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だいろくわ まじょとゆうしゃ こうへん

 勇者とオークは、迫りくる圧倒的存在の気配に体をこわばらせていました。

 あまりにも大きすぎる存在を目の前にすると、人は動けなくなるようです。

 二人が感じているのは、森の魔女の気配でした。

 魔女は力の制御が甘くなっているのが、魔力と再生の聖なる波動をだだ漏れにしています。

 闇と光が合わさって最強に見える力が、あたりを包み込んでいたのです。


「一体、これは……」


 冷や汗を流しながら、勇者は呟きます。

 思わず漏れたその言葉は、誰に向けられたものでもありません。

 ですが、応えてくれる人がいました。

 勇者と戦っていた、オークです。


「魔女様だ」

「なっ。人間の言葉を使う事が出来るのかい?」

「人間の言葉だから喋るのではない。魔女様がお使いになられる言葉だから扱うのだ」


 オーク達は、とても頭のいい魔物です。

 人間たちとは違う、独自の言葉を扱うことで有名でした。

 そもそも彼らは口の構造が人間とは違うので、同じような発音が出来ません。

 そんなオークが人間の言葉を使ったことに、勇者は驚いたのです。


「いいか小僧。これからここに来るお方は、今までお前が目にしてきたどんなものとも違う。一体どれほど次元が違うかは、お会いすればわかるだろうから言わん。ただ、一つだけ念を押しておく。決してあの方の感情を高ぶらせるな。その瞬間、貴様や俺が消えるだけの話では済まされん。下手をすれば、文字通り大地が割れる」


 普通の人間なら、オークの言葉を笑い飛ばしたかもしれません。

 ですが、ほかならぬ勇者にはわかったのです。

 人間としては規格外の力を持っているがゆえに、分かってしまったのです。

 ここに近づいている何かは、自分の敵う次元の相手ではないのだと。

 それは空のように、海のように、大地のように。

 挑みかかるのもばかばかしくなるような存在だと、分かってしまったのです。


「そのようだね。じゃあ、一時休戦かな?」

「仕方ないだろう」


 笑顔を作りながら言ったつもりの勇者でしたが、うまく笑えている自信はありませんでした。

 実際に、かなり引きつったものになっています。

 でも、誰も勇者を咎めることはできないでしょう。

 その位、圧倒的な何かが近づいてきているのです。

 何かが近づいてくる森のほうに目を向けていた勇者は、あることに気が付きました。

 森の木々が、ざわざわと動いているのです。

 最初は何かになぎ倒されているか、魔法で動かしているのかと思った勇者でしたが、そうではないとすぐにわかりました。

 なぎ倒されているなら音がするはずですし、魔法を使っているのだったら、魔法が得意な勇者にはすぐにわかります。

 木々は、自分から動き、道を作っていたのです。

 この森は魔の森と呼ばれる恐ろしい場所で、自分で歩く事が出来る木もたくさんいます。

 ですが、動いているのは明らかに普通の木々です。

 普通の木々が自分たちで避けるほどの存在が、こちらに迫ってきているのです。

 勇者とオークは、かたずをのんで見守りました、

 そんな二人の耳に、声が聞こえてきます。

 女の子が必死に叫んでいるようなその声は、どこかかわいらしくもありました。


「だめー! けんかは、だめー!」


 木々と草が分かれてできた道から飛び出してきたのは、真っ黒な服を着た女の子です。

 そう、今年三十歳になる、この森の魔女です。

 三十歳で女のというのはおかしいと思う人がいるかもしれませんが、女はいつまでたっても女子なのでまったく問題ありません。


「いやー! きゃー!」


 もう目の前に勇者とオークがいるのですが、魔女は走るのをやめません。

 ギュッと目をつぶっているので、見えていないようなのです。

 おそらく、戦いは止めたいけど、直接目にするのは怖いのでしょう。

 森の中を目をつぶって女の子走りをするだなんて、普通は自殺行為です。

 いろいろなものに引っかかって、転んだりしてしまいます。

 森の中では、木々が助けてくれるので全く平気でした。

 魔女が転ばないように障害物などをどけてくれるからです。

 ですが、勇者とオークが戦っているここは、開けていて植物がありません。

 魔女はさっそく、足元にあった石にづまづきました。


「やめ、ひぎぃ!」


 顔面から地面に突っ込んだ魔女は、女の子らしからぬ悲鳴を上げます。

 そのあまりの見事なこけっぷりに、勇者とオークも押し黙るしかありません。

 勇者は恐る恐るといった様子で、オークに顔を向けます。

 オークは無言でうなずきました。

 この目の前にいる黒服の女性こそが、先ほど言った人物であるという意味です。

 勇者は改めて、顔を抑えてうめいている魔女に顔を向けました。

 見た目は、いたって普通のどんくさい女性のように見えます。

 魔力を感じるのが苦手な人なら、ただの変な女だと思うかもしれません。

 ですが、勇者は魔力を感じ取る能力も超一流でした。

 そのせいで、勇者は魔女の魔力をガンガン感じてしまっているのです。

 勇者の目には、とてもとても魔女がタダの変な女には見えませんでした。

 魔力が感じ取れない人にもわかるようにたとえると、勇者の目には身長八十mの変な女に見えているのです。

 文字通り、圧倒的です。

 勇者は魔女を目の前にした瞬間、はっきりとそれがわかりました。

 戦って敵うとか敵わないとか、そういうレベルの相手ではありません。

 勇者の魔力が二十五mプール一杯分だとしたら、魔女の魔力は琵琶湖レベルなのです。

 格が違いすぎる相手の出現に、勇者は混乱していました。

 その間に、魔女はなんとか顔面直撃のダメージから回復します。

 勢い込んで立ち上がると、大きな声で叫びます。


「け、けんかは、だめーっ!」


 なにやら、言い知れない空気がその場を支配します。

 今なら南極のブリザードのほうが心地いいかもしれないと、勇者は思いました。

 叫び終わった魔女は、眉根を吊り上げて目を開きます。

 そして、ようやくきょろきょろと周りを見回し、状況を確認し始めました。

 どうやら彼女は、けんかを止めるという目的だけで突き進んでいたようです。

 状況の確認は二の次だったのです。

 普通はそれが最初にすべきことなのでしょうが、ドジっ子である魔女はその辺のところがアバウトだったのです。

 30になった女性にドジっ子って言葉を使うのか? と思う人もいるかもしれませんが、女性はいつまでたっても少女のように清らかな心を持っているものなので問題ありません。

 けんかをしているという二人を探す魔女でしたが、周りにそれらしい人影は見えません。

 それもそのはずです。

 けんかは魔女が魔力を微妙に発散させたあたりで、既に終了していたのです。

 魔女が見つける事が出来たのは、硬直するオークと、人間の青年だけでした。

 一瞬どういうことか訳が分からなくなる魔女でしたが、かろうじて先ほどであったオーク達の言葉を思い出しました。

 あの二人のオークが言っていた「アニキ」というのは、目の前にいるオークのことです。

 ということは、そのけんか相手は人間の青年に違いありません。

 ですが、既に喧嘩は終わっているようです。

 どちらもけがをしている様子も見えないことに、魔女はほっと胸をなでおろします。


「あれ? けんかは、終わったんですか?」


 けんかという言葉を、勇者は不思議に思いました。

 オークと自分の戦いを、そんな風に言われると思わなかったからです。

 ですが、妙に納得してしまいます。

 自分たちにとっては命を懸けた戦いでも、目の前にいるこの女性にはどうということのないお遊びなのだろうと思ったからです。

 実際は別にそんなことはありません。

 魔女は基本的に心優しい女子なので、血を見ただけでびっくりしてしまいのです。

 時々無意識で相手をミンチよりひでぇ状態にしてしまうこともありますが、そういう時はギュッと目をつぶっていますし、目を開く前に癒しの波動で完全復活しているので問題ありません。


「い、いえ、その、魔女様。けんかというのとは少し、違いましてですね。私たちはその」


 しどろもどろに言い訳をしようとしながら、オークは勇者のほうに視線を飛ばしました。

 お前もなんとかいえ、という合図です。

 勇者も意を決して、言い訳を考え始めました。

 素直に殺し合いをしていましたと伝えたら危険が危ないことは、勇者の直感が教えてくれています。

 何とかごまかさなければ、ユッケみたいにされるかもしれません。

 ミンチもかなり危険ですが、ユッケだってやばさではあまり変わらないのです。


「けんかなんて、していませんよ。少し訓練に付き合っていただいていただけなんです」


 何とか笑顔を作り、勇者はそういいます。

 その瞬間、笑顔だけで女性を堕す凶悪なチートスキル「ニコポ」が発動しました。

 ですが、魔女には一切効きません。

 魔女の恋心は、既にパン屋さんがガッツリ食い込んでいるからです。

 それに、魔女の好みはどちらかというとお兄さん系でした。

 少年の様な幼さが若干残る勇者は、ちょっと年齢的な意味でもアウトだったのです。


「なんだ、そうだったんですかっ! あの二人のかんちがいだったんですねっ!」


 ちょろいなんてものではありませんでした。

 幼稚園児だってもう少し疑うでしょう。

 魔女は幼稚園児よりも人を疑うことを知らないきれいな心の持ち主だったのです。

 そんな魔女の態度に、勇者はとても困惑しました。

 魔女ほどの魔力の持ち主であれば、相手のウソを見抜く魔法なんて簡単に使えるはずです。

 もちろんそれに抵抗する魔法もありますが、実力差がありすぎて意味をなさないでしょう。

 にもかかわらず、魔女はそういう魔法を使った気配がありません。

 使ったと気づかれないように魔法を使ったのかとも思った勇者でしたが、だとしたら魔女がこんなことを言うはずがありません。

 そもそも、勇者には魔女がこんなに簡単に納得することが信じられませんでした。

 あまりにもちょろすぎるからです。

 いまどき幼稚園児でも、こんなに簡単に信じるとは思えませんでした。

 そこで、勇者にある考えが浮かびました。

 きっと魔女には、真実はどうでも良いことであるに違いありません。

 元の世界でも、この世界でも一流の力を持っていた勇者の存在を、魔女はどうでもいいと思っているのだと、勇者は思ったのです。

 憎まれることもあった勇者でしたが、興味を持たれなかったこと初めてでした。

 まして、勇者は今魔女にニコポを使ったのです。

 それすらまるで一切意に反されず、魔女は勇者をどうとも思っていないのです。

 それは、勇者にとって衝撃でした。

 お前は取るに足らない存在だと、そういわれたように勇者は感じたのです。

 もちろん、完全に勇者の考えすぎです。

 魔女はそんな魔王的な考え方はかけらも持っていません。

 彼女はただの乙女なのです。


「でも、訓練だなんて大変なんですね。まだお若いのに。兵隊さんなんですか?」

「はい。そのようなもの、でしょうか」


 ほんの少し言葉を交わしただけなのに、勇者は冷や汗が止まりませんでした。

 落ち着いた魔女の体からは、すっかり魔力の放出が止まっていたからです。

 琵琶湖の様な圧倒的な魔力を、一切感じなくなったのです。

 それはつまり、その膨大な魔力を悟らせないほどの技量を魔女が持っているということを意味しているのです。

 そして、もうひとつ勇者を驚かせたのが、魔女が常に放っている癒しの波動でした。

 それは協力無比といわれた、勇者の回復魔法以上の力を持っていたのです。

 ほぼ無意識で垂れ流すレベルの魔法で、その出力です。

 あまりにも格が違いすぎました。

 わずかに手が震える勇者を見て、魔女は小首をかしげます。

 そして、何かに気が付いたように手を叩きました。


「まあ、大変! 兵士さん、呪いがかかっていますよっ!」

「呪い、ですか?」


 勇者はその言葉に、首をかしげます。

 呪いなんてものがかかっていれば、勇者にわからないはずがありません。

 ですが、魔女がうそを言っているとも思えません。


「なにか、魂と心にからみついていますね。黒いような、鎖の様な?」


 その言葉で、勇者はハッとしました。

 魔女が言っているものの正体に気が付いたからです。

 それはおそらく、勇者を召還した三男が勇者に施した、逆らえなくするための仕掛けです。

 いくら魔法で体は組み替える事が出来ても、心と魂はそう簡単にはいきません。

 下手に手を加えると、壊れてしまう恐れもあります。

 そこで、三男は外から鎖の様なものをつけることで勇者の心を縛ったのです。

 外からつけたものとはいえ、それは魂と心に深く癒着したものでした。

 いくら勇者が優秀でも、外すことはできません。


「魔女様。これは外れるものでは……」

「なんだか悪いものみたいですから、とっちゃいますね?」

「え?」


 魔女はそういうと、手を突き出して軽く振るいました。

 その瞬間、勇者は身体から何かがごっそりと抜け出していくよう感覚に襲われます。

 魔女の手には、黒い霧のようなものが絡みついています。

 それは徐々に集まり始めると、黒い鎖の様なものへと姿を変えました。


「心を操るためのものですね。ほかのものはそのままに、それだけを外しました」


 魔女はにこにこしながらそう言うと、手にもった鎖を勇者の前に差し出します。

 魂に干渉する魔法を一瞬で解体することなど、伝説の魔法使いでもなければできない芸当です。

 ちなみにその伝説の魔法使いというのは、何年か前に娼館で腹上死した魔女のお師匠様です。

 勇者は震えた声で、お礼を言うのがやっとでした。

 ゆっくりと震えた手を勇者がのばすと、魔女はその意図を組んでその手に鎖を乗せました。

 どうでもいいところだけ察しのいい魔女です。

 黒い鎖を握りしめたまま、勇者はゆっくりと顔を上げました。

 そこにあったのは、素朴な、どこにでもいるような女性の笑顔です。

 ですが、その正体はこの森を恐怖で支配し、勇者と呼ばれる自分が足元にも及ばない力を持ち、魂に癒着した呪いさえ一瞬で解いてしまうような力量を持った、魔女なのです。

 勇者の動揺しきった心が、魔女の笑顔を見た瞬間ある方向性を持って統合されました。

 そうです。

 勇者はこの瞬間、魔女に恋をしたのです。

 それは、危機的状況にいるときに異性に恋をしてしまうという、吊り橋効果に近いものかもしれません。

 でも、恋をしたことがない勇者には、比べる基準を持っていなかったのです。

 勇者にとってこれは、初恋だったのです。



 この勇者の初恋が、後々国を揺るがす大惨事の火種になるのですが、それはまた別のお話です。

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