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このトイレのない世界で 1  作者: 山村 草
9/11

08.前夜祭


 ビフィスの街の中央にある広場、その側に時計塔はある。そして天辺まで登れば広場にある噴水を見下ろす事が出来る。背後にある時計の針は八時四十五分を指している。その時まであと十五分程。その時はもう少し早いのかも知れない。それとも、もう少し遅いのかも知れない。この時計に秒針と言われる物はなかった。一分置きにカチリと分を示す長い針が動き短い針も少しだけ動く。私がこの世界に来て最も感心したのはこの時計と言う物かも知れない。どうして時を正確に刻めるのか。それはその仕組みをいくら説明されても分からなかった。セイジやエアリィもこの世界の時計を凄いと褒める。時計を動かす動力がどこから来ているのか分からないからだという。だがこの時計塔の物だけは違った。ここの物はビフィスに流れ来る水を動力源としているのそうだ。この水の力でゼンマイと言う物を巻き時計を動かす動力に変えている。そしてその動力は時計だけでなくその下にある鐘を鳴らす力にもなっている。その時が来れば鐘は鳴り街の人達に時刻を音で報せる。とんでもない事を思いつくものである。

 時刻は八時五十分になった。鐘が鳴るまであと十分ある。

 私は精霊様に祈る。力を貸してほしい。この街を守れるだけの力が欲しい。この街を襲う悪漢達を見通せる高さまで飛びたい、と願う。

 この世界の精霊様は私にとても優しい。私の願いはすぐに風の精霊様が叶えてくれた。時計塔の上、ただでさえ高い時計塔の遙か上空に私の身は浮かぶ。

 街が一望出来る。セイジに言われるまで精霊様の力でこんな事が出来るとは全く思ってなかった。セイジの発想力は本当に凄かった。私はこんなにも自由に空を飛ぶことが出来たのだ。

 顔を上げ街の外を見る。北、東、南、西、そしてまた北と一周ぐるりと回って眺める。周囲は暗くただ闇が広がっている。だがその闇の中でマナが気持ち悪い流れ方をしている所があるのが私には分かった。北と南、東と西、それに南東の方角に一つずつその違和感を感じる。敵は前回のように一方向だけでなく複数の方向から襲ってくるつもりなのが分かった。

「これが戦力調査の答えか」

 確かにこれならティレットの使う力が如何に強大であったとしても目的が果たせる。ティレットが正面の敵を倒したとしても残りの四箇所の部隊が攻撃すれば目的は達成されるのだ。

 時計を見下ろすと時計の針は八時五十五分を指している。鐘が鳴るまであと五分。

 ふと、背後の違和感が強くなる。マナの流れが歪み集中する。再び同じ歪みを感じる。今度は西側だった。それだけではなかった。先程の異様なマナの流れを感じた方角の全てからまるでマナが悲鳴をあげているような気持ちの悪さを感じる。その五箇所全てから同時に魔法攻撃を使うつもりなのは明らかだった。

 私は目を瞑り精霊様に祈る。どうか私に力をお貸しください。

 私の周りで精霊様が舞い踊るのが感じられる。そして全身の毛が逆立つようなマナが私の周りに集まってくるのを感じる。

 歪なマナが闇の中で形を作り暴れだす。

 時計の針が動く音がする。

 そして、時計塔の鐘が九時を報せようと鳴り始めた。


 鐘の音が聞こえる直前にその集団は動き始めた。私達の住むエアリィの家は街中から少し外れた場所にある。そこまで誰の目にも触れぬよう逆算されて導き出されたルートは目的地まで走って三十分はかかる所を出発点としていた。目立たないよう黒いローブを着た八人の男達がその事前に定めたられたルートを走り出す。あの中にポール将軍がいるのだろうか。私も走り出した男たちを追うために走る。洋子さんに指示された地点までは気付かれないようにただ後を付けるだけ。それまではただ静かに尾行する。

 洋子さんにこれを着ろと渡された服をエアリィはメイド服と呼んだ。いつも洋子さんが着ている服と殆ど同じだった。私は普段の服、オーメルで着ていてこの世界に来てからも着続けている服の上にそのメイド服を着た。エアリィも洋子さんも似合うと褒めてくれた。イーレは私も着たいと目を輝かせていた。私はと言うと非常に動き辛いのでかなり苦手だった。なぜこの服を着るのかと聞けばこの格好そのものが相手に対する脅しになるのだと言われた。

 男たちは予め定められたルートをただ進んでいた。道中分岐点はあるがそれはこちらが事前に塞いでおいた。彼らが想定していたいくつかのルートは全て把握していたがそうして塞ぐことにより彼らが通るルートはこちらの意図したルートになる。だから彼らが進む道は全て私達の掌の中という事である。

 男たちは建物と建物の谷間に当たるその道を走り左へ曲がる。真っ直ぐ行けばその先にはその近所に住む人が道を塞いで宴会を開いている。当然男達は人目を避けるのでその道を避け左に曲がる。ここの近所の人達は酒好きでちょくちょく宴会を開いている事は知っていた。だから樽いっぱいの酒を送り飲み会をするように促した。そうして道を塞ぐことに成功した。

 その道を左に進んだ先には宿屋があった。そして街の外ではドーンと轟音が鳴り響く。イーレが外からの襲撃者に反撃を食らわせたのだ。宿に泊まる人々は何事かと様子を見に外に出る。当然男達は宿泊者達に見つからないように進路を変える。これもこちらの想定内。

 そうして曲がった先を行けばやはり行き止まりがある。そこでは工事が行われている。ここは区画整理のためあまり使われてない道を潰し新たに居住区にしようと言うものだった。だが本来一週間後に行われる筈だったのを前倒ししてやってもらうよう依頼をした。これには木材の価格が平常通りに戻った事で再び仕事を再開することが出来た大工達にとっては願ってもない事で私達の願いは簡単に受け入れられたのである。

 男達は酒場の近くまで来た。先ほどまで飲んでいた客達が店を出て騒いでいる。そして男達は進路を変える。その先には辻占いをする老婆がいた。結構当たると評判なのだがこんな時間を選んで店を出すのは判断力の鈍った酔客を釣るためである。これは進路を変えて行けば自然とこうなるように仕組んでの事である。

 男達がこちらの想定通りに進路を変えて辿り着いた場所は洋子さんから攻撃するように指示された場所であった。言われた通りにフルーレを抜きその丸い切っ先に意識を集中させA(仮)の力で作り出した火球を放つ。火球は一番後ろにいた男の後頭部に命中し昏倒させる。その前にいた男がその男を気遣い足を止める。私はその男の頭に火球を当てる。これで八人のうち二人が倒れ残るは六人になった。

「ここは俺が止める!先に行け!」

 その内一人が足を止め私の前に立つ。足元には二人の男が転がっている。その二人を挟むように対峙する私と男。

「メイド…。おのれ!邪魔はさせんぞ!」

 男は剣を抜きこちらに斬りかかってくる。私は当然のようにそれを躱しA(仮)の火球を連発する。意外にも男は躱し私目掛けて剣を振るう。さすがは軍人、中々腕が立つようだと感心する。だが洋子さんほどの動きではない。幾度かの剣戟の果てに私がA(仮)の火球を男の後頭部に直撃させるとあっさりと気絶した。


「ご心配ですか?」

「ああ、それなりにはね」

「大丈夫です。私の仲間がなんとかしてくれます」

 その老人の名前は天川弥彦という。今年で七十三歳になる。人間と言うのはそこまで長生き出来るものではない。老いて体力は衰え今までのように動く事は出来なくなる。だがこの天川氏は違うようだ。ビフィスまでの長旅の後でも疲れてなどいないのだと言う。

「天川さんは御手洗さんと出会った事はありますか」

「ああ。何度かね。長々と話すような間柄ではなかったが」

「そうなんですか?」

「でも、一度だけ酒を飲み交わした事がある」

 御手洗氏はおそらく清治と同じ世界で近い時代から来たらしい事は分かっている。だがこの天川氏は御手洗氏とは別の世界から来たのだと言う。この天川氏も異世界人だ。

「奇妙な物ですね。同じ日本語を話しているのに。名前だって似てるのに」

「ああ。私も驚いたよ。てっきり同じ世界から来たと思ったら随分と様子が違うんだ。歴史もかなり違っているようだったし」

 私達が知らないだけで実は僅かに違う世界と言うのはもっと無数にあるのかも知れない。ひょっとしたら私と清治のいた世界は同じ世界ではないのかも。

 壁に掛けられた時計が鳴る。遠くで時計塔にある鐘が鳴る音がする。時計の針は九時を指している。

「時間だな」

「ええ。おそらくあと三十分というところでしょう」

「全く、よくもまぁこんな事を思い付くものだな」

「はい、賢者ですから」

 私がそう言うと老人は静かに笑った。


「東西南北、全ての物見櫓をお守り下さい」

 私は精霊様達にそうお願いした。精霊様はその願いを快く叶えてくれた。街の外で放たれた火の魔法は櫓を焼く前に水の精霊様が掻き消してしまう。櫓の監視目掛けて放たれた氷の矢は火の精霊様が蒸発させた。敵の魔法は精霊様が食い止め、東西南北の四箇所にある自警団の物見櫓は敵の攻撃を受けてなお全て健在である。

 それでも敵は諦めない。再びマナの歪みが物見櫓に向かって流れていく。だがそれも再び精霊様が防いでしまう。そんなやり取りが何度か繰り返される。

 私に与えられた役目は敵の魔法使いの攻撃を防ぐ事と敵の位置が分かるように灯りをともす事だ。攻撃が一度止んだ隙に私は再び精霊様にお願いをする。

「火の精霊様、そのお力で悪い魔法使いを照らして下さい」

 瞑っていた目を開くと街の周囲五ヶ所で爆発が起こり明るくなる。火の精霊様が敵の眼前で爆発を起こしたのだ。その後も火は消えず敵の姿を照らし続ける。

 直後大きな叫び声が全ての方角から聞こえる。敵の位置を把握した自警団が攻撃を開始したのである。

 火の精霊様が起こした炎に照らされた敵は逃げるように後退をする。迫る自警団。だが敵は逃げたわけではなかった。

「精霊様!あの人達を守って!」

 敵のうちにマナの歪みを感じ精霊様に願う。自警団の目の前に迫る火の球は直撃する寸前で水の精霊様に掻き消される。北でも南でも東でも西でも同じ事が起きていた。敵の魔法使いだって馬鹿じゃない。こんな戦場など幾度も経験してきただろう。自警団との戦闘経験の差は明らかだった。このままでは私一人では対応することは難しいと分かる。

「精霊様、私の体をお貸しします。代わりにその力をお貸し下さい」

 目を瞑り祈る。頭の先から足の指の先、手の先、そして髪の毛の先に至るまで全身がマナで満ち溢れるのを感じる。エアリィはこれを憑依状態と呼んだ。自分では見ることが出来ないが髪の色まで変わっているのだという。あの日、あの時、ティレットとウロボロスと言う超常の存在を前にして大喧嘩をした時と同じだ。あの時はティレットに対する怒りがそうさせたのだが今はこの街、ビフィスと言う素晴らしい場所を、そしてそこに住む人々を守りたいという願いがこうさせているのである。

 私は四ヶ所の歪みにマナの塊を放つ。その仕草は火球を放つティレットとまるで同じな事に気付いて思わず苦笑する。そして残りの一箇所目掛けて全速力で飛んだ。

 近付き初めて目にする魔法使い達の姿。ローブを目深に被ってはいるが私の姿を見て驚いているのは分かった。

「コイツがティレットか⁉構わん!吹っ飛ばせ!」

 その中の誰かの声の直後に目の前でマナが歪み私に向けて魔法が放たれる。私に直撃する魔法。だが私に傷は付いていない。今の私は私であると同時に精霊様そのものだ。精霊様の力で象られた魔法が精霊様を傷付けられるわけがなかった。

「ば、化け物か⁉」

 驚き尻もちを付く魔法使い達に私は精霊様の力を使う。つむじ風が巻き起こり敵は目を開けるどころかその強風で立っている事すら覚束ない。

「うおおおお!」

 そして怒声とともに現れた自警団が無抵抗となった魔法使い達を取り押さえる。

「イーレさん!こっちは任せて他の所も頼む!」

「分かった!」

 私は再び空へと舞い上がろうと力を溜める。

「イーレだと⁉ティレットじゃないのか⁉」

「ああ、黒魔術師なら街の中にいるぞ」

 私は身動きの取れなくなっている魔法使いにそう言うと空高く飛んだ。


「外ではだいぶ派手にやっているようですね」

 二階の窓から外を眺めると時折遠雷のような光が見える。

「あれをやっているのは君の仲間の魔法使いか?」

「はい。私達と同じ異世界人の、名前はイーレと言います。今は自警団と外の陽動部隊を引き止めてくれています」

 ウロボロスの前での大喧嘩の時、イーレはティレットの世界を滅ぼしかねないような猛攻を受け止めたり弾き飛ばしたりと難なくいなしていた。一方のティレットはイーレの攻撃をその高い身体能力で躱すだけだった。これが今日イーレを自警団と組ませた最大の理由だった。

「相手も魔法使いか」

 天川氏はそう呟く。

「全くとんでもない事をしたものだ」

 そしてそう言ってため息を吐いた。

「まぁ彼の心理も分からなくもないですけどね。今までの地位の一切がなくなってしまうわけですから」

「大人しくしていれば閑職とは言え何不自由なく暮らせるというのに」

 再びため息を吐く天川氏。そのただのゆっくりとした呼吸は何か溜めの動作であるようにも見える。

「その彼も今こちらに向かっているところです。そろそろ準備をお願いします」

 時計の針は九時二十分を指していた。


 これが敵の本隊かと思うと酷くあっさりしていて拍子抜けだった。高々数分追いかけ回し適度にA(仮)の力を当てるだけで倒れる男たち。エアリィ邸まであと十分という所に来て遂に敵は三人になった。

 そして変化が起きる。敵が六人に増えたのだ。

「大変です!例のメイドが!」

「何言ってるんだ⁉︎メイドはこっちに!」

 そう、敵の本隊は二手に別れていたのである。東からエアリィ邸を目指す部隊と南から目指す部隊だ。こちらは当然そんな事織り込み済みだった。その二つを洋子さんと二手に分かれて追い攻撃しその戦力を削いでいたのである。

 私は再び火球を作りその男の一人に当てる。残りは五人。

 倒された仲間に手を差し伸べようとした男をその目の前に現れた洋子さんが倒す。残りは四人。

 私は洋子さんの後ろに立つ。足を止める男たち。

「なんでメイドが二人も⁉︎こんなのは聞いてないぞ!」

 男のうちの一人が叫ぶ。今日に至るまでエアリィ邸に忍び込んだ何人かの不審者がいた。洋子さんが捕まえ尋問したが誰の差し金かは分からなかった。相手も隠密行動のプロだったからだ。洋子さんはその事を逆手に取り最後の一人にある程度の恐怖を植え付けた上で帰還させた。つまり手を出したらどうなるのかと伝えさせるためである。それがエアリィ邸にいるメイドに対する警戒心を抱かせた。私もこうしてメイドの格好をすることで相手を混乱させる事くらいは出来るのである。

「ここは私達が食い止めます!お急ぎ下さい閣下!」

 四人のうち二人がこちらを向き、残る二人が駆けていく。

「このおおお!」

 私達の足を止めようと残った二人が叫びながらこちらに駆ける。

「ティレットさんはあの二人を追って下さい。ここは私が引き受けます」

「いいの?行きたいのは洋子さんでしょ?」

「残りの三人はそこそこ腕が立ちます。私なら二人を倒してでも追い付けます」

「言うじゃない?ならそうさせてもらうわよ」

 二人の男達を軽々といなす洋子さんを見て私は走り出す。

 洋子さんの見立ては本当で私の放つ火球は残りの一人に軽々と弾き飛ばされた。もう男達は人目につく事も厭わなくなっていた。剣で弾き飛ばされた私の火球は地面を跳ね小さな爆発を起こす。威力こそ小さいが音はそれなりに出る。もっともこの辺りでは人も少ないしそれで目立つわけでもないのだが。そう、もう見慣れた場所まで来ているのだ。遂に男達はエアリィ邸の門に手を掛ける。あっさりと開く門に彼らはなんら疑問を抱いていないようだった。

「早く中へ!あのメイドは私が引き受けます!」

 男はもう一人の男を門の中に押し込めると私の方を向く。

「閣下の邪魔はさせんぞ!メイド!」

「うん。もう良いわよね?こんな格好してなくても」

 正直動き辛くて敵わなかったので私はメイド服を脱ぐ事にする。不思議な事に肩のボタン二つを外すだけで簡単に服を脱ぐ事が出来た。

「ふう。これでかなり楽になったわ。やっぱりこの格好が一番ね」

「貴様!メイドじゃないのか⁉︎」

 男は叫ぶ。

「そうよ。私の名前はティレットっていうの。聞いたことない?」

 私がそう言うと街灯の心もとない光の中ではあるが男の顔が青ざめるのが分かった。


 上空からマナの塊を放りなげ、残る一つに突撃する。そんな事を繰り返して残りは後一つ、南東の部隊を残すだけになっていた。ここに来て敵の目的の一つ自警団を街から引き離す事には成功していた。

「馬鹿め!自警団が街を空にすることこそ我々の目的だったのだ!」

 魔法使いの眼前に降り立った私はその魔法使いの中でも一等悪どい顔をしている男にそう言われた。

「お前もいくら強い魔法が使えるからと言って私達と街の中の部隊両方を相手にする事は出来るわけがない!」

 男の言うことは確かに正しかった。強気な態度も分からなくない。

「魔法使いティレットよ!あとはお前さえ倒してしまえばポール様の目的は達成される!やれ!」

 男の背後でマナが歪む。確かに今までの魔法使いの魔法とは規模が違っていた。だが精霊様の力の前ではただ無力だった。

「どういう誤解をしているのか知らないが、私は黒魔術師ではないぞ。私の名前はイーレだ。それにお前たちの本隊はティレットと洋子さんが追っているぞ」

「なにぃ⁉」

 先程の強気な態度とは打って変わって驚きの表情を浮かべる男。

「お前は街道警備隊で街の外に出ているんじゃないのか⁉」

「ああ、こうなるって分かってたから行かなかった。あと、後ろ」

 私は男の背後を指差す。木の棒を振り上げているラベール。男が振り向くとそれを脳天に振り下ろす。男は妙な声を上げて倒れる。

「ちょっと、イーレ。なんで言っちゃうのよ」

「いや、実は警備隊が途中で引き返して来ててすぐ後ろにいるぞ、と教えてやろうかと」

「取り敢えずこちらは片付いたようだな」

 男の背後にいた魔法使いをロープで縛り上げながら言う桂花。実は今朝方警備隊に大規模な盗賊団が迫っていると通報があった。もちろんこれが警備隊をおびき出し街の戦力を削ぐものであるとは容易に想像がついた。それにその通報自体は今夜の襲撃を踏まえれば事実と言えば事実であったのだが、それとはまた別の盗賊団かも知れないという事で一応警備隊として出動はしたのである。足の速い牛馬を使い通報の場所に行って確認しまた戻ってくる。確認した結果この通報が警備隊をおびき出す偽の通報である事が判明し街道警備隊はおびき出されたふりをしてビフィスから南東にある森で待機していたのである。そして騒ぎに乗じて戻ってきたというわけだ。

「イーレ、ここは任せて行っていいよ」

「大丈夫だとは思うがティレット殿が失敗していないとも限らぬ」

「ああ、あとは任せたぞ」

 私は再び空高く舞い上がりビフィスの街の豪華な家が建ち並ぶ辺りに目を向ける。私達の住む家が普段は照らされない街灯でハッキリと見える。

「もう少しだな」

 私は一つ息を吸ってその家に向かって急降下を始めた。


 残る一人の男の強さは本物だった。私の身に付けた付け焼き刃のような剣技では全く歯が立たない。だが相手の剣も私に届くことはなかった。こうして直に戦ってみると私の身体能力がここの人間とは比較にならない程高いことを再確認する。その理由は簡単だ。私の世界では人間の身体能力が高くなるように進歩させてきたのである。世界を生き長らえさせるためにありとあらゆる方法を模索した私達の先祖達。彼らは人間の身体能力すらその世界のために底上げしたのだ。

「くそ!なぜ当たらない!」

 必死で私を倒そうと追いかける男。躱し逃げる私。先程とは立場が逆である。もし私を逃がせばポール将軍を止められてしまう。そう考えているのだろう。

 私はある考えを持って男を裏庭まで誘導する。ここには洋子さんと剣技を練習した時の剣がそのままになっている。

「追い詰めたぞ!邪悪なる黒魔術師め!」

「ちょっと待って、イーレじゃあるまいしなんでそんな呼び方するの?」

「魔王軍をただの一撃で退かせた恐るべき魔術の使い手だからだ!」

「あー?ったく偏見もいい所ね」

 A(仮)の力は余程奇異に見られるらしい。

「だがそれもここまでだ!ここで死んでもらうぞ!」

 男は言うや否や剣を振りかぶって襲いかかってくる。私は手に持っていたフルーレに力を込める。棒状の刀身が赤く光りだす。

 男の剣に私はそれを合わせる。

 例の如く砕けるフルーレ。男の剣は逸れこそしたが未だその形を保っている。私は傍にあった剣を手にし力を込める。その太い刀身が赤くなる。再び襲いかかってきた男の剣に私は手にした剣をぶつける。

 キーン、と間の抜けた音を立てて刀身は折れた。私の持つ剣と男の剣、その両方の剣が折れた。その衝撃で飛ばされ尻もちを付く男。もしセイジが見ていたら魔法剣だと騒いでいただろう。私が裏庭まで男を誘導した理由がこれだった。剣さえ折ってしまえばいくら剣技に長けていたとしても関係ないのだ。

「これでお終いよ」

 私は転がっていた小型の剣を拾い上げ男の眼前に向けA(仮)の力でその切っ先に火球を作る。男は項垂れる。

「参った。一思いにやってくれ」

「…そう。分かったわ」

 私がその火球をそのまま放つと男はあっさりと気絶した。


「ようこそ。ポール・バレンティヌス将軍。道中ご苦労様でした〜」

 時刻は九時三十分。予想ぴったりの時間にポール将軍は現れた。息は荒く肩を上下させているのが分かる。この家の玄関はとても広く大広間と言って差し支えない程の広さがある。その真ん中に椅子を置いてそこに座り私は彼を出迎えた。

「お前が賢者エアリィか?大人しく御手洗の手記を出せ」

 ポールは剣を抜き私に向けて言う。

「これ?これがなんだって言うの?」

「お前には関係ない!」

「あるわよ〜。だいたいこんな時間に失礼じゃない?しかも人の家で剣振り回すとかあり得ないでしょ」

「うるさい!お前には聞きたいことがある!その中身を見たのか⁉︎」

「見たわよ。それが賢者の仕事ですし」

「ならば生かしてはおけん!ここで死ねえ!」

 そう言うとポール将軍は躊躇いなく剣を振りかぶり私に斬りかかって来た。椅子に座ったままの私にその剣を避ける術はない。でも私は椅子から動こうとはしなかった。ポール将軍はその理由に思いを馳せるべきだった。

 私を斬り殺そうと振り下ろされる剣。だが、剣が私に届く事はなかった。仮面を被った天川氏の剣が寸前でその剣を受け止めたのである。

 この世界にあるあらゆる灯りで照らした広い玄関の中は明るく二人の剣戟をよく見る事が出来た。およそ齢七十三の老人とは思えない動きと剣さばきに圧倒される将軍。それでも将軍も腕が立つようで老人の剣を自らの剣で受け止めいなす。だが天川氏の猛攻は将軍に攻撃する隙を与えない。幾度かの剣戟の末、遂に将軍はその老人の剣の前に膝を屈した。

「全く良い部下を持ったものだ」

 老人が静かにそう言うと将軍の顔が青ざめる。

「まさか、その声は」

「剣さばきで気付いても良さそうなものだがな。…そうかお主とは剣を合わせた事はなかったな」

 天川氏は仮面を脱ぐ。 

「そんな、まさか。チュウ・セイ軍団長!」

 ポール将軍は腰を抜かし尻餅をついて天川氏を見上げそう言った。


「終わったみたいだな」

「お疲れ様、イーレ。大変だったでしょう?」

「いや、大したことなかったぞ。あっと言う間終わってしまって拍子抜けだ。この世界の魔法使いなんてあんなものなんだろうか。精霊様の力を使っているのに」

「まさか魔法使いが全滅したのか⁉精鋭を五部隊は集めたのに!」

「結構早かったわね。こっちの方が早いと思ってたのに」

「ティレットもお疲れ様。あれ?メイド服は脱いじゃったの?似合ってたのに」

「動き難いから脱いだわ」

「勿体無い。脱ぐくらいなら私によこせ」

「門の外にあるから取ってくれば?」

「おい!お前!私の部下はどうした⁉」

「裏庭で伸びてるわよ」

「そんな!私直属の選抜部隊だぞ!」

「知らないわよそんなの。でも思ったより頼りないのね東方遠征軍って」

「それを言われると耳が痛いな」

「そちらの御仁はどなただ?」

「ああ、こちらは天川弥彦さん。この世界だとチュウ・セイ侯爵って言った方が分かりやすいかな」

「だいたいどうして貴方がここにおられるのです⁉」

「どうやら計画通りに事が運んだようですね。しかしこれっきりにして下さいね、エアリィ様。全く肝が冷えました」

「洋子さんもお疲れ。全部上手くいったよ。そこの将軍が清治を連れて来て人質にでもしてたらどうしたもんかと」

「セイジは?」

「まだ寝てるんじゃないか?」

「この騒ぎで起きないとはねぇ。洋子さんどんな薬盛ったの?」

「この世界ではありふれた睡眠薬ですよ」

「もう目覚めないって事じゃないよね?」

「もちろん。明日の朝には気持ちよく目覚めていただけるはずです」

「さ〜てと。ポール・バレンティヌス将軍。事情を話していただけますね?」


「一年前のあの大敗北の数日前、ヴァースィキ隊のクレンザー隊長が私の元にやって来て後退しろと言った。隊長の後ろには御手洗も控えていた。二人とも魔王軍の動きが妙だと言う、本来有るべき攻撃がないのだと。私はむしろ敵が疲弊してる好機だと言って応じなかった。そしてヴァースィキ隊を単独で戦場に向かわせた。結果、その直後に敵の大攻勢が発生し、ヴァースィキ隊を欠いた我々の軍は後退を余儀なくされた」

「なぜ進言を容れなかった」

「私には敵の行動が妙だとは思えなかったのです。攻勢に出ないのは純粋にそうする事が出来ないのだと」

「でもその隊長さんと御手洗さんには気付けたんでしょ?」

「おそらく彼らの培った戦場での経験がそうさせたのだろう。ヴァースィキ隊への無謀で無茶な命令は私も気になっていた。何度も止めるように言ったのだがなぁ」

「ヴァースィキ隊はどんな時も期待を裏切って戦果を上げてきた。困難な状況であればあるほどまるで楽しんでいるかのように。だから私は彼らに消えてほしかった」

「なんで?なんて聞くまでもないね。そんな陳腐な嫉妬心で殺されちゃたまらないね」

「私もそんな覚えあるわ。私がA(仮)の力を使うと士気が下がるんですって。全く勝手に連れて行っておいて酷い扱いよね」

「私の時はそんな事言われなかったぞ。やはりお前の力は黒魔術なのだ」

「黒魔術じゃないわA(仮)よ」

「A(仮)」

「あ、今の惜しかったわね」

「で、結局御手洗さんのいた部隊を単独で先行させた事が大敗北に繋がった、という事ね?」

「ああ、そうだ。…ちょっと待て、手記にこの事が書いてあったんじゃないのか?」

「いいえ?ここには浄化槽の知識しか書いてないわ」

「浄化槽…?それは御手洗の日記ではないのか?」

「んじゃあ、ここ見てよ。出だしのところ。ここの人でも読める字で書いてあるよ。日記なんて付ける性分じゃないってね」

「…なら私のしたことはなんだったんだ」

「ここにさっき言ったような事が書かれてて、それがバレると不味いって思っちゃってとんでもない事やらかして、んで捕まったって言うなんとも悲しい事件だったよ」

「そんな…。それではチュウ・セイ侯爵の軍団長復帰は」

「何言っとるんだお主は。私はもう引退する時期としては丁度いいと思って辞めただけだ。いつまでも老人が粘っていては若いもんに迷惑だからな。サン・セイもアル・キャリーも軍団長に相応しい実力は持っておる」

「では、私は」

「軍命もなく勝手に部隊を私的運用した挙げ句民間人にまで手を上げた。既にお前さんは軍人として最低限の資格すら捨てておる。大人しく裁きを受けろ」

「で、天川さん、あ、いやチュウ・セイ侯爵?この人はどうしましょう」

「ああ、こちらで引き受けよう。王都まで私の部隊が此奴の部隊全員も一緒に連れて行く。今日は本当に迷惑を掛けて申し訳なかった」

「いえいえ。こんな事とは言えお会いできて嬉しかったです。戦士の実力も目の当たりに出来ましたし」

「ああ、この歳でも案外動けるものだな。そうだ。一つ尋ねたいのだが」

「なんでしょう?」

「賢者と魔法使いが二人、それに腕の立つメイドもいる。その気になればこの国を盗る事だって出来るだろう。そんな君らがここで何をしてるんだね?」

「何をって、私達はただトイレが欲しいだけです。で、ここの庭に作ろうとしてるんです。色々あって大変でしたけど明日から建築開始です」

「トイレ!そうか!いや、随分と懐かしい言葉を聞いたな!」

「天川さんの世界にもありました?」

「ああ、あったとも。いやはや、無くて不便だとは思ったが作ろうとまでは思わなかったよ!」

「あ、やっぱり困りますよね?ないと」

「ああ、全く不便な人生だったよ!」


 そう言って天川さんは大声で笑って、そして将軍を連れて帰って行った。

 その後、彼の部隊の人が来て将軍の部下達を連れて行ったり市長さんとか団長さんとか隊長さんとか色んな人が代わる代わる来てバタバタして寝ることが出来たのは一時を過ぎていた。

「そうか、明日から小屋作りが始まるんだ」

 ベッドに横になって眠りに落ちる前ふとそんな事を思った。

 そうして慌ただしい一日が終わったのだった。



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