102:就職活動
「はい、ぜひ。」
いきなり腕を掴むという自らの行動に驚いていた俺は、反射的に応えてしまった。
なんて?
バイトへの応募?
もう一度張り紙に目をやる。
急募、短時間でも大歓迎うんぬん。
ふつうにコンビニスタッフの募集だ。
コンビニ勤務なら、友人に誘われて学生の頃にしばらくやっていたことがある。
別に嫌になってやめたわけではなく、オーナーが高齢で数か月後には店をたたむことになって終了してしまったのだが、もう十年も前か。
配送も決済も、いまほど複雑なサービスを扱っていたわけではない。
仕入れや廃棄もずいぶんと変わってしまっているだろう。
改めて新人気分か。
今の部屋の家賃を払うには、手取り的にはややきついか……?
いや、無職で過ごしてきたことを想えばはるかにマシだろう。
だいたい、正社員の職を探すとしたら、どうなる。
履歴書は空白期間が長いぞ。
そもそも、人里からも離れて暮らしていたんだからな。
どんな業務に就くかか分からん会社勤めよりは、範囲が分かる仕事ですむ店員というのもリハビリとしてありかもしれんな。
頭の中を色々な計算が巡り、そこにはまた奇妙な項目が入り込んでいる。
人里から離れて?
今の暮らしが孤独だったって話か?
いや、話し相手には困っていなかったぞ。
なあ、〇▼×よ……。
誰かに同意を求めようとして、そこには女店員がいるだけだった。
「あ、あの。
今、ホントに人手が欲しくて困ってるんです。
でも、うち、ふだんはブラックってわけじゃないんですよ。
むしろホワイト、そう、とってもピュアホワイトって感じなんです。
たまたま、うちの両親がいっぺんに動けなくなっちゃって、おかげで私がフル稼働になっちゃってるだけなんですぅ。」
よく見れば、女店員の目元には隈が目立っていた。
俺のぶしつけな視線に気づいたのか、顔を赤くして手で覆ってしまった。
いかんな、女性の疲れた姿をまじまじと見つめるなぞ。
「ええと、六時、六時になれば朝のシフトのパートさんが来てくれるので、その後ならもう少しちゃんと説明とか面接とかできます。
期間も、短くても大丈夫です。
ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんです。
……私のそばに、いてくれませんか。」
いつのまにか、腕を掴んでいた俺の手は、女店員の胸元に抱え込まれていた。
なんだか奇妙な雰囲気だが、俺は目先の仕事の当てもないし、困っていて歓迎されるのなら、しばらく世話になるのもありなのではないだろうか。
とりあえず、話を聞くだけだしな。
「それじゃ、六時半頃にもう一度伺うようにします。
詳しい話はその時に。」
「はぁぁ……!
救世主降臨来たコレ……
しかも神引きクラスって、最高かよ……!?」
ぱあぁ、と効果音が脳裏に浮かぶほどの笑顔が、ガラス越しに差し込む赤い光に浮かび上がっていた。
なんか心の声が表に出てるし。
赤い光?
店の前の駐車場から、バックでこちらに勢いよく向かってくる黒いクルマが目に入る。
ブレーキとアクセルの踏み間違えか、猛烈に加速している。
女店員を脇にかばい、シンプルな防御スキル「ディフェンシブ」を発動させる。
ガシャンパリンバキバキというガラスを突き破る連続音の直後に、バアン、と固い壁に叩きつけられような音をたてて車は停止した。
衝撃で運転手の足がペダルから外れたのか、エンジンは静かになっている。
手のひらでクルマを止めた俺を見て、女店員が目を丸くしている。
「いやいや、俺が受け止めたわけじゃないぞ。
たまたま停止したのが目の前だっただけで、いやー、危なかったな、ほんと。
ツイてるよ、あんた。」
何かをやっちまった感は否めず、俺は反射的にまくしたてていた。
女店員は少し目をキョロキョロとさせていたが、やがて目の前の現実の方にピントを合わせたようだった。
「え、えええぇ……。
運転手さん、無事ですか……?
ていうか、お店、これ、どうしたらいいの。
お母さん、お父さん、ねえぇ……」
壊れたロボットのようになってしまった店員を、ガラスの破片のないあたりで適当に座らせると、俺はクルマの運転席の様子を見に行った。
座っているのは白髪の爺さんだった。
「大丈夫か?」
さっきの勢いだと、ひどいむち打ちになっていてもおかしくないかもしれん。
話しかけても、返事がない。
おいおい、口から泡吹いてんじゃねえか。
単なる打ち身とかじゃあ絶対ないぞ。
「きゅ、救急車、119番通報してくれ!
俺はいま、スマホも持ってないんだ。」
店の中に向かって叫ぶと、女店員は必死の形相でうなづいて電話機に取りついていた。
爺さんはやばそうな様態だが、人工呼吸とかそんな感じじゃあない。
ああ、もう。
爺さんに、治癒のスキルを発動させる。
なんで出来るんだ、こんなん。
俺、どうなってんだ?
ほのかな光に包まれた後、カフッ、カフッという軽い咳と共に、爺さんの呼吸が戻ってきた。