少女でおじさんな悪 4
鵺の科学室。崩壊前の設備を利用したものだ。地方に物資はなく、ありあわせのものを補強して使う。リサイクルというやつだ。科学室といってもクリーンルームがある工場の設備を勝手に拝借し、魔石や魔結晶を消費しての発電機を設置。他にも化石燃料、太陽光パネルからの充電設備なども屋根に設置して、莫大な電気の消耗を補っている。
工場。地方の経済に大きく貢献してくれるものだ。
必要以上の物資が設置された箇所は工場以外にない。基本八千代町も下妻も工場設備を勝手に使用して、生産システムを整える。
今いる場所のパソコン画面を見れば、工場内の映像が流れている。工場内のあちらこちらに設置されたカメラ。そのカメラが工場の問題が起きた際などに効果を発揮する。喧嘩や生産トラブルなどを記録媒体で抑止している。監視されているのもあってか労働者は真面目に働いていた。
ライン上のベルトコンベアだけは動かす。その上に並べられた数々のビン。それらは自動的にパックされ、次の工程へ流れていく。ただライン作業の上流というか原点は人間の作業だ。手作業で配合を決め、材料を大釜に入れていく。入れ終われば機械は動き出し、その大釜の下部に設置された配管から液体が別のタンクへ移し替えられていく。
タンクの下には排出口があり、排出口の下に口を開けたビンがまっていた。タンクからビンに規定量の液体を入れていく自動作業。中身は薬であり、大切な資金源。
鵺の資産や財源を生み出す工場だった。怪しい薬じゃない。回復などをうたうポーションだ。敵対した魔獣の体液や魔結晶を分解し、液体にしたもの。魔獣の毒や唾液などが体内に入り込んだ際の、過剰反応を抑制するものだ。また毒物をゆっくりと浄化し、唾液などに含まれた血液に作用する成分も体外へ排出していく。
状態異常回復薬。
冒険者向けの薬だった。
一本100万はくだらない。これも安いほうだ。地方の人材を安く使用することで、価格も抑えられる。一都三県で作れば、いまだ残る労働規制や環境規制などの対応で値段が跳ね上がる。数倍にもなるのだから地方で作成することを望むのが企業。
卸売り価格が100万近く。販売価格はきっと600万ほどになる。これを一都三県の企業にわたし、金を受け取る。本来なら値上げもできるが、現在それをすると市場から追い出される可能性。今のところ立場は鵺のほうが低い。その代わり品質に問題があっても責任は取らない。いくら要求されようとも払わない契約をしている。また必要な時期にあえて納入せず、相手が値段を吊り上げてくるのを待つこともある。
その時は一本300万ほどになる。
僕たちが生産を止めれば、状態異常回復薬は値段が跳ね上がることになる。その生産工程は秘密、製造方法も秘密。一都三県に流れる薬もいくつもある。状態異常回復薬の種類もいくつあっても、この値段での品質をもつ薬は鵺だけだ。相手も足元を見てくるけど、実は僕たちも足元を見ている。僕たちの供給があるから価格競争が起きている。
僕は工場の所長室にいた。元々この工場自体がクリーンルームだ。異物混入を非常に恐れるものを生産していた。品質という過剰な社会の要求に対し、過剰に対応した結果のもの。この国の工場は品質を非常に恐れ、効率を非常に気にする。そんな場所も鵺にとっては貴重な資源。そんな現場に僕は入れるわけもなかった。
その生産工程を横の人間が記録を取っている。タブレットを作業し、撮影し、記録をタッチ操作で記入。
労働者一人の月給11万円。
この給料を安いとみるか、高いとみるかだ。インフレが進んだ一都三県においても普通。庶民にインフレの利益はなく、円安の利益もない。物価は上がっていき、給料は下がる。デフレよりも酷いスタッフレーション状態。悲しいことに地方も東京も庶民の給料の差は変わらなくなった。ベーシックインカムなどを考えると地方は給料が少ない。そのうえで税金もとられる。
茨城は代行政府の管轄にない。だが日本政府を代行しているから、茨城もまた日本という考えがある。税金のみを奪おうとし、管理は自己責任。だから代行政府の言うことを聞く地方はいない。一都三県以外まじめに税金などは払わないけども。
一都三県の出来上がった市場、社会システムは羨ましい。死にかけた地方の人々からすれば魅力なため人だけが一都三県へ吸い取られていく。だけども、その流れも止まりかけた。東京が地方に利益を渡さなければ、地方経済は成り立たない。地方経済が成り立たないため、人口増加も歯止めがかかる。
東京の人間は結婚を地方の人間よりもしない。それの理由は様々だけれど、多様性も一つ。結婚をしないものが身近にいるからこその焦りもない。また優れた都市、その中で優れた人間を見たことによる、男女の異性への過剰要求もある。男女ともに異性を見下し、否定し、それなのに互いを求めようとする異質さ。娯楽もたくさんあり、性欲の発散などもいくつもある。経済力もまた理由の一つ。
原因など一つじゃない。
一都三県は新自由主義にのまれ、その理屈において子育ては自身に不利だと誰もが悟った。男女共に子育ては自分の経歴を傷つける恐れがあり、家庭を優先しようとすれば解雇が目の前にたつ。会社のために、利益のために、未来を紡ぐことを放棄した。
そんな社会なのに、地方よりはまし。人々は都会へ進出していき、そして新自由主義に染まり、独身の流れや子を持たない夫婦関係を作り出す。
結果少子化は一都三県において引き起こされていた。
そう考えれば鵺の人口は増加しているし、税金も格安。住居も子持ちであれば空き家などを活用し、無料。片親家庭の労働時間も考慮される。小学校、中学校、幼稚園を既存の建物一つに集約し、管理コストを削減。住民の住居ですら数か所にまとめて管理。
税金は手取りの20パーセント。高所得者になればなるほど搾取されるけど、より快適な安全を提供される。
給料の実質手取りは一都三県より鵺のほうが勝る。社会保障を加えた形での手取りになる。
新自由主義にはまねできない、独裁政策の特徴。
その財源がこの工場になるわけだ。社会保障とは非常に金がかかる。国家規模ですら嘆くほどの負担金だ。まともにやればやるほど資金は減っていく。鵺は独裁で悪のため、どのような手段もとれる。ときにポーションの過剰値上げをしてでも、一都三県の病人や冒険者を苦しめてでも、自分たちの人間を守る。
重要な拠点であるけど、鵺の中での僕の支配地域になっている。この工場は鵺の資金源の23パーに相当する。そのような拠点が僕の担当なんだから、不満がでないはずがない。鵺の野良怪人たちから嫉妬を受けたりするけども、担当がスノウシンデレラだと知れば黙りこく。
悪名が不満を殺す。
「シャークノバの部隊を筑西侵攻にぶつけ、領地を奪う。今ならできるけど、管理が大変だなぁ。周辺の悪を絶滅させるには、こちらも相当の被害を負うし。はてはてどうしたものかな?」
その所長室の机に両足をのせ、席に座る態度の悪い僕だ。偉いので、偉そうに座るわけだ。
「君はどう思う?絶滅方針がいいかな?吸収させるなら、シャークノバの部隊だけだと厳しいから。うーん」
その席の先に傅くのは一体の怪人。
一番目立つ黒翼をたたみ、右手と右ひざを床に左手は腰部分に回す怪人。鋭い嘴と鳥類の尖った眼光。黒の体毛に全身を覆われ、指の本数と数は人間と同様。伸びた爪は獲物を容易に引き裂くほどの鋭さを持つ。唯一黒の体毛がはがれた部分には大きな火傷。それは左頬に刻まれていた。
「博士の考えた通りでございます」
「やだなぁ、皆もそう。作りだされた奴はすぐ親に従おうとするね。人間は親を好かず、兄弟も血の分けた他人というやつが多いのに。僕は君の意見を聞いているんだよ、脳死したつまらない感想なんていらないんだよ」
僕があきれて言った。そんな僕の態度を察してか、怪人は嘴をもごもごと動かしだす。
「興味がございません。我らは博士のため存在しております。鵺の幹部や首領のためではございません」
断言とともに怪人は傅くのみだった。
「クロウ、君はもう少し柔軟性をもつべきさ」
野生のカラスをベースに作り上げた怪人。クロウ。その実力は鵺の幹部では一番弱い怪人だ。階級こそCランク下位と上級怪人だ。だがシャークノバにもダガーマンティスノバにも戦闘ではかなわない。特化された怪人たちを相手に、クロウは対応で背一杯。蝙蝠ジャガー相手では数分、処刑人相手では1分も持たずに瞬殺される
八千代の令嬢怪人、凶悪面の怪人にも赤メッシュの怪人にも勝てないだろう。
「博士が求めれば、応じましょう」
それは精鋭中の精鋭相手だからこその無様さ。他の野良怪人相手であれば無双するほどの実力はある。そもそも生まれたのが8カ月前だ。戦闘経験をもつんだものと比べること自体が間違っていた。
一対一での対戦ようの怪人ではない。
鵺の設定では、クロウは雪代香苗ことスノウシンデレラが作り上げた。上級怪人にして幹部にあらず。鵺にして、鵺から外れた武力。そういう設定になっている。
つまるところ僕が鵺で好き勝手に使っていい。
鵺の軍事力にはカウントされない。僕だけの言うことしか聞かず、僕のために存在する唯一のもの。ただ大首領としての立場は教えていない。雪代香苗とおじさん時の僕に関係があることも知らない。そのくせに勝手に察してくるせいか、おじさん時で間違えてきた際にも傅いてくる。その際は余計なことをいわずに無言でいるという知的さ。
カラス基準の頭脳を持っているため、非常に賢かったりする。
「シャークノバに悪評はついてないよね?」
「博士が気にしておりましたので、噂をする部外者は排除しました」
そのくせに過激思想だ。選民意識というわけじゃないけど、首領が作った怪人、僕が作った怪人以外を区別する癖がある。僕が作り上げた怪人を第一とする。首領、ティターは関心を持たれる。ティターが作った怪人については第二の関心を持たれる。
それが以外は部外者とした思考。野良怪人も鵺の一部であるにも関わらずだ。功績を上げれば多少は関心も抱くのだけれど、それ以上にはならない。
「排除って殺したの?」
少し咎めるように目を細める僕。さすがの仲間殺しは許されない。鵺にも悪評は必要だが、いらない悪評もある。それが仲間殺しだ。これをすると人口は減り、怪人も抜けていく。反逆や反乱を起こしたものであれば処罰は必要。何もなく、職務に励む野良怪人を粛清すれば鵺は瓦解する。
「ねえ?殺したのかな?」
徐々に圧をかけていき、睥睨する。その圧に負けてか、ゆっくりと首を横にふる怪人。鳥類の頭部がふられ、僕を探るような気配に転じた。
「…前線へ送り込みました。噂をされる前に前線へ。これは処刑人と相談したうえで、したことです。博士の意志なくして、殺害などはいたしません」
「ならいいや」
圧を霧散させ、冷酷な表情を一転。無邪気な笑みにてクロウを見つめた。
「今回の作戦には、シャークノバだけじゃ手が足りない。クロウ、君の力も借りることにした。スノウシンデレラは研究のためと称してこそっと出るわけだけど、異論は?」
「…博士が戦線へ出ることには異論がございます。ですが、望むなら、我らは従うのみです」
カラスは集団を率いる動物だ。一対一を想定せずに作り上げた知的怪人。高い残虐性をもち、その基準はロッテンダスト時の僕に一番近い鵺の怪人。
「作戦は一週間後に行われる。表向き先方はシャークノバだよ。でもシャークノバを突入させる前に、鳩部隊を投入する。奴らは生存戦略に互いを守る共同体を作りかけている。それをされるとシャークノバでも倒すことのできない強さになっちゃう」
鳩の名言、平和の象徴。
鵺にとっては、悪名高き部隊、それが鳩部隊。平和と称して暴力をなす。Eランク怪人を主体とした総勢22体の戦闘部隊。飛行タイプである鳥類をベースに作った一般怪人だ。訓練をつみ、戦線を生き残った猛者たちを各部隊から引き抜いて作り上げた。
作った怪人を他の部隊で経験を積ませた。それで戻しただけだ。
「だから、先制攻撃で打撃を与え、協力関係を崩す。それには鳩部隊が適任だ」
全て僕が作成した一般怪人部隊。だから口は堅く、プライドも高い。僕に嫌われることは死を意味するとまで思いあがった。そういう奴らの部隊。だけど鵺の中では悪名高さ一位を示す。電撃作戦という速度を生かした侵攻は、中小程度の悪の組織では抵抗も難しい。
「全部、壊しちゃえ」
鳩部隊、別名、無差別部隊。虐殺も平然とこなし、他者の命、自分の命を平気で僕へ差し出す悪魔たち。鵺の一部からは宗教部隊とまでされた、奉仕の心。
「お任せあれ」
鳩部隊隊長、Cランク下位、クロウ。その部隊長が僕に傅いたまま、深く頭をさげる。その頭部を見ながら僕は微笑んだ。
「その前にお願いがあるんだよ」
ニタニタ意地悪い僕は、傅く怪人を利用する。それを喜色の態度で応じるのも怪人だ。
クロウが去り、代わりに部屋の中にいるのは一般怪人たちだ。基礎ベースを全部同じ見た目にしているため、クロウと正直見た目の差はない。ただいうなれば、クロウとの差は内臓するエネルギーと魔力の差ぐらいだろう。霊力も所持しているし、実は気力となる3種のエネルギーを保持した上級怪人。
また一般怪人と見分けをつけるため、鵺の特色、灰色の体毛を全身に覆っていることだろう。カラスベースのため知能が高いからか、僕の邪魔もしない。
所長室の机は壁際だ。外側についた壁際で部屋の片隅だ。片隅の服掛けの頂上に黒の帽子がかけられている。それを手に取った。
僕は帽子をかぶる。黒色の帽子だ。頭部部分は網目状で、つばの長さは数センチほどの前方へのびたもの。側頭部部分には缶バッチをつけている。植物のひまわりの絵が描かれたバッチとチューリップの絵が描かれた缶バッチだ。別に装飾品が一つ。網目の一つに蒼のイヤリングが一つ。平凡な丸みを帯びたものであるが、魔結晶を削り、魔力で加工したものだ。それを網目の一つに繋ぎ留めていた。
「東京で用事があるから、少し出かけようね。作戦前には戻るから」
僕は一般怪人たちに告げるようにいえば、反論など起きるわけがなく。
「はっ」
全員が敬礼をもって、応じる。雪代香苗状態の僕に従い、おじさん時の僕に対しては戸惑うけれど、歯向かうことはないものたち。今の僕が動くのだから止めるわけもない。邪魔をしない、優先して命令を聞く都合のよい手駒。
そして一時的な舞台は東京へと変わる。気にすることはない。大したことはしないからだ。
男が病室のベットにいた。時刻は夕方間近だ。日も暮れかけており、哀愁が漂い始める病室にて一人身を起こしていた。腰までかけた布団の上に両肘を置く男は悲観にくれていた。握りしめる紙が一枚。
治療費 1930万円。
全身打撲と何か所も骨にひびがはいっている。体の激しい痛みを抑えるため痛み止めを定期的に取り入れる。点滴の管が右の前腕につながっている。栄養を取り入れるにも内臓がダメージを受けており、固形物が入れられない。点滴による栄養供給が行われていた。
対処と手術費用。入院費用などを入れると金額1930万円となってしまう。現在の日本に限度額が定められた医療費制度はない。月額8万円を超える医療費に対しての追加出費をなくす制度。その制度が消えたため、善意の行動の対価は凄まじい金額となってしまった。
他者への善意が、悪夢へ変わる。
この男はヒーローだった。
ベットわきの小型の椅子。その椅子に置かれたバックの中身には変身ギアが入っている。劣化ギアと呼ばれるものだ。オリジナルを元に技術者が再現を試みようとした試作品にして量産品。ボルトシリーズ。
オリジナルよりも性能は低く、維持コストは跳ね上がる。燃費の悪く、能力も悪い変身ギアは一部のマニアでは人気である。人気であるが実務性はほぼない。それを駆使して戦うのは、才能のない一般人ぐらいだろう。
魔法の才能もない。
霊力の才能もない。
精神性のみだろう。この男にある才能は精神面のみ。鍛え上げた肉体もあるが、本気でトレーニングを取り組めば作れるであろうもの。心を消費し、成り立つのがボルトシリーズの特徴だった。
そのボルトシリーズを変身して戦い、敗北した。
東京7大悪のひとつザギルツ。怪人保有数100以上。幹部に上級怪人ローグを所持。100万人以上の人口地域を支配し、構成員数は数万を誇る。経済力、軍事力といった強さもあり、代行政府などの人類側はこれを排除できずにいる。
Aランクの大怪人、ダスカル。ザギルツの最高幹部の手によって負けたわけだ。大きな代償として、入院という形になった。
心も摩耗し、体も壊した。残ったのは多額の請求。社会人であり、労働者であれば医療保険などは公共のものがあった。だが男は大学生だ。かつての国民保険など形をなくし、民間の保険しかなくなった。労働者のみに対しての社会保障はあっても、それ以外に対しての保証は自分で入るものになった。その民間ですら医療費を全てカバーすることはできず、使いすぎれば保険の更新は切られる。
この世の地獄。人間の使い捨て社会だ。新自由主義は人をすりつぶし、一部の人間のみが得をする資本主義だ。だから若者は悪に染まる。独裁政治、悪の組織、年上に対しての生理的嫌悪。この社会にしたやつらを憎み、犯罪者でも居場所を渡すものたちに支配されたがる。
若者は年上に搾取され、徴兵制で自由も束縛される。雇用に自由はあるといいつつ、経歴社会のため学歴がなければどうしようもない。学歴があったとしても、成功するかどうかは運しだい。
努力だけではない。
ほぼ運だ。この社会で成功するのは努力の有無であるが、あくまで努力は運をつかむために行うことだ。新製品が売れるのもそう、アニメでもゲームでもいい。商売のチャンスや売れる起点ですら挑戦と努力を重ねて一つの運をつかむ。運をつかんだものが資本を手にし、成り上がっていく。
成り上がったものは、それ以外を怠け者と称して切り捨てる。だから誰も救われない。
そんな社会で悪に染まらないものが貴重だった。それが正義と呼ばれ、悪からの寵愛を受けるものたちだった。正義は悪に汚されず、倒されるだけだ。倒れた正義の名誉も名声も崩さない。倒したあとでも誇りとして扱う。褒めたたえ、悪の歴史に刻まれる。
その正義である男は悲観した。働いてはおらず、収入などない。学生である以上、パートぐらいはするものはいる。男はそれをせず、別のことをした。悪の被害者を救済する偽善を代わりにしていた。ボランティアのように善意を行い、人助けをした。大学生ゆえの驕りはあった。15歳で成人となる社会で、大学まで進んだ希望があったからだ。
己も偽善を行っている自覚があった。
自分なら大丈夫といった現実を知らない甘さがあった。不運は誰にもあり、一つ間違えば地獄を歩む。そのことを知識としてはあっても、実感をしておらずわからなかった。両親はすでに死亡。それでも幸せであると思っていた。
両親が残した実家を相続、財産を相続して、なんとか学生を続けられていた。他人と比べて、自分の恵まれた生活が自意識を保っていたからだ。
財産がある時点で恵まれている。
東京に実家があるだけで、恵まれている。
その幸運が男の人生観を明るく育てあげていた。両親が生きていた際も、環境の良さが性格の良さをうんだ。恵まれた容姿もそうだ。学歴だって家庭環境ひとつで、中卒になりかねない時代。身内に問題があるものがいれば、その時点で奴隷になる憲法解釈。
始まりもよく、この先も続くと信じた。その思い上がりが男の価値観を正義へといざなった。
財産が、学費によって溶けていく。それだけなら余裕があった。相続税を支払ってなお、金には余りがあった。2億3000万。相続税で半分以上とられ、手取りが8000万弱。学費が年間数百万以上。まだ学校は数年続くが節制をしながらであれば生活は成り立った。今回の入院費用が大きな痛手になった。生活費用を計算した際、大きな赤字となる。
今後の未来はどうなるのか。限りある資産の中で、多額の資金が余裕を作っていた。未来の不安を消していたのに、今ではそれに取り込まれていた。
握りしめる手が強くなり、くしゃくしゃと紙がしわになっていく。
後悔かもしれない。
その苛立ちや不安は己の弱さか。男は頭を振り、マイナスな思考を振り払った。ただベットでじっとしているだけでもストレスはたまる。気分を変えるため、男はボロボロの体を無理やりにでも動かすことにした。ベットから出て、体をひきずるように外へ。
その時だった。
赤い点が地面を滑り、足元から腹部。その点が胸部へとたどり着いた。レーザーとよばれるものだったと気づいたのは、弱点の箇所に狙いを定められたあとだ。
病院ということもあり、気が抜けていたのだろう。油断したうえで、硬直し、切り替えた後には赤い点は胸の、心臓の位置あたりで停止。動けず、あたりを見渡す。
その点は病室の扉の隙間からだ。入り口ふきんで、わずかにあいた扉から先でのもの。夕方というのもあり、こんな早くに誰かが仕掛けるとは思わなかったのだ。
緊張が生まれる。
魔法がある時代、ヒーローがおり、魔法少女がいて、冒険者がいる。徴兵制があり軍隊がある。若者は徴兵制を経験させられ、一通り知識もある。この正体の予測が経験によって導き出された。
銃の照準を定めるレーザー。
扉の先の気配は無だ。だけども誰かがいる。緊張の中での感覚が扉の先の誰かがいることを勘で告げた
「正解だよ」
賞賛する声が扉の先から聞こえた。幼き声にして、男のものでもない。変声期を迎えていない、男の子か、もしくは女性。年老いたようにも思えないほどには声が若い。
「そのままベットへ戻ってね」
誰かの声が指示を出し、男は息をのむ。従うのは簡単だ。従わないのも簡単だ。生きるのも死ぬのもどちらも男にとって怖いものでもない。最悪なものだけが頭を先行する。言うことを聞いて死ぬか、言うことを聞かずに死ぬか。
「戻ったほうがいいよ、今の君では病院どころか己も救えないよね?」
小馬鹿にする口調と共に恐るべきことを告げてくる。暗に病院を言葉に組み込んだのは、間違いなく事件を起こす可能性。言うことを聞かなければ、病院を巻き添えに男に害を加えることを揶揄した。
ゆっくりと後ろ向きのままベッドへ戻る。足にベットの淵があたれば、ゆっくりと腰を下ろした。
「目的は?」
この重さを、打開するための手がかりを探ろうと男はした。
フリーのヒーローで善意の人助け。恨まれる筋合いはあるかもしれないが、それをしてくるのは悪だろうか。遠回しに動くほど、この世の悪はぬるくない。暴力団ですら麻薬、脅迫から監禁もするのに、悪なら虐殺なども平気でする。
「悪にしては姑息だ」
男は思考を口に出し、それでいて扉から目を離さない。レーザーは胸部に当てられたままだ。悪は正義に恋慕を抱く。その事実は悪しかしらず、正義側は知らない。一都三県の人々ですらわからないのだ。男にだってわからない。
だが、悪は正々堂々来るだろうと思った。男を前に悪は名乗りを上げ、戦いを挑む。それが正義だけを愛したゆえの戦い。正義に負けることは恥でなく、名誉だ。正義を倒すことも名誉だ。この事実を知らないが、殺し合ったからこそ感覚で理解した。
だから、この行為が悪かもしれないと思い込んだ。
悪は正義を相手に不意打ちや脅迫などをしない。
「もしかして親戚?」
この時代の社会は扶養義務が強化されている。3親等までにつながる連鎖。崩壊前の政府が扶養義務の解釈を拡大させ、代行政府がそれの重さを増やした。3親等の中に病人や無職や障害を持つものがいる際の負担は凄まじい。家族一人のせいで、全員が不幸になる。
それが3親等まで続くのだ。従弟も従妹も容赦なく扶養義務にさらされる。
生存しているうちの負担だけでもそう。最近は相続放棄は家族の無責任という風潮を作りかけている。このままいけば、相続放棄という家族の借金から逃れる術すら失う。
その前にやるべきことが、至急できてくる。
家族殺し。身内のなかで普通じゃないものを殺し、全員を救う方法だ。
入院だけで1930万だ。きっと助からないと思いあがったか、もしくは男の身内の財産を奪うために殺しに来たか。
固唾をのみ、現実の辛さを押し殺す。
「違うよ?君の親戚に君のことは伝わっていないからね」
声の主は笑って答えた。それでいて続けてきた。
「身内を真っ先に疑うなんて、正義のくせに正義らしくないね」
やがて夜が来る。暗闇が病室を包み、小さく空いた扉の先もわからなくなっていく。光が急激に消えていく過程で、男は目がなれるのを待つ。
その前に扉が開いた。
扉が開くと同時に、男は立ち上がりかけた。痛みを我慢し、動きを拒否する腕を持ち上げた。構えようとした際には、小柄な影が目の前に立っている。気づいたときに肉薄され、顔面に影が舞う。暗闇の中でのわずかな視界。蹴り技だと気づいた際には、掌で防御することしかできなかった。掴むことができるほど、遅くはない。
何かの着地音が耳元へ入るころには男はバランスを崩していた。
衝撃によって、ベッドに倒された。上半身だけをベットに身投げし、両足はいまだ地面についている。立ち上がろうと布団に手を置いた際、レーザーが男の心臓付近に止まった。
できる時点で相手の姿を見ようとした。
襲撃者は小柄だ。相手が左手に持つ獲物は銃だ。小型の自動小銃にして、子供用に売られているものだ。その獲物から飛び出た光が男に向けられていた。目が慣れたころに相手が子供であることに気づく。黒の網目状のキャップ、つばが前方へ飛び出たものを被っている。髪を帽子の中にでも入れているのだろう、網目状の部分が膨れ上がっている。幼くも、本来なら微笑ましい容姿がぎらついた野望をもつものへと変わっている。ぎらついた眼光、吊り上がった両頬。
細い体で、薄い気配。黒いコートにしては、品がない。白衣を黒く染めただけの着色にしか見えない。それでいて安物だ。黒のシャツを内側に着込み、スウェットをはいている。
「お、女の子?」
可愛らしい容姿を粗雑に扱うファッションだ。
「要件を言うね、変身ギアをちょうだい。くれたら命は取らないし、傷つけたりもしない。」




