むじんえき
終わりのない駅に閉じ込められるソリッドシチュエーションホラーです。
どんでん返しのようなオチらしいオチはありませんが、思いついた雰囲気のままに書いてゆきました。
自分の中ではホラーらしいホラーが書けたと思います。
どうやら寝てしまっていたらしい。
最初に見えたのは、天井から吊された蛍光灯だった。
それから、弱々しい光の中に浮かぶ、錆だらけの屋根と、風雨と虫食いでボロボロになった木製の梁……
どこだ、ここは。
体を起こそうとしてみるが、全身が鉛になったかのように重かった。頭の奥も、ずぅんと痛む。
飲み過ぎて、記憶を置き去りにしたまま家に帰った次の朝のようだ。
いや、実際にそうだ。久しぶりに仲間と遅くまではしゃいで、なんとか終電に間に合ったのだ。
ベッドから起き出すときの癖で、俯せになろうと転がる。
落ちた。
硬く冷たい、そして土と埃くさいアスファルトに、私は叩きつけられた。
ベッドだと思っていたのは、ただのベンチだった。
皮肉なことに、落ちた痛みで、頭と体が冴えてきた。
あらためて辺りを見回してみる。
ぞ……と、言い知れぬ悪寒が体を突き抜けた。
見えたのは、細長い灰色の地面と、それに沿って伸びるレール。
そして、蛍光灯の光の外は真っ暗闇だった。
駅。というのは、わかる。
おそらく無人駅なのだ。こんな真夜中にベンチで寝ている者がいるというのに、声をかける駅員がいないというのは、そういうことだろう。
腕時計を見る。
十一時三四分。それが午後なのは疑いようもないが、だとしても、この暗さはなんだ?
いくら天井の光が弱々しくとも、線路の向こうは、ものの輪郭ひとつ見えない。
なぜ私はここにいるのだ。そもそも、ここは何という駅なのだ。
私は駅名を探して歩き出した。
アスファルトを打つ私の靴音が甲高く響き、闇に吸い込まれてゆく。静かすぎる。ほんとうに静かすぎる。
数秒で、それは見つかった。
見つかったのだが、意味はなかった。
読めないのだ。
漢字……ではあると思われた。
が、私の知っている字ではなかった。常用外や異体字というわけでもないだろうが、見たことがない。私の少なからぬ中国語の知識の中にも、このような字は見当たらない。
ルビすら振られていない。
本当にこれが駅名なのかと訝しんでも、ほかに駅名らしきものはないようだ。
前の駅は。次の駅は。それすらも、何処にも書かれていない。
もしや廃駅では、という考えも過ぎったが、それなら私はなぜこんなところにいるのだろう。
記憶では、たしかに終電に乗った。
それから……どうやってここに来たのだろう。
もう一度、時計を見る。
十一時三四分──終電に乗った時刻だ。
壊れている? 秒針がないせいで、それはすぐに判別できない。
スマートフォンはどうだろう。
同じ、十一時三四分。
ただし圏外だ。いつから電波が届いていないのかはわからないが、ともかく腕時計は壊れていないようだ。
やはり地下なのか。だが、この屋根は、明らかに屋外のものだ。
だんだんと不安がこみ上げてきた。
出口はどこだ。駅舎も改札口もなくとも、出入り口はあるはずだ。
私は踵を返して来た方向とは逆に歩いた。
すると、どうだろう。眼を醒ましたベンチからは見えにくかったのだが、跨線橋の階段がぽっかりと口を開けているではないか。
通路の先は闇に消えているが、駅舎に続いているのは間違いないだろう。
階段を上がって通路に出た。
外観が見えなかったため、中も真っ暗ではないかと内心怯えもしたが、通路内は等間隔に配置された蛍光灯のおかげで、それなりに明るかった。外が暗かったのは、窓がないからだ。
とはいうものの、広告やポスターもなく、朴訥とした壁が続くだけの静かな通路というのは、やはり不気味だ。地面の上を歩いているのに、地下道にいるような錯覚に陥ってくる。
下りの階段はすぐに現れた。
それを降りきったとき、私は眼を疑った。
最初にいたホームとまったく同じだった。
不安が、恐怖へと変わってゆく。ホームをさまよい歩いて、私は必死に出口を探した。だが見つかったのは、あの読めない駅名だけだった。
通路のなかで、降りる階段を間違えたのか。
私は急いで跨線橋に戻り、階段を昇った。
はたして、通路はまだ先に続いていた。
安堵して隣の階段を降りる。
そこも、同じホームだった。
やはりそこにも改札はなかった。
どうなっているんだ。ここはどこだ。この短時間で、何度その問いを闇に投げただろう。
だいたい、ホームが三つもあるような大きな駅なのに、なぜこんなに寂れていて、案内板のひとつもないのだろう。
ざわざわざわ……と、背筋が粟立った。
ホームが三つ。そう考えた瞬間、私は気づいてしまった。
隣のホームが見えないのだ。
天井の灯りはいったいどこだ。まるでホームの間に壁があるようだ。
地下だったのか。いや、それとも……
思い切って、線路に降りて確かめてみようか。
そう考えたときだった。
がたん……ごとん……
突然、暗闇の中から聞き慣れた音が聞こえてきた。
横に眼を向けると、光がこちらに近づいてくる。
列車だ。ここは廃駅ではなかったのだ。
間もなく、灰色をした車体がホームに停まり、乗降口の二枚戸が開かれた。
いちもにもなく、私はそれに乗り込んだ。どこへ行くかも分からないが、ここ以外ならどこでもいい。
戸が閉まり、列車は発進した。
乗客は私一人だった。
例の駅とは違い、車内はごくごく見慣れた、というか有り触れたものだった。
壁には眼科や大学の広告が飾られ、天井からぶら下がっているのは美術展の案内に、女性誌の見出し。
しかし、窓の外はまるでトンネルの中を走り続けてるかのように、黒に塗りつされたままだ。
座席に腰を下ろし、私はスマートフォンを確認した。地下鉄といえど、どこかで電波状態が回復することはある。その時を狙って、GPSで自分の居場所を調べるつもりだった。
が、得られたのは、さらなる混乱だけだった。
十一時三四分。
時間が進んでいない。
腕時計も見た。
同じだった。
もはや、この状況をどう考えるべきなのかも分からなくなってきた私は、電車が止まるや、フラフラとホームに出た。
そして、ハッと我に返った。
最初に見えたのは、天井から吊された蛍光灯だった。
それから、弱々しい光の中に浮かぶ、錆だらけの屋根と、風雨と虫食いでボロボロになった木製の梁……
ホームの端から端までを行きつ戻りつ、少しでも違う箇所はないかと探し回る。
何から何まで同じだった──そう、あの読めない駅名すら。
ありえない。ありえないぞ。どこだ……どこだ……出口はどこだ。どうにかして入ったのなら、出ることも出来るはずだ。
跨線橋の階段を駆け上がり、通路を走り、隣のホームへ……
いや、もうひとつ隣……
いや、さらに向こうなら……
いや、もっと遠くでないと……
もっと、もっと、もっと、もっともっともっと……
待て。これで、いくつめだ。
ホームは……ホームはいったい、いくつあるのだ。
見れば、灰色の通路は、前も後ろも、果てしなく続いていた。
自分が最初に、どのホームにいたのかすら分からなくなっていた。
私は走った。
走って、走って、階段を降りて、昇って、降りて、昇って、降りて、走って、走って走って走って走って降りて昇って走って降りて昇って降りて走って走って昇って走って降りて走って走って降りて昇って走って降りて降りて降りて降りて降りて降りて降りて……
ああ電車だ。電車が来た。乗らないと。
けれど、どこで降りればいいんだろう。次だろうかそれともその次だろうか。それとも終点までいけばいいんだろうか。そうだ終点だ。この世界の果てに行こう。
おかしいな、かれこれ一日は乗り続けているのに、いつまで経っても終点につかない。時計は動いてないけれど絶対に一日は乗っている。寝過ごしなんかしていないぞ。私はここへ来てから一睡もしていない。
ここ……ここってどこだ……ここはどこなんだ。
運転手さん運転手さん、いったいこの電車はどこまで……
ああ運転手さんそうですか。そういうことでしたか。運転手さんなんて最初からいなかったんですね。失礼しました。
けど教えてください。この列車は誰がどうやって動かしているんですか。
次は終点かもしれない。次は終点かもしれない。ああきっと次は…この次は………
その希望を何百回挫かれたか分からなくなったころに、私はふと思い立ってホームへ降りた。
何ごともなかったかのように列車は私を置き去りに走り去っていった。何処へなりと去るがいい、この役立たずめ。もう貴様には頼らないぞ。
列車の音が静寂に溶けてゆく。
私は線路へと降りた。
そして、その向こうの闇へと、足を踏み出した。
壁ならば当たって砕けよ、崖ならば落ちよとの覚悟だったが、足は果たして、有も無も分からぬ空間のなかでしっかりと地面を踏んだ。
歩ける……歩けるぞ……
その事実だけで、私の中には根拠のない自信と力が湧いてきた。
私は歩いた。どこまでも、どこまでも、どこまでもどこまでもどこまでも……
今度こそ出られる。この忌々しい空間の出口が必ずある。必ずだ。何時間、何日かかったとしても辿り着いてみせる。
何時間、何日、何時間、何日……
何時間、何日、何時間、何日、何週間……
何時間、何日、何週間、何時間、何日、何週間……何年……
何年……何年経っただろう……
どこまで、どれだけ歩いたのだ。
いつまで歩けばいいのだ。
行けども行けども、何処にも着かない……なにも見えてこない……
だが歩き続けなければ、どこにも辿り着けない。これなら、おとなしくあの駅にいる方がまだマシだった。
なぐさめにスマホを眺めていたこともあったが、それすらしなくなって、どれくらい経つだろう。
変わらない時間。データに残された変わらない思い出。それを見るたびに、この状況が重くのし掛かってくるのだ。
戻ろうにも、もといたホームはとうの昔に闇に消え、いまや方角すら定かではない。
黒……一面の黒い世界。視力を失ったかのように、自分の姿すら見えない。その恐ろしさが、今になって襲いかかってくる。
私は悲鳴を上げた。
あらん限りの声を張り上げ、そして走った。
光……光はどこだ。光のある場所ならどこでもいい。
出してくれ。この暗闇から、私を解放してくれ。
それまでの道程と同じく、私の疾駆は何時間、何日と続いた。
もはや時間など意味を持たなかった。
この先に……この先に光があるだろう。
闇の中で、光を探して走ることだけが、私のすべてだった。
するとどうだろう。闇の世界のなかに、ぽつんと白い点が見え始めた。
私が進むにつれて、それはどんどんと大きさを増してゆく。
光だ。
ついに、ここから出られる。
頬に涙が伝って落ちるのを感じた。久しく感じていなかった熱い心が、胸の奥に燃えていた。
そして、この長い放浪の旅の終焉が見えた。
最初に見えたのは、天井から吊された蛍光灯だった。
それから、弱々しい光の中に浮かぶ、錆だらけの屋根と、風雨と虫食いでボロボロになった木製の梁……
線路の枕木を踏んだ瞬間、私の心は砕け散った。
費やされた時のすべてが一挙に甦り、まるで昨日のことのように、その場所の隅々が思い出された。
私は、ホームに帰ってきたのだ。
涙が止まらなかった。
私は大声で啼いた。
しかし、なんのための慟哭なのだろう。
虚しさからか、ホームへの懐かしさからか、闇から解放された嬉しさからなのか……
光のなかに照らし出された自分の姿は、あのときからまったく変わっていなかった。
十一時三四分。
無意味……すべては無意味だったのだ。
そうしてまた、時間を忘れるほどに噎び泣いたころ、私の耳が、何年ぶりかに、自分の声以外の音を捉えた。
がたん……ごとん……
ああ、列車が来る。どこへも行けない列車が。
ここは危ない。
私はホームによじ登ろうとして、ふと足を止めた。
そして、線路に体を横たえた。
鉄のレールの香りは血を思わせ、まるで断頭台のようだった。
八両編成のギロチンが間もなくやってくる。
がたんごとん……慈悲深き執行人の足音。
恐ろしかったが、これしかないのだと自分に言い聞かせる。
恐い思いはもう充分にした。それに比べれば、一瞬だ。
眼を閉じ、足音だけを聞いた。
がたん!
最後のひと踏みで、刃が私の首を切り裂いた。
最初に見えたのは、天井から吊された蛍光灯だった。
それから、弱々しい光の中に浮かぶ、錆だらけの屋根と、風雨と虫食いでボロボロになった木製の梁……
私の悲鳴は、永遠に続く闇へと吸い込まれていった。
お読みいただきありがとうございます。
無人駅や廃駅ってロマンですね。本作は「真っ暗闇の無人駅で何かが起こる」という漠然としたテーマから作り上げましたが、結局、〝何も起こってませんね〟(笑)
陰鬱とした作品ですが、感想評価くださると作者メッチャ喜んでドシドシ書きます。
ええ、たぶんこういうのを(笑)
では、またいずれかの形でお逢いいたしましょう。