成人の儀
「やあ、ケンイチ! 久しぶり。卒業して以来だな」
言われて振り向いたケンイチは、そのまま固まってしまった。声をかけてきた男の傍らに、可愛い女の子の姿があったからだ。
妖精のように儚げなその少女は、男の斜めうしろへ控えめに立っている。淡い栗色のロングヘアーが、風に揺られて踊っている。
可憐なその姿が、ケンイチに与える衝撃。
それを充分に予測していたのだろう。
男は上気した顔をほころばせ、弾んだ声で言った。
「昨日、妖精の儀だったんだ」
ケンイチは、それを聞いて絶句する。
ということは、隣にいる女の子は……
妖精のような、ではなく……
まさに「本物の妖精」だと言うわけか。
つまりこの、名前も忘れかけてた同級生は、「若くてきれいな女の子の妖精」と言う、とてつもないラッキーを引き当てたのである。
そりゃあ舞い上がってしまうだろうし、さほど親しくもなかったケンイチに、わざわざ声をかけて自慢したくもなるだろう。
とは言え、自慢される方は面白くない。
ケンイチは相手に気づかれないよう、小さくため息をついた。
父親の妖精は、小さな男の子。
母親の妖精は、おじいさん。
ケンイチ自身は、まだ成人前の19歳。
つまり、ケンイチの家には「女の子の妖精」がいない。なので、「女の子の妖精と暮らす」と言うことが、理解はできても実感できない。
思春期の男子としては、いずれ成人したのち自分に憑くだろう妖精に対して、「色々と期待」してしまうのは仕方ないだろう。
期待と言うか妄想だ。
もちろんケンイチも、若い男子特有の「性欲に由来する強力な妄想力」をフル稼働し、都合のいい物語を脳内で量産しまくっていた。
実際にそんなうまい話はない、それを充分わかった上で。
ところが目の前に、その妄想が、そのまま現実になったヤツが現れたのだ。
面白くないと言うか、ぶん殴りたい。
そんな思いを押さえつけ、努めて平静を装ったまま、ケンイチは肩をすくめる。
「そうか。すごい美人じゃないか。よかったな?」
平常心を保って言ったつもりだったが、最後の方はわずかに悔しさが混じってしまったか。
男の喜びっぷりとドヤ顔にケンイチは、側へ立つ彼女が「何の妖精なのか」を聞きたくない気持ちが強まっていた。
しかし、ここまでの話の流れで「それ」を聞かないのは明らかに不自然だし、やっかんでいるようでカッコ悪い。いや、やっかんでるんだけれど。
「それで、彼女の名前は?」
男は満面の笑みを浮かべて、少女の肩を抱く。
「ミミ・ニッコリスだ。ミミ、挨拶を」
「こんにちはケンイチさん。ミミ・ニッコリスです」
ケンイチの嫉妬は、今度ははっきり顔に出た。
だが、それも無理ないだろう。
ニッコリスの眷属と言うことは、喜びを集め、笑顔を振りまく妖精。
ただでさえニッコリスの眷属なら、ヨボヨボのおじいちゃんだって大歓迎なのに、その上これほど可愛らしい女の子なのだ。
こいつが舞い上がるのも無理ないか、と忌々しい思いでケンイチは唇を噛んだ。
もちろんニッコリスの妖精と話をしていれば、こちらにも気分が良くなるだろうし、幸せな気持ちになれることは間違いない。
しかし、会話が終わればそこまで。
妖精が去った後は、寂しい気持ちが残るのだ。ただでさえ悔しいのに、その上、へこまされたらたまらない。
ケンイチは会話を切り上げ、別れを告げて帰路へつく。
「おかえり、ケンイチ」
迎えてくれたのは、ゲド・シッカリス。
留守を任せている、母の妖精だ。
妖精の間で賢者と呼ばれているこの老人……老妖精は確かに賢く、家族を一度ならず助けてくれている。そのためケンイチも、彼には敬意を払っている。
いるのだが、しかし。
いかんせん口うるさくて敵わない。
「ただいまー! さぁ、課題やっちゃおうかな」
ケンイチは挨拶を返して、言い訳がましい余計な一言をもらしながら、トントンと階段を駈け上がり、逃げるように自室へ戻った。
ドアを開けると父親の妖精、ジュン・サッパリスが、床に転がってケンイチのマンガを読んでいる。
いつものことなので、別に腹も立たない。
と言うか、サッパリスにかかれば、大抵のことはどうでも良くなってしまう。
ケンイチは黙ってベッドに転がる。
天井を眺めながらも頭に浮かぶのは、先程の妖精、ミミ・ニッコリスの姿だ。
白い肌、淡い瞳の色、艶やかな唇。
あの男はこれからずっと、あんな可愛い女の子、それも、歳をとらずにあのままの姿の女の子と、共に暮らすのだ。
羨ましくて、悔しくて、ケンイチは不機嫌に鼻を鳴らす。
すると彼の不機嫌に気づいたサッパリスが、心配そうな顔で聞いてきた。
「どうしたの? おなか痛いの?」
「いや、大丈夫だよ。ちょっと嫌なことがあっただけさ」
会話を交わすと、ケンイチの気分はもうさっぱりしていた。
それで具体的に状況が良くなるわけではないが、こういうとき、サッパリスの眷族がいてくれるのはありがたい。
こればっかりは大金を積んだって権力があったって、どうにかできるものではないのだから。
数十年前までは、「妖精を別の人間に移らせる研究」もあったらしいが、どうやっても不可能だと言うことで、現在ではその研究も規模を縮小されている。
「そう言えば、お父さん、今日、遅くなるって。会社で残業があるらしいよ」
そう誇らしげに言うサッパリスに微笑んでうなずくと、ケンイチは彼の頭を優しくなでてから、自分もマンガを読み始めた。
やがて夕食の時間になり、母親に呼ばれて階下へおりる。食事の間は、母親とシッカリスが代わる代わるお説教だ。
「今年は成人なんだから、もっとしっかりしなさい」
「マンガばかり読んでいてはいかんぞ?」
そんなせりふに適当にあいづちを打ちながら、手早く夕食を済ませ、部屋へ戻る。
ケンイチはサッパリスと一緒に部屋でマンガを読みながら、明日は大学が休みだから、どこかに遊びに行こうなんて漠然と考えていた。
「サッパリス、明日、遊びに行こうか?」
「本当? うれしいな。でも、お母さんが良いって言うかな?」
「大丈夫だ。ボクが説得するよ」
「ありがとう、ケンイチ!」
などとまあ、仲の良い兄弟のようである。
サッパリスは父親が二十歳のときから、ずっと子供のままだ。
その当時は、父さんも今の自分のように、サッパリスと遊んでいたんだろうなぁなんて、ケンイチはふと考えた。
この子といると気分がさっぱりするのだから、いくらでもいてやりたくなる。
(お金を稼いでくれる妖精もいるようだけど、苦労や嫉妬も多いみたいだ。ボクは父さんのように、心の支えになってくれる妖精が良いや。そりゃあ、かわいい女の子に越したことはないけれど)
サッパリスの頭をなでながら、ケンイチはそんな風に考えていた。
妖精は完全にランダムにやってくる。
誰にどんな妖精が憑くのかは、やってみるまでわからない。だとしたら、大金を稼いだり、楽して生きられるような妖精を望むのは、良いことではない。
それが世界中の人間の総意であるかどうかはともかく、少なくとも、学校の道徳の時間では、そう教えられる。
数ヵ月の後。
ケンイチにも『成人の儀』の時が来た。
とは言え、昔のように大仰な儀式を行うわけではない。
役所の妖精管理課に行って、身分証明書を出し、『妖精の祠』の前で、しばらくじっとしていればいいのだ。
やがて管理官が手続きを終えると、祠から妖精が現れる。
その妖精と、これからの人生を、ともに歩んでゆくのだ。
ケンイチは、ドキドキしながら祠を見つめていた。




