少女でおじさんな悪 2
この姿は環境に似つかわしくない。僕は白衣を着ている。下に来た黒のシャツは肩口までしか伸びておらず、生地が安物なのかゴワゴワしている。また大きめの黒のスウェットがぶかぶかしているためか、少し湿気を吸い込んだ感覚がある。また閉鎖的な環境であっても、いつもより圧迫感は感じない
八千代町の豪邸。その地下は迷宮となっている。湿った空気や土壁によって作られた穴。それらがトンネル状になっていて町一つの区域をカバーするように張り巡らされた。陥落させることのないように調整はされている。
土の独特のにおいがある。この地下迷宮を作り上げたのは魔獣だ。
通路のわきを一人歩いていると、向かいからやってくるのは魔獣だろう。大型の顎をもち、頭部に二つの触手。6本の足が土を踏みしめている。丸みを帯びた眼は前方のみを向いている。フェロモンを感知する能力にて仲間と敵を区別する虫。土や砂に紛れるかのような濁った銅色。尾についたふくらみは栄養価を溜めるタンク。蟻だが、人間ほどの大きさはある。
蟻魔獣だ。
蛆虫魔獣が陸上型に進化したものだ。飛行型がトンボであるなら、陸上は蟻だ。どちらも昆虫としても名高きもので、身近にありふれたものだ。身近にいるということは絶滅することなく、生命を残した結果。
床や壁、天井を数匹がチームとなって僕のほうへ。
僕が生み出した蟻の魔獣は目も意外と良い。元の昆虫だと視力が弱いのを補填している。
だからか僕の姿をみて、すぐさま天井や壁を歩くものは通路のほうへおりていく。群れが列をなし、僕に敬意のように頭を下げた。歩みをとめず、通り過ぎる僕と蟻魔獣。お互い必要最低限のものしかいらない。だけど僕は白衣のポケットから飴玉を取り出し、進行方向へ投げた。
飴玉が蟻の進む先に落ちれば、群れの歩みはとまった。
僕のほうを見る複数の魔獣の目。
飴玉をさらにくれてやる。放り投げた。
「あげるよ、出会った縁だからね」
僕が魔獣用に調整した糖分の飴。800キロカロリーほどの化物。糖分濃度を圧縮した甘いだけのお菓子は意外と魔獣に人気ある。だからか蟻の魔獣が小刻みに震えだし、飴玉を急いで口もとに運ぶ。
全員が口に運んだのを見送り背を向けた。
もごもごと動く口元を境に手を振って踵を返した僕。そんな僕の背には無機質な視線だけが、いつまでも届いていた。そのくせ戸惑いと格上に対する配慮の気配は残っていた。
地下を進んでいく。
そして出迎えるのは怪人だ。
背に羽をあやした蟻の怪人。羽アリ怪人だ。直立したまま、僕の姿を見た直後に敬礼をし、大きく口を開いた。だけど一瞬というか数秒、硬直したのは見逃していない。今の僕の姿では気づきづらい点もあったのだろう。
だけど、鵺の処刑人の名はふさわしく。僕と気づいたようだ。
「大首領、お待ちしておりました」
心の底からの歓迎をみせる怪人。虫タイプの怪人は見た目だけじゃ判断はできない。表情筋があるわけでもない。声質と態度をもって判断するしか術はない。でも律義なことだろう。
腐敗していた腕の一部は完全に復活している。鵺の技術によって復元されたのか、ティターの回復魔法によって復活したのかは不明。普通であるなら腕一つ飛ばした相手に、歓迎なんてしない。怪人と人間の理屈は本当に訳が分からない。
「この前は悪かったね」
「鵺のためであればこそ」
怪人として数年生きたものの考えは重い。忠誠を抱く怪人なんて珍しい。そういうものへ謝罪はかかすつもりはなかった。いくら親であってもだ、子に対し礼儀は必要だからだ。
子からの情はあって当たり前ではない。
親からの情もまた同じ。
礼儀と敬意が互いにあるから、親子の関係は価値を持つ。それ以外に価値などない。血がつながっただけの他人だ。
怪人の平均寿命一年以下を考えれば、数年生きた羽アリ怪人は猛者だ。経験をつみ、地獄をしっている。どこまでも連続とした戦闘。領有あらそい、覇権争いによって、下妻市を支配下におさめた。その先兵である羽アリ怪人はDランク怪人としては過酷な道を進んできた。
だからか組織の流れというのを好む性質にあったのかな。
「大首領こちらへ」
羽アリ怪人の案内で道を進む。地下迷宮は八千代町側から作りあげ、町一つの地下を支配した。そのトンネルは今は下妻へ伸びている。魔獣の数が足りないため、実は野生の魔獣も使っている。僕が作り上げた蟻魔獣と別の魔獣がいる。
蟻魔獣が新しく通路を作っている最中に、それはいた。
口元に短い触手をはやし、閉じたような瞼。土に同化した茶の体。泥交じりの毛皮にこじんまりとした体格。人間の子供よりも僅かに小さい。短い二本の足で直立し、丸みを帯びた両腕の先には爪がある。屈曲としたスコップのような大爪。
モグラに似ている。野生のモグラ魔獣と蟻魔獣の組み合わせで維持したりしている。モグラ魔獣の育成から調教まで蟻魔獣と人間が交互に行う。
またモグラ魔獣の生存権および環境は鵺が一任している。鵺の人間が赤子の飼育や環境を整えている。大人になるまで手をかけ、その後は蟻魔獣の労働ルーチンに組み込む。ただ大人になった際も居場所を人間が清潔に管理する。
小さいころから大人になっても人間の手による統治。
人間が身近にいるのが当たり前のため、手を出す者はいない。手を出せば羽アリ怪人による処刑が待つ。
モグラの魔獣が穴をあけ、蟻魔獣が独自の酸を口から吐き、土を固定する。カビ防止と陥落防止の作用をもつ酸。昆虫は変な進化をするため、大体手駒にするなら虫をベースにすべきだろう。
「この地下迷宮も様になったね」
僕が話しかければ、羽アリ怪人は歩みながら首肯した。
「はい、大首領が警戒すべき衛星監視にての対策としてはこれほどにないかと思われます。八千代町の完全迷宮化は成功し、下妻市の地下迷宮化も来年には完成することでしょう」
「今の時代に衛星通信を行えるエネルギーもインフラも残っていないだろうけど、念のためさ」
人類は空を失った。上空には魔物や魔獣が跋扈し、一都三県以外上空は使えない。その一都三県ですら誘導音声や誘導エネルギー放流などを無人の土地にて定期的に行っている。そこに魔獣や魔物を誘導して無人な場所にとどめる。
完全な防備体制を持っているわけじゃない。
飛行能力をもつ防衛線力たちが誘導から漏れた奴らを狩っているだけだ。
生き残るだけで精いっぱいのやつらに衛星は維持できない。ミサイルだって貴重すぎて使えないし、新しく作成するには土地も技術者もたりない。
「ゆくゆくは坂東市まで伸ばしたいと思う所存です」
羽アリ怪人がそう答えた。きりっとした態度であるが、少し余念があるのだろうか。語尾に勢いがない。
不可能という答えが僕たちにはある。あくまで目標と結果は違うということだ。
「認めないだろうね、パンプキンの市内監視は完璧だけど、それには地中というメリットがあるからだ。地中と地下の両立は難しいから、一部坂東市の空き地あたりに地下の出入り口を作る程度が妥協案だろうね」
触手が動くのは地中であり、その魔力媒体は根っこだ。地下迷宮と相性が悪い。それにいくら庇護下とはいえど、他組織が地下に迷宮を作るのは認めないだろう。地上は軍事力で負け、地中でも競争されればパンプキンの能力は制限される。
羽アリ怪人も答えがわかっていたのか、僕の言い分に対し反論はない。肯定するように頷き、その道へ進んでいく。だが途中で足を止めた。
地下迷宮だとどこまで歩いたか、地表と地下での誤差がある。
そのため迷宮には標識が壁に貼り付けられている。地上と地表の地図があり、現時点のポイントに赤印がついている。その作業は人間が行っている。鵺の人間でも信頼のおけるものたちだ。
下妻 b地点。
その足を止めた道の右側に大穴が開いており、羽アリ怪人が手を脇道のほうへ向けた。
「こちらです」
「うん」
脇道のすぐ真上には階段がある。石段を粗雑に作って埋め込んだ階段。階段のわきには排水溝があり、雨水などが余計な個所に逃げないよう計算されている。角度や水の抜ける箇所を計算し、外へ排出するか、もしくはくみ上げるためのシステムが組み込まれていることだろう。
階段を上がれば、その上には建物がかぶっている。
かつての廃墟の外装はそのままに、中身だけを一新したホール。葬式場のものを改築したためか、基本的構造は変わっていない。壊れた個所を直しただけの葬式場。床面をはがし、地下とつなげた大穴。その大穴がある一室の扉を開ければ、通路へと出た。
葬式場らしく白で統一された壁紙とはがれた看板。受付の土台は看板がはがされ、葬式場の名義などになるものは全部撤去されている。入り口付近のガラス状は残っているものの、その金具は撤去されている。代理部品として魔獣の骨などを代用。おどろおどろしさすらある。理由としては鉄などだろうか。アルミがほしかったのだろう。魔物の骨の枠組みにペンキで着色された。そんなずさんな補修を受けた窓ガラスや備品程度がいくつもある。テレビもない。椅子だけが入り口付近に乱雑におかれている。その入って奥側の通路だけが扉が開かれていた。
その先には通常であれば会場がある。
表の通路に出れば重い空気が漂っている。人の気配もあるけれど、通路上にはいない。
そのなかで聞こえる声だ。
「静粛に!」
かんかんと鎚を叩く音。マイクで強調されたような反響音。通路にもスピーカーが埋め込まれているのだろう、音が反響している。厳粛で重い空気のある葬式場にしては変わった言葉だ。だが理由をしっている僕たちは気にせず、進んだ。
会場と通路を隔てる大きな扉。両脇にたつのは人間だ。数は二名。仮面をかぶっているため、容姿はわからない。灰色のスーツと鵺を強調した仮面。様々な動物が連結し合成された妖怪、鵺の図の仮面。手には様式美である警棒をさしている。
僕の姿を見て、一瞬動きが止まったようにみえた。戸惑うような様子も見えるし、場違いだという気配も見せている。隣にたつ羽アリ怪人の姿をみて警戒はされていない。されていないが、僕に対しての違和感があるようだ。
「客人だ、中を見せたい」
羽アリ怪人が僕の前に出てきた。扉の警備をする二名の前にたち、僕と警備の間にお互い手が出せない。
「…ここがどこかご存じでしょうか?」
警備が恐る恐るといった様子でうかがっている。
鵺の人間の中でも灰色のスーツを着れるのは信頼のおける人材だけだ。鵺の仮面をかぶれるのも一部だけだ。この仮面とスーツ一つでも承認されるには、3幹部の怪人のうち一体の許可だけで、スーツ。仮面まで至るのは羽アリ怪人の許可が必要だ。
鵺に認められる順番として、最初にスーツが渡され、その次に仮面がある。
最終関門として羽アリ怪人がいるのだから、警備からすれば怖い相手だ。
「知っている」
「…なればこそ、許可はできません」
恐る恐るといった感じであるが、警棒を引き抜く二名。勝てる勝てないでなく、与えられた職務を裏切らない人材だからこそ、この場にいる。
この場は神聖な場所だ。
治外法権にて、法の内側。
鵺の絶対統治を示す、究極の管理場所。
その名は裁判所だ。
ぱちぱちとこの場に似つかわしくない音がなる。拍手の音につられ警備の二名がつられて視線をずらす。羽アリ怪人もその音につられ振り向く。
僕が拍手をしていた。
拍手をすれば、呆気にとられる全員。
みんなの様子をしり目に僕はポケットへ手を伸ばす。白衣の内側に着込むスウェットのズボン。
ポケットから出した、ペンダント。合成妖怪にて、日本古来での有名な鵺。鵺の刻印が刻まれたペンダントを見せびらかした。敵対した怪人の頭蓋骨と胸骨や魔石などを魔法で溶かし、作り上げたペンダント。丸みを帯びたクッキーのような形だけど、作成者の力は鵺では有名だ。
そんな芸当ができる魔法の使い手は一体のみ。
鵺の首領ティターノバお手製のものだ。
このペンダントを見せた際、警備のものたちはすぐさま最敬礼をし、警棒をしまう。3幹部でもなく、羽アリ怪人でもない。この価値の怖さを知らないものは誰もいない。
「開けてくれる?」
「はっ」
僕が頼めば警備二名はおろか、羽アリ怪人ですら直立不動を示しかけた。幸い気づかれていないようだけど、僕と怪人の関係をあまり知らしめたくない。そんな僕としては羽アリ怪人の脛を軽くける、反響が僕の足にひびき、大きなダメージを負った。
この体の弱さが異常だ。
ただ蹴ったことで、羽アリ怪人が状況を気づき、すぐさま傲慢そうにふるまった。だけど僕に対してでなく警備のものに対して見せつけるようだ。だけど警備の二名も気づいている。権力の差というのは形で決まる。見た目で決まる。
今の僕が少女の姿であっても、変わりはしない。
白衣姿で安物の黒のシャツと黒のスウェット。白衣は自前だけど、シャツとスウェットは豪邸にあったもの。この前の東京で院長が子供用に買ったものだ。それを勝手に拝借。身長は小柄で小学生高学年の平均身長よりも低い。
白髪であるけれど老いによるものではない。艶があるし、髪を梳けば引っかかることもない。背丈の半ばまでのびている。魔法で勝手にまとめているため、実は枝毛などは一切ない。前髪が口元まで伸びているため、クリップなどで適当に止めている。髪留めなんてものはない。
前髪の両分けをクリップでしていて、目元ははっきりと外へ。野望に満ちた目、白髪とはバランスの悪い黒目。大きな瞳でありながらも、ぎらついた欲望が目を光らせていた。
肌も若々しく、黙っていれば幼さからか純真な少女見たく見えるはずだ。太陽に浴びてさえないと思える、白い肌。見ているだけでも柔らかさを感じ取れるほどの頬の膨らみ。小さく突きでた唇は、荒れてもおらず、ぷるぷる揺れていることだろう。
煽るかのような目の吊り上げ方は、子供の見た目であれど油断はしづらい姿。純真さを提供するはずの幼さは効果が薄れていた。
悪魔が少女の姿を取ったごとく、見た目とのギャップを作っている。
首領特製ペンダントを持つ限り、その権力は付随する。
扉が開かれ、僕は堂々と中に入った。その際、大きな扉を勢いよく開いたものだから、空気が髪を散らす。白髪であるけれど、老いとは異なる艶のある髪が視界を遮る。すかさず前髪を手でどかし、中の様子をうかがった。
扉の目の前にあるのは傍聴席だ。パイプ椅子を並べ、数十の席が埋まっている。その広さの会場にしては、人数が少ない。席は正面のメインを見るためのため、後方へ下げられている。面白いことに人間が10名ほど、残りは怪人クラスのものだ。さすがに怪人クラスは独自補強されたパイプ椅子だ。人間が後方で座り、怪人が前方へ座ると分けられている。
傍聴席との敷居は床にはられた赤のテープ。
そのテープの先にたつ怪人こそ、鵺の幹部の一体。シャークノバだ。顔を俯かせ、正面をみることができないようだ。緊張のためか全身が小刻みに震えていた。そんな様子を怪人の背中から把握することができた。
シャークノバの足元に席もテーブルもない。
足元の黄色のテープで、囲いを作った箇所に立っている。退出する際の後部部分のみを開けた囲いをテープで作成。資材がなく、予算もない。苦肉の策だ。
弁護士はいない。
形式的に用意するとかもない。なぜなら人材がいないからだ。下妻市の人口863名。よそから流入してきた人材とかを含めた最新のデータ。徐々に増えてはいるものの、やはり少ない。
悪の管理下において、人間は不自由になるため皆逃げることを選択する。ただ鵺の支配下の人間はその様子はない。雇用体制もそろいだし、食料なども十分に確保。給料などの管理などはできていないが、ただ搾取という形は企業側にさせていない。
企業といっても大体が鵺の仕事を分けた子会社だ。こちら側の影響力から逃れられない。
一次産業、農業などは自由にさせている。必要であれば重機などの燃料は融通している。
「被告人 シャークノバは野田市侵攻の際、暴走をし、作戦を妨げた。鵺の処刑人に手間をかけ、最高幹部、蝙蝠ジャガーおよび、鵺の首領の手をわずらわせた。その罪は非常に重い」
裁判という形式であってもだ。場所が葬式会場のためか、本来遺体を安置し、写真や花々を飾り付ける場所は模様替えをされている。その場所は今や裁判官のせきだ。大型の机があり、その席につく人間の足元や裁判官の手元を隠すための壁に覆われている。丁度顔だけが表に出るような作り。
陪審員はいない。
補佐するための書記が一名いるが、その席は裁判官のわきに一つ小さなテーブル。そのテーブルの上で状況を書き留めている。
裁判官が強く金属を鎚でたたく。正式な道具はないため、基本あり合わせで代用している。判決を下す裁判官は妙齢の女性だ。恰幅が良く、ふくよかだ。それでいて容姿は女性としては生きづらいもの。細い目元に大きな膨れ上がった鼻。たらこ唇であり、正直にいっても美人とはいえない。
男性には人気の出ない容姿だ。また年齢もいっているようだ。艶のない白髪と黒が入り混じった、年齢のもの。
それもそのはず、裁判官たる妙齢の女性は40後半だ。だが怪人を相手に引けもとらず、シャークノバを見つめる眼光は、法の裁定者そのもの。
鵺の中では権力者に至る。人間とは容姿だけでなく能力だけでもない。学歴もあるが、学歴だけでもない
「怪人は暴走するのが常」
すべては前提条件を組み込み、状況証拠だけで定めない。人間とは異なることを理解し、判決材料にいれていく。
「強すぎるからこそ傲慢。猛獣に対し、暴走するといっても無理なこと」
怪人は決して人間みたいに状況通りに動けない。
「人間とは別の存在に、同じ基準を用いることこそ無意味。よって判決は怪人に向けたものとなる」
弱者の人間が怪人より上回る。裁判という形、怪人が裁判官になれない理由。
怪人は思った通りに進みすぎる。途中で足を止めないし、臨機応変に対応すら難しい。そんなものを法律の裁定者にすることはできない。大半が有罪か無罪かで突っ切るのみ。
この妙齢の裁判官はそれをしない。
「執行猶予つきの謹慎とする。実刑5カ月の拘束処罰。執行猶予5カ月の市内労働のみとした謹慎をする。問題を起こさなければ刑罰は処さない」
裁判官が鎚で金属を叩く音がする。
「被告人シャークノバ、異論は?」
裁判官の問いかけに、シャークノバはうつむいたまま答えた。
「ございません」
幹部クラスである怪人も裁判官には逆らえない。鵺の法治体制を前に無力だ。
裁判官である妙齢の女性。名は飯田敏子。年齢40台後半。元弁護士だ。あくまで弁護が仕事であって、裁判官ではない。複雑な事情があって採用した。もともと容姿のよくない裁判官だ。男性にも受けが悪く、大人になるまで恋人もいたこともない。孤独が心を歪ませるのか。社会に居場所がないもの特有の僻み。他人見下しの癖もあったと本人が過去語っている。
だからか若いころは男性叩き、女性は被害者といった思想を持っていた。
女性優遇思想で、男性卑下思考の持ち主だった。
現在はもちろん違う。人間相手も怪人相手もそれぞれ独自の裁定を行える。有能な人材だ。そこに男女優遇思想はなく、弱者は弱者という判別もしている。過去は所詮過去。必要なのは今であり、未来の話でもない。
普通の人間なら、怪人相手に裁定などできない。
しかも鵺の幹部で上級怪人相手にだ。
それができる面の厚さは、裁判官だけだ。
「これにてシャークノバの裁定を終える、傍聴席異論は?」
本来の裁判では傍聴席の意見など聞かない。だが傍聴席にいる怪人はシャークノバの部下だ。上司であるものの判例を気になったか、席に座っている。
その部下も沈黙を返す。
裁判官がペンダントをかざす。薄いチェーンのついたペンダントをさげて周囲へ見えるようにだ。
「この鵺のペンダントを前に判例に異論はあるものは?」
ティターノバが選び、独自作成したペンダントを渡している。僕と同じペンダント。実は鵺の処刑人よりも偉い立場だ。蝙蝠ジャガー、ダガーマンティス、シャークノバの3幹部ですら手を出せない。独立組織。
ここに暴力で結果を変えようとすれば、ティターノバに逆らうことになる。
独裁組織の分際で、悪のくせに、法治にはこだわる。
誰もいないようで、そのまま終わりかけた。
「これにて閉廷」
ペンダントをかざしたまま、裁判が終わりかける。その間の抜けた空気の際、僕は大きく手を上げた。
そして叫ぶ。
「異議あり!!」




