俺の前でなくちゃならない理由はない
四話目です。
第一章、完結です。
すっかり日の短くなった秋の夕暮れを、三人そろって家路へ急ぐ。
サッパリスは一日遊んでもらったのが、よほどうれしかったのだろう。すっかりご機嫌で、どこからかやってきた仔犬に、食べ残しのお菓子をやっている。
その姿を見るケンイチの心は、それでもいつものように簡単には晴れない。
晴れない最大の理由が、ケンイチの前を歩いていた。
鼻歌の合間にポーズをとりながら、筋肉を動かすその様子は、どこから見ても完璧な変質者だ。
ケンイチはまたため息をつきそうになり、それがガッカリスを喜ばすことに気づいて、あわてて飲み込む。
と。
きゅきゅきゅきゅきゅっ!
はげしいスキール音とともに、曲がり角から一台の車が飛び出してきた。
先ほどとっちめた、あの若者たちの四駆だと気づき、ケンイチは息を呑んだ。
彼らが突進する先には、サッパリスと仔犬がいるのだ。
身体が硬直して動けないケンイチの視界の隅に、すばやく飛ぶ影がある。
ガッカリスは全速力で駆け出し、サッパリスを抱きしめたまま地面に転がった。
どん!
きゃん!
しかし、さすがの筋肉妖精も、仔犬まで救うことはできなかった。
子犬ははねられて宙を飛び、道端に転がった。そこでようやく、ケンイチの呪縛が解ける。それを見越していたのか、ガッカリスが叫んだ。
「ケンイチ! サッパリスを!」
そのままサッパリスを突き飛ばす。
サッパリスが地面に転ぶ寸前、ケンイチはどうにかその小さな体を抱きとめた。そして抱き上げざま、道のそばに飛びのく。もう、目の前まで四駆が迫っていたからだ。
明らかに轢き殺そうととするその姿を見て、ケンイチは気づいた。
「ガッカリス、気をつけろ! あいつら、おまえが妖精だって気づいてるぞ!」
妖精は人間ではないので、交通ルールは適用されない。
一度ビビって逃げ出した彼らは、ガッカリスに仕返ししようと付け回すうちに、彼が妖精だと言うことに気づいたのだ。
妖精なら器物破損で済むのだから、仕返ししてやれと言うところだろう。
「俺の筋肉が見かけだけじゃないことを見せてやるぜ」
にやりと不敵に笑ったガッカリスに、車が迫る。
と、助手席の男が窓から顔を出し、何かをガッカリスに向けた。
それがボウガンだとケンイチが気づくのと、放たれた金属の矢がガッカリスの太ももに突き刺さるのは同時だった。
どぉん!
先ほどとは比べ物にならないほど大きな音がして、ガッカリスの身体が宙に舞う。
「ガッカリスッ!」
ケンイチが叫ぶと同時に、妖精の身体が地べたに落ちた。
一度大きく弾んで、ごろごろと転がる。
男たちは車から降りてくると、倒れたガッカリスに向かって嘲笑を浴びせた。
「ざまあみろ!」
男の一人が叫んだ。
他の男たちも追従するように、歓声と罵声を上げる。
そのケタケタと笑っていた顔が。
次の瞬間、凍りついた。
ゆっくりと、ガッカリスの筋肉が動き始める。
じわりじわり、立ち上がってゆく。
口元からは血を流し(妖精も、人間と同じく赤い血を流すのだ)全身打撲で紫色にはれ上がった身体は、しかし、あふれんばかりの闘志に満ちている。
「この代償は高くつくぜ、メーン」
満身創痍で、それでもとりあえずポーズを決める姿は、バカを通り越して神々しくさえあった。
少なくとも、ケンイチにはそう感じられた。
ショックからさめ、同じくガッカリスを見つめるサッパリスを抱きしめながら、ケンイチは妖精を見つめていた。
「くそう! かまうこたない。相手は妖精だ。ぶっ壊しちまえ」
「壊されるのはユーたちだよ」
言った瞬間、ガッカリスは得意のポーズを決める。
と。
「あ、あぁぁぁ……あぁっ!」
男たちは、三人同時に地べたにひざまずく。
そしてそのまま、あるものは胸をかきむしり、あるものは頭を抱え、動けなくなってしまった。
ぴくぴくと時々痙攣しながら、唇の端から泡を吹く。
よだれをたらして遠くを見つめながら、言葉にならないうめき声を上げている。
ガッカリスはよろよろと歩いてくると、ケンイチに向かって笑った。
今まで見せたことのない、素直な微笑だった。
「あいつらは?」
「大丈夫だ。しばらくお仕置きをしたら、元に戻してやるさ」
「いったい、何をしたんだ?」
「最大級の絶望を与えたのさ。生きてるのをやめたくなるくらいのな」
「それじゃあ、死んじゃうの?」
サッパリスが悲しそうに聞くと、ガッカリスは笑って言った。
「まあ、それは喩えだよ。本当にそこまでひどいことはしないさ」
どうだかな、とケンイチは思う。
だが、やつらのしたことは責任を問われるべきことだ。殺意をもって行動したのなら、その結果が自分の死だとしても、潔く受け止めるべきだろう。
その覚悟もなく、他者を害するのは、ただの甘えだ。
いつの間にか強い心を持った自分に気づかないまま、ケンイチはガッカリスを見つめる。
すると当の妖精は、よろよろとした足取りで歩き出した。
驚いたケンイチは思わず声を上げる。
「どこに行くんだ?」
するとガッカリスは、振り返りざまにポーズを決めてから、小さな声で言った。
「まだ、やることがある」
撃たれた脚を引きずりながら、ガッカリスは道の向こうに歩いていった。
その先には、そう、さきほど轢き殺された仔犬。
そして、いつの間にやってきたのだろう、小さな男の子がいた。
男の子は、仔犬を抱きしめてぶるぶると震えている。
のっそりとやって来たガッカリスを見て、男の子は一瞬ひるんだ。
ガッカリスは、優しい、そして切ない顔で頭を下げた。
「ごめんな? 助けられなかった」
言いながら、少年から仔犬の屍骸を取り上げて、その丸太のような太い腕の中に、優しく抱き包む。
少年は不安げな、恐ろしげな、なんともいえない不安定な表情で、ガッカリスに問う。
「ペスは死んじゃったの?」
妖精はゆっくりとうなずいた。
「ああ……ごめんな?」
その瞬間。
男の子の両眼から、見る見る涙があふれ出し。
ガッカリスは、少年から目を逸らして、天を仰いだ。
あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……
少年は、声を上げて泣き出した。
魂の抜け去るようなその慟哭は、聞く者の心臓をわしづかみにする。
ケンイチは思わず耳をふさぎ、ひざを突いて頭を抱えた。
サッパリスは慟哭に引きずられて、おうおうとしゃくりあげている。
ガッカリスは少年の肩を抱いていた。
切ない泣き声だった。
心からの絶望だった。
少年の叫びは、その幼さゆえの純粋な、狂気にさえ似た悲しみで辺りを包む。
空を真っ赤に染めていた夕日は、いつの間にかほとんど沈んでしまっていた。
やがて、涙に洗い流されてしまったかのように、あたりの光が急速に失われ……
突然、男の子は泣き止んだ。
「おじさん、いまなんじ?」
「おじさんじゃない、マッチョ・ガッカリスだ。早く帰らないとママにしかられるぞ」
少年はうなずくと、ニッコリ笑って駆け出した。
ガッカリスの腕に、仔犬の屍骸を残したまま。
少年の背中が闇に消えるのを見つめながら。
ケンイチはガッカリスに近づいて、穏やかに笑った。
「あの子のガッカリを消したんだね」
ガッカリスはケンイチの方を見ずに、天を仰ぎながら答えた。
「どうせいつかは、死というモノと、真正面から対峙しなくてはならない」
「うん」
「しかし、なにもその『いつか』が、俺の前でなくちゃならない理由はない。俺はガキの泣き声が嫌いなんだよ。耳障りだからな」
その言葉に、サッパリスは泣くのをやめて、おずおずと聞いた。
「泣いてごめんね、ガッカリス。もう泣かないから、嫌いにならないで」
するとガッカリスは、天を仰いだまま言った。
「みろ、サッパリス。ものすげえ星だ」
言われて見上げると、空には満天の星。
サッパリスは驚いて息を呑んだ後、目を輝かせて星を見つめる。
ケンイチは見上げた視線をおろして、ガッカリスを見つめた。
その視線を受け止めたガッカリスは、照れくさそうにふんと鼻を鳴らす。
それから取ってつけたように別の方向を指差した。
「見ろよ、ケンイチ。悪運の強ぇやつらだ」
その先では、ようやく正気を取り戻した男たちが、しかし、充分に恐怖を刻まれた表情で、足早に逃げ出してゆくところだった。
ガッカリスは高らかに笑いながら、その後ろ姿に向かって決めポーズを取る。
「がはは! 見たか悪党ども。俺様がマッチョ・ガッカリスだ。またガッカリしたくなったら、いつでもやってこい。相手になってやる」
それからふたりに振り向いて言った。
「よう、腹が減ったよ。帰ろうぜ?」
ケンイチとサッパリスがうなずくのを見ると、ガッカリスはいつもの意地悪な笑みを浮かべ
「ケンイチ、今日使った分、明日からまた、ガッカリを集めまくるぞ?」
その言葉にしかし、ケンイチはもう、ガッカリすることができなかった。
どうやらこいつとはうまくやっていけそうだと、何だかうれしくなって、思わず微笑んでしまう。
その顔を見て、サッパリスもうれしそうに笑った。
サッパリスの笑顔で、ケンイチの心はさらに暖かくなる。
するとガッカリスは、大きなため息をついて肩をすくめた。
「あーあ、これじゃあ今日は、おまえのガッカリには期待できそうもないな」
それから三人、顔を見合わせ、大声で笑いあう。
幸せな笑い声は、すっかり暮れた秋の夜空に吸い込まれていった。




