91:無礼講
僕は、じっとマスターの顔を見上げて観察していました。
宴会の輪に入るどころか、顔も隠して挨拶からも逃げ出し、今となっては、いつこの宴会から抜け出すかだけを考えている気配です。
このチキン野郎がっ!!
いけない。
どうも、肉体を失ってから、乱れた言葉が浮かんでしまいます。
ひょっとすると、あの肉体に、僕の言葉も影響されていたんでしょうか。
だとすると、こちらがむしろ本来の僕なのかも……?
それにしても……
想定どおり進めてきたはずなのに、肝心のマスターが、思ったよりも変化していません。
仕方ありませんね……
あまり取りたい手段ではなかったのですが、このままでは大事な場面で機会を逃す危険性があります。
作戦を、切り替えましょう。
いったんマスターのもとから歩き去り、目当ての人物を探しに行くことにします。
「猫の姿だと、ほんとに実家で飼ってた猫そっくりだな。」
チビチビと飲み食いしながら、酔いが回ったのか、マスターはつぶやいていました。
あちらでのことを、思い出したのでしょう。
ふむ。
まったく見込みがないわけではないですね。
するすると人混みの中を抜けていくと、いました。
ミーリアが、キルリア領の他の貴族令嬢数人に、囲まれています。
劇的な反攻を成功させた立役者です。
命の恩人として感謝感激されているのでしょうか。
「ねぇ、ミーリア。
ゴチャゴチャ言ってないで、王都のオトコをあたし達にも紹介してよ。」
「王子二人を動かせるんなら、その従者とか護衛の騎士とか、強い男が色々いるでしょう。
ね、誰でもいいからさ、つなぎをお願いよぉ。」
「カイバル卿の縁談も、手ひどく断ったらしいじゃない。
せっかくの縁を相談もなしに切ってしまうなんて、ミーリアったら、わたしたちのこと、少しは考えなかったのぉ……?」
おや、援軍を呼んできたことを褒められるどころか、何やら責め立てられている様子です。
「申し訳ありませぬ、姉さまがた。
王都の人脈といっても、私自身の力は、全くないのでございます……
それに、カイバル卿の件は、私では何とも……」
とつとつとした口調で下手に出るばかりのミーリアに、何人もで取り囲んで絡み続ける令嬢たち。
なんとまあ、尚武の土地といっても、こんな女性たちもいるものですか。
やれやれ、マッチョな男どもには、こういうのも女らしさに見えるんでしょうかねぇ。
ま、僕にとってはむしろ都合の良い。
「ミーリア殿、少しよろしいか。」
姿をあらわし、声をかけます。
驚いて引き下がる令嬢たち。
「な、なに、この猫!?」
「しゃべった!」
二本足で立ち上がり、優雅に礼をしてみました。
にゃにゃーん。
「ご機嫌麗しう、お嬢様がた。
私は王家に力を貸している精霊の一体、バーミィと申します。
お見知りおきを。
ところで、ミーリア殿を、少しお借りしてもよろしいか?」
「あ、は、はい……」
リーダー格とおぼしき令嬢が、ぎこちなくうなずきます。
ミーリアのもとに、スタスタと歩み寄ります。
「さ、ミーリア殿、こちらへ。」
あっけにとられたようなご令嬢たちをしり目に、歩き去ります。
ミーリアも、慌てて後を追ってきました。
「バーミィ、待って……」
パタパタと小走りしてくるミーリアでは、少々お色気が足りませんね。
立ち止まり、ミーリアに術を施します。
「え、何?」
「ええ、緑二号さんによいものをいただいたので、おすそわけですよ。」
ミーリアの身体の周りにふわりと光が広がり、すぐにかすんで見えなくなります。
「消えた……?
あれ、これってどこかで……」
首をかしげているミーリアを置いて、宴会の騒ぎの外側に向かって戻っていきます。
「もう、待ってよ、バーミィったら……」
お酒も少し回っているのか、ミーリアは、少し走っただけで息が上がり、頬も上気して赤くなっています。
僕が向かっていたのは、壁に背を預けて一人果実酒をなめている、マスターの元です。
「あ、ギル殿…… こんなところにいらしたのですか。
宴会が始まってから、どうも姿が見えないと思ってましたよ。」
「ミーリア殿か。
人込みは、どうも苦手でね……」
チキンのくせに、ハードボイルド気取りかよ。
息を整えながら、ミーリアが近くに寄っていくと、マスターが、む? と言って身じろぎしました。
「どうされました?」
ミーリアが立ち並ぶと、もじもじと、挙動不審です。
「あ、いや……
そ、その香りは……」
「え? 何かにおいます……?
汗、じゃなくて…… さっきの香水ですか……?」
「香水……?
いや、それは……」
「え、何かご存じなので?」
「う、うむ、それは、あれだな、王都でも施術を受けていた……」
「……え、あのサロンの?」
「ああ…… 魅了の香だ……」
「もう、バーミィったら、いたずらを。」
「あ、ああ、困った奴だ。なあ、ミ、ミーリア殿……」
マスターの口調も、ろれつがうまく回らないようになっています。
顔は覆われていて、表情は見えませんが、ミーリアも異状に気づいたようです。
「え、ギル殿……?
あの時は、香は効果がないとおっしゃっていましたよね。
え?
ひょっとして、あの時のギル殿とは、違うのですか……?」
ふふふ、今のマスターは以前に比べれば遥かにステータスが下がり、生身となったことで精神異常耐性も失っています。
緑二号さんの術は、抵抗するのがなかなか難しいでしょうね!
二人で、なにやら固まったように沈黙しています……