88:無力化
キルリア領へ向け、クルスの馬車は疾走している。
俺の馬車はミーリアを乗せて先行しており、この身体では、空を飛ぶ術も使えない。
グレンガの魔獣に乗るよりはマシかと、仕方なしにクルスの馬車に乗っている。
「なあ、バーミィよ……。
いつになったら、これは外せるのだ?」
俺は、腕を持ち上げ、力なく問いを投げる。
傍目には見えないが、「桎梏」はしっかりと発動している。
霊体も縛れるよう、魔力で作った拘束具なのだ。
リスポーン時にも継続して装備されているような仕様も、俺が考えた。
抑制無しでは、再構成時に放たれる魔力だけで、拠点が荒れるからだ。
まさか、他人に鍵言を書き換えられるような事態を想定しなかったのは、俺の油断かもしれないが。
「さっきも言ったですニャ。
今の肉体には、マスターの魔力は大きすぎて収まりませんニャ。
桎梏が外れたら、大きすぎる魔力が肉体からあふれ出してしまい、その勢いで肉体も壊されてしまいますニャ。
大丈夫な状態になるまで、うっかり外してしまわないよう、鍵言は僕が預かっておきますニャ……」
久しぶりの肉体だ。
つまり睡眠なども必要になり、寝ぼけてうっかり桎梏を外したら、最悪の場合、身体が爆発四散、あるいはあふれた闇の魔力に侵されて人の姿を失うということもありうる。
俺が管理するかバーミィが管理するかどちらが安定するかと言われれば、反論しきれんところが悲しい。
戦う力を失ったといっても、マイナーコラボとはいえ、このキャラは高レアガチャ限だ。
この世界の人間種の水準からすれば、最上位の強者だろう。
俺にとって脅威があるとすれば、グレンガのような高位プレイヤーくらいのものだ。
確かに、この身体ではマッチングバトルで勝負にならない。
だが、グレンガは、先にイベントストーリーをこなしてしまおうと言った。
奴とてガチ勢。
マッチングバトルには並々ならぬ熱意を持っている。
そのグレンガがそう言うからには、さっさとクリアできる目算があるのだろう。
そして、イベントのスムーズな進行のためには、俺がアルトクリフを演じてみせることが必要なのだと。
カーマイン、バーミィ、グレンガがそろって同意しているのなら、そこに俺が異論を差しはさむ余地はない。
理屈はそうだが、俺がこの世界で誰かに守られるというのは……
状況を把握した直後は、俺も悶々としていた。
しかし、懐に収まったバーミィの毛並みや肉球の感触は、懐かしさを思いおこさせるものだった。
小さな体のぬくもりが、伝わってくる。
肉の身体には、こんな感覚があったんだったな。
久しぶりに、飯を食い、眠ることになる。
……しばらくは、この器を借りておくのもいいか。
馬車に揺られながら、気持ちも落ち着いてきたところで、窓の外に動きがあった。
グレンガが、馬車にスカーレットスカイクロウラーを寄せてくる。
今は仲間とはいえ、上から接近されるというのは落ち着かんな。
グレンガが、窓越しに声を掛けている。
「トレスティン、出番だ。行くぞ。」
進行については、打ち合わせ済みだが、仮にも第三王子だぞ。
もうちっと丁重な態度でなくていいのか。
「ああ?
そんなもん、気にしなくてもいいんだよ。
選択肢のない会話パートなんざ、スキップスキップでいいだろ。」
「それでいいのか……?」
カーマインの方をうかがうが、特に思うところはないようだ。
「それでは、兄さま、行ってまいります。」
俺に対して丁寧に頭を下げてくるトレスティン。
まったく気にしていないようだ。
「ああ、気をつけるのだぞ。」
短い言葉で、送り出す。
くそっ。
相変わらず、俺だけが「分かってねぇ」感じか。
脱力して座席に背を預ける。
トレスティンには、バーミィが憑依して力を与えている。
軽やかに魔獣の背に飛び移ると同時に、グレンガは速度と高度を上げて飛び去って行った。
キルリア領の対魔獣戦線は、ミーリアの要請に応じた第一王子が派遣した増援により反転攻勢に成功。
魔獣たちを駆り立てている魔力源とそれを守護している強力な魔物も、続いて到着した第三王子と精霊使いにより速やかに討伐。
かくして魔獣討伐ミッションはめでたく完了、のはずだったのだが。
俺は、グレンガの放った炎の悪魔に、追い回されていた。