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妖精の住む街  作者: 藤村ひろと
第二章
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初めての大冒険

第二章スタートです。

 

「僕はね、美しいものが好きなんだ」



 細く白く冷たい指先が、少女のやわらかい背中に触れる。


 しかし少女は何の反応もしないまま、うつろな瞳で宙を見つめていた。


 つやつやと光り輝く見事な黒髪が小さな尻にかかるほど長く、流れ落ちる滝のようだ。


 背中に触れた男の指の白さにも負けないほどの、陶磁器のように真っ白な肌は、今はほんのり桜色に染まっている。



 銀色の長い髪をたらし、切れ長の瞳で少女を眺めていた男―――レイナスは、大理石の湯船から手桶で湯をすくって優しく少女にかける。


 かけられたお湯が、真珠のように転がり肌を滑り落ちる。


 その幼さの残る身体は、こうして毎日、レイナスの手によって隅から隅まで清められるのだ。



「美しいものが、好きなんだよ」



 もう一度つぶやいたレイナスは、湯をかける作業をやめ、ゆっくりと少女を抱き寄せた。


 背中から抱きすくめられ、それでも少女はまったく反応しない。


 レイナスは、大理石から切り出された彫刻のような裸身のまま、その少女の身体を抱きしめて、柔らかな肌に指を這わせる。


 どう見ても淫猥な行為であるにも関わらず、その光景はとても美しかった。


 一枚の絵画のように美しかった。



 なぜなら。



 少女を抱きしめるレイナスの身体が、『少年と言っていいほどの若さ』だったからだ。


 均整の取れた彫刻のような身体は、しかし、その落ち着いた物腰や言葉には到底そぐわない、異常と言って良いほどの若さだった。


 己が身体を洗ってやっている少女と、五歳は離れてないだろう。


 黙って並んでいれば、美しい兄妹のようにさえ見える。



 その物腰はしかし、完全に成熟した大人の男のそれだった。


 少年の身体を持ったその男の瞳には、怜悧な、見るものの魂をつかんで引きずり出し、ヤスリにかけるような恐ろしさと違和感を感じさせる光が宿っていた。


 まぶたを閉じていればあどけなささえ感じさせるその顔には、満足げな、酷薄な笑みが張り付いている。



 やがて、惜しむかのようにゆっくりと少女の身体を引き離し、レイナスは立ち上がった。


 湯殿ゆどのの出入り口へ歩き出すと、控えていたメイドが数人、音も立てずに近づいてくる。


 十代半ばにしか見えない身体を数人のメイドに拭かせながら、レイナスは独り言のように小さくつぶやいた。



「風邪をひかせないように」



 黙って頭を下げるメイドたちには目もくれず。


 ガウンをまとって歩き出す主人に、湯殿の外で待ち構えていた秘書が続く。


 一方、身体を拭いていたメイド達は、少年のような主人の姿が見えなくなると、あわてて少女に駆け寄った。万が一にも風邪などひかせたら、彼女たち全員、地獄を見ることになる。



 必死のメイドたちによって、湯船に漬けられた少女は、じっと天井を見ていた。


 いや、天井にある天窓から見える夜空と、そこで瞬く星々を、食い入るように見つめていた。


 黒く大きな瞳に言い知れぬ憂いをたたえながら、いつまでも見つめていた。



 やがて充分に暖められた少女は、湯船から引き上げられ、大きく柔らかいタオルで拭われる。


 数人のメイドに促され、少女は与えられている二階の自室へ戻った。




 彼女ひとりを住まわせるにはいささか無駄が多いだろう、ちょっとした会議室ほどの広さを持つ自室で、メイドに見守られながら少女は就寝する。


 メイドは、少女が眠りにつくと、静かに部屋を出た。


 しばらくの間、静寂が訪れ。


 やがて少女は闇の中、ゆっくりと眼を開ける。



 電気をつけると自動的にメイドの控え室に知らされてしまうので、そのまましばらく闇を見つめて目を慣らした。


 ほどなくして瞳孔が開き、真っ暗闇だった室内が、薄ぼんやりと見えるようになってきた。


 少女は静かに静かにベッドから降りると、そうっと窓辺に寄って分厚いカーテンを開く。


 もうずっと前から決めていたことだ。



 窓辺に立つ大きな木の枝を見つめてから、クローゼットに近寄ってそっと扉を開け、手近の服を急いで身につける。


 いつもの習慣で、これからやることに必要のないレースの髪飾りまで付けていることに、少女自身は気づかない。


 そして、服に小さなチップが仕込まれていて、すぐに居場所がわかってしまうことも、もちろん少女は知らない。


 着替えを終えると、大きく息を吸った。


 生まれて十年あまり、初めての大冒険だ。


 ゆっくりと息を吐き出した少女は。


 意を決して、窓を勢いよく開ける。



じりじりじり!



 とたんに警報が鳴り出した。


 しかし少女はまったくあわてることなく、窓辺に伸びた枝をつかむと、思いっきり引っ張って離す。


 それから素早くベッドの下にもぐりこんだ。


 程なく部屋の扉が乱暴に開かれ、メイドや執事が飛び込んでくる。


 目の前の窓が大きく開かれ、そこに伸びた木の枝が揺れているのを確認すると、入ってきた執事は素早く窓に寄って下を見た。


 それから窓辺の木に視線を移したが、大きな木は枝が入り組み、奥の方まで見通すことが出来ない。


 木は一本ではなく、後ろはそのまま庭の小さな森に繋がる。


 広大な敷地の中にある森を捜索すると言う、降ってわいた残業に、ふんと鼻を慣らし、執事はメイドたちを伴って階下へ駆け下りる。



 すべてをベッドの下から見つめていた少女は、誰も居なくなった自室を出て、廊下を階段とは反対の非常口へ向かって駆け出した。


 非常口をそうっと開けて辺りをうかがった少女は、ブーツを手に持ってはだしのまま鉄製の階段を駆け下りた。


 途中でつまずき二三段踏み外して、踊り場に向かって転げ落ち、身体を手すりへしたたかにぶつける。


 派手な音を立てたが、警報のお陰で気づかれなかったようだ。


 手すりにぶつかって、一瞬、息が詰まる。


 しばらくしゃがみこんだまま痛みに耐えた少女は、やがて痛みがおさまってくると、よろよろと階段を下り始めた。


 手すりに身体をぶつけたときに、幸運にも発信チップが壊れたことにはもちろん気づかず、非常階段を降り切ると、庭の森とは反対方向に駆け出した。



 メイドのひとりが、夜遊びするために「裏の通用口を開けておいてくれ」と友人に頼んでいるのを聞いたのが、ちょうど二週間前のことだ。


 それから少女はこの計画を立てた。


 計画と呼べるほど綿密なものではなかったが、少女は成功を疑っていなかった。


 色々な幸運が重なって、彼女は無事、通用口から通りに出る。




 ブーツをはいた少女は、やり遂げた喜びに頬を上気させながら、夜の闇の中を駆け出した。


 


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