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この世界には、平行に存在する異なる世界が存在する、と言われれば、私たちは信じるだろうか。
ここで言う平行に存在する世界とは、異なる選択を行った結果としてある複数の世界線、ということではない。
平行に連なる世界。つまり、私たちの言葉で言う天国や地獄のことだ。
多くの神話や宗教でもこれらの概念は共有されている。
事実、天国も地獄も存在している。それも、私たちが思うよりもずっと近くに。そして、別に死んでいなくともそこにたどり着くことは稀にある。ダンテの『神曲』などがいい例である。
異なる平行線の世界。それはいわゆる結界という一枚の壁で遮られているだけでしかない。
神の力によって作られた結界を超えることは容易ではない。よって、私たちのいる「この世」と、いわゆる「あの世」が邂逅する、ということはまず起こらない。
しかしながら、結界にほころびは生まれる。どれほど結界が強力であろうとも。
そうしたほころびから、異形の生物はこちらの世界へと侵入してくる。天界の生物とは違い、地獄の悪魔や悪鬼は常に飢え、欲望に満ち満ちている。
彼らは古来より人間社会、もしくはこの世界に来ていた。
ある者は欲望のまま、人間を喰らい、誘惑する。ある者は神として君臨し、ある者は現代まで生きる伝説となった。
これに対して神も黙って傍観するつもりはなかった。
天使や自らの見初めた地上人に知識と勇気を与えた。
古代の王や、歴代教皇など、多くのものが神の使命を帯びて、悪との戦いを行ってきた。
こうして、世界はバランスを保ちながら歴史を紡ぎ、現代まで至ったのだ。
しかしながら、現代の世において、善と悪の戦いは非常に深刻な事態に陥っていた。
人間同士の戦争は近代兵器の登場以後、壮絶になった。人間同士の争いに神は介入しない。
強い兵器は強い憎しみを生む。死した兵士、民間人の怨念は強い悪霊へと変化しやすい。昔ならば、その数はたかが知れたが、被害の増加によって、そうもいっていられない状況になった。
そして、悪霊を滅し、神の愛、正義を示すべき神父や聖者の不足は深刻であった。
科学の発展とともに、人の神への信仰は大幅に低くなってしまった。人々の中で神は生き続けているが、その信仰は昔ほどではない。
悪を滅するエクソシストも少なく、質も低い。低級な悪魔や霊程度ならいいが、地獄からくる悪魔に歯が立つわけもない。バチカン教皇聖庁第7機関、通称「異端執行課」だけでは今の世界にはびこる悪を退治するには人が少なすぎる。
第二次世界大戦後、教皇や欧米の国々の代表者、専門家らが集まり、一つの機関を作った。
表向きは国連の一部門でしかない。しかし、実際は悪魔や悪霊を狩るための部署。
そしてそれを構成するのは、人知を超えた悪魔や人外の化け物ばかりであった。
毒を制するには毒が必要。それが彼らの主張であった。教皇も教会の教義を曲げてこれに賛成した。
大きな悪のために、小さな悪を容認したのだ。
こうして誕生したのが「セクター666」であった。
セクター666には、常に化け物たちを監視する要因がいた。化け物たちには体内に弱点や護符を埋め込むことで服従させ、反逆を防いだ。
しかしながら、多くの問題があり、1966年にはセクター666のメンバーはその大半が死亡。
直接の原因は構成員の一人であったフランケンシュタインの怪物の暴走。
これによって壊滅状態に陥ったセクター666だったが、再び再建がされた。
再びの暴走を防ぐため、メンバーの人選はより慎重に行われた。
化け物たちを抑えるために力があり、比較的協力的だった魔女のミズ・デッドリーをリーダーとした新体制を打ち出すこととなった。
しかしながら、ここでもやはり問題があった。あまりにも多すぎる構成員相手にはさすがの魔女も手を焼いた。
1987年、ミズ・デッドリーは自身に反感を持つ構成員たちを処刑。またしてもセクター666は壊滅状態となった。
1999年、構成員はミズ・デッドリーのみとなる。吸血鬼の王ヴラド、魔神、恐怖の大王の立て続けの襲来により、メンバーは全員戦死した。
以後、セクター666は表の世界から姿を消した。大規模な組織としてのセクター666は消滅した。
だが、ミズ・デッドリーはその後も、教皇の密命を受け、組織を率いていた。
非合法組織であり、いかなる方や規定に縛られない神出鬼没の組織。少数精鋭をモットーとしたグループ。わずか6人で構成された彼らのことを誰かがこう呼んだ。
「DEADLY SIX」と。
狭間の世界。それは薄い結界のそのまた境にある世界。何者にも属さぬ、無の世界。人間が踏み込むことはできないそこに一つの城が立っていた。
灰色の大地と紫色の空の間に悠然と立つ城。その様相はあまりにも異常であった。
継ぎはぎの城、と言った感じで色も作りも所々で違う。
ゴシック様式のところもあれば、ただ石を削った個所もある。なぜか狛犬が城に取り付けられ、隣には石のガーゴイル像が座し、頭の上にシーサーが座っている。
モスク風の部分もあるし、なぜか途中から雪に変わっている部分さえある。挙げていけばきりがないほど、その城はあらゆるものが混ざり合っている。
屋根は尖頭の部分もあれば、日本の城のような瓦屋根もある。時代、地域を問わず、あらゆる文明のものが入り混じる正に混沌の城。
そここそが、「DEADLY SIX」(略称D6)の本拠地である。
城の奥深くの薄暗い部屋。円状の室内に、黒い円卓が置かれている。六個の椅子が置いてあり、それぞれに人が一人ずつ座っている。
ある者はイライラとし、ある者は眠り、ある者は本を読み、と皆やることはまちまちだ。
そんな中、銀髪の青年が声を荒げる。
「ああああああああああ、暇だぁああああ!!おいおい、いつまでこんなことしてんだよ?!」
「うるさいわよ、ジョン。そんなに暇ならお外に行って来たら?」
黒いゴシックロリータ調の服の少女が言う。整った顔で、豊かな金髪が椅子の背もたれに流れる。本を読みながら少女はコーヒーを飲む。
「今は朝だ、つまり、俺は外に出れない!それを知ってんだろ、ロリババァ」
「口の悪い駄犬ねえ」
吠える青年に少女は言う。
「大人しく棺で寝てなさいな」
「最近寝っぱなしで睡眠は足りてんだよ!」
「静かにしてください、ジョン。ご主人が本を読めません」
そんな青年に文句を言ったのは、少女の左隣の椅子に座る少年であった。
黒髪黒目、そして地味な格好。特徴がない少年であった。
唯一変わっているのは、その手であろう。円卓に置かれた左手には六本目の指がある。いわゆる多指症なのだろう。
「うるせえ、呪われし子」
「その子の名はカーズよ、ジョン。いい加減覚えなさい」
少女が青年を叱りつけるように言う。
「うるせえ」
青年はそう言うと、円卓の上の黒い盃を掴み、中身を吞む。それをまずそうに眉を歪めながらも飲み干す。
「相変わらず、人工血液はマズイ」
吸血鬼である彼にとって、血液は生きるための糧である。普通の食事が不要な吸血鬼は、一週間に一度、適量の血液を吞まなければ生きていけない。一応、彼は教会から監視される吸血鬼であり、人の血を吞むという行為に及べばすぐさま死に直結する。そう言うわけで彼は人工血液を吞むしかないのである。
人を襲い飲むものなら、すぐさま首を飛ばされる。隣の大男をちらりと見る青年、ジョン・アーヴィング。
「おい、おっさん。こんなところに居たら、普通の人間は気が狂うだろ?」
「・・・・・・・・・・」
男は青年を無視して目を閉じる。神への祈りか、瞑想か。無口なこの男のことはメンバーはよくわかっていない。もっともそれはたいていのメンバーに言えることだが。
はっきりしているのは彼が元カトリックのエリート司祭で、異端執行課にいたエクソシストであることだけだ。
名はアントニオ・クラウコット。
クラウコットの隣、古びた包帯に包まれた細すぎる体躯の正体不明の物体が座っている。まったく動かず、生きているのか死んでいるのかも定かではない。
彼もしくは彼女もD6のメンバーで、メンバーは便宜的に彼をプトレマイオス18世と呼ぶが、それが本名かどうかも不明だ。
沈黙を守る包帯を青年はただ見ただけであった。ぼうっと光る一つの目が彼を見た。
その隣、豊満な肉体を惜しげもなく出す半裸の女性。目は閉じられているが、それはいつものこと。うっすらと浮かべた微笑は見る者を魅了する。
古い時代には女神として称えられたというが、その本性を知る者はいない。
彼女は自身をマダム・ヘカテと呼ぶ。よってメンバーもそう呼んでいる。
その隣は、先ほどカーズと呼ばれた少年だ。ほかの面々と比べるといかにも普通だ。
そして、彼らをまとめ上げるのは、ゴシックロリータの少女である。
彼女の名はミズ・デッドリー。
セクター666、そしてD6の指揮官。数世紀の時を生きる魔女である。
「ああ、退屈ねえ」
デッドリーは本を読みながら言う。
教会に捕えられた異端の生物は命と引き換えに、奉仕を命じられた。奉仕以外の時間はこのデッドリー城で半幽閉生活だ。
「お前も退屈なんじゃねえか、婆あ」
「うるさいわよ、ジョン。黙らないとその口を縫うわよ」
その言葉に青年は黙る。吸血鬼と言えども、魔女の強大な力は恐れている。数世紀を生きた魔女は吸血鬼に匹敵する力を得るという。
「それでよし」
デッドリーは満足した様子で本を読み始める。
青年は内心愚痴をこぼす。ここには彼の話し相手もいないし、ろくな女もいない。
陰気な小僧に、厄介な人間、生きてるかどうかもわからないミイラ、魔性の女、魔女。
よくもまあこんなメンツが同じ場所にいる、と関心さえする。それもこれもミズ・デッドリーの力によるものだ。
この魔女は一体何なのか、興味がないわけではないが、探ればやばいことはなんとなくわかっていた。
吸血鬼とはいえ、不死身ではない。自分の命は惜しい。
青年の苛立ちを察したかのように、マダム・ヘカテは青年を向いて言う。
「そんなに暇なら私といいこと、する?」
いつもなら女の誘いも青年は食いつくが、この女とミズ・デッドリーは別だった。
「冗談抜かせ」
魔性の女は薄ら笑いを浮かべ、「残念」とつぶやく。
男の命を吸う魔性の女と分かって誰が寝るものか。
「あら」
ミズ・デッドリーがそう言うと、円卓の中心が光り出し、映像が映る。
アントニオが目を開き、ほかの面々もそれに注目する。
青いヴィジョンとして浮かんできたのは、一人の男性であった。中年の男性でわずかに頭は禿げてきている。見慣れた顔を面々が見ると、男性は少し狼狽える。
「お久しぶりね、ミスター・ダズリー」
「ミズ・デッドリー、任務だ」
「そうでしょうね」
それ以外で彼らの下に接触を図るものなどいないのだから。
「それで、要件は?」
「フランケンシュタインの怪物、だ」
重い声で言った男性に、驚いた顔をするのはプトレマイオスを除く者たちだ。
ミズ・デッドリーは顎に手をやり、男性を見る。
「待って。フランケンシュタインの怪物、ですって?あれは1966年に葬ったはずよね?」
「ほかならぬ婆あの手でな」
ジョンがそう言って男性を睨む。
「おいおいまさか」
「・・・・・・・アメリカの教会関係者はその時のフランケンシュタインをもとに、異端執行のための兵器として開発をしていた」
「呆れた」
マダム・ヘカテが言う。
「我々も最近知ったことだ。教皇陛下も知らぬことだった」
「それはそれで問題だろ」
「・・・・・・・・・・・」
ジョンの言葉に男性は沈黙する。
「とにかく、それは三体いて、いずれもが研究所を脱走したそうなのだ。現在一般人に三名の死者が出ている。情報操作と封鎖で被害は食い止めている」
「で、そいつらを殺せ、と?」
「そうだ」
男性の肯定に、デッドリーはため息をつく。
ノー、とは言えないのが彼らだ。D6に拒否権はない。命令は絶対だ。
「で、そいつらの特徴は?」
主に代わり、カーズが聞くと、男性が手に持った資料を読む。
「自動修復能力、怪力、魔力体制、あと、近代兵器を搭載している」
「ワオ」
マダム・ヘカテが言う。66年死亡のフランケンシュタインには近代兵器は積んでいない。死者の身体で作られた人造人間でしかなかった。
「弱点は?」
アントニオの問いに、男性は首を振る。
「近代兵器では殺傷は不可能。銀や塩は効果はない。魔術は通用しない」
「あらら」
青年はそう言うと、デッドリーとアントニオを見る。
「あんたら今回は役立たずー」
「吸血鬼用のヴァンパイアスレイヤーを装備している」
男性の付け加えた言葉を聞いた瞬間、青年は青ざめる。
「俺も役立たずー」
「わたくしもお役にたてそうにないですねぇ」
ヘカテが言う。
必然的に戦えるメンバーは限られてしまう。
「カーズ、プトレマイオス18世を主力に、あとのものはサポートに。教皇陛下の命令だ」
「了解」
デッドリーは答えると、指をぱちんと鳴らす。ごごご、と大きな音がする。
「場所は?」
「アメリカ西海岸だ」
そう言った瞬間、狭間の時空からデッドリー城から六人の姿が消える。
魔術による転移で移動したD6の面々がある森林の前に現れる。
教会のエクソシストや関係者が驚いた様子でいるのも気にせず、彼らは責任者の方へと向かっていく。
「状況は?」
デッドリーの問い。責任者は恐れの目で少女を見る。
「動いてはいません。が、先ほどミサイルによる攻撃が」
そう言って指差す方向で煙が上がっている。
「ミサイルはあと十七発装備しているそうです」
「厄介ね」
「結界の強度が足りず・・・・・・・・」
そう言った瞬間、少女の身体が光り、空間にひずみが一瞬できる。
「これでいいわね?」
「え、ええ」
一瞬で結界を構成展開した少女を見て狼狽する責任者。そんな責任者に背を向けると、少女は歩き出す。
「ヘカテ、ジョン」
「はい」
「へい」
「外部への攻撃の妨害を。ジョンはヴァンパイアスレイヤーが来たら逃げなさい」
「言われなくとも」
「アントニオ、トラップを。足止め程度にはなるでしょう」
「了解」
「プトレマイオス」
「・・・・・・・・・・・・」
無言のミイラを一瞥し、デッドリーが言う。
「本気で攻撃しなさい」
「・・・・・・・・・・・・」
返事を返さないミイラを無視して、少女は少年を見る。
「カーズ、あなたには申し訳ないけれども」
言いよどむ少女を見て、少年は笑った。
「大丈夫です、デッドリー様。僕は大丈夫です」
「そう・・・・・・わかったわ、倒しなさい。すべて」
「イエス、マム」
そう言って少年は森へと向かっていく。力なくプトレマイオスもその背を追うように森に向かっていく。
デッドリーとほかの面々はそれを見ると、それぞれ動き出す。
フランケンシュタインとD6の戦いが始まった。