70:討伐
「それにしても、トレスティン様がご無事で何よりでございます……」
馬車の中で、ミーリアが、しみじみとトレスティンの横顔を眺めて口にした。
「トレスティンのことを、知っていたのか?」
ミーリアに問う。
俺は知らなかったけどな!
「第三王子と連絡が取れなくなっていたことは、隠されていたとはいえ貴族の間で噂になっておりました。
そんなおり、アルトクリフ様までもが、単身、王都を離れてしまったものですから……」
あ、俺?
前までは王都にいたことになってんの……?
そいつはまずいな……
なんせ俺は、王都についてほとんど知らん。
ミーリアに教えてもらおうと思っていたところだが、それは他国の戦士ギルであればこその話。
このままミーリアたちに対してアルトクリフとして振る舞うのなら、別なカバーストーリーが必要になってくる。
「それにしても、アルトクリフ様も無事に帰られ、弟君を救われたのですから、まさに英雄譚のご活躍。朝になれば、王都中が歓喜に湧くことでしょう。
よろしかったのですか、我らの領地の魔獣討伐に向かってしまって……?」
むしろその状況から逃げ出したのだよ、ミーリア嬢。
しかし、うかつにミーリアと会話をしていけば、間違いなくボロが出る。
カーマインには、見た目を借りただけだと伝えておいたから、ヤツがうまいことフォローしてくれればいいのだが。
チラリと見ても、カーマインはまだグッタリとしたままだ。
魔力切れは放っておいても時間が経てば回復するが、この様子ではしばらくかかる。
どうしたものか……。
「それにしても、猫の魔物が憑りついていたとは。
トレスティン様には、その間の記憶が残っていらっしゃるのでしょうか?」
ミーリアは、トレスティンに話題を振っている。
よし、よし……。
「面目ないのですが、取り憑かれる前のことも含めて、記憶が曖昧なのです……。
ひどく暗くて汚れた場所に閉ざされていたことは、印象に残っているのですが……。」
やや暗い表情になって、トレスティンが答える。
ほう。
それがバーミィの魂に乗っ取られ、片隅に封じられていた心象風景ということか。
「あ、それでも、時折暗い森の中をうろついていたような記憶もあります。
森の中と、その汚い建物の中を行き来していたような……。
あれが、魔物の居城ということでしょうか……」
それは…… 俺の屋敷のことを言っているのか……?
汚いと言ったか?
いや、まあ、汚いかもしれんが。
バーミィにも、いつも怒られていたからな。
それに、確かに、近づいた冒険者を帰したことはない。
うん、まあ、アンデッドの根城だし、ダンジョンと呼んでもおかしくはないな。
だが、その話は人にされても困ってしまうのだよ、トレスティン。
「トレスティン、今は無理に思い出すことはない。
身体と魂の結びつきも、まだ不安定かもしれんのだ。」
「はい……。
でも、僕に取り憑いていたその猫の他にも、誰かがいたような気がして……」
くっ。
トレスティンの耳元で、囁く。
「トレスティン、その記憶には、重大な秘密が含まれている。
人前では、決して話すな。」
「えっ!?」
「ミーリアも、今耳にしたこと、まだ誰にも話すのではないぞ。」
「は、はい……。」
まずいな。
こんなところから、情報がこぼれだすとは……。
トレスティンが、俺の手元をじっと見ている。
「ところで、その猫の精霊は、本当にもう大丈夫なのですか?」
俺は、懐で丸くなっているバーミィを撫でながら首をひねった。
「すでに討伐して従えている。私のしもべも同然だ。」
「それにしても、兄さんの膝の上を占領して平然としているなんて、図々しい精霊ですね。」
バーミィは、目を瞑ったまま念話でひとりごちる。
「失礼なことをいう奴だにゃ。
僕はマスターに呼ばれてきたのに。」
え、お前って、俺が呼んだのか……?
精霊だとすると、俺がどこかで召喚していたのだろうか。
俺は、大量の精霊を常闇の森に住まわせていた。
そいつらは、もとは俺があちこちで戦ううちにドロップさせた精霊たちだ。
この世界に来て最初のうちは、雑魚精霊のドロップなどそのまま放置していたのだが、野良になった精霊が魔素に飢えて他の精霊や人間種を襲う状況を招いてしまった。
仕方なしに俺はそいつらを片っ端から契約して回収し、魔素生成装置を組んだ森の中に解約して放っていた。
特に、闇系の精霊を数多く召喚したり、周回して集めるようになってからは、仕掛ける術式や魔素を地脈から汲み上げる魔道具も、そいつらに相性の良いものに偏っていった。
魔素を濃く、エリアも広大になった結果が、「常闇の森」というわけだ。
ゲームで言う契約上限や倉庫の拡張の感覚だったのだが、一方で、使えると分かっている精霊以外は放置していた。
こちらの世界には掲示板も攻略サイトもないのだ。
直接契約できる精霊の数も限られる。
強力とは思えないまったく未知の精霊まで育成する気には、ならなかった。
とはいえ、緑二号という自己進化の例を、俺は今回目にした。
すると、このバーミィも、俺が召喚したものの情報がないため放置していた精霊が、自力で進化した姿なのだろうか。