メルムの事情②
若干の残酷・性的描写がありますのでご注意ください。
「はぁっ、はぁっ」
(ナディア……)
妹の体に覆いかぶさり、首を絞めながら、腰を動かす男。
「ははははっ、ほら、もっとだよっ!」
「ぐっ、がっ」
「おいおい、私のお気に入りだぞ。あまり無茶はせんでくれよ?」
「分かっていますよ、叔父上。でも、そこにもう一匹いるでしょう?」
二人の男が、メルムに視線を向ける。豚のような、下卑た笑い。
「まあな。そっちはだいぶガタがきてるからな。そろそろ取り換えてもいいと思っていたんだ」
片手でグラスをくゆらす男は、空いた手でメルムの顎をくいっと持ち上げ、顔を覗き込んだ。
「この生意気な顔だけが、いまいちな。妹のほうは、最初からかわいげがあったんだが」
「それをきちんと教育するのが、貴族の務めではありませんか? 叔父上」
「違いない」
わはははは、と声を上げて笑う二人。妹の苦しげなあえぎ声は、その間も続いている。
「……まあ、そんなわけでな。実は、少し前から、店主には、もう話を通してある。その気になったら、片方は壊してしまって構わん、とな」
「ほう、叔父上……それは……」
片手に持っていたグラスのワインをくいっと飲み干し、男は壁際に並んだ、メルムが見たこともない形状の器具を、品定めするように見つめる。
「もちろん、バカ高い追加料金だ。その分、徹底的に楽しませてもらわんとな」
この男たちは、一体なにを言っているの? 今だって、もう妹は、生きも絶え絶えになりながら、この男たちの慰み者になっている。その上で、なにを……?
壁際から、見るからにおぞましい形状をした器具を手に取り、男がナディアに近づいていく。
まさか、あれでナディアになにかするつもりなの? 今のナディアにそんなことをしたら、間違いなく……。
「だめっ!」
おぞましい器具を手に、妹に歩み寄る貴族に、後ろからすがりつく。
「うおっ」
「やめて、許してっ! お願い、もうこれ以上、ナディアには……」
「こ、こら、やめんかっ」
もう一人の男が、貴族の背中にくらいつくメルムを引きはがそうとする。だが、メルムも死に物狂いで抵抗を続ける。
逆に跳ね飛ばされる形になった男は、逆上し、真っ赤になった顔で叫んだ。
「貴っ様ぁぁぁっ! クーラ風情が、ふざけた真似をっ」
ドンドンドン。
「失礼しますっ、大きな音が聞こえておりますが……」
「貸せっ!」
男が、室内の不審を察知してやってきた衛士に歩み寄り、衛士の腰の小剣を、抜き放った。
男のあまりの剣幕に、衛士は状況が掴めていないようだった。
「身の程を知れっ!」
抜き放った小剣を、逆手に持ち替えて、メルムに向かって振り下ろす男。
メルムは、そこで意識を失った――
――目が覚めた時、ベッドで横たわるメルムの傍らには、メガネをかけた、二十歳くらいの人間の女性が、座っていた。
「お、ようやくお目覚めっすね。ちょっと待ってね、今、ノエル様に連絡を……」
どういうことだろう? 自分は、あの場で命を落としたのでは、なかったんだろうか? それに、ここは……。
起き上がろうとすると、メルムの胸に鋭い痛みが走った。やはり、夢などではない。この人が、助けてくれたということなんだろうか? でも、なぜ?
キィィィ。
扉が開き、何人かの供回りを引き連れた、黒い長髪で痩身の男が入室してきた。その髪の色のような、黒いゆったりとしたローブを身に着けている。
「どうもっす、ノエル様」
ノエルという名のようだ。どこかで、聞き覚えのある名前のような気がした。
ノエルは、無言で供回りに部屋から出ていくよう手振りで指示を出す。
再び扉が閉まり、部屋の中にメルムとノエル、それに先ほどの女性の三人だけになった後も、ノエルは一言も発せず、メルムを見下ろしている。
「あ、あの、あなたが、助けてくれたんでしょうか……? ありがとうございます」
状況はまるで飲み込めないままだが、ひとまずそう言っておくのが、無難なように思われた。
「あ、あの……妹は……一緒にいた、同じ顔の……」
さっきから気になっていたことを口に出した。だって、生まれてから、ずっと一緒だったんだから。
男は、さらに数瞬の間沈黙を続けた後、ふと、窓際に視線をやった。
窓際には、小さな机があった。その小さな机の上には、小さな箱が置かれている。
……ん? それは、なに? 私は、妹は、ナディアはどこって聞いたんだよ?
相変わらず一言も発しない、ノエルという男。傍らの女も、どこか気まずげな様子で明後日の方向を向いている。
…………嫌だな、自分の早とちりに決まっている。そうだよ、現にこの人たちは、そんなこと、一言だって言ってないじゃない。
ベッドから立ち上がり、机に歩み寄る。
震える手で、上蓋を持ち上げた、その中身は…………
「………………ああああああああああああああああああああああああああああああっ」
(ナディアッ、ナディアッ、ナディアナディアナディアナディアナディアナディアナディア……)
その白い塊がナディアだなんて、誰もなにも言っていない。だけど、分かる。分かって、しまった。
箱の中のナディアをすくい上げて、顔面をうずめる。冷たい、ざらっとした感触しか、それには残っていなかった。
「……自分を庇って、お前が殺されたと思い、死に物狂いで仇を打とうとしたようだ。結局は……だがな」
ノエルが口を開く。
そこで、メルムは、再び意識を失った。
もう一度、同じ場所で目を覚ました時、メルムは抜け殻になっていた。
生まれた時から、いつも一緒だった、自分の半身。いいことなんて一つもなかったけど、ナディアと一緒だから、生きてこられた。でも、ナディアはもういない。
(ナディア……私も……)
バタン。
部屋の扉が開いた。この前と同じ顔。ノエルと、あの女。
この前と違ったのは、ノエルが、すぐに話し出したこと。
「死にたいか? 苦痛なく逝きたいなら、手伝ってやることもできるぞ?」
突然、なにを言い出すんだろうか。
「……あの貴族は、結局お咎めなしだ。魔族のクーラごときを一匹手にかけた程度で、大貴族を罰せられるはずもない」
…………ごとき? クーラ、ごときを一匹……? ナディアを……あの姉思いの妹を、こいつは今、そう言ったのか?
(……す……す……す……殺す……殺す殺す殺す殺す)
「死者はただ、死者たるだけ」
憎悪に燃え上がるメルムの視線を、まるで意に介した様子もなく、ノエルは続ける。
「だから、弔いとは、生者のためのものなのだ。一度だけ、聞く。……妹の敵、打ちたくはないか?」
唐突に言い放たれた、その言葉。
「妹の仇」 その言葉が、メルムの頭に、少しづつ浸透していき、完全に理解されたとき、
「ああああああああああああああああああああああああああああああっ」
再びの、絶叫。
「……昏い目だ。だが……」
ノエルが、メルムを見下ろすように言う。
「まだ、死んではいない」
踵を返し、扉に歩み寄るノエル。
「お前次第だ」
最後にそれだけを言い残して、ノエルは部屋から出ていった――
「もしもーし、メルムちゃん? 大丈夫っすかー?」
我に返ったメルムは、自分のすぐ隣に、いつの間にかエマがいることに気づいた。
「ぼーっとしちゃってさー。お姉さん、心配したっすよ」
「ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしてしまいました」
「ふーん……」
レイと同じ、転生者だというこの女。レイの件では、お互いに協力している関係だが、どうにも信用ならないところがある。
もっとも、そんなことはどうでもいい。ナディアの仇さえ打てるなら。そして、その時は、もう目前に迫っている確信があった。
(待っててね、ナディア……)
あの後、渋るエマから無理やりに、ナディアが最後になにをされて、どんな死に方をしたのかを聞いた。
あのクソどもは、今でものうのうと、我が世の春を謳歌している。
あのクソどもに、ナディアが味わった絶望と苦痛を、何百倍にもして味わわせ、殺す。
涙と鮮血にまみれた妹の顔しか、今は思い出すことができない。でも、それができたなら、きっと……