呪言詠唱
「動くんじゃないよ。」
局長が二丁の銃を構え、男に警告する。
「お前が魔法使いだってことはわかってるんだ。次、一言でも喋ってみな。撃つよ。」
蛭が蠢きながら歪む。
男の顔にあって、初めて、それが微笑みだということがわかる。
男が目を閉じる。
「今日は良き日だ。」
銃声が鳴り響く。
連射される銃声に合わせて、男の頭部が何度も揺れる。
頭部だけが仰け反っているが、男は先程と大して違わない格好のまま、その場に立っている。
男が穴だらけの顔をこちらに向ける。
蛭が蠢き、裂ける。
その中から現れたのは巨大な蛭だ。舌という蛭。その舌が弾丸を吐き出す。
金属音を奏でながら、弾丸が床に落ちる。
血も出ていない。
空いた穴が徐々に塞がっていく。
「お出でお出でと呟きて…」
「呪言詠唱だ!」
その言葉と共にロデムスが応接セットを蹴散らかし、一足で男に喰らい付く。
「…狂わし、至りて術も無く…」
男の足を咥えたロデムスが男を人形のように振り回す。男の頭と言わず、腕と言わず、体中が、床に叩きつけられるが、男の詠唱は揺らぐこともなく、止まらない。
「黒き瘴気は器なす…」
男はロデムスによって何度も床に叩きつけられている。鈍い音が粘着質な音に変わっている。それでも、男の詠唱は止まらない。
「ちっ!!」
セザルが走り出す。
男の頭部は既に原形を留めていない。しかし一滴の血も出ていない。
「夢の中ンにて、終わり知り、現世におわして終わらせる…」
「ロデムス!放せ!!」
ロデムスが男を放り投げる。
セザルが手首のブレスレットを擦り上げ、高速で回転させる。
男が力なく床に落下する。
セザルが大きく跳躍する。
「我が名は、クルタス。現名を歪めて命じる…」
「黒き精霊に!セザルの名の下に命じる!光を曲げよ!超重力打撃オオオオッ!!!」
セザルの拳が光を吸い込み平面的な黒に変わる。その瞬間にセザルの拳が、直下に位置する男の頭部に向かって打ち下ろされる。
頭部の潰れる音よりも床を打ち抜く音の方が大きく響く。
セザルが立ち上がる。
足元には頭部を消失した男の死体が転がっている。しかし、それでもセザルが叫ぶ。
「全員!逃げろ!!」
言われたことを理解できないまま、その場にいる全員が聞く。男の呪言を。
「苦痛よ。我が仇に終わりを…」
黒い瘴気の柱が立ち上がる。
その数は三本。
柱が黒い人型へと変貌する。
そして、黒い魔人が誕生する。
絶望という名の魔人が。
黒尽くめの男は頭部を消失したまま横たわっている。
その男の声が聞こえる。
「苦痛と死を呼ぶ私の魔人。悪戯に時を濁して、遊戯に勤しむ。狂おしいその血を見せておくれ。痛みにのた打ち回り、死した者の臓腑は美しい。」
セザルがトドネを護るようにその前に立つ。
ロデムスが三体の魔人に対して威嚇音を発しながらトドネの隣に立つ。その後ろには局長だ。
「いいか、お嬢ちゃん、俺の武器はこいつだけだ。」
セザルが右の拳をトドネに向ける。手首では簡易錬成器が高速で回り続けている。
「簡易錬成器が回り続けてる間なら、拳を握り込めば、超重力を発生させる。その拳でぶっ叩くだけだ。」
「はい。」
トドネが気丈に声を震わせずに返事する。
「ゼロレンジでの接近戦だ。体力回復、筋肉増強、骨格強度上昇、耐久力増強の魔法がいる。」
「はい!」
セザルがチラリと局長へ視線を向ける。その視線を受けて局長が無言で頷く。
ロデムスがセザルの前に回り込み、口を開く。
「呪言詠唱の時を作れるかどうかはわからぬが、我が初手をいただくかのう。」
「キバナリがいてくれて心強いぜ。」
「ふむ。この相手では、あまり期待せぬ方が良いぞ。」
「それでも頼むぜ、ロデムスちゃん。」
「ふむ。すまぬが、無理とわかれば、我はトドネを連れて即座に逃げるからのう。」
「ああ、それでいい。逆に安心した。」
セザルの答えにロデムスが満足気に頷く。
「では、参る。」
ロデムスが静かに宣言する。相手に対して言ったのではない。セザルに合図として言ったのだ。
ロデムスが跳び、長大な牙を中央の魔人の首筋に打ち込む。
ロデムスに咥えられた魔人は、微動だにしない。
局長とトドネが呪言の詠唱を開始する。
「鉄ありて心折れず!ハルタ・ルドリアスの名の下に命ず!連鎖の銃弾!鎧となりて我が身に纏う!連鎖銃弾錬成アアアアッ!!」
局長の体が輝き、その体を弾帯が覆う。
銃弾に自旋運動を行わせるための帯だ。その弾帯が二丁の銃の弾倉から錬成され、局長の両腕に巻き付き、体全身へと巻き付いていく。
腕から肩、肩から胸へ、そして腹へと巻き付き足にまで達する。
局長の銃が火を吹く。
二丁の拳銃で機銃のように連射する。
ロデムスが噛みつく中央の魔人を無視して、二体の魔人に容赦のない銃弾が襲い掛かる。
「生きとし生ける全ての精霊よ。人ありて、肉あり。サラシナ・トドネ・ヤートの名の下に金色の光もて、くべる霊あり、全霊ありて我が命の灯、魁て輝け。昇華増強!!」
蒼白い光がトドネを包み込み、その光がセザルへと撃ち出され、セザルの体が青白く発光する。
「オオオオオオオオオオオッ!!」
セザルが走る。
ロデムスが牙を残して、魔人から離れる。
見た目にもハッキリとわかるテレフォンパンチだ。
セザルが右のストレートを魔人の顔面へと叩きつける。
一瞬でも超重力を発生させた拳は魔人の顔面を爆砕四散させる。その勢いのまま、セザルは魔人とぶつかり、魔人と絡まりながら転倒するが、セザルはすぐに起き上がり、次の魔人へと走り出す。
セザルが向かう魔人を確認した局長が、その魔人を照準から外し、残った魔人へと集中砲火を浴びせる。
セザルが十分な距離を確保したのを見てとったロデムスが、魔人に残した牙を起爆させ、魔人を焼き尽くさんと炎を舞い上げる。
セザルが棒立ちのままの魔人の顎を右の拳で打ち抜き、返す左の拳で腹を打ち抜く。打ち抜いた先では魔人が燃えている。
顎を消失し、腹に大穴を開けた魔人がたたらを踏んで、燃え盛る魔人の上に倒れ込む。
残った一体の魔人の足にロデムスが喰らい付き引き摺り倒す。
セザルが跳躍し、超重力を発生させた拳をその顔面に叩き込み、魔人の頭部が消失する。
手首の簡易錬成器が、静かに、ゆっくりと、その回転を止める。
セザルを覆っていた青白い輝きが徐々に消えていく。
局長の持つ銃は煙を噴き出し、両手をだらりと下げている。
トドネは、戻って来たロデムスに凭れ掛かって、膝をついている。
霊子の急速な消耗は、気力と体力の消耗に直結している。未熟なトドネにとっては限界に近い作業のはずだ。
しかし、それでも、三体の魔人が立ち上がる。
炎を纏いながら二体の魔人が立ち上がる。
頭部を欠損したまま、一体の魔人が立ち上がる。
焼け焦げた臭いが充満する。
硝煙の臭いが局長の鼻を突く。重い弾帯の所為で、両腕が震えるが、それでも、照準を合わせようと、歯を食いしばって銃を持ち上げる。
「その銃じゃ、もう、もたない。暴発するぞ。」
脂汗を顎先から垂らしながら、セザルが口角を上げる。首筋から肩、両腕に掛けて筋肉の痙攣が見て取れる。
「トドネ。お逃げ。」
局長が魔人を睨みつけたまま、呟くように言葉を口にする。
「そうだ、お嬢ちゃん、ここは大人に任せて逃げろ。」
セザルが局長の言葉に追随する。
「背に乗るのじゃ。」
ロデムスがトドネに囁きかけるが、トドネは首を振る。
「王族としての誇りかのう?」
再度、トドネが首を振る。
「人として許されないのです。罪を背負ってしまうのです。一生消えない心の傷を負ったまま生きていくことは、私にはできないのです。ロデムス、お前はトガ兄ちゃんの魔獣なのです。お前だけでもトガ兄ちゃんの所に帰って下さい。」
今度はロデムスが首を振る。
「主人の所には、お主を送り届けねばならぬからのう。致し方ないのう。」
ロデムスがトドネの腕を抜け、一歩前に出る。トドネが床に手をつく。
「ま、待つのです!!駄目なのです!!」
かすかにロデムスがトドネを顧みる。
「我はお主の使役魔獣ではない。我はサラシナ・トガリ・ヤートの使役魔獣じゃ。」
トドネの命令は聞かないと言外に含ませる、厳しい声音だった。
「ロ、ロデムス…」
「お主には力がない。力無き者が護られるのは当然のこと。この世で護られずに生きることのできる者など、我の知るところ唯一人。」
「ロデムス…」
「我が主人、サラシナ・トガリ・ヤートのみじゃ。」
どこからかポツリと声が聞こえる。
「愉快なること。」
魔人の頭部が復元されている。
その魔人が喋ったのかと三人と一匹がその魔人へと目を向ける。
「思わぬところで愉快なる名を聞くことができた。」
別の所から再びポツリと声が聞こえる。
体の芯にまで沁み込んでくるような声だった。
寒気を覚えるような声だった。
冷たい水が皮膚を通り、肉を通って骨の髄にまで沁み込んでくるような声だった。
魔人に纏わりついていた炎も消えている。
「心が騒めく。」
黒い男だ。
瘴気が揺らめくように立ち昇り、その瘴気が徐々に人の形を成して、黒い男へと変貌する。
「何百年ぶりか…心に波がさざめくなど…」
潰れたはずの頭部が復元されている。
男が右手を持ち上げ、その掌を見詰める。
指を擦り合わせて、金属の擦過音を立てる。
「師に見捨てられ、熟す果実を大切に育てて参ったが…そうか、今が収穫の季節か…」
セザルが、局長が目を眇める。
「何百年だと?師だと?貴様がクルタスではないのか?」
男が微笑む。
そして、セザルのことを無視して言葉を続ける。
「懐かしき名。恨めしき名。何度、その名を呟き、幾たびその名を胸に刻んだか…」
男が再び瘴気となって霧散する。
再構築された時はロデムスを通り過ぎ、トドネの目の前だ。
ロデムスが即座に反応するが、男は瘴気でできているかのようにロデムスの牙がすり抜ける。
「なんと!」
今度は男の足を狙ってロデムスが噛み付くが、牙を打ち鳴らす音だけが虚しく響く。
「くおおオオオオオオオッ!!」
局長が震える銃身を黒い男に向ける。
鳴り響く発射音。
直後に爆裂音が轟き、局長の叫び声が上がる。
僅かに連射するが、銃身が弾け飛び、その破片が局長の右目を潰したのだ。
「くっ!」
セザルが痙攣したままの体を引き摺り、黒い男に襲いかかるが、やはり、男の体をすり抜け、床に倒れ込む。
「煩わしきなり。」
男が呟く。
「…人は、人足りて、獣は、獣足る…狂おしく咲く花は、散るに任せて死を見詰め、生きる牢獄、永久に犇めく…」
男が言葉を紡ぐ。
意味をなさない言葉だが、呪言と認識できる。
「や、やめるのです!!」
トドネが叫ぶ。
「星流れ、虫が連なり、金の指輪が人を焼く。出会う星々、山を連ねて無残となる。」
三人の魔人が歩き出す。
「ロ、ロデムス!二人を助けるのです!」
ロデムスが男から離れようとするが、今度は男の体にロデムスが取り込まれる。
男の腹からロデムスの顔が生えている。
複雑に男と結合させられ、ロデムスは身動きが取れなくなっていた。
魔人が歩く。
セザルと局長へと、ゆっくりと近付いて行く。




