もうだめ、我慢できない
第九話です。
「ところで、ひとつ納得のゆく説明をしてくれないか?」
「と、言いますと?」
「ソフィアガールのおびえ方は尋常じゃない。ここでお屋敷に行き、そこでナニを聞かされようと正式な書類を一万枚見せられようと、ソフィアガールがおびえている理由が分かり、それが取り除かれるまで、手を引く気はないぜ、レイディ?」
女は肩をすくめて沈黙したまま、しばらくの間ガッカリスを眺めていた。
ソフィアはガッカリスと女の顔をかわるがわる伺いつつ、つかまっている軍パンを、ぎゅっと握り締める。
気づいたガッカリスは、女から視線をそらさないまま、そっとソフィアの頭をなでた。
ソフィアは暖かい安心感に包まれて、ちいさく「ほっ」とため息をつく。
最初こそおろおろしていたケンイチは。
その安堵の表情を見て、ようやく腹をくくった。
「確かにボクも、彼女のおびえ方は腑に落ちません。家庭の事情に口を挟むのは非常識な話ですし、あなた方に僕らを安心させる義務なんてありません」
強い意志のこもった瞳で、ケンイチは話し出した。
「だから、断られてしまえばそれまでなんですが、出来ればその辺の説明をしていただけるとありがたく思います。いかがでしょう?」
女はふっと瞳から力を抜くと、穏やかに微笑んだ。
「あなたがおっしゃるように、こちらに説明する義務はございませんし、また、何の疚しいところもございません。ですがこうしてソフィアがご迷惑をおかけしてしまっていることですし、話せる範囲でお話しましょう」
おそらく、『この子はメイワクなどかけてない』とでも言いたかったのだろうガッカリスの軍パンを引っ張って黙らせると。
ケンイチは女に向かってもう一度「申し訳ありません」と頭を下げた。
女はすうっと空気を吸い込むと、張りのある美しい声で話し始めた。
「自己紹介が遅れました。高柳と申します。ソフィアの後見人の代理としてお屋敷の管理―――ああ、これは書類だとか税金だとかと言う意味で、お掃除やなんかではありませんけれど―――そういう方面、いわば秘書のような仕事をしています。そしてこちらが」
高柳と名乗った女は、運転席のある前列、中列、そしてボックス席になって皆が座っている後列のうち、中列に座って前を向いたままの執事へ緯線を向けて。
「そしてこちらが『私がやらない方』のお屋敷の管理を担当する、川上です」
川上と呼ばれた初老の男は、こちらに軽く顔を向けて会釈だけを返した。
執事と言えば慇懃な物腰を想像していただけに、川上のそっけない態度に違和感を覚えたケンイチは、やがてその理由に思い当たる。
なるほど、自分たちを客として扱う気はなく、歓迎する気もないと言うことか。
改めて気を引き締める。
高柳はケンイチの硬い表情を見てふっと微笑むと、静かに話し始めた。
「ソフィアは孤児です。5歳まで施設で育った彼女を、5年前に引き取ったのが、私の雇い主であるレイナス様です。レイナス様はお若い……大変お若いながらも、すばらしい才能をお持ちの方で、現在、会社を三つも経営する実業家でいらっしゃいます」
それからふと、遠くを見るような表情をする。
「お若すぎて、商売敵や顧客に侮られてしまうため、表に出ることは一切ありませんが」
「年寄りならともかく、それほど若い実業家がなぜ養子を必要とする? なにやらキナ臭いな」
ガッカリスが尊大な口調で言う。
執事の川上がじろりとこちらを見た。
高柳はそれに構わず、話を続ける。
「これはプライベートな話ですので、私に話す権限があるのかはわかりませんが、特に隠してらっしゃるご様子もないので、お話しましょう。ここだけの話として聞いてください」
少しイタズラっぽい魅力的な微笑みを、そのセクシーな口元に浮かべて、高柳はケンイチを見る。
「実はあの方も、孤児でらっしゃるのです。ですから、孤児院の子供たちを他人とは思えないのでしょう。現にあちこちの施設に多額の寄付をしてらっしゃいますし」
「だから寄付をする、と言うのはわかるが、養子に迎えるのはまた違うんじゃないか?」
「そうでしょうか?」
「まとまった金を寄付するのと、成長するまで面倒を見るのは全然違う。それがソフィアガールのように可愛らしい女の子となれば尚更だ」
普段からは考えられないほど理路整然と、ガッカリスが推論を進めてゆく。
「周りに邪推する者だって居るだろう。ましてそんな立場の人間なら、足を引っ張ろうとして、あらぬうわさを立てるものも居るんじゃないか?」
「マンガの読みすぎですよ、妖精さん」
「そうか? だが、俺だったらかんぐるぞ? こういう幼い女の子を金で養女にし、自分の思い通りに育て弄ぶ、変態的な性癖を持っているんじゃないかって。金持ちの変態なんて手がつけられない。生き物として最悪だ」
刹那。
ほとんど目に見えない、とんでもない速度で、黒い影が走る。
ケンイチが気づいたときには、前に座っている執事の右腕がナイフを投げていた。
必殺の力を持って放たれたそのナイフは、ガッカリスによって簡単に捕まれている。
ケンイチとソフィアは息を呑み、ガッカリスと執事がにらみ合う。
「言葉を慎め、妖精」
「ただのバトラーかと思ったら、やるじゃないか、オールドマン」
「レイナス様はキサマごときが口の端に乗せて良いお方ではない。これ以上あの方を侮辱するなら、その見苦しい肉の塊を切り裂くぞ」
まさに劇的な、川上の変わり様であった。
「貴様ら妖精を殺しても、器物破損にしかならない。知らぬわけではあるまい? 放り出されたくなければ、口をつぐんでいろ、妖精」
「妖精は死なないぜ、バトラー?」
「スクラップにされたいようだな、筋肉ダルマ」
強烈な殺気と、それに似合わぬ淡々とした口調に、ケンイチは背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
ソフィアは完全におびえてしまい、隠れるように丸くなって、両手で耳をふさいでいる。
その姿を悲しそうに見たケンイチは、勇気を振り絞って口を開く。
「乱暴はやめていただけませんか。こいつの失礼な言い草はお詫びします。ですが、あなたにこの妖精を殺す、いや、壊す権利はないでしょう? それこそ、警察沙汰になると思うんですが。ああ、ちなみに……」
何か言おうとした川上に向かって、ケンイチはポケットから携帯電話を取り出して見せる。
「今までの会話は録音してあります。自動で五分ごとのファイルに分割されて、そのまま送信、クラウドに保存されています」
思わぬケンイチの逆襲に、高柳は美しい目を見開く。
「これからは動画に切り替えて、証拠として記録します。ガッカリスの言葉は失礼だったかもしれませんが、あなたのそれは脅迫です。もう少し落ち着いて話しませんか?」
執事がむすっとして黙ると、
「あははははっ! もうだめ、我慢できない」
高柳が手を叩いて笑い出した。




