1 トロポサイト
ぼくは幸せだった。
TOKYOの空がこんなに青いなんて。建設中のパラボラアンテナや通信塔もクールに見える。トロポサイトにはメーテルリンクの風が吹いていた。
ヘリパットに青いインコがいたんだ。ぼくが手を差し出すと何かを伝えたそうにとまった。
かれはぼくによじ登ると髪のなかで眠てしまう。静かにリビングのソファにもたれたら温かさに包まれてぼくも眠っていた。夢に現れたママは水彩のようだった。
(ガタ!)
スーツに隠れるタイプのショルダフォルスタが目前にあった。
官給のリボルバーは火薬と機械油の香りがした。でも、ダディに付きまとうウィスキー色の息、そんなぼくが大嫌いなにおいよりはましだった。
死のフレーバーってどこにでもある。
タバコの煙、アルコール、白人用WCとかにもある甘く焦げた有機物の香り、まったく子供以外の何にでもあるから嫌になってしまう。
ぼくはそっと頭を探ったけれどもあの温もりは消えていた。
ダディはくわえタバコに下着姿で軍用レシーバーの防水ツマミに触れた。
「こちらはモスクワ放送です。ハバロフスクを経由して日本の皆様に周波数○○ヘルツでお送りします。先ずニュースから…。
1961年10月31日付けの党中央機関紙によりますと、わが国はバレンツ海において多段階水爆「ツァーリ・ボンバ」の実験に成功しました。科学者たちによればパイロットの安全のために、出力は50メガトンに調整されました。これは広島型原爆の3300倍に相当します…」
突然、音声が途切れた。
ダディはダイアルを「軍と家族向けの放送」にチューニングするとバーボンをボトルからゴクリ、ゴクリと音をさせて飲んだ。そのラジオ局には珍しく、アリアが流れた。
ダディはフェージングノイズの混ざったスピーカーにひざまずいて祈りを捧げはじめた。
人類史上最大の衝撃波は惑星を駆け巡ると対流圏の一点に収束して「時空のホール」を形成した。方程式の解はこのときからあった。期せずして人類は「彼ら」を迎えるターミナルを一瞬で建設した。
国家安全保障局は核戦争に備えるとして直径14メートルのパラボラアンテナをトロポサイトに急造したが、真の目的は対流圏の監視にあった。
ぼくらのハウスはその施設にあった。3階の窓からは多摩丘陵が望めた。
(パン!)
階下に銃声がした。
モデルになった「トロポサイト」は米軍が管理していた通信施設です。
いまでは廃墟となっておりますが、巨大なパラボラアンテナは残っています。