の神経を尖らせる。


 されど急激に痛みが消え去り、流れ出る血液も止まっていく。

 


 口元から離れ、空気にふれた耳たぶ。濡れた感触もない。唾液特有の粘りも感じない。


 離れてしまったことに対し名残惜しさを感じてしまった。男は自己嫌悪に陥り、先ほどの劣情を心から消していく。鍛えた精神は、それに応えた。


 劣情も思考から消し去り、先ほどの警戒を再び取り戻す。



 少女がキャップに手を伸ばす。その行く先は装飾品だ。缶バッチでなく、青い魔結晶でできたイヤリングだろう。そのイヤリングをキャップの網目から外した。


 外した後は男の眼前へ持ってきた。



「自己犠牲をしても自己責任をされるだけなのにね」



 少女はイヤリングを男の耳元へ近づける。先ほど少女の口内で開けられた穴にイヤリングをはめていく。かちりという音が男の耳に届いた。



「君は未来永劫幸せになれない」


 その呪いの言葉は男から消えることはないだろう。



「正義とは本当にいかれてる」


 そういうくせに少女はどこか嬉しそうで、男は眺めるしかなかった。意識が消えかけていく中、やがて時はくる。少女が立ち上がり、踵を返そうとする。その動きの中で男は手を伸ばした。つかんだのは黒のコートの端だった。つかまれ、動きが一瞬止まった少女。



 怪訝そうに見下ろす少女に男は口を開く。



「…何者なんだ?」


 少女は質問をされたことにより、再び対面の形をとった。


 身をかがめ、男の目線に合わせた。


「何者?僕のことが知りたいの?どういうやつかってことかな?」


 満面の笑みを作った少女。この笑顔だけなら男は騙されただろう。先ほどの言葉も悪ければ、態度も悪い姿も思い浮かぶ。本当に表情がコロコロ変わり、素直すぎた。変化の激しい柔軟さに男は羨ましくもあった。



 男はうなずく。少女の身元、正体などもだ。すぐに目的を聞けば警戒を生むため、最初に聞くのは世間話といった流れを作ろうとした。



「うんうん」



 質問の答えが返ってくるのだろう。やはり子供のような姿を見ると相手に素直さを信じてしまう。


 信じてないが、信じたいという気持ち。

 

 その疑問に答えたのが言葉でなかった。視界を影が覆う。次に来たのは顔面への衝撃だった。影が晴れれば、少女が身をかがめ、拳を振りぬいた姿。殴られたということだ。顔面を大きく殴られたものの怪我などはない。反動によって体が二転三転していく。


 顔面ストレートパンチ。対話でなく暴力が答えだった。



「こういうやつだよ」



 満面の笑みを浮かべて拳を振りぬき、今度こそ踵を返す少女。


 人は見た目ではない。少女が少女だからといって真面なわけがない。普通なわけがない。素直な自分勝手で暴力をいとわない。最低な少女の背を見送るしかなかった。



 ひりひりする中で意識が急速に途切れていった。


 

 


 男が目覚めたとき、病室は元通りだった。暗い夜のままだ。戦闘によって乱れた様子はなかった。夢かと思うほどに元の位置にすべてが戻されていた。天井に刺さったソードの跡もなかった。現実味がありすぎた。戦闘した感覚と感触。枕に預けた体をそのままに片腕だけを布団から逃がす。掲げた手を何度も握りしめては開く。



 全身の痛みは残っているものの昨日よりましだった。変な夢を見る前より今のほうが体が回復していた。


「夢か」


 そう、ただの夢と思えばおかしなことはない。劣化ギアとはいえヒーロー。そのヒーローを相手に戦う幼い少女。その少女が冒険者かのような戦い方。戦闘スタイルが近接戦闘を軸にしたもの。ヒーローと殴りあうなど夢でしかない。


 いかれた夢を見た。


 少女に負けた夢。近接戦闘に優れ、ヒーローにも渡り合い、魔法も使える。そんな優れた人間がいるなら冒険者として高ランクの仕事をしている。収入だって段違いだろう。男みたいに善意を行うための学生など関わる気がない。


 掲げた手を降ろす。


 そうして寝返りを打つ。



 その時違和感があった。異物が枕と側頭部の間に挟まっている。



 体を起こし、枕を見る。何もなく、頭部の重みに沈んだような枕の跡があるだけだ。ただ一点部分に固いものを押し当てたような異物の沈み方。


 思わず耳を触った。


 その瞬間、悟る。耳にイヤリングが付けられている。男はファッションをあまりしない。とくに体を傷つけるようなファッションはしない。だからだろう。



 この現象に思い当たることが一つ。


 夢の中で少女に敗れ、耳たぶを口に含まれた記憶。舌の感触と湿った呼吸によって翻弄された耳の記憶。


 そして耳たぶを歯で穴をあけられた。そこにイヤリングをつけられた記憶。



「夢じゃない」


 

 この病室が元通りなだけだ。男の体の異物は取り付けられた事実は変わらない。耳たぶに穴をあけられたことも永遠に残っていく。耳たぶを、イヤリングを指で触れていく。


 体に傷をつけられた。今の技術で直せるだろうが、許可なく残る跡を勝手にだ。だが怒りなどの感情はわいてこない。触れていくたびに記憶がよみがえってくる。意識が少女に向き、最低な印象だけが頭をよぎった。



 最後に顔面を殴られたことも思い出す。尋ねた質問を暴力で答える奴だということ。



「…いかれてるのはどっちだ」



 名前も知らない相手。そんな相手に言われた言葉が罵倒と煽りしか記憶に残っていない。



「これが最大の幸せなんだ」




 未来永劫幸せになれない。その言葉を否定するように、男は愚痴た。



 誰かのためになることは、素敵なことだ。


 その建前を忘れたとき、人は人であることを放棄する。

 

 助け合い、協調、協力という他人を意識した考え。


 今の時代、正義だけが持てることを男は知らなかった。

 


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新待ってました! いつもながら描写がリアルで読んでて面白いです。 腐敗魔法以外も使えたんですね。 そして分からせられるおじさん(笑)
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