プロムナード(向ヶ丘遊園にて)
プロムナード (向ケ丘遊園にて)
五月のある朝、廊下を歩く足音に目が覚め、起きようとしたがすぐにその日が休みの土曜日だと気づいてぼくはまた布団にもぐった。だがすぐ寝返ると、枕元のカセットテープレコーダーのスイッチを入れた。ジョルジュ・ムスタキの歌が流れる。外はとても良い天気のようだ。少々ためらったのち,布団から起き上がるとそのまま両肩に掛け布団と敷布団をかかえ、スリッパを突っかけドアを押し開いて廊下に出た。少々目眩がするのは昨夜のビールがまだ残っているせいだろう。廊下の両側にいくつかの部屋のドアが外に開いたままになっていてそれらの内側に貼られた大きな写真の女性モデルたちがさまざまの視線でぼくを見る。廊下の突き当たりまで行ってそこの非常階段の手すりに布団をかぶせた。掛け布団は途端に太陽光線を浴びて驚くほど白く輝き、薄暗い廊下から出てきたぼくの目にはしばらくはまぶしかった。快晴だった。が朝風はまだ肌寒く、ぼくはまだ温もりのある、また日光にさらに暖められている布団にもたれて緑色の鮮やかに輝く畑や小山の方をながめた。眼鏡を掛けていなかったが、遠くの鯉のぼりの目や鱗までがはっきりと見えた。
休みの日だったのでこの独身寮には数人しか残っておらず、他の者たちは外泊していていなかった。残っている数人の者たちは朝からマージャンを始めるらしくメンバーを集めるために部屋から部屋へノックして回っていた。ぼくはどこかに昼頃まで散歩にでかけようと思った。コンクリートのレールにとまっていたすずめたちがいっせいにさえずって飛び立つと、右のほうから遊園地行きのきらきら輝くモノレールカーがゆっくりとボディーをゆすりながら走って視野を通り過ぎた。すずめたちは風に吹き飛ばされた落ち葉かのように舞い上がったあと山の緑の中に吸い込まれていった。「そうだ、きょうはどこかで写生をしてもいいな」と思いつく。数日前の夜に書いた散文詩のことを思い出していた。
『彼の描いた風景画
私はこっそり持って帰って額縁に入れて
この部屋に飾っている
こんな小さな私の部屋だけれど
彼の絵のおかげでとても広い秋のお部屋
いつかもし彼がこの部屋に来てくれるなら・・・(来てくれたら・・・)
私がこの絵ないしょで預かってること怒るでしょうか
それともこんなにきちんと額縁に入れて飾っているのを見てやさしく喜んでくださるでしょうか』
この詩は自分の学生時代のノートの中から見つけたもっと粗い即興詩に少し手を加えてみたものだった。数日前そのノートを久しぶりに眺めていてそれを見つけたとき,おやっと思い,しばらくその頃の自分を思い返してみた。どういうことでぼくがこのような女性のモノローグを当時書いたのか思い出せなかった。即興で書いたに違いないと思った。だからこそこの詩のことをすっかり忘れてい、今読んでも自分自身が本当に書いたものだろうかと少々狐につままれたような気持ちになったのだろうと思った。そしてそのような気持ちにさせるところにこの詩のぼくに対する魅力があるようにも思われた。短い小説がこの詩から書けるように思い、手を加えて別のノートに書いてみた。そしてうまくできれば川崎のある文学会が主催していた小説コンクールに応募してみようとも思った。その夜この詩のシチュエーションをいろいろ考えてみたが満足の行くものは思い浮かばなかった。下手でもぼく自身一枚の風景画を描いておくことが必要なように思えたり、それほど大げさなことをしてまで、と思ったりしてそのままだった。
モノレールカーが、またレールの上に集まっていたすずめたちを追い払いながら、左からやって来た。遠くでかすかな鐘の音がし始めた。それはしかし本物の鐘の音ではないことがすぐわかる。鐘の音をスピーカーで流しているようだった。
「そうだ、あそこへ行ってみよう。あれはきっと専修大学の鐘の音だ。」ぼくはそう決心してもたれていた布団から身を起こし部屋に引き返した。数カ月前の寒い朝、たくさんの受験生が小田急の向ケ丘遊園駅から参考書や辞書を見ながらぞろぞろと歩いて山の方に行っているのに通勤中のぼくは出くわしたことがあり、その時からいつかどんな大学かそこに行ってみたいと思うようになっていた。
ぼくは東京に来ていろんな大学に立ち寄った。仕事で大学の近くに来ると、時間が許せば構内に入って立て看板やクラブ案内の掲示板の並ぶキャンパスを歩いたり、食堂で学生に混じって安い定食を食べたり、売店で生協のノートを買ったりした。ぼくが好んでそんなことをするのもやはり自分の宮崎大学時代が懐かしく、キャンパスの雰囲気が好きだからだ。
朝食をすませ8時半頃、読みかけの宮沢賢治のペーパーバックの童話集だけを持ってサンダルを引っかけた軽装で寮を出、歩いて10分余りの向ケ丘遊園駅へ行った。その駅からたくさんの専大生がぞろぞろと登校してゆくので、その流れに乗ってぼくも行こうと思ったのだ。
彼らと同じように軽装だったのでだれもぼくを専大生と思ったろうが、それほどもう若くもない顔つきで手に一冊の小さな本しか持っていなかったぼくは、彼らといっしょに歩いていてやはり少しのためらいを感じていた。彼らより遅い歩調で歩き、やがて道が町から出て勾配し始め、舗装されたまま山のすそを登って行きいよいよ歩いているのは学生だけになると、ぼくは後方から話しながらやって来ていた一かたまりの集団にせき立てられて進んでいるような気持ちになってきた。それで彼らを先に行かせるために道をはずれ寺門に向かう細い石段を登った。ぼくは古い寺社の境内に入って朽ちかけた木造建物を見学するのも好きだから・・・
そこでしばらく時を過ごした後、下に降りてみると、もう学生はずっとまばらになっていた。山道に沿って細い流れが人工の水路の中を下っていた。学生がたくさん通るからだろう、ところどころに飲み物やインスタント食品、たばこ等の自動販売機が立ってい、小さなコーヒーショップやレストランが道に面してぽつりぽつりとあった。
思っていたより遠く高いところにあるのだなと思いながら、次第に急になるカーブの続く舗装した山道を三々五々の学生たちに混じって登って行った。やがて山道が緩やかになり心持ち広くなって大きくカーブすると大学の建物らしいものが道の両脇に広い庭やテニスコートなどを間に置きながらたくさんゆったりと建っているのが見えてきた。
「オッス!」突然右手の校舎のそばに立っていた柔道着姿の者が大声でしかし少々かん高く叫んだ。ドキッとさせられ一瞬自分が声を掛けられたかと思ったが、すぐに後ろからもこんどはもっと小さいがもっと堂々として低い「オッス!」が聞こえた。振り返ってみたいという衝動に駆られたが、ぼくはこれに少しも動じなかったことを示すために、そのまま何食わぬ顔で歩き進んだ。その辺りはこの小山の頂上になっていたらしく、やがて校舎をすべて過ぎると道はゆっくりと下り坂になっていった。そしてすぐにバス停があった。バスが一台向こう向きに停車しており、今しがた降りたばかりの学生たちが三々五々こちらのほうに歩いてきていた。バスの後部の行先表示器には「向ケ丘遊園駅行」とあった。そしてそのバスのそばにぼくはとても魅きつけられるものを見た。15人くらいの男女の学生がおり、彼らの手には様々の大きさと形をしたケースが持たれており、大きなものはそばに立てておかれていた。それらは一目で楽器ケースとわかる。そしてその形から、あれはフレンチホルン、あれはバイオリン、あれはクラリネット・・・とたいていわかる。
高校と大学時代にぼくはブラスバンドのメンバーだったのでこのような光景はとてもなつかしいものだった。
いいもんだな、そう思いながらぼくは彼らのそばを通りバスの前の方へ行った。すると運転手と男子学生の二三人が前のドアのところで何かやりとりしている。ゆっくり通り過ぎながら聞くと、運転手が、「小さいものなら構わないんですが、あんな大きいのは困ります、他の人が乗れなくなります」というようなことを言っていた。大きな楽器をバスに持ち込んでは困るということらしい。ぼくは、そんな冷たいこと言わなくてもいいだろうにと思いながらも、確かにティンパニーやダブルベースはちと大き過ぎるなとも思って通り過ぎた。
しばらくなだらかな舗装道を下って行くとゴルフ場が見えてきて広いグリーンの中でゴルファーたちが白球を打ち飛ばしていた。春の朝としては少し暑く、晴れ渡った空の下でグリーンの芝生と白球はくっきりと輝いていた。手すりにもたれてぼくは目で直線を描いて飛んでいき芝生に跳ねる白球を追った。のどかな風景の中で白球が打たれる時の固い音はぼくの耳にむしろ快かった。
来た時とは別の小道を通って大学の方に引き返してキャンパスの中に入ってゆくとコンクリートの校舎から講師の声が聞こえてくる。経済学の講義らしい。ベンチで本を読んだり、寝そべったり、友達同士で話をはずませている学生たちのそばを通ってどこへとはなしに歩いていると、道を隔てた校舎からエレキギターやドラムによる音楽が聞こえてくる。そしてその前の庭で5・6人がバレーボールを、ポーンポーンと打ち上げている。ぼくは「購買部」とあるプレハブの建物の中に入った。朝のせいかまだ学生は一人も中にいなかった。入ったとたんに明るい女性の声がおどけた調子で「もしもしー、早かったわねー」と奥のほうから聞こえてきた。ぼくは少しあわててしまったが、電話でもしているんだろうと思っていると、若い女性が顔を出してぼくを見ると、「あら、ごめんなさい、ーーさんだと思った。いらっしゃいませ」と言ってまたもとの所へもどった。ぼくは少しいずらくなったような気がしながらも、女店員の口調が学生に対するような親しみのこもったものだったのに気を良くして、陳列された商品を見て回った。そして奥の電気製品が置いてあるところに来ると、そこに並べられたテープレコーダーの一つのプッシュボタンを押してテープを聴いてみようとした。でも見るとカセットテープは回っていない。コードはと見るとちゃんとコンセントにはまっている。しかしすぐ気がついてぼくはテープを取り出してひっくり返して入れ直しまたプッシュボタンを押してみた。すると数秒後に水前寺清子の演歌が聞こえてきた。7・8秒聴いてストップのボタンを押した。するとさきほどの女店員が、「あら、そのままつけといてね」と---おそらくどこの大学の売店の若い女店員も男子学生に対してそういう言い方を身につけるのであろう---学生に対するあの(ぼくにはとてもなつかしい)まるで子供に対するような親しみのこもった声で言った。ぼくは「そう?」と言ってスイッチをまた入れ、お互いにほほえみ合った。
すっかり学生気分のぼくはしばらくしてそこを出て、まだ昼でもないのに食堂へ行ってみようと歩きだした。そして本館らしい建物の前で一つの大きな白地の看板がぼくの目を捕らえた。それには「第三回専大フィル・ファミリーコンサート」とあった。ぼくは少々胸をおどらせながら目で読んでいった。
『シベリウス 「フィンランディア」
ヘンデル 「水上の音楽」
ハイドン 「時計」 その他
5月21日 2:30PM 多摩市民館
入場無料 』
5月21日とはきょうではないか。多摩市民館?行ったことはないけどそんなに遠くではないはずだ。それに無料とは良心的でいい。お手並み拝聴することにしよう。きょうの午後はこれに決めた。特にハイドンの「時計」はいいぞ。そうか、さっきバス停で見かけた楽器を持った連中が専大フィルのメンバーだったんだな。朝から会場に行って準備するわけだ。ぼくらもそうだった。そしてその日は開演までの時間があっというまに過ぎてしまい気持ちの準備が整わないうちにカーテンは上がってしまうのだ。あのバスにはみんな楽器を持って乗れたのだろうか?
ぼくは食堂に行き、まだ11時過ぎだったけどブランチを食べる数人の学生に混じって早い昼食を食べることにした。カツカレーにした。そこで宮沢賢治の童話集の中からある一編をほとんど終わりまで読んだ。
そこを出ると今度はゴルフ場の方の下り道を通ってこの小山を降りて行った。そのアスファルトの山道はしばらく下ると川崎民家園に通じる。そしてそのまま行くとやはり向ケ丘遊園駅までたどりつく。下って行くと、登ってくる何人かの専大生らしい男女とすれ違う。彼らの額には汗が光り、ぼくの小冊を持つ手の指も少し汗ばんでいる。暑い日だ。大きな白い犬を連れて登ってくる青年が先にどんどん進もうとする犬を制しながら、しかし引っ張ってくれるのでらくちんらくちんといったていで通り過ぎた。
ぼくは静かなこの山道をゆっくり下りながら、自分の宮崎大学時代を思い出してい、その頃のことを少しづつでもひまを見つけて書いていこうと思っていた。
『彼の描いた風景画
私はこっそり持って帰って額縁に入れて
この部屋に飾っている・・・』
そのようなことをしてくれそうな人もいない今は、絵を描くのも虚しい。それよりは思い出を整理して一つずつ額縁に入れるように短編としてまとめていこう。
民家園の近くの山道で、登ってくる二人連れのおばさんの一人の髪に小さな枯れ葉が一枚のっていたけど、それもここでは風情があったので何も言わずにすれ違った。
《昭和50年、向ケ丘遊園にて》