32:暁
この辺りも、かつては人の住む土地だったのだが。
道の跡は砂に埋もれて消え、残された石造りの橋や建物の基礎だけが、かつての人の営みを今に伝える。
貧弱な木々がわずかに枝を伸ばし、下草さえまばらにしか生えない。
打ち捨てられ、崩れかけた砦の跡の脇を通りすぎた時には、カーマインも足を止めて目をやっていた。
「……ね、ここで、戦争でもあったの。」
「いいや。」
戦いと呼べるようなものでは、なかったな。
短すぎる俺の反応に何か察したらしく、それ以上は聞いてこなかった。
もう二時間ほど荒れ野を歩いてきたが、カーマインは音をあげる様子もない。
「カーマイン、どうだ。これで四つのミニクエストをこなしたわけだが。」
「そうね……。
なんていうか、自分が簡単には傷つかない存在でいるって、こういう感じなのかなって。
心が平静になっていくっていうか、こんな、見たこともない景色の中にいるのに、全部が、取るに足らないことみたい。」
「象が蟻を踏んでも、って奴だな。」
「怖いこと、言わないでよ……。」
力を手に入れてはしゃぐような輩じゃなかったことに、俺はホッとしているよ。
「いくつもレベルが上がったってことなのよね。
そのおかげなのかな、アカツキの力も感じられるようになってきた。」
カーマインが、かたわらのルビームーンの背にそっと手を置く。
明らかな戦闘態勢ではないが、警戒は解いていない。
俺の方を見るときの、冷たい目つきも。
アカツキ、ね。
ルビームーン、よりは呼びやすいのか?
ともあれ、俺たちがその名で呼ぶことを、ルビームーンは受け容れなかった。
特別な呼び名、ということのようだ。
「よし、街道も近い。
ご令嬢が歩く姿をさらすわけにもいかんから、ここからは馬車で移動だ。」
馬車は、ある程度自動で運転される。
周囲の警戒と合わせて、バーミィに任せてある。
俺たちは車中で、最後の打ち合わせだ。
「王国の未来をかけた物語が、これから始まる。どうか、わたしに力を貸して。」
攻略にかかわる時のカーマインは、デキる奴っぽい雰囲気を漂わせている。
同じゲーマーとして、敬意を表するぜ。
それに、こういう時の表情も、悪くない。
「主人公たちの動きが不規則で、ギリギリまで計画を立てられなかったの。
本当は貴族と無関係な状態で、状況を展開させたかったんだけれど。」
カーマインのプランが提示される。
「いい? その後の展開を考えると、鍵となるのは三点。」
貴族令嬢の排除、主人公たちとの共闘、馬車の破損。
そこに、バーミィが探った、盗賊たちの布陣と貴族の馬車、それに主人公たちの現在の位置関係を加味して、動きを確認する。
大まかに言えば、俺たちのプランは、カーマインをあるモブ貴族令嬢の代わりに入り込ませることから始まる。
その貴族令嬢はイベントのストーリーにおいて、比較的主人公の近くに最後までいる流れのキャラだった。
カーマインは、その令嬢のポジションを先回りしてなぞることによって、主人公や王国中枢の動きに介入できる可能性が高いと見ているのだ。
今回のエピソードでは、盗賊に襲われていた貴族令嬢を主人公たちが救う。
それがきっかけで王都を訪れることになった主人公たちは、王国での騒動に巻き込まれていく。
「盗賊の布陣の位置関係上、どうしても令嬢の馬車を迂回させるのが難しいの。
仕方ないから、令嬢の馬車が盗賊に襲撃されるところに介入して、先に逃がすように立ち回ることにする。」
「俺たちは、盗賊を引き留める殿役というわけか。
で、盗賊とやりあっているうちに主人公たちと遭遇する、と。」
「そうね。
変装の件だけど、短時間ならギルも人間の振りができる?」
「そうだな、特に戦闘の場面なら武装で気配が分かりにくいからな。問題ないだろう。」
「アカツキはどうかな。」
「そうだな……そのままの格好では、天界の雰囲気が強いから、単なる護衛役には見えないかもしれんな。
これを貸してやろう。」
インベントリから、「レンジャーマント」を取り出す。
ネタ装備のような名前だが、いたって普通の狩人や野伏向けの隠蔽効果付きアクセサリーだ。
レアリティの高いアイテムではなく、その隠蔽効果は低位の対象にしか通用せず、雑魚には気づかれなくなるが、そこそこの魔獣や術者には感知される。
つまり、狩りの獲物を釣るにはちょうどいいのだ。
もう一つ、ゲーム的に言えば、この「隠蔽(低位)」という状態は、「高位者の気配」を上書きする処理となっていた。
探知を受けても、「低位の隠蔽を行っている存在」としての見え方が優先されるという副次的な効果だ。
今回は、この効果に期待することになる。
「ね、アカツキ。
あなたは、そのままじゃ、ふつうの人間の従者にはちょっと神々しすぎるっていうか。
ギルが使っていたっていうと、忌まわしいとか、嫌な気分になるかもしれないけど……」
「我が主よ、死霊の装束を羽織って堕天使の振りをしろということか。」
「いや、そこまでの話じゃないだろ……」
「そう、あなたは地上に墜ちた天界の戦士。今ひと時、世界の安定のために、人間である私に力を貸してくれているの。」
俺の一言はスルーされていた。