第6話-味覚の許容範囲が私は狭い-
気がつくと朝だった。
そう朝だった。夜は何処かに消えてしまった。
六つの鐘の音で目が覚めた。
どうやら寝てしまっていたらしい。お湯で体の汚れを拭いて着替えたところまでは覚えている。
頭はすっきりしている。寝すぎた時のダルさはない。
相当疲れていたようだ。
それも当然であろう。こんなことになって疲れていないわけがない。肉体的疲労もだが精神的疲労は想像に難くない。
死んで生き返って異世界です。とかどこの三文小説だ。真実は小説より奇なりとはよくいったものだ。
ここは、夢じゃなく現実なのだ。
この世界は夏生の世界じゃない。この世界で孤独だ。ひとりぼっち。
(ああ...独りなんだよな...)
気を抜くとダメな方に思考がいってしまうこの癖は治したい。常々そう思っていたけれど異世界に行ったとて、悪癖とは治らないものである。
グー...。
久しぶりにお腹の鳴る音を聞いた。周りに誰もいなくてよかったと心底思った。
そういえば朝食の時間聞いてなかったと思い出す。夕飯も食べていないため空腹で胃が痛くなりそうな勢いで腹ペコだ。もう平気なのだろうか。
ああ、でもその前に顔とか洗いたい。
「井戸の場所聞いとけばよかった...。とりあえず下に降りなきゃな。」
アイテムボックスから櫛を取り出し髪を梳かす。
いくらフードで隠れても部屋にひきこもってるわけじゃないから見えなくてもちゃんと身だしなみは整えたい。
部屋の中に荷物を置きっぱなしにして何かがあると嫌だけれど幸いにして(本当に幸いなのかは知らない)ろくなものを持っていない。基本的に全部アイテムボックスの中から出していない。
手ぶらで旅人っていうのはおかしいからと出した鞄とそれにちゃんと荷物入ってますよと見せる為(鞄を膨らませる用)の軽いタオルなんかだけなのでこれくらいなら部屋に置いておいても大丈夫だろう。
盗まれても痛手にはならない。というかこんな時間から宿屋に盗っ人が出たら安心できる場所がない。
アイテムボックスに櫛をしまう。
アイテムボックスは珍しいとはいえ冒険者や商人にはごく稀にいるらしい。気にせず使いたいが吹聴して回りたい訳ではないから人前では控えるべきなのだろう。
タオルだけを持って部屋から出る。もちろんちゃんとフードは被ったままだ。
この容姿は目立つのだと手紙に書いてあったからできるだけ隠したい。見世物になるのは嫌なのだ。だいたい人の目は日本にいる時から嫌いだった。陰キャにはキツイ。
部屋のドアにちゃんと鍵をかける。コレくらいなら簡単に鍵開けが出来そうな気がしてならない。もちろんしないけれど。自分に恥じない自分で在りたい。
早く魔法をちゃんと使えるようになりたいものだ。
この物騒な世界で日本人の夏生が生きていくには力が必要だろう。
俺TUEEEとかはしたくはないけれど中近世のヨーロッパ程度の文化度合いであるならば身を守り術は必要だ。
まあ魔法は想像力と魔力の使い方だと勝手に思っているからどうにかなると思いたい。
ただ、常に最悪を想像しておくべきだろうな。
などと考えていたら一階についていた。
「あ、おはようございます。」
受付にいた女の子が食堂部分のテーブルを拭いていた。
「おはようございます。顔を洗いたいのですが井戸はどちらでしょうか。」
「案内します。あ..昨日は食事の時間を案内し忘れてしまいすみませんでした。夕飯は夕方の6つ鐘からになります。朝は朝の6つ鐘かた9の鐘までです。ですのでもう朝ごはんはいつでも食べられます。昨日は夕飯をお食べになられなかったのでよろしければその分としてお昼にお弁当をご用意しますけどいかがしますか?」
「いいんですか?ありがとうございます。お願いしてもいいですか?あ、井戸はどこでしょうか?」
「はい。井戸はこちらになります。一応この宿専用の井戸となっています。」
「普通は共用なのですか?」
そういえば何かの本でよんだことがあるきがする。
共同体での共有物。勝手に掘るのは許されないし金持ちや権力者でない限り無理か。
「そうですよ。小さな村だと一箇所だけとかに箇所だけとかザラですね。この街は大きいので少なくはないですけどやっぱり普通は複数の家で共用ですよ。井戸は勝手に増やせませんしね。お客さんの出身地では違うんですか?」
そういえは名前を名乗ってなかった。まあこの少女の名前も知らないけど。
「秘密です。故郷の話をする気はありません。まあ、井戸を使ったことがある人間の方が少ないですよ。案内ありがといございました。顔を洗うのでもういいですよ。」
井戸は宿の中庭にあり建物によって周りから見える事はない。ここでならフードを外して顔を洗えるだろうか。
まあこのロップイヤーの少女がいなくならないと洗えないけれど。
「失礼します。」
慌てて頭を下げて屋内へと戻っていく。
他の人間が来る前に顔を洗ってしまおう。
接客の態度的にはおかしくはないけれど、こんな怪しい風貌の人間の過去触れるような発言はいただけないな。
世間話しとしてありだけど、相手は選ぶべきだよ。
釣瓶を落とすと水の音がした。
そこから紐を引き滑車を動かし水を汲む。
なかなかに重い。
この手の井戸は初めて使う。
日本にいた頃、手押しポンプ式の井戸は経験したことがあった。湧水が豊富な地域出身なので。
昔の人は大変だったんだな。今もこれなんだからこの国というかこの世界か?この世界の人って大変なんだなと独りごちる。
ポンプ式の井戸なら楽だから、手押しポンプ式の井戸を開発したら儲かるだろうか。一応オタクとして最低限の知識は持っている。上手く説明できるかはわからないが。
まあやらないのだが。権力者に目をつけられそうな事は極力避けたい。技術者に信用が置けるかも微妙な世界であるし。
封建社会で権力者に目をつけられるのは即ち死と同義であると夏生は考える。
顔を洗ってついでにタオルを濡らして身体も拭く。
といっても服もマントも脱がないけど。
昨日お湯で拭いて多少はすっきりしたけどお風呂に入りたい。切実に。
今夜もお湯を沸かしてもらおうzお湯で拭うだけでもマシである。お風呂などどう考えてもなさそうだ。ローマであればあるかもしれないがローマではない。
あっても貴族だけとかそんな感じだろう。
あるいはそれで持ってさらに蒸し風呂かもしれない。
タオルはアイテムボックスに突っ込み食堂へと向かう。
少しだけさっぱりしたらお腹が空いていたことを思い出したのだ。
どんなご飯が出るのだろう。
美味しくなくてもいいからせめて私の食べられるものであって欲しい。
昔から夏生は味覚の許容範囲が狭い。
修学旅行でアメリカに行った時痩せて帰っってきたのはいい思い出だ。ほとんど果物しか食べられなかったのだ。その果物も味が薄かったのを覚えている。日本の果物は品種改良が進み格段に美味しい代物になっているのだと理解したのはいい思い出だ。
地球ですらそうだったのに異世界では期待などあまりできない。それに、果物生活はキツイ。まして宿代にご飯代は含まれてる。
果物は高い可能性もある。
食堂に着くとロップイヤーの少女が席に案内してくれた。
朝食は一種類しかないらしい。すぐに温かい料理が運ばれてきた。
シチューのような白い汁物に黒パンが二切れ、それと姫林檎くらいの大きさの果物が一つ。
朝はあまり食べられない質だけれど今はお腹が空いているからもう少し味の濃そうな食べ応えのありそうなものはいいんだけれど。
まあ文句を言っても仕方がない。
黒パン苦手なんだけど食べれるかな。
「キミューと野菜のシチューです。」
「ありがとう、この果物初めて見るんだけど皮ごと全部食べて大丈夫なのかな。あとキミューって何?」
他にお客もいないから気になることを尋ねてみる。
「キミューは近くの森によくいる大きな鳥の魔獣です。果物はミシュカといって皮ごと全部食べられます。酸味があって甘くて美味しいですよ。水分が豊富なので水代わりに食べる人もいますね。食事が終わりましたら食器だけ返しにきてください。その時お弁当をお渡ししますから。」
どうやら果物に値段はとりあえず高すぎることはなさそうだ。
「教えてくれてありがとう。お弁当の事も。」
「いえ、気にしないでください。」
また名前を聞き忘れたけれどまあいいか。仲良くなる気は今のところあまりない。
この世界の人を信用できるかと言われると絶対的にNOだ。
シチューを口に運ぶ。味付けは薄い。水っぽいし。ただ不味くはない一応。美味しくもないけど。
パンをちぎり口へと運ぶ。案の定酸味がある。黒パンは苦手だ。とりあえずシチューにつけて食べることにした。
美味しくないと不味いがコラボするとどうなるか。想像に任せたい。
格闘する事30分。どうにか食べ終えた。その間にだいぶ周りに客が増えている。夏生の食べる速度はどうやら遅いらしい。
さてやっとデザートだ。シャキシャキとしている。それでいて柑橘類のような甘さと酸味を持っていた。
美味しい。
これは美味しいと思う。
果物は美味しいけれど食事の文化はもしかしたらあまり進んでいないのかもしれない。
もしそうなら由々しき事態だ。そういえば一応美味しというはずの宿でこれなのだ。
別に今は太っていないし冒険者をするなら身体は資本だ。
食事は大切である。下手なダイエットのなるのは困る。
街を見る必要もあるかもしれない。でもとりあえずはお金を稼ぎたい。依頼を受けてギルドランクも上げたいところだ。目標はCランク。指名依頼の強制は勘弁願いたい。
依頼を受けてそれを終えたら午後からとかで探索をしよう。
日用品や服なども買わなければならない。
誰か詳しい人が欲しいと切実に思う。信用できる者で。
次回は中間発表が終わってからになります。中間発表の準備が終わらない....。