101:コンビニ
ペポペポペポーン。
もう一度、頭の中で電子音が再生される。
ペポペポペポーン。
やはり、どう考えても久しぶりに聞く。
職を失い、家でグダグダ過ごすようになってからも、このコンビニには日常的に来ていたはずだ。
どうなってんだ、俺の感覚は。
不可解さを抱えたまま、蛍光灯に照らされた店内に進む。
コンビニの中は、無人だった。
バックヤードで品出しでもしているのか、レジにも人がいない。
見上げると、時計は午前四時を示している。
外にも、ひと気がないわけだ。
確認しておきたいことが幾つかあった。
ATM端末にカードを入れてみる。
口座に金は……まだそこそこある。
忙しく働いてた時には、使う暇も無かったからな。
使うといっても、外に出ていないんだから、食い物と家賃くらいか。
しかし、今の部屋に暮らして食いつぶしていたら、半年もつだろうか。
いつまでも引きこもっているわけにはいかないか。
……何かほかにも使い道があったような気がするが、なんだったかな。
趣味っつっても部屋には大したもの置いてないし、さっぱりしすぎて殺風景って感じだったけどな。
財布に多少の現金を足すと、ATMから離れた。
なんだろうな。
ぼんやりしてるし妙な違和感はいろいろあるんだが、仕事を辞めたあとのような、強い自己嫌悪や絶望感は浮かばない。
冷静さを取り戻してるっていうか、まるで昔の出来事みたいな距離感なんだ。
会社も会社でおかしかったし、俺も俺でどうにかしてた。
なんにしろ、あそこには未来はなかった。
ま、どうにかやり直していくしかないって考えが、ふつうに浮かんでくる。
よく分からんが、立ち直ってるのか、俺?
自分の手のひらを、じっと眺めてみる。
前は、嫌な感じの汗をよくかいていた。
今はさらりとしている。
それに、細くしなやかだが力強い、長い指。
こんなに、俺の手って大きかったかな。
それでもって、なんつうか、万能感っていうの?
自分に力が溢れてるような感覚が、さっきからあって。
正直、そこらへんの有象無象には負けないっていうか、生命力、生き物としての存在感……、妙な自信が。
記憶の混乱といい、俺、何かおかしなクスリでもキメてたりしないよな……?
ちょっと別な意味での不安が、首をもたげてくる。
飲料が並んだガラス棚に、自分の姿が映っている。
カラフルなボトルや缶が中に並ぶせいで見づらいが、パーカーを羽織ったイケメンがそこにいた。
えっ。
思わず、二度見する。
超イケメンだった。
えっ。
日本人離れっていうか、いや、確かにもとからこんな顔つきだったかもしれないけれど、超絶美化っていうか、え、俺の目、いや頭がおかしいのか。
ちょうどそのとき、キィ、と小さな音を立てて、バックヤードとつながる戸が開いた。
二十歳くらいの若い女の店員だった。
ガラスで自分の姿を凝視してたのをごまかそうと、俺は慌てて脇の張り紙を見ているふりをする。
俺の存在に気づいた店員は、だるそうに小さな声で「いらっしゃ…」までつぶやきかけて目を見開いた。
息を飲む、ひっという音さえ聞こえた気がする。
おかしな足取りでじりじりとレジに向かいながら、明らかに俺をガン見している。
目を合わせるのもはばかられて、俺は張り紙を眺め続けている。
直接見なくとも、視線とか間合いとか、相手の気配が、妙によく分かる。
なんなら、もしあの子が敵で呪文でも唱え始めようもんなら、この状態から一秒半で口をふさいで制圧できる確信まである。
っておい、呪文ってなんだよ。
なんで暴力振るうんだよ。
物心ついてから四半世紀、喧嘩らしい喧嘩なんてしたこともないし、……ないよな?
拳を眺める。
手を握ったり開いたりすると、そこに何か固いものを握っていた感触が残っている。
棒状のもの。
素早く手首を返したり、強い力を込めて打ち込んだり。
そんな手応えを、指が、手のひらが覚えている。
これ、大きな工具とか……いや、こんなに激しく振り回す道具があるか……?
何かをぶち壊すほどの勢い……打ち込んだり、払ったり、突いたり……剣術……?
しかも、昔からとかじゃないな。
身体になじみ切ってはいない。
最近、身に付けかけてるって感じの動き。
そう、激しい訓練を繰り返してたような。
「あ、あの」
近づきもせずに、店員が声を掛けてきた。
うぉ、やばい。
「え、はい。」
挙動不審をごまかすために、なんとか微笑んでいる風に表情を作ってゆっくり振り返った。
女が、片手で口元を、もう片手で心臓のあたりを抑えるのが目に入る。
その表情は、恍惚し正常ではないものだ。
数知れない対人戦の経験が、無意識下で俺の身体を突き動かした。
詠唱の振りをしつつ、実は胸元の呪具を発動か。
撹乱しつつ殺気も隠しきるとは、なかなかの腕だ。
暗殺者か、あるいは、何かの術で操られているのか。
呪具の発動を、止める。
すなわち今の俺の手持ちスキルでアイテムの発動をキャンセルするには、直接相手に触れて「封呪」を行うしかない。
……待て、俺は、何を考えている?
「バイト、探してるんですか?」
店員が口にした時には、四メートルの距離はゼロとなっており、その胸元の手に俺の手が重ねられていた。
「はい。ぜひ。」
俺は、思わずそう答えた。