92:衝動
やべぇ。
こんな感覚、何年ぶりだよ。
いや、生身の頃だってここまでの衝動、感じたことねぇな。
マンガだったら、下半身の背後にドギュウゥゥーンとか擬音がついてる奴だコレ。
この匂いっつうか術のせいだってのは分かってんのに、とにかくミーリアの身体を遠ざけろって、それも頭には浮かんでんのに……
なんで俺はミーリアの両肩をつかんで柱に押し付けてんだよ……!?
はぁはぁという耳障りな息遣いが、自分のものだと気づいても、呼吸を整えることさえできねぇ。
緑二号よぉ……?
こんなヤバい媚薬みたいな術、使った側の女だって引くんじゃねえのか!?
「もう、それ以上は、やめて……」
ミーリアが、うるんだ目で訴えている。
ほらみろぉ!
お、俺もそう思ってはいるんだ、頭では……!
理性とは反して、顔を近づけていく俺。
くちびるがいけないんだ、ミーリアの、このくちびるが……
こんなけしからんくちびるは、ふさいでおかねば……
そんでもって……
いろいろイカンだろぉ、キモイだろぉ、終わるだろぉ……
でも、それでもいいか。
最後の一線が途切れるのを感じたところで、見ないようにしていたミーリアの目を、はっきりとのぞきこんでしまう。
俺を、見ていなかった。
視線につられて、後ろを見ると、バーミィが俺に術を掛けていた。
「あ、バレました?」
えへ、と笑って首をかしげてみせた。
ポゥ、と音を立て、俺の頭上の術式が紫煙となって消えていった。
闇魔術!
精神操作!
恐ろしい子!
俺は、よろよろと数歩あとずさると、ぐったりと地面に膝をついた。
まだミーリアから魅了の波動は感じるが、危険な衝動までではない。
おかしいと思ったぜ、あんなのそこらに流せるしろもんじゃねぇだろってな。
「いやぁ、元のマスターズに比べれば足下にも及ばないと思っていたのですが、そこはさすがに聖騎士ですねぇ。
ミーリアさんの魅力だけでは足りませんでしたねぇ。」
「バーミィィィ……!?」
うなりながら手を伸ばしたが、つかんだのは幻像。
奴め、あっさりと姿を消していやがった。
どっかりと、尻餅をつくように座り込んだ。
インプかサキュバスか、そんな精霊のスキルなんだろうが、その気配も読み切れなかった。
俺、精霊術師としての力もメチャメチャ下がってんじゃねえか、これ。
いやな汗をかいている。
うっとうしくなって、顔を覆っていた革布を乱暴に外す。
夜風が、ひんやりと汗を運んでいく。
と、ミーリアが、近くに寄ってきて顔に両手を添えてきた。
なんなら、胸元に俺の顔を抱え込もうかという姿勢だ。
なんだよ、まだ終わらねえのかコレ!?
「ギル殿、影武者のあなたが、顔をさらしてしまってよろしいのですか。」
ああ、そっちの心配か。
上衣の袖で、隠してくれてんだ。
キルリアの連中には、アルトクリフは、ここには来ていないことになっている。
俺が顔出すのを嫌がっただけだがな。
もっと言うと、生身になった経緯を、ミーリアには話していない。
転生前の身体について本当のことは言えんし、偽の説明を作り上げるのが面倒だったからだ。
いざとなれば、カーマインがなんか上手いことやるだろうってな。
「いったい、どうなっているのです。
バーミィのあの行い、冗談では済まされませんよ……
私が相手でなければ。」
よかった、ミーリアはあまり気にしていないようだ。
婚約の申し込みを、撤回してみせたくらいだからな。
俺の言うことややることに、いちいち振り回されてたらしょうがないって分かってるよな。
さすがだな。
「は、すまないな、驚かせてしまって。」
まだ心臓はバクバクしているが、平静を装って立ち上がり、ミーリアの手をそっとよける。
触られてると、魅了が継続しちまうっつーの。
で、目が合っちまった。
「なんでお前まで顔赤くしてんだよ!」
「え、いえ、こんなにも美しい男の方を、近くで見たことがなかったので……」
ああ、そりゃま、乙女ゲーの王道メインキャラだもんな。
ただしイケメンに限る、の限定に該当する側だ。
素の俺ならキモイ扱いでも、この身体なら違うんだったな。
テンションが下がって落ち着くと同時に、ちょっとした意地悪心も湧いてきた。
そんだけイケメンキャラなら、こんなのも許されるんじゃねえの?
「お前は、俺に近よるときには、いつだってこんな魅了の香りを振りまいているな。
俺みたいな獣の前で、それがどんだけ危険なことか、教えてやろうか……」
ミーリアの背後に手をついて、いわゆる壁ドンな。
「あ、あの……」
ミーリアが、胸元で両こぶしを握って震えている。
「緊張してんのか……?
ちゃんと俺の目を見ろよ……」
のぞきこんだミーリアの金の瞳は、俺の背後に向かっていた。
おやぁ……?
何かひんやりとした気配を背筋に感じる。
振り向くと、そこには、カーマインが腕を組んで立っていた。