においが気にいらないんだよ
第八話です。
「ソフィア、こんなところに居たのね」
ソフィアの母親だろうか。
近づいてきた女もまた、凄みのある美女だった。
漆黒の長い髪をきりりと結い上げ、強く印象的な瞳でこちらを見ている。地味なパンツスーツごときでは、彼女の匂い立つような色気は隠しきれない。
白いシャツの胸元は、意外なボリュームでスーツを押し上げている。印象としては細いのだが、よく見ると驚くほど起伏に富んでいた。
ケンイチがビックリして見とれていると、その女はこちらを向いて頭を下げた。
「申し訳ありません、ちょっと目を放した隙に。なにか失礼はなかったでしょうか?」
「と、とんでもない。すごく賢いお嬢さんで、こいつとふたり舌を巻いていたくらいです」
客観的に見て失礼なのはガッカリスの方だから、ケンイチはあわてて手を振りながらあとずさる。
ガッカリスが筋肉の話を蒸し返さないうちに、また、先ほどのように「パーフェクト」だの失礼な事を言い出さないうちに、退散しようとしたのだ。
しかし、母親らしきその女は、こぼれんばかりの笑顔で
「お相手してくださって、どうもありがとうございました。この子はちょっと変わってるから、大変だったでしょう?」
「いえいえ、そんなことはちっとも……ソフィアちゃんは川に入ろうとしていたのですが、さすがにもう水泳には寒いですから、やめさせて濡れた服を乾かしていたところです。もう、すっかり乾きましたから、僕らはこれで失礼します」
ケンイチがあわてて手を振っていると、ソフィアが突然、叫んだ。
「一緒に来てっ! おねがいっ! 一緒に来てっ!」
「ソフィア!」
女が強く静止するのにも関わらず、ソフィアは駆け出してガッカリスの後ろに逃げ込む。
ケンイチはおろおろし、女も驚いたように少女とガッカリスを見比べる。
ソフィアはガッカリスの後ろに隠れて顔だけ出し、女をにらんでいた。
そして防波堤にされた当の本人、いや妖精はと言うと。
「ヘイ、レディ! ユーはこの子のマザーじゃないな?」
「…………」
「ユーのハートにはガッカリが少なすぎる。普通、子供を探してる母親は、全身にガッカリが充満してるもんだ。そして見つけた瞬間、それは霧散し反転する。歓喜ってヤツだ」
ガッカリスの表情は険しい。
「ところがユーのガッカリは、そういう大きな変化がない。イコール、ユーはソフィアの母親じゃない。違うか?」
黙って聞いていた女は、ガッカリスに問われて大きなため息をついた。
「ああ、あなたは妖精さんなのですね。それで私の感情がわかったと。ええ、おっしゃる通り母親ではありません。その子には両親がいないのです。私は、ある方からその子の世話を頼まれている者です。お疑いでらっしゃいます?」
「そ、そんな。とんでもない! こちらこそ、事情も知らずに立ち入ったことを言って申し訳ありませんでした。おい、ガッカリス! もう、帰るぞ! ソフィアちゃんを離さないか」
「ソフィアは帰りたくないそうだ」
「ちょ、ガッカリス! バカなこと言ってるんじゃない!」
「何もバカなことは言ってないと思うが……一緒に行こうじゃないか、ケンイチ。それでソフィアの言ってることが見当はずれだったら、おとなしく帰ればいい。乗りかかった船だ、最後まできちんと責任を取るべきじゃないか?」
まくし立てられたケンイチが、大きく息を吸って反撃しようとした矢先、件の女がうなずいて笑った。
「本来は家庭内の話なのですが、私が母親でないとわかった以上、嫌がる子供をその手に渡すのがためらわれるのは当然ですね」
笑顔で話し出した女を、ガッカリスが睨んでいる。
「警察を呼んだりして事が大きくなれば、困るのはそちら様でしょう。ですがソフィアを保護してくださったご恩もありますし、それにお洋服もまだ完全には乾いてないようですし……」
女は肩をすくめて、もう一度にっこりと笑う。
「お屋敷にご招待しますわ」
そう言って彼女は、土手の上に停まっている黒塗りの高級車を指差した。とたんに、ガッカリスがため息をついて傲慢に言い放つ。
「マイナスワン、だな。どう見てもまともな人の乗る車じゃない」
「や、やめろ、ガッカリスっ! すみません。本当にすみません。こいつは近所でも有名なバカなんです。しゃべる肉人形かなんかだと思って、無視してください。ホント申し訳ありません」
「いえいえ、確かにこんな車では、妖精さんの疑惑が高まってしまっても仕方ありませんね」
穏やかに笑う女に、ケンイチは思わず見とれてしまう。若い男に見とれるなと言う方が無理な、匂いたつような色気と美貌なのだ。
が、ケンイチの顔を見たガッカリスは、そのだらしない顔を指差しながら、後ろに隠れたソフィアに向かって静かに、決め付けるように言った。
「ソフィアガ~ル、見ておくんだ。卑屈にして好色、アレがダメ人間と言うものだ」
「ちょ、ガッカリスおまえ!」
「ひくつに……こうしょ……ダメニンゲン?」
「ずるくて、えっちな、お・に・い・さ・んってことだ」
おにいさんの部分を強調したのは、先ほどおじさんと言われたのを根に持っているのだろう。
ガッカリスの説明を聞いて、ソフィアはケンイチをにらむ。
ケンイチがあわててにっこりと笑うと、ぷいと横を向いてしまった。
女は苦笑しながら高級車のそばまで行く。
すると中から人が降りてきた。
上品なスーツに身を包んだ初老の男は、どうやら執事のようだ。
「なんとバトラーじゃないか。今どきなんて趣味だ。マイナスツーだな」
「おい、いい加減にしろよガッカリス、おまえどうしたんだ?」
ガッカリスは確かに口が悪い。
だが、いつもなら、幾らなんでも初対面の相手に向かってここまでケンカ腰にはならない。
ガッカリスが、わざと相手を怒らせようとしているように思えて、ケンイチは声を潜めてもう一度「どうしたんだ?」と聞く。
すると。
「においが気にいらないんだよ。この女も、あっちのバトラーも」
「におい?」
「あぁ、気分の悪いにおいがプンプンする」
聞こえているのかいないのか、何の反応も見せないまま、執事がクルマのドアを開ける。
「さぁ、どうぞ」
女に促されて、ケンイチとガッカリス、ソフィアの三人は後部座席に乗り込んだ。
ボックス席のように向かい合ったそのシートは、素人目にも判る高級品だ。
ソフィアが小さいとは言え、ガッカリスはそれを補って有り余るほどデカい。それなのに三人並んでも窮屈な思いをしないで済むのだから、シートも、クルマ自体も、相当に大きい。
対面に座った女は、穏やかに微笑んで三人を均等に見た。表情は柔和で、取り立てて不審なところはない。少なくともケンイチにはそう見える。
執事は運転席とボックス席の間にある座席に座り、微動だにしない。その後頭部をじろりとにらんでから、ガッカリスがおもむろに口を開く。
「ところで、ひとつ納得のゆく説明をしてくれないか?」




