それは自殺ではなく、頂礼だった
第十七話です。
次で第二章の完結です。
レイナスは完全に沈黙した。
大きく息を吐きながらレイナスを見つめていたガッカリスは、視線を上げると玄関に向かって走り出す。
もっとも、それほど心配していなかった。
高柳と言う女は川上に比べれば、精神的なバランスがずっと安定しているように見えたから、イキナリふたりが殺されたりすることはないはずだ。
まずは様子を見るだろう。
玄関を出ると思ったとおり、高柳はソフィアを抱えたままケンイチと話をしていた。
友好的とは言えないが、一触即発と言うわけでもなさそうだ。
安心して息を吐き出す。
すると、顔を出したガッカリスの姿を見て、高柳は肩をすくめ、ケンイチは破顔した。
「ガッカリス! 大丈夫か?」
「あたりまえだ、ケンイチ。俺を誰だと思っている。それよりソフィアガールは?」
「大丈夫よ。見た目は派手だけど、傷は治療しておいたから」
ガッカリスの質問を、高柳が受け取る。
「ムチで殴られてアチコチ腫れてるから、熱を出してはいるけど、命には別状ないと思うわ。今も私がこれをやったなんてとんでもない濡れ衣を着せられて、ケンイチ君に責められてたのよ。ほんと女を見る目がないわよね」
「ふん、そんなことよりユー、どうする気だ? レイナスは終わりだぞ?」
無言で肩をすくめるのに高柳は構わずに、ケンイチが恐る恐る聞いた。
「ガッカリス、あの男を殺したの?」
「今はまだ死んでない。だが、身体の方は徹底的に破壊したから、今すぐどうこうすることは出来ないだろう……いや、まてよ? あの屋敷には他に誰かいたんじゃないか? 少年少女なりメイドなりが! しまった、移られるっ」
「ああ、それは大丈夫」
高柳ののんびりした返事に、ガッカリスは女へ視線を移す。
「あんたが暴れだした段階でメイドたちは逃げちゃったし、子供はもうソフィアしか残ってなかったから。この屋敷には今、私たちしか残ってないわ。だから私を見逃してくれれば、ソフィアにもケンイチ君にもなにもしないよ」
ソフィアを抱えた高柳は、ガッカリスよりもケンイチに近い。
何が出来るのかはわからないが、底の知れない女だから、無理をして危険をおかす必要もあるまい。
そう考えて、ガッカリスはゆっくりとうなずいた。
ソフィアさえ無事で帰ってくれば、高柳などどうでもいいのだ。
「オーケイだレイディ。ソフィアガールをケンイチに渡して、ドコへなりとも……どうした?」
高柳が、凍り付いていた。
目を見開いて固まったその視線を追って振り返ったガッカリスは、「シット!」と叫んで走り出す。
屋敷の中、玄関ホールで倒れていたはずのレイナスが、ずるずると身体を引きずって動いていたのだ。
レイナスはボロボロのまま、川上の死体へ近づいてゆく。
「クソボーイ! ユー!」
叫んだガッカリスより一瞬早く、レイナスは川上の死体にたどりつく。
それから死体の上でナニゴトかもぞもぞ動いたあと。
驚くべきことに死体と唇を重ねた。
血だらけの真っ赤な唇が、色のない川上の唇と重なる。
少年が老人に口づけているような、おぞましい、奇妙な光景に。
玄関ホールに入ってきたケンイチと高柳は息を呑んだ。
「シット! 移られた!」
ガッカリスはレイナスの身体を押しのけて、そのまま川上の死体の上にのしかかる。
次の瞬間、川上の死体が起き上がって……はこなかった。
「ワッツ?」
つぶやいたガッカリスに、移ったと見せかけたレイナスが飛びついてきた。
両腕が折れているので他に攻撃の方法もなく、死に際の川上と同じように、レイナスは首筋に噛み付いてくる。
ガッカリスは反射的に長い銀髪をつかんだ。
と、急激に手応えがなくなる。
ガッカリスは息を呑む。
しかし、それをガッカリスの落ち度とするのは、この場合、少々酷だろう。
レイナスの身体から、首が消失していたのだから。
そしてその首は、ガッカリス自身が銀髪をつかんで、ぶら下げていたのだから。
あの時レイナスは、力を振りぼって川上の死体へ覆いかぶさると、死んでまでも強く握られていたナイフの上に、自らの首を勢いよく落としたのだ。
ガッカリスが、その強烈な膂力で引っ張ったことが最後の一押しとなり。
レイナスの首は引きちぎれたのだ。
突然。
高柳が魂消るような悲鳴をあげて、こちらに走ってくる。
必死の形相は、ほとんどパニックだ。
「ノー! レイディ! こっちへ来ては……」
ガッカリスが立ち上がったので、 レイナスの首は完全に胴体と引き離された。
「ああああぁぁぁっ!」
高柳は狂ったようにガッカリスへ向かって走っている。
レイナスがめちゃめちゃに殴り倒されていても、高柳は鉄の冷静さで平静を装っていた。
今、動いてはいけない。
この厄介な妖精どもをこの場から去らせて、それからレイナスの救助に向かえばいい。
死んでさえいなければ、レイナスは復活できる。
唇を寄せる死体か廃人がいれば、レイナスはいつでも新しい身体を得られるのだ。
そう思って叫びだしたいのを堪えていた。
しかし、首を落とされてしまっては、レイナスの命もそう長くは持たない。
いや、レイナスは妖精だから死ぬワケではない。
が、少なくとも高柳の生きてるうちに、二度と会うことはできない。
暴漢に襲われ、大勢の男に乱暴されていた自分を助けてくれた、あのレイナスに会えなくなる。
暴漢どもを一瞬にして血と脳漿の海へ葬り去った、あの救世主と会えなくなる。
何もない自分に自己嫌悪を感じながら、自堕落で享楽的な生活を送ってきた。
刹那の快楽を求め、色香で惑わせた男の力で、人を恐怖で縛る。
男への恐怖で自分にひざまずく連中を見て、薄暗い喜びを感じていた。
結果、生意気だと言われ、面白半分に集団暴行を受けた。
その首謀者が、高柳の身体に飽きた「自分の男」だと知ったとき。
必死に逃げ、必死に助けを求めながらも、心のどこかで
「自業自得なのかも知れない」
と、あきらめた。
どうせくだらない人生なら、こんな風に終わってしまうのも良いかと。
悲しい諦めとともに、身体の力を抜いた。
まさにその時。
突然、現れたレイナスが、大勢の暴漢をあっという間に鏖殺してしまった。
返り血を浴びながら笑っているレイナスを見て、高柳は心の底から震えた。
ほとんど性的絶頂感に似た圧倒的な感情のほとばしりに、気が遠くなるほどの開放感に。
高柳は、全身を震わせて崩れ落ちた。
恐怖ではなく、歓喜で崩れ落ちた。
高柳は、レイナスの前にひざまずいた。
それは、レイナスの気まぐれだったのかも知れない。
だが、あの時自分を救った線の細い銀髪の男は、その瞬間、高柳の神になった。
血だらけの笑顔で「僕のために働きなさい」と決め付けられたときの安心感は、高柳がずっと求めていた癒しだった。
レイナスこそが、高柳の世界を救う救世主だった。
彼の身体が本物ではなく、数年で朽ち果てると聞かされたときも、その崇拝には一点の曇りも生じなかった。
死体を使うことで、色素が抜けて銀髪のように見えてしまうことも、彼女の強烈な忠誠心を削ぐものではなかった。
妖しい光をまとった銀髪を、彼女は美しいと思った。
そのレイナスの首が今、切り落とされている。
高柳は半狂乱で駆け寄ると、気を呑まれて唖然としているガッカリスから、レイナスの首をもぎ取って自分の胸に抱きかかえた。
焦点の定まらぬ瞳で必死にレイナスを見つめ、あぁあぁと意味を成さない声を上げている。
それから川上の死体へ駆け寄ると。
天を向いたナイフの上に、自らの身体を投げ出した。
それは自殺ではなく、頂礼だった。
聖職者が信仰のために身体を床に投げ出す、聖なる行いだった。
高柳の身体は、まっすぐにナイフの切っ先へ向かって吸い込まれてゆく。
ガッカリスが何事か叫んでいたが、もう、高柳の耳には入らなかった。
入っても意味を成さなかった。
ナイフは高柳の心臓を貫いた。
血を吐いた高柳は、首だけになった主に、ゆっくりと厳かにくちづける。
そしてそのまま目を閉じた。
唇には、満足げな笑みが浮かんでいた。
ガッカリスとケンイチ、ケンイチに抱きかかえられたソフィアは。
その一部始終を動くことも出来ないで、ただ、見ているしかなかった。
それほどまでに高柳の行動はすばやく、正確で、自信と誇りに満ちていた。
ある種、崇高でさえあった。
三人は、高柳の死に顔を見つめていた。
が、イチバン早く事態に気づいたのは、やはりガッカリスだった。
「ケンイチ! ソフィアガールを連れて逃げろ!」
ケンイチはうなずいて、ソフィアを抱き上げると全速力で駆け出した。
同時に、高柳の唇がゆっくりとゆがむ。
そこに浮かんだ嘲笑は、断じて高柳のものではなかった。
あるいは危うく消滅しかけた自分への嘲笑だったかもしれない。
高柳の身体で復活したレイナスは、薄い笑みを浮かべながら、ゆっくりと立ち上がった。
くっくっくと肩を揺らしている。
「逃がさないよ?」




