降臨したら、神殿が遺跡になっていた
ここは人族と妖精族など様々な人間が暮らす『アーティクシ大陸』、その南側の辺境の地。
他の場所に比べ生い茂る森に開拓されていない山々、行商なども碌に通らないのか整備されていない道。その反面、魔族もここまでは侵略の手を伸ばしていないのか、周辺に住んでいるのは力の弱い魔物ばかりだ。きっと人間との戦争の際に連れてこられ、逃げ出してきた臆病な個体の子孫達なのだろう。もはや単なる獣の一種だ。
そしてそんな誰も来ない辺境の地にあるとある神殿に、一つの光が転送されて来た。
――着いたか。
そう心の中で呟いたのは冥界神メランズイヤー、通称メランだ。
先ほどまでとは違い神の姿ではなく、一般的な青年の姿をしている。服装もどこかの民族衣装のような軽装だ。腰には昔供物として捧げられた鋼の剣をぶら下げている。
冥界でも緊急時にしか使えない転送魔法を使い、ここまで飛ばされて来たのだ。
しかし……。
「なんだ? やけに暗いな。人間界では今は夜だったか?」
どうした事かこの神殿は真っ暗だ。この世界に来る際に人間の体に化けたので、この暗闇ではほとんど見えない。当初の予定で神殿に降臨した際に神官や信者に事情を話し協力でもしてもらおうとしたのだが、まさか神殿に誰もいないとは予想外だ。というかここは妙に埃っぽい。
仕方なしに目に魔力を流し込み暗視を可能にする。魔力に限りのある人間の姿で無駄遣いはしたくはない。しかし松明がない以上、ここから動けないのでは話にならない。
おそるおそる動き出すメラン。周りは石で出来た部屋だ、ヒビ割れている事から手入れなどもしていない。それに模様なども描かれているようであり元々は立派だったことが窺える。メランがここに降臨したという事実と合わせるとここは祭壇か……。
上の方から僅かな隙間から光が差し込んでいるようだ。となると出口はそちらか。
足元に注意しながら階段を上ると何かで出口が封じられている。押し上げて外に出てみると古びた椅子などがある広間に出た。おそらくここで信者達がメランに祈っていたのだろう。
メランはこの古びた神殿から外に出た。そして神殿をよく見ると昨日や今日に滅びたような外観はしていない。数十年は経過している。
――どういう事だ。何故この神殿は滅びている?
この辺の魔物は弱いはず。ならば神殿を守り切れないはずがない。メランの信者ならば冥界神の加護として一定の確率で状態異常を付与する力が授かるはずだ。
とはいえ管理をサボった信者を探し出して神罰を与える、何て事はしない。している暇もない。
神殿が放棄されている、というのは確かに気がかりだがメランは先を急ぐ事にした。
この辺の魔物被害は少ないだろうが、それでも確かに周辺の森から幽霊の気配はしている。
魔物も現れるかもしれない。気を引き締めて挑まなくては。そうメランは思った。
「今、冥界神の名において命じる。汝よ、魂のあるべき場所へ戻れ『ユクモース』」
『うぁあぁぁあぁぁ……!』
呪文を唱えたメランの右手を中心に青い魔法陣が展開し、そこに大きな大穴が開いた。これは冥界への扉の簡易版だ。肉体のあるものと魔物は通る事が出来ないが、幽霊ならば強制的に冥界へ連行できる。
本来は悩みを聞いて丁寧に成仏させるべきだ。こういう手段は魂に傷ができ、転生した際に記憶を保持しているみたいな障害が発生しかねないため、やりたくはない行為だ。
幽霊達は冥界への穴に吸い込まれた。メランは息を吐く。
「すまないな。時間がないんだ。君達が今度死んだら丁寧に転生させてあげるから」
そう言って謝るメラン。
とりあえずこの森周辺にいた幽霊はあらかた冥界に送ったはずだ。残りはほとんどいないはず。いたとしても既にメランには神力は残されてはいない。明日以降にしかならないだろう。
森にいる為多少暗いが今は太陽の方角からして昼。そろそろお腹がすいて来た。
この辺でお腹を満たせそうな動物は確認した所いそうにない。魔物との争いで負けたのだろうか。魔物ならいるかもしれないが、神であるメランには食べられない。人間である今なら少しは食べられるが体調を崩すことだろう。
人里――エレオカ村に向かうしかないか。しかし、方角はどちらだろう? メランはこの森で迷っていた。
その時の事だった。森の奥から何かの衝撃音と魔力の余波を感知したのは。
何かがいるのか? そう思って近づいていくと……。
「あっ! す、すみません! 加勢してくれませんか?」
そこにいたのは金髪をした優しそうな少年が4体の魔物に囲まれ防御魔法を展開している場面だった。
対峙している魔物は茶色い体色をした、100㎝に届くかどうかの身長をしている。頭部から一房の髪が生えており、それぞれの個体で髪色が違った。
あの魔物はかなり前に魔物を調査させた際に報告されたゴブリン……だったか。鬼の一種で戦闘能力そのものはたいした事はなかったはず。今の姿でも対処は出来るはずだ。
「ああ分かった。そこを動くな、まずは君の背面にいる奴に魔法を放つ!」
「はい、分かりました」
「ファイボール!」
そうメランは言って少年の後ろにいるゴブリンに火の玉を放った。炎は音を立てながら一直線に飛んで標的に当たる。流石に下級の魔物では対処出来なかったようで燃え上がった。しかしこのやり取りで気付かれたため、3体の魔物が一斉に襲い掛かる。少年を襲う誰かを残してこちらも狙う、という発想はないようだ。
メランは魔力を体全体へ流し、能力を強化させてゴブリンと対峙する。ゴブリンの錆びた剣を鋼の剣で受け流しつつ、お腹に突き刺し一体を仕留める。
それを引き抜こうとすると意外と固い筋肉と骨に遮られてしまう。
――しまった、剣が抜けない!
ゴブリンはその隙を見逃すはずもなく、二体が一斉に跳びかかる。
メランは剣を抜くのを諦めて、最初に斬りかかったゴブリンから後方にジャンプする事でかわす。しかしもう一体のゴブリンが着地した瞬間を狙い、剣を突き出す。メランはその剣を強化した拳で上から叩き落した後、胴体に蹴りを入れた。これはクリーンヒットしたようで、そのまま数メートル後ろへ飛ばされ、仲間にぶつかって倒れた。
「これで終わりだ!」
メランの詠唱と共に正面に展開された青い魔法陣が火球を正面に飛ばした。
その火球は荒々しい音を出しながら倒れている二体のゴブリンに直撃する。ゴブリンは魔法抵抗力が弱いのだろう、断末魔をあげながら燃えた。
完全に死ぬまで様子を見届けた後、メランは剣が刺さったゴブリンに近づく。腕に魔力を流しながら剣を一気に引っこ抜く。よし、なんとか抜けた。
事が全て終わった頃、少年がメランに近づいて来た。
「あの、ありがとうございます。ところで、水魔法って使えますか?」
「ああ、一応使えるが」
「良かった。あの、森に広がる前に水で消火してくれませんか?」
少年言われて気付いたメランは水魔法で火を消した。
魔物憎しと勢いで討伐したがため、周りの地形を考慮出来ていなかった。
「ごめんなさい。僕攻撃魔法みたいなのはちょっと苦手で……」
なるほど。だから加勢が出来なかったのか。
「僕の名前はエリク・レティクスと言います。この辺では見かけないですよね、旅人ですか?」
「ああ、僕はメ……フィオ・ファレノ。日の浅い旅人だ」
本名を伝えるべきかで悩んだが、伝えない事にした。
「ああ、どうりで……おや?」
森の中で火の魔法を使ってはいけない、という常識を知らない事を初心者だから、という理由で納得しそうだったエリクだが、何か疑問が出来たようだ。
メラン――フィオは何だろうと自分の体を見て気付いた。そう言えば剣以外、何も持っていない事に。
とてもじゃないが旅人に見えない。その疑問を口に出されないように、フィオは話題を変える事にした。
「ところでエリク、君は一人か?」
「え、えぇ」
「武器も持たない攻撃魔法も使えない人間が、一人で森に来るべきじゃない」
「ごめんなさい……でも、この辺に住む魔物は臆病だから人が来ると逃げるんです。だから襲って来るなんて考えられないんです。だから何かの前触れか何かとしか……」
だから一人でいたのか。確かに襲ってこない常識があるのなら仕方ない事だろう。見た所エリクは若いのだから。
だとすると、常識が壊れた原因となると何があるだろうか? 答えは一つくらいだ。
「……僕が来たせいなのか?」
「えっ?」
「いや、なんでもない。気にしないでくれ」
猜疑の目をしたエリクを振り払うかのようにフィオは視線を周りに向ける。
するとそこには、先ほどまでなかったはずの銅塊が転がっていた。