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このトイレのない世界で 1  作者: 山村 草
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03.アウメ色の研究


 気がつくと私は南の物見櫓にいた。そして私はなぜかびしょ濡れになっていた。

「ティレットさん、目は覚めたかい⁉」

「…は?」

 今ひとつ事情が飲み込めない。今日私は家にいたはずだ。起きて、喉が渇いて、傍にあった瓶に口をつけて、それからの事はよく覚えていない。どうしてこんな所にいるのか。

「盗賊団がこの街に攻めてきたんだよ!」

「はあ。」

「あんたの魔法でなんとかしてくれ!」

「ああ、はい。そういう事か」

 ビフィスは栄えた街である。街道の途中にあるので多くの人が集まり多くの物が集まり多くの富が集まっている。それを狙う盗賊なんてのは街道沿いにウロウロとしていて、だからイーレのように街道を警備する連中がいるのだが、ごく稀にそんな盗賊が群を為して襲ってくる事がある。

「おい、早くしてくれ!もう交戦が始まってる!」

 望遠鏡という物を私はこの世界に来て初めて目にした。筒をレンズとレンズで塞ぎ遠くの物を見る。作りは非常に原始的だが機能的に不足はない。見張りをしていた男から借りて遠くに見える人の集団を見る。確かに盗賊のような身なりをした人間とここビフィスを守る自警団の人間とが剣と盾を手に争っている。だが盗賊団の人数は多く、今交戦中の人間のその後ろにも数えきれない程の人間がいる。

「ちょっと離れててくれる?」

「ああ、頼んだぜティレットさん!」

 私は息を一つ吐いて気持ちを落ち着ける。腕を天に向かって真っ直ぐ伸ばしその指先のさらに先に意識を集中する。チリチリと空気が焼ける音がする。相手は人間だ。そこまでの威力は必要ない。だから軽く弱く小さく。

「おお、すげえ!」

 どこからかそんな声が聞こえる。私は目を開いて目標を定める。盗賊団の足並みは揃わず所々人のいない空間がある。私はそこを目掛けて頭上にある火の玉が真っ直ぐ飛ぶ様をイメージし手を振り下ろす。

 盗賊の集団の一角で火の玉が爆ぜる。目の前の爆発に足を止める男がいる。ある者は腰を抜かして震えている。私は再び同じように火球を作り放り投げる。今度はビフィスを襲おうと走る盗賊の目の前で爆発させる。その次はまた集団の中で、その次はその後ろで、私は同じように人のいない所目掛けて火球を爆発させる事を繰り返す。死人はおそらく出ていない。いくら強い力を行使出来るからと言って殺戮を行うつもりはない。これはあくまで威嚇だ。戦意を喪失しさえすればいい。後は自警団の連中がやるだろう。捕まえるなり見せしめに殺すなり彼らが好きにすれば良い。

「奴ら引いていきます!」

 見張りをしていた男が望遠鏡から目を離し叫ぶ辺りからは歓声があがる。

「いやあ、助かったよ!ティレットさん!流石魔法使いだ!」

 私を褒めるのは自警団の偉い人だ。不思議なものだ。かつてはこの力を疎まれた事すらあるのに。

「もういいの?」

 濡れた髪を絞りながらそう聞く。そう言えばなんで濡れているんだろう。

「ああ、あとは俺たちの仕事だ。暇なら観てってもいいぞ」

「遠慮しとくわ。暴力沙汰を肴にする趣味はないし」

「そうか。なら、ほれ今日の特別手当てだ」

 私はその偉い人から券を受け取る。この券と引き換えに酒を手に入れる事が出来る。

「また近いうちに詰所に顔だしてくれ。今月の契約料を払わないとな」

「分かったわ」

 私はここの自警団と協力契約を結んでいる。内容はこの街の防衛に手を貸す事。今日みたいに盗賊が群を為して襲ってくるなんて事は滅多にないがそれでも私の力は抑止力として機能するのだと言う。極端な話私がこの街にいるだけで良いのだ。その契約料として毎月生活していけるだけのお金と酒と引き換えられる券を貰っている。ちなみにこの券は頼めば幾らでも貰える。

「今日は無理に連れて来てすまなかったな」

「ん?」

「ああ、覚えてないか。まぁ酒でも飲み直してのんびりしてくれや」

 ガハハと笑う偉い人。櫓から降りると荷車のそばにいる自警団の団員が頭を下げる。ここでようやく私は酔っ払っていたところを無理矢理連れて来られた事を悟ったのだった。



 気が付くと私はこの世界にいた。なぜそこにいたのかは分からない。この世界がティレナイと言う名前だと聞いても全く心当たりはなかった。セイジやイーレ、そしてエアリィも自分達の住んでいた世界とは別の世界がある事を知らなかったが私のいた世界では別の世界があるというのは周知の事実で世界間を行き来する事はそう珍しい事ではなかった。だから戻る方法を探してそれがないという事に私は驚いたのである。

 この世界に来て困ったのはアウメの処分方法である。アウメとは私の排泄物の成れの果てだ。A(仮)の力で排泄物を一度可能性の状態に還元し利用しやすい形に再構築した物である。このアウメは世界を構築するための素材になるのであるがこの世界は非常に安定していてアウメの出番はなかった。だから使い道のないアウメは日毎に溜まっていったのである。

 だからといって捨てるわけにはいかなかった。アウメは再利用されるべき物である。ビフィスで暮らし始めて約一年。住んでいた借家の一室はすでに一杯になってしまっている。

 その日、私は旅先からビフィスに戻るため街道を歩いていた。鞄にはアウメル代わりの鍋と旅先で出たアウメが詰まっている。街道を女が一人荷物の詰まった鞄を背負って歩いていれば当然ならず者なんかに目を付けられる事になる。

「よう、姉ちゃん、どこ行くんだ?」

「重そうな荷物だなぁ。持つの手伝ってやるよ」

 ガラの悪そうな男が二人声を掛けてくる。私はまたか、と思いうんざりする。こんな事にはもう十回以上遭遇している。この世界の人間は阿呆が多くてたまらない。

「結構よ」

「そう言うなよ」

「手伝ってやるって言ってんじゃん」

「必要ないって言ってるでしょ」

 面倒だ。いつものように吹き飛ばそうか。そう考えていた矢先

「おい、何してんだ」

と仲裁のつもりか割って入ってくる男がいた。

「ああん?おめぇには関係ねぇだろ」

「邪魔すんなよ」

「その子嫌がってるだろ」

「そんな事無いさ。なあ姉ちゃん?」

 私は答える気も起きない。

「大人しくそのカバン寄越せば良いんだよ」

 男の一人が私の鞄を掴んで引っ張る。

「ちょっと、何するのよ!」

 私はいつものように吹き飛ばすつもりだった。

「その手を離せ」

 だが仲裁に入った男はガラの悪い男に近付き何か棒状の物を突き出したのでまとめて吹っ飛ばすわけにはいかなくなった。

「コイツが何か分かるだろ?」

「その粘っこいのは…」

「そう。大ガエルの粘液だ。一仕事してきた帰りでね」

 男は側の荷車を指す。そこには樽が二つ載っている。

「さて、コイツが目に入ったらどうなる?」

 男はガラの悪そうな男の顔に棒の先を押し付ける。

「塩で目を洗うかい?」

 後から聞いた話だがこの大ガエルの粘液は塩でこすって洗わないと落ちないほどネバネバして酷いという。あの美味しい味からは想像もつかない。

「てめえ!調子乗ってんじゃねえ、あ、やめて、それ」

 私の後ろで鞄を掴んでいるガラの悪い男が後ずさりした瞬間躓いて転ぶ。私の鞄を掴んだまま。当然私も倒れる。

「おい、なんだこりゃあ」

「宝石か?」

「こんなでかい宝石があるか」

 私が転んだ拍子にアウメは鞄から飛び出していた。

「ちょっと返しなさいよ」

 アウメを手に騒ぎ出すガラの悪いのに言うが二人は夢中でアウメを見ている。

「おい、その手を離せ」

 男は言う。

「いや、あんたもこれ見てみろよ。綺麗だろ?」

「ほう。どれどれ」

 いつの間にか仲裁に入って来た男もアウメを眺め始めた。アウメは私のコンプレックスの塊のような物だ。あまりジロジロ見られるのは好きではない。

「あんたたちいい加減に」

 男はアウメを嗅いでいる。

「ちょっと、何してんのよ」

 男は嗅いで臭いがしない(当然するわけがない)ので首を傾げたあと、事もあろうに、アウメを舐め始めた。

「ギャアアアアア!」

 思わず私は叫んだ。いくらアウメとは言えそれは私の排泄物だった物だ。自分の排泄物を人の口に入れたいなんていう願望は私にはない。

「ん?味も臭いもしないか。飴に見えたんだけど」

「あー、分かる分かる」

「確かに飴に似てるわ」

 私はもう何も考えられなくなっていた。気付くとありったけの力を頭上に集めていた。

「おい、兄」

「なんだ弟よ」

「やばい」

「あ?あ…」

 火球はチリチリと私以外の周囲を焼き始める。

「逃げろおお!」

 逃げ出すガラの悪い二人。

「ん?あ、やば」

 今更気付いても遅い。仲裁に入ったはずの男も逃げ出し始める。

 私はその火球を思いっ切り男たちに投げつけた。

 この仲裁に入った男がセイジだった。セイジは逃げ出してすぐに転び私の一撃から逃れていた。私の放った火球はガラの悪い男の頭上スレスレを飛びその向こうにあった岩壁を焼滅させた。ガラの悪いのは逃げていったがセイジは私に謝りに来たのだった。そうして気付くと私はセイジにアウメの事を話していて彼が私と同じく異世界人でトイレが無くて困っている事を知り、私はアウメが溜まって困っている事をセイジに話していたのである。


 セイジが提示した解決策はアウメを売る事だった。これは私にとって全く思いもよらぬことだった。アウメが透明で私達以外の人からは美しく見える事は理解している。だがアウメは元は排泄物なのだ。それを売って対価を得るなんて発想は出来なかった。それにアウメそのものを見られるのはあまり好ましくない。私にとって本来無色透明なはずのアウメに色が着くという事はコンプレックスなのだ。だからアウメと分からないように加工することを条件に彼の提案を受け入れた。セイジはすぐに売却先を見つけその日から部屋いっぱいのアウメはどんどん少なくなっていった。

 そんなある日セイジは私を食事に誘ってきた。アウメを売却して得た金を私のために使いたいのだと言う。私としては処分してくれるだけで有り難いのでその対価としてセイジ自身のために使えば良いと言ったのだが彼は頑固だった。

 そんなわけでそれから日々夕食をごちそうしてもらう事になった。私は酒を飲むとその時の記憶がなくなるので飲んでどうなったとか詳細な事は覚えていないのだが食べた物の事はだけはよく覚えていた。

 食べた物で真っ先に思い浮かぶのはカバシシ肉の料理だ。カバシシとはこの街の北にあるビフィド山の麓に広がる森に生息する動物でその肉はこの地域の人達にとって一般的な食材として食されている。その肉を味付けしそのまま焼いたもの、胃や腸などの内臓に細切れにした肉をスパイスで味付けし詰めて加熱したもの、また内臓そのものを加工したものなど様々な料理がある。どれが一番という事はない。どれも美味しい。

 カバシシ肉に負けず劣らず強烈だったのは牛馬と水山羊のステーキだ。まず牛馬と言うのは主に荷車を引くのに利用される動物で食材として利用されるのは稀である。だからこの肉は高価である。水山羊については川べりに住む動物のため飼育数が少ないと言う事情がありこれもまた高価である。どちらの肉もカバシシよりも味が濃厚でジューシーである。これを串に刺し炭火で焼いたステーキは味付けが塩だけだというのにその味は絶品だ。本当に美味い物に余計な味付けは不要なのである。

 私自身肉が好きなので偏ってしまったがビフィド川で捕れた魚や、沼地や湿地に住む大ガエルと言う足だけが極端に大きいカエル、それに陸クラゲと言う生物の干物というのも美味しい物である。この世界の食生活は実に豊かだった。

 今にしてみればオーメルでの食生活はなんて面白みが無かったんだろうと思う。食事と言うのは栄養を摂取するだけの行為でしかなかった。不味いとは思わない程度の味の固形食とスープが私の食生活の全てだった。だからこそ、この世界での食事は美味しくとても楽しかった。気付けば私はセイジが食事に連れて行ってくれる事をとても楽しみにするようになってしまっていた。


 そんな生活を送っていたある日、私は自警団の詰所でいつものように契約料を貰い酒屋で酒を調達し住んでいる借家に帰ろうとしていた。この世界に来てアウメの処分と同じくらい頭を悩ませたのは生理である。オーメルにいた頃も生理はあったがそれで悩ましい思いをする事は一切なかった。それがこの世界に来てから生理の度に異様な倦怠感が襲ってくるのである。しかも数日は続くので全く困ったものである。その日も前日から続く倦怠感に私はイライラしていた。そんな悪い状態で私はセイジが女性と歩いている所を目撃した。私はショックを受けていた。理由なんて分からなかった。ただなんとなく無性に腹が立って酒を飲んだ。それから数日の記憶が曖昧なので多分飲み続けていたのだろうとは思う。それでも薄っすらと覚えているのは一度セイジが訪ねてきて食料と酒を置いていった事と他の異世界人に会ってみないかと誘われた事だった。


「この世界にトイレを作ろうと思う!」

 数日後セイジに呼び出され当時彼の泊まっていた宿屋の一階にある酒場に行きそこで彼はそう言ったのである。

「おー」

 そこには私の他にセイジと二人の異世界人の少女と一人のメイドがいた(メイドという職業の人達をこの世界で知った時は本当に驚いた)。真っ先に口を開いたのは黒髪でメガネを掛けた少女、エアリィだ。彼女は賢者なのだという。

「トイレってクソバーの事か?」

「そうだ」

「凄いな!セイジは!」

 続いて口を開いたのは銀髪の少女、イーレだった。イーレの事は聞き覚えがあった。ここから遙か東方の魔族との戦場で私の後に大戦果をあげた魔法使いの話は聞いたことかあった。それがイーレだった。顔を合わせるのはこれが初めてだったが。

「…。」

 なにやら感心しているエアリィとイーレだったが私はセイジの発言に特に関心を持っていなかった。

「というわけで三人に協力を頼みたい。それでまず場所なんだが」

「それならウチに作ればいいよ」

「良いのか?」

「良いよー。ウチに作ってくれれば便利だし」

「となるとエアリィの家の側に住まなきゃならないか」

 話はトントン拍子に進んでいる。

「何言ってんの?みんなでウチに住めば良いじゃん。部屋ならいっぱい空いてるよ。イーレは良いよね?」

「良いのか?」

「もちろん。ティレットさんもどうかな?」

 みんなに私の事は含まれていないと思っていたので面食らった。

「私は別にいいわ」

「え?なんで?」

「私は今のところ別に困ってないし」

 そう、私は別にトイレがなくてもなんとかなっているのである。特に作る必要性は感じなかった。

「そっか。なら仕方ないか…。清治はどう?」

「僕も?」

「当然。」

「いや、僕男だけど良いの?」

「ん?あ、そういう事か。イーレは良い?」

「私は構わないぞ」

「一応補足しとくとこちらのメイドの洋子さん、すっごい強いので清治が変な事しようとしても止めてくれるから安心だよ」

「どうぞご心配なく。お二人には害がないようお守りさせていただきます」

「ならそうさせて貰おうかな。なんかスマンな」

「うん?良いよ。賑やかになりそうで楽しみだ」

「で清治はどんなトイレを作るの?」

「ああ、そうだな。」

「まずはクソバーから始めようと思う」

「クソバー⁉」

「クソバーって?」

「クソバーと言うのはイーレの世界のトイレだ。僕自身は元の世界にあったようなのを作りたいんだがそれは時間がかかり過ぎる。今のところ直ぐにでも作れそうなのはクソバーなんだ」

 さっきから糞、糞と一体何を話しているんだろう。

「ふむ。個室があるんなら良いかな。でもそれで終わりじゃないんでしょ?」

「ああ、ゆくゆくは水洗式で温水洗浄機付き便器を備えた物を作りたい」

「搾便器は?」

「搾便器?」

「搾便器って言うのはエアリィの世界のトイレだ。けどそれは難しそうだな」

 今度は便と連呼し始めた。

「まぁそれはいつかで良いよ。この世界の技術レベルじゃあね」

「というわけでイーレにはこのクソバーについてもっと詳しく教えて欲しい。穴のサイズとか小屋のサイズとか」

「ああ、任せておけ」

 話はどんどん進んでいる。だが私はここに呼ばれた理由が今ひとつ分かっていなかった。

「私は?何か手伝わなきゃいけないの?」

「いや、ティレットは今のままでいい。ただアウメを売ったお金をトイレ作りのために貸して欲しいんだ」

「貸すも何も全部セイジが使えば良いのに」

「そうはいかない」

「セイジも頑固ね。良いわ。使って」

 もっとも後から請求するつもりは微塵もなかった。

「助かる」

「なぁセイジ、アウメってなんだ?」

 イーレはそう言った。異世界から来た魔法使いならもしやと思わなくもなかったがどうやら私とは別の世界から来たらしい。大体私はクソバーなんて知らないのだから当たり前か。

「ああ、二人は知らないか。ほらコレ」

「へえ、綺麗だね」

「すごいなコレは」

「ちょっとセイジ。あんまり見せびらかさないでよ」

 それは出来たままの形をしたアウメだった。これがアウメと分かる形をしている以上あまり見られたくなかった。

「セイジこれは一体何なんだ?」

 セイジは一瞬こちらを見て「話してもいいか?」みたいに目配せをする。妙に追求されるのも嫌だったので私は一つ頷いて答えた。

「これはティレットの、排泄物だった物だ」

 一瞬の間を置いて

「お前のウンコ綺麗だな!」

イーレはそう叫んだ。

「なっ⁉」

 イーレは私の目を見ながら言う。これを見た人間は綺麗だのなんだの言うが私にとっては排泄物だった物に違いはない。褒められるような物じゃないのだ。

「おい」

 私が戸惑っていると何やら業を煮やしたような顔をした男が私達のテーブルに近づいてきて言う。

「ここは飯を食う場所だ」

 それは知っている。何度か来ている。

「クソの話なら他所でしな」

 そう言われた私達はその場を追い出されてしまった。


「とにかく、トイレ、作るんで、どうぞよろしく」

 なぜか逃げるようにして酒場からほど近い中央広場に来てセイジは改めてそう言った。

「なんで、逃げなきゃ、ならないのよ」

「そうだ、ティレット。アウメの事なんだが」

「何よ」

「ほら、使い道。気にしてたろ?」

 これは売り始めた当初から聞いていた事だ。何に使われているのかという不安とこの世界の人間がアウメをどう活用するのかという興味からである。だがセイジ自身も、セイジがアウメを売っていた商人にも完成するまでのお楽しみとして知らされていなかったようで結局分からず仕舞いだったのだ。

「近々完成するらしいんだ。見に行かないか?」

「私も行くぞ」

 私が答えるよりも先にイーレが答える。実に興味津々といった顔をしている。

「それなら私も。でどこに行くの?」

 エアリィもそう答えた。なんだか妙な事になった。

「ビフィド村だ。他にも用事があるから二人もついて来て欲しい。ティレットはどうする?」

「行くわよ、もちろん」

 私は当然そう答えた。


 それから数日経って私達は待ち合わせてビフィドに向かうことになった。本来ビフィドへは牛馬の引く乗用の荷車で行くのが普通だ。しかし今日はどういうわけだか利用客が多く定期便すら一杯という有様だった。そんなわけで私達は仕方なく徒歩で向かうことにした(エアリィは洋子さんの引く荷車に乗っていたが)。片道二時間の行程である。

「ティレットさんは魔法使いなんだよね?」

 道中を私はイーレとエアリィにあれこれ聞かれて答えながら歩いていた。

「うん、でも魔法なのかな。A(仮)って」

「そのAって?」

「AじゃなくてA(仮)よ」

「それはどういう物なの?」

「どうと言われても説明が難しいわね」

 しばし考える。

「A(仮)と言うのは物事の始まりの状態の事なの。全ての物はどんな在り方にも成り得る可能性があってその可能性の一つが形となって収束した物なの。その可能性に干渉するのがA(仮)の力なの」

「ES細胞みたいな?」

「なんだそれは?」

「目にも耳にも鼻にもなる細胞の事」

「私もそれは知らないけどまぁそんなような物ね」

「でもなんでそこに干渉出来るの?鼻をES細胞には戻せないじゃない?」

「それは私にも分からないわ。ただ私達の世界では誰でも出来る当たり前の事なの」

 イーレとエアリィはよくわからないといった顔をしている。

「人体改造とか?あんな綺麗なウンコするような体になっちゃってるんでしょ?」

「は?」

 何かとんでもない誤解をされている。

「なぁセイジ、あの綺麗なの見せてくれないか」

 イーレはいつの間にかセイジの側にいてそう言った。

「だって。ティレットどうする?」

「待って。色々ちょっと待って」

 私は一つ深呼吸する。

「セイジ。アウメ一つ貸して」

 私はそれを両手で持って言う。

「こんなもんが尻から出るか!」


 一通りアウメの説明をして誤解を解く。私はどんな風に見られてたんだ。その後お互いの世界について話をしながら歩いていると二人の男が近付いて来て言った。

「おい、お前ら。命が惜しいならその荷物全部寄越しな!」

「俺たち兄弟に逆らうと痛い目見るぜ!」

 強盗である。私達は女四人と男一人だ。御し易いと思ったのだろう。それにしてもどこかで見た二人である。

「あー、あんたら無事だったのか」

「お、久しぶりだな兄ちゃん」

「そっちも無事だったのか。いつぞやは災難だったなぁ」

 セイジと強盗二人はなぜか和やかに会話を始める。

「って、和んでる場合か!良いから荷物を置いてとっとと失せな!」

「コイツが目に入らねえか?二万イェンもした業物だぜ」

 二人は剣を抜いてちらつかせる。

「エアリィ様、ここは私が」

「待って私がやるわ」

 私はフードを脱ぎ男達を見る。

「おい、兄」

「なんだ弟よ」

「アイツだ…」

「なんだ?どいつだ…」

「お久しぶりね。元気してた?」

 強盗二人は顔を青くしている。

「A(仮)の力見せるのに丁度良いわ」

「へっ、前は油断しちまったからなぁ、今日はそうはいかねえぜ」

「兄を怒らせたらどうなるか思い知るがいい」

「そう」

 私は片手を上げその指先に意識を集中させる。パチパチと音がする。

「おい、ティレット。加減はしろよ」

「分かってるわ、セイジ」

 私はその手を振り下ろす。火球は男たちの間を通り背後の岩を吹き飛ばす。男たちは尻もちを付きガタガタと震えている。

「あら?加減しすぎたかしら?」

 私は再び手の先に力を集める。

「今度は当てるから」

「に、逃げろー!」

「待ってくれ兄!」

 男たちはそう言って逃げて行く。二万イェンしたという剣を放り出して。

「ふう」

 別に疲れたわけではないが私は一つため息をつく。

「今のがAの力?」

「そうよ。その一部。まぁ応用みたいなものだけど。あとAじゃなくてA(仮)よ」

 エアリィは感心した様子で岩のあった方を見ている。

「イーレ?どうかしたのか?」

「いや、別に」

 私達の後ろにいたイーレはどこか様子がおかしかった。


 ビフィドに着いた私達は早速セイジがアウメを売っていた商人に会い、そのアウメを使った何かを見られるのは夕方であるという事を聞いた。日はまだ高く夕方まで時間があったので私達は村を眺めて歩く事にした。私達異世界人はこの村からこの世界での暮らしが始まったという事で妙な懐かしさすら感じ当時はゆっくり見られなかった村を散策してみようという話になったのである。

「あ、ここ」

 セイジが見ているのはビフィードと言う神を祀っている神殿の脇にある祭壇だった。そう、セイジも、イーレも、エアリィも、そしてもちろん私もここで目覚めたのであった。

「あの時はなんか混乱しててよく見てなかったけど、結構高さあるよね」

 エアリィはその石造りの祭壇を手で触りながら言う。

「ああ。もうどうやって降りたのか覚えてないが…、どうやって降りたんだろうか、コレ」

 イーレが祭壇のそばに立つとイーレの身長よりも遥かに高かった。

「脇に階段なかったっけか」

 セイジは祭壇の周りを探っている。

「…ないみたいね」

 私もセイジと同じように探してみたがそれらしい物はなかった。祭壇だけが周囲から一段高くなっていた。

「ここじゃないとか?」

「でも他にはないぞ」

「あの家の屋根とか見覚えあるんだがなぁ」

「可動式の祭壇だったり?」

「これ動きそうにないわよ」

「うーん、謎だな」

 私達四人で神殿の周りをぐるぐると探ってみたがここ以外に祭壇はなく結局どうやって降りたのかは分からず仕舞いだった。


「すまん、ちょっとトイレ行ってくる」

「うん、分かった」

 セイジはエアリィにそう告げると茂みの方に入っていく。

「セイジは結構平気そうよね」

「ん?ああ、そうみたいね」

「エアリィは?」

「私はまだ練習中。やっぱり野糞は抵抗がある」

「そうよね」

 仲間がいて良かった。

「イーレも平気そうね」

 エアリィは言う。二人は以前から面識があるらしく仲がいい。

「ああ、元の世界では当たり前だったからな」

「でもクソバーがないと困るんでしょ?」

「困るがウンコ出来ないわけじゃない。なんというか外だけだと落ち着かないというか、集中して出来る所が欲しいんだ」

「おまるじゃ駄目なの?」

 私はちょっと気になったので聞いてみる。この世界でもおまる自体はある。ただし王族とか一部の人間しか使っていない。個室でという事ならおまるで事足りる。実際私はそうしている。使っているのは手頃な鍋だけど。

「おまる?」

「排便する容器の事よ」

「ふむ。それだと後処理が辛くないか?」

「誰かにしてもらうのもねぇ。あ、アウメにするんなら問題ないのか。ティレットさんが困ってないのってそういう事ね」

 ふと便意を催す。小の方だ。

「トイレの話してたらなんだか行きたくなってきたわ」

「あ、私も」

「私はまだ大丈夫だ。二人とも行ってきてくれ」

「と言われてもねぇ」

 エアリィは少し困っている。

「エアリィは大の方?」

「うんにゃ。小の方。ティレットさんは?」

「私も。あと、さんは付けなくていいわ」

「そう?で、どうする?」

「あちらの方に無人の小屋を見つけました。しばらく使っていないようですが床は傷んではおりませんでした。お二人ともそこでなさったらよろしいでしょう」

 いつの間にか洋子さんがいた。彼女はこの村に来てすぐに宿を確保しに行ってくれていて今まで別行動だったのだ。

「あ、おかえり洋子さん。ご苦労さま」

「はい、ただいま戻りました」

「でも私はともかくエアリィは小屋の中でどうするの?」

「はい、そちらは問題ありません。ちゃんと用意してございます。」

 用意と言われてピンとは来なかったがエアリィはそれが何か分かった様子だった。

「それじゃ行こうか、ティレットさ、ってさんはいらないのか」

 そうして私達がトイレに行って戻ってくるとイーレはいなくなっていて代わりにセイジがいた。セイジの話だとイーレもトイレに行ったらしい。

 そんなこんなで村を歩いているといつの間にか夕方になっていて私達は神殿に向かった。アウメの使い道はこの神殿にあるようで神殿の前にはそれを見ようと多くの人が押し寄せていたのだった。


 薄暗い神殿内にいる人々のお目当てはカワヤッティという芸術家の作品だった。神殿の中、東側の壁には大きな布で覆われた何かがありそれこそがアウメを使った何かだという。

 そもそもこの神殿はビフィド山に住む神、ビフィードを祀る神殿でこの神はこの地の人々から厚い崇拝を受けている。殆ど自給自足の生活をしているビフィド村の人々にとって神殿を訪れる参拝客は貴重な現金収入源の一つとなっている。それが近年参拝者は減少傾向にありこの村の村長はなんとか客を呼び込もうと考えていた。そんな時に稀代の芸術家カワヤッティはこの村をふらりと訪れた。カワヤッティはその作品の素晴らしさとその奇行で知られている。特に放浪癖がひどくふらりと訪れた場所にとんでもない作品を残す事がある。その浮浪者じみた格好の老人がカワヤッティであると気付いた村長は作品を作ってくれと懇願した。カワヤッティは頼まれて作るような性格ではなく最初は難色を示していたがこの神殿には何かが足りないと気になった。そんな時彼はアウメと出会った。創作意欲に火のついた彼はこの神殿に籠もりろくに食事も取らず今目の前にある巨大な何かを作ったのだと言う。セイジがアウメを売っていた商人が語った内容はざっとこんな感じである。

「そろそろ始まりそうですよ」

 商人に促され私達は東の壁を向く。その作品の足元には小奇麗な格好をした恰幅の良い男がいた。

「お集まりの皆さま!大変永らくお待たせ致しました!それでは稀代の大芸術家、カワヤッティの大作をご披露させていただきます!」

 神殿内には大きな拍手が沸き起こる。大声を出して案内しているのはこのビフィド村の村長なのだという。

「それではご覧下さい!」

 再び村長が声を張り上げる。その声に合わせて取られる布。そしてそのアウメで出来た何かは姿を現した。

 セイジ曰くそれはステンドグラスという物らしかった。ただし本物は色のついたガラスで作られるという。この世界で綺麗なガラスと言うのは貴重で宝石よりも高価なのだという。ガラスと言えば酒瓶に使われているような濁った色の物くらいである。目の前のそれは高い天井の上から下までアウメで作られていた。アウメ製の絵画と言う訳だ。その絵は女神ビフィードを描いたものだった。

 神殿内は静まり返っている。そしてざわめき声がどこからともなく湧いてくる。

 ハッキリ言ってみんな拍子抜けしているのだった。

 みんな稀代の芸術家の作った作品が如何なるものかとそう思ってわざわざこんな僻地にまで足を運んで来たのである。そして夕方まで待たされた挙げ句出て来たのがだだの大きな絵なのだ。モチーフも特に目新しい物でもないと言う。

「なんか思ったより大したことないね」

「そうね。なんか期待して損しちゃった」

 私達の後ろにいる男女がそんな事を言っているのが聞こえてくる。周りでも帰ろうとする人がちらほら出始めて神殿内は騒がしくなる。その光景を見て村長もあたふたとし始める。

 と、その時ステンドグラスに異変が起こり始めた。

 絵の輪郭が仄かに輝き始める。そして輪郭だけでなく絵全体が光を放ち始めた。

「え?なにあれ」

 そう言ったのは誰だか分からないイーレかエアリィかまたは周囲の誰かか。光はどんどん強くなり、そして、私達の眼前に女神ビフィードが姿を現した。

「凄い…」

 私の側にいたイーレはそう呟く。

 女神は確かに私達の目の前に姿を現した。だがあれは決して神そのものではない。この世に神なんて存在しない。いるとしたら意地と質と性格の悪い悪魔めいたヤツだろう。だからあれは神ではない。どこからか来た光がアウメを通って像を結んだだけだ。後から聞いた話だと西日を反射させて裏側から当てていたのだという。だが女神ビフィードの姿は確かにそこに存在するように私にも感じられた。

「ああ、神、ビフィードよ…」

 その老婆は涙を流し両手を組んで跪き祈りを捧げている。

「この目でお姿を見られるとは何たる光栄!」

 その男は涙を流し両手を合わせ神をただ見つめていた。

 神ビフィードに対する信仰の背景にはビフィド山の齎す恩恵がある。まずは水。ビフィド山に降った雨や雪は川や地下水となりその下流に住む人々を潤した。その水により麓には多くの木や草が生えやがて広大な森となりそこで育まれた動物や植物は食料になった。豊かな土地には人が集まり街が出来た。街と街を繋ぐ街道は人々の生活と文化を豊かにした。だからビフィードは水の神であり、森の神であり、街の神であり、道の神であり、結局のところビフィド山に住む山の神なのである。

 そんなビフィードが穏やかな笑みを湛え両手を広げている。その姿に人々は感銘を受けたのだ。隣を見ればイーレは食い入るようにその女神を見上げている。その隣のエアリィもイーレとは反対隣にいたセイジもその女神の姿から目を離せないでいる。洋子さんはどこにいるのか分からない。

 かく言う私も不思議な感動に近い何かを感じている。確かにまるで抱擁しようと待つように両手を広げた姿やその穏やかな表情を見ると何か言いようのないもどかしさを感じ居ても立ってもいられないような気持ちになる。だが私はその女神の奥、女神を生み出した壁を見つめていた。それ自体光り輝きだしてからは美しいと思える物になっている。だがあれは私のアウメで出来ているのだ。アウメとはかつて私の排泄物だった物だ。

 つまり、その女神は私の排泄物で出来ていた。

 ちょっと離れた所でわんわんと声を上げて泣く女性の声がする。ビフィードの姿に感動しているのであろう。帰りかけた男性は何かを察したのか戻ってきてこの光景を目にし言葉をなくしている。私達を案内した商人も泣きながら手を合わせている。

 もう一度女神を見る。セイジとの約束通りアウメをその形のまま使っている場所はなかった。全て一旦割ったり砕かれたりしたものを組み合わせて作られている。時にはその断面を、時にはその表面の丸みを、また時には小便をアウメ化した時に出来る小さなボール状の物をそれぞれ的確に生かしてその女神を象っているのが分かる。

 不意に肩を叩かれ女神の像に注視していた私は驚いて振り返る。セイジだった。彼の後ろには商人とカワヤッティと名乗る老人がやはり涙を流して握手を求めてきた。確かに彼がアウメの製造元である私に感謝し握手を求めてきても不思議ではなかった。一世一代の傑作が出来て興奮するカワヤッティを商人が支え連れ出すと再び私のアウメで出来た女神に祈りを捧げる人々が目に入った。

「泣いているのかい?」

 セイジに言われて頬を伝う涙に気付いた。

「嬉しいのか?」

「…分からない」

「悲しいのか?」

「分からないわ」

 彼の問に私はそう答えた。実際分からないのだ。私の排泄物から出来たアウメによって作られた像に人々が感涙し祈りを捧げている。私からすれば排泄物に祈られていると言っても過言ではない。

「アウメが処分出来ないってこういう事になるのね」

 それでも一つだけ言えた。

「アウメが、こういう使われ方するのは嫌だわ…」

「そうか」

 セイジは短くそう答えた。そして私は決意した。

「セイジ、私もトイレ作りに協力するわ」

 私の眼前には未だ涙を流して女神に祈りを捧げる人々がいた。



 後日、私はいつものように契約料を貰いに詰所に寄った。

「ほら、今月分だ」

 私は偉い人から紙の束を受け取って鞄に入れる。ふと詰所の奥、捕えたならず者を収容する牢屋がある辺りから声がする。

「離せ!俺たちは嵌められたんだ!」

 野太い男の声だった。

「何あれ?」

 私が聞くと偉い人は肩をすくめる。

「さあな。この前の盗賊団のヤツ捕まえてからあの調子さ。取り調べにもなりゃしねえ。あんたの魔法でビビっちまったらしい」

 彼はそう言って笑う。

「ふーん、そう」

 私は何か引っ掛かる物を感じたがそのままその場を後にした。結局私も住まわせて貰うことになったエアリィの豪邸に戻る前に酒屋に寄ろうと思っていてそれどころじゃなかったのである。

  



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