29:ムーン
ゆっくりと床にくずれていくカーマイン。
「残念ながら、コストオーバーだ。」
俺の言葉は届いたのかどうか、カーマインの目は閉じていた。
ルビームーンバルキリーも、悔しそうな表情を隠しもせず、光の粒となって霧散していく。
天界で生み出される霊体兵装群、喋らない精霊という設定のはずだが、こうして具現化すると意外と表情豊かなものだ。
バルキリーのシリーズは、ゲーム初期からの精霊だ。
当初は中堅の精霊で特段の特徴も無く、色違いの数増し感が否めなかった。
なんせ星ごとの七種のキャラ絵に対して、宝石五種の装備で色やデザインが微妙に変わるだけだったのだ。
が、二次創作で取り上げてヒットさせた作家がいて、あとから半公式になったことで順当に性能も強化されて、息の長い人気を得ることになった。
その中で、ムーンは「衛星」であることがモチーフにされていて、「あなたが、私の中心」「そばにいて、いいですか」などのセリフが透明感のある華奢な声で与えられている。
ちなみに、セリフは図鑑では聞けるものの、ゲームの中ではしゃべるシーンが無い。
「バルキリーなど天界勢力の精霊は干渉を避けるため、地上の人間とは会話が禁じられている」「セリフは常にひとり言」というのが公式の呟いた設定だった。
が、仕様変更や機能追加の保留のような、中の人の都合ではないかという噂も消えなかった。
ヒットした二次作品でのムーンは、月の満ち欠けになぞらえて陰から陽まで振る舞いはかなり変わるものの、基本ストーカー気質として描かれていたな……。
のちに、かぐや姫をもじった公式イベントのストーリーに登場した時には、他の精霊主に無茶な条件を出してわがままな美姫を演じつつ、最後は人間界に干渉してはならないという禁忌を冒してまで主人公のもとに向かいゲートをくぐるという綺麗な役どころとなっていた。
が、『あなたの重力が、わたしを墜とす』『月は、いつもあなたの方を向いている』といったセリフがそこはかとなくヤンデレ感を醸し出して印象的で、ネットでも星のクズ作戦とかしばらく話題となっていた。
ムーン、向こうでは俺も当たり前に何体も持っていたけどな。
雑多な情報を思い出しつつ浸っているうち、寝ぼけた様子のバーミィが隣の部屋からやってきた。
「おはようございます、マスター。なんの騒ぎですか……?」
「カーマインが、大物を召喚してしまったのだ。
維持するための魔力負荷に耐えられず、御覧のありさまさ。」
「ああ……。」
曖昧なリアクションであくびをしている。
寝ぐせもフワフワと柔らかそうで、朝の光に輝いている。
「大技を無理に使ったわけでもないから、すぐに目を覚ますだろう。
心配するな。」
「あ、はい。心配は特にしていませんが。」
共鳴がどうとかカーマインは言っていたが、少なくともバーミィの方には、あまり響いたものがあるようには見えんな。
カーマインを部屋の隅の毛布に寝かせ、朝食にする。
パンに野菜や肉を挟んでかぶりついているバーミィを眺めながら、紅茶に口を付ける。
バーミィが食べ終わったのを見計らってお茶のお代わりを頼んだところで、カーマインがむくりと起き上がってきた。
「あらためておはよう、というべきか。
思ったより早い回復だったな。魔力上限自体は、なかなか高そうだ。」
「うー。なに、コレ。」
「魔力切れの一種だな。貧血みたいなもので、一度に大きすぎる負荷がかかると、気絶したり意識が混濁したりする。
カーマインの身体はまだこちらにきたばかり、いうなれば初期レベルだ。
高レアリティの精霊を受けいれるほどの魔力、つまりコスト上限がない。」
「デッキコストってやつね。そっか、あんまり意識したことなかったな……。」
「コラボ限定ガチャの精霊は、コストがかなり低めに設定されているからな。」
コラボ目当てにゲームを始めたばかりの新規プレイヤーでも、いきなり高位精霊をデッキに入れられるようにという、接待調整だ。
それに対し、コラボではない通常のガチャ精霊では、古くからいて強化を重ねているほどコストが重いという特徴がある。
古い精霊は古参プレイヤーにしか使いにくいようにすることで、バランスというかご機嫌を取っていたのだろう。
「あの精霊は……?」
「ああ、いったん具現化が解かれている。デッキには入れられなくとも、契約は成立していた。
少し経験値を稼いでレベルを上げれば、すぐに呼べるようになるさ。」
ふう、と息を吐くカーマイン。
「召喚に失敗したわけじゃないんだ、よかった……。
赤い髪の子……。ルビームーン……?」