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断片集  作者: みやこ
5/15

約束 《前篇》

「あの、これ、お願いします!」


放課後の、校舎裏。

そんなベタなシチュエーションで目の前に立つ男性は、ネクタイの色から1年上。

日に焼けた肌、意志の強そうな目と眉、引き結ばれた薄い唇。

短めの髪は恐らく運動部の証。

制服をあまり着崩さずに着ていて、いい意味で真面目と予想させる。


こんな用事で呼び出されたんじゃなけりゃ、好感だって持てたろう。


彼が差し出しているのは、薄い水色の封筒。

表に書かれているのは、もちろん私の名前ではなく初音の名前だ。

言葉足らずの彼の思考を推定するに、つまりは私に初音へのメッセンジャーを頼みたい、と。

何度も繰り返されたこのパターン、まぁ、呼び止められた時にわかっていたけれどね。



「自分で、渡した方がいいと思います」

溜息をつきながら、そう告げれば、彼が必死の目で見つめてくる。

「それが出来たらそうしたい。

 でも、俺には近付くことさえできないから。

 伝えるだけでも伝えたくて、ごめん、迷惑なのはわかっている。

 こんなことを君に頼むなんて、申し訳ないことをやっているのは」

真面目な彼が、苦悶の表情を浮かべて必死で話し始めたから、途中で止める。

これまでなら断るところだけど、でも。

この真面目な人なら或いは。

「…わかりました、渡すだけですよ?

 返事とか期待しないでくれますか?」

「っ!ありがとう、恩に着るよ!」



手紙1通分、大した重量ではないはずなのに、ズシリと重い。

なんで預かっちゃったのかなぁ。

部活に行く気力さえ、かばんの中の手紙に奪われた気分。

プールへと向けていた足の方向を転じ、ピロティの屋上へ向かう。


公式に開放されている屋上と違い、ピロティには人がこない。

半分屋根がかかっているところには、壊れた机やロッカーが置いてある。

だから皆はここを物置かゴミ捨て場だと思っているのだろう。

私はそのゴミを捨てにきた際に、ロッカーの向こうにぽかんと空いたスペースを見つけた。

私にとって、学内で唯一気を抜ける場所だ。


今日も誰もそこにいないことを確かめて、それから机の向こうへと通り抜ける。

捨てられたロッカーに入れておいた、レジャーシートを広げてそこに寝転がる。

「あーあ、面倒くさいな!」

声に出して言ってみる。

言葉は青い空に吸い込まれて、あっという間に消えていく。

なんだか少しだけ気が晴れた気がした。


何も考えず、ぼんやりとそこで過ごすうちに気づけば寝ていた。

携帯のアラームが、待ち合わせの時間を知らせるので目覚める。

レジャーシートを片付けながら「いつもの顔」を思い出して貼り付け、そして昇降口に行く。

まもなく彼らもやってくる頃合だろう。



「まどかちゃん!お待たせしてごめんね?帰ろ?」

両脇を今日もナイトに固められて、初音がやってくる。

「ん、お疲れさん。

 カイも悟も、お疲れさま」

「まどか、今日部活出てなかったろ。

 生徒会室から見えなかったぞ」

「水泳部覗いてたの? 悟ってば変態ね」

「違う、生徒会室からプールはよく見えるんだ」

「だから覗いてたんでしょ?やっだぁ」

からかいながら、不審気な顔をした悟を誤魔化す。

「早く帰ろう、暗くなっちゃうよ」

話はここで終わりよ、悟。




初音とわたしはいとこ同士だ。

割と近所に住んでいて、年が同じで仲が良かった。

カイは私の幼馴染で、幼稚園から一緒。

小学校の時、入学式で私が紹介した初音に一目惚れしたらしくて、以来ずっとナイト役を買って出ている。


悟は中学からこの私立で一緒になった。

初音に近付く男を片っ端から遠ざけるカイが、なぜ悟を例外にしたのかわからない。

わからないが、悟もまた、カイと一緒になって初音のナイト役を務めている。


高校に入ってからは、彼女のファンクラブが出来た。

彼女を守るためのソレは、彼女を害するものも利そうとするものも排除する。

彼女が来るより早く学校に来て、彼女の机や下駄箱に余計なものがないかを確認する。

彼女が廊下を歩くときには、遠巻きに見守り周囲を牽制する。

対象は自分達にも及び、だから相変わらず初音の周りには私たちしかいない。

他人の好意にも悪意にも鈍感な初音は、彼らの存在に気づくことはない。




初音は、そうやって何人もが彼女のために力を注ぐにふさわしい子だ。

持病があり、外を私のように走り回ることができないが為の、白く、折れそうに細い身体。

ふわふわと柔らかく陽に透ける髪、青みすら感じる透徹なその瞳は大きく、長く濃いまつげに彩られている。

唇と頬はふっくらとピンクに愛らしい。

心根は優しく、いつでも周囲を気遣い、幸せを願う。

その背に羽が生えていないことが信じられないくらいで、そこを失わぬまま成長してきた。


けれどその彼女の愛らしさは、彼女に幸福をもたらさない。

幼い頃から怪しい趣味の大人達の標的にされること、しばしば。

クラスの女の子にはいじめられ、男の子にも別の理由でいじめられた。

好きな子ほど、という子供らしい理由だ。


長じてから、男のいじめはずっと減った。

けれど、今度は彼女を得ようとする男達が群がった。

庇護欲と同時に征服欲が彼らを駆り立てるのだろうか。

彼らは天使を聖域から引き落とそうとするかのようだ、と思った。

たとえば、告白の次の瞬間、彼女へ襲いかかるということが何度かあった。


女性達の多くは、変わらず彼女を敵視した。

せっかく友人となった人物も、ある時くるりと敵になる、そういうことが何度も繰り返された。

自分の彼氏が、好きな男が、初音を見る目に対する嫉妬が原因だ。

初音はその理由を理解できず、だから友人たちの裏切りを理解できない。

あるとき突然に捨てられたように感じるだけだ。

そうして、初音は新たな友人を作ることを諦めた。



私達は、ただ初音を守ることだけを決めていた。

小さい頃は私が一人で彼女を守っていた。

小学校からはカイが一緒に守った。

中学からは悟もともに。



私達以外に友人と呼べる存在がいないことを、彼女は自分の至らなさのせいだと考えている。

私達は長い付き合い故に、彼女を許しているだけだ、と。

違う、本当は彼女はとても魅力的な人間なのに。

多くの人が、彼女の側にいたがっているのに。

誰が彼女を害する人なのか、判断することは困難だ。

傷ついてから、では遅過ぎる。

だから、誰もを一律的に排除しているだけ。

そのことを初音以外の誰もが知っていて、だから今日のようなお願いを受けるのだけれど。


「わたしが、ひとりでちゃんとできないことばかりだから。

 みんなに迷惑をかけて、ごめんなさい」

そうやって本当に申し訳なさそうに謝る初音。

本当に謝るべきは私達だというのに。

そう、私達は彼女を守ることこそが喜びだった。

だから彼女をスポイルし、ひとりで立てないようにした。

そんな私達の罪は大きいというのに、彼女に謝らせる。



悟とカイがどのように考えているのか、これまで話したことはない。

暗黙の了解のこれは、幼い頃を最後に口に出すことはなかった。

けれど彼女の謝罪の言葉を聞く際(それはしょっちゅう聞かされる)、釘を飲み込むような表情をするのを見れば、きっと彼らも大なり小なり、同じような想いを抱えているのだと思う。

それでも彼女に何も告げないでいるのは、同罪だ。

二人にとっても、だから初音の特別であれることが、喜びなのだろう。


「彼女のため」のフリをしながら、利己的な想いを果たそうとしている。

なんて滑稽で、酷い話。


けれど、少しずつ私たちも初音も変化している。

だから私は、高校生活も2年目を迎えた今年の春から、少しずつ「初音」離れをはじめた。


我が校の生徒会選挙は、前任者の推挙により選出され、信任選挙が行われる。

(もちろん、不信任という選択肢もあり、別候補者が立つこともある)

学業優秀で部活でも活躍していたカイと悟は、部の先輩であった前任者により推挙された。

その際、ついでのように私と初音の名前も挙げられた。

私は、けれど部活を理由に辞退した。


水泳部の、選手として有望だった訳でもなく、泳ぐことを楽しむだけの私だから、以前なら初音のいる場を優先しただろう。

でも私は初音離れを決めたのだ。

少しずつ、距離をとることに決めたのだ。


高校という囲いを出てしまえば、彼女はどうしても一人にならざるを得ない。

カイや悟は、或いは志望の学科を曲げるくらいのことはするかもしれない。

でも、卒業したら?

二人のどちらかが嫁にもらえばいい、そういう話なのだろうか。


彼女と同性で、そして親戚である私には、それはとても危険に見えた。

ちゃんと彼女が自分を知り、そして一人で立てるようにするべきだ。

私達以外の人間と繋がるためのチャンスを、私達が消してはならない。

先ほど手紙を預かった彼が、それにふさわしい人物かはわからないけれど。


もうひとつ、実に利己的な理由は心の中で握りつぶす。




初音が私の手をとり、歩く。

「まどかちゃん、明日って忙しいかな?

 一緒にお買い物に行かない?」

「いいよ、何が買いたいの?」

「んー、特に決めてないんだけど、お洋服とか見たいなぁ」

「じゃあアウトレットまで行く?

 初音の好きなブランドも入ってたよね、確か」

「うん!嬉しい、まどかちゃんとデートだ」

「俺達は何で誘ってくれないわけ?

 悟、暇なんだろ、おまえも」

「まどか、今週末は約束したろ?」

「あー、あれ、明後日でも、なんなら来週でもいいでしょう?

 急ぐ用事?」

「…じゃあ、日曜でいいよ」

「そ?昼ごろでもいい?」

「あれ?悟と何か約束あったのね?

 私、別の日でもいいんだよ?ごめんなさい」

「いいよ、話だけみたいだし、後で十分でしょ」

「ふうん?いいの、悟は」

「まぁいいよ、大丈夫」


悟から週末の時間を求められたのは今朝の話。

きっと、私の最近の「初音離れ」についてだろう。

男性の彼らには目が行き届かないところや場所は多く、私が離れると不都合なのだ。

もちろん、私も女性特有のいじめみたいなことが起きないよう、そこには離れた今だって目を光らせている。

でも悟から見れば、きっと不十分に見えるのだろう。


約束を忘れていた訳じゃない。

でも、出来たら先延ばしにしたいなぁ、と思っていたのが真実だ。

一方的に「週末、話があるから空けておいて」といわれただけで、そもそもそれって約束なのかな。

いろいろ理由をつけて、少しでも後回しにしたかったんだけどな。

まぁ、逃げたところで話すまでは悟のことだ、毎週言われるだろうし、仕方ない。



電車は、いつもと変わらず3駅先の私たちの暮らす街まで連れて行ってくれる。

車窓の風景も何も変わらない。

そこに乗る私たちの気持ちは、少しずつ変化しているのに。


改札を出て、まず悟と別れの挨拶を交わす。

それから私が別れる。

私と繋いでいた手を、最近ではこうやって別れた後、カイと繋いでいるのを悟は知っているのかな。

背中を見送りながら、そんなことを考える。

ついでに手紙を渡しそびれたことを思い出す。

明日どこかで時間を作ればいいのだけれど、それまでずっと持っていることが憂鬱。




10時5分前、初音の家へと足を向ける。

昨日彼女と別れた場所あたりで、ちょうど彼女がやってくる。

「ぴったりだね、おはよう」

「本当に!おはよ、まどかちゃん!」

相変わらずキラキラとした笑顔で、胸が痛い。


当たり前のように手をつないで、歩き出す。

「カイが、意地でもついてくるかと思った」

「ふふ、着いてきたがってたけど。

 今日はまどかちゃんと二人がいいから、駄目!って言ったの」

「ふうん?」

キラキラとまぶしい笑顔から、不自然に見えないようにそっと目を外した。


駅へとたどりつき、学校があるのとは逆方向の電車に乗る。

いつもと違うということは、なんとなく気持ちが落ち着かない。

時間と曜日が違うから、乗っている人さえ全然違って、とても不思議。


4駅分の時間を利用して、カバンの中から気鬱の元を取り出す。

「あのさ、ひとつ預かり物があるんだよね」

「ん?なあに?」

「初音に渡して欲しいって、手紙預かったの、コレ」

「?、開けていいのかな?」

「初音のものだから初音に任せるよ。

 離れていた方がよければそうする」

「いい、ここにいて」


そのまま電車に揺られながら、彼女は手紙を読み出す。

最後まで読み終えて、もう一度封筒に手紙を戻して、それから小さく嘆息する。

下を向いたままいた彼女が、何かを決意したようにこちらを見て。

「あのね、まどかちゃんに話したいことがあるの。

 それで今日、お出かけしたかったんだけど。

 …わたし、カイくんと付き合う、ことを考えていて。

 どう、思う?」

そう、彼女は衝撃的な言葉を告げた。



「ずっと4人でいるのが当たり前で。

 でも最近、まどかちゃんと一緒にいられる時間が減って。

 私に友達が少ないのは私のせいだから、仕方ないのはわかってる。

 なのにね、まどかちゃんがクラスや部活の子と仲良くしているのを見て。

 …うん、さびしかったの、私。

 勝手なのはわかってるんだけど」


私が、初音のためと決めてやっていたこと。

どんな影響を及ぼすかなんて、予想はできていた。

それでもやらなくちゃならない、そう一人決めてやっていた。

彼女がどんな風に悲しむかなんて、わかっていた。

今の彼女じゃなくて、将来の彼女のために必要なんだ、ってそのことから目をそらしていた。

わかっていたけれど、そのことを彼女の口から聴かされて、苦しい。

ごめんなさい、初音。


唇をかんで、初音から目をそらす。

初音は話の続きをしようとせず、少しの間黙る。

そうして目的の駅に着いたから、無言のまま手をつないで降りる。



駅の前に広がるアウトレットの、入り口近くにあるベンチに座る。

話はまだ終わっていないから。

お店を回る前に、大事なことを済ませてしまおうよ。

言葉にせずとも、私たちだから理解し合っていた。


「まどかちゃんが、小さいころからずっといつもそばにいてくれて。

 私、それが本当にうれしかった。

 おねえちゃん、でもないし、うん、なんだろう。

 双子って、片割れってこんな感じなのかな、そう思ってた。

 まどかちゃんのことを大好きで、本当に大好きだったから。

 だから、私が独占できなくなっちゃって、さびしかったんだ。

 …ごめんね、そんな駄目な子で」

首を振るしかできなくて、初音の目を見れなくて。

ずっと下を向いて、ひざの上でゆるく結ばれた初音の手を見ながら、ただその言葉を聴く。


「さびしくて、さびしくて仕方がなくて。

 そんな時、まどかちゃんの分も側にいてくれたのがカイくんだったの。

 私がさびしいの、わかってくれてたみたいで、ただずっと側にいてくれた。

 まどかちゃんの代わりに、私と手を繋いで歩いてくれた。

 …カイくんが、でも、先週、クラスの子に告白されているの見て」

彼女の手が、ギュッと握られる。

真っ白になったその手をなんとかしたくて、手を伸ばす。

そっと撫でると、少しだけ力が緩んで。

もう一度話し出す。


「あの、ね。

 カイくんまでいなくなっちゃったら、どうしよう、そう思ったら頭が真っ白になって。

 まどかちゃんの代わりに繋いでくれた手まで失うのか、って寂しくなって。

 …だからその日の帰り道、カイくんに、告白の返事をどうしたの?って聞いたのね。

 そしたら、カイくんが怒って。

 わたしのことが好きだから、断るに決まってる、って。

 それを聞いたら嬉しくて、で、その、でも。

 どう言ったらいいのかわからなくて、何も言わずに帰っちゃった。

 で、それから色々考えて、考えて。

 私はカイくんが好きなんだ、って答えが出た気がして。

 カイくんが私が思うように好きでいてくれているなら、その。

 …付き合ってください、って、お願いしようかと、思って」


黙った彼女の顔を、ようやく見上げる。

顔を真っ赤にしながら、私が見ていない間も私を見ていてくれた彼女。

弱い、と思ったのは間違いだ。

彼女は、ちゃんと自分の気持ちを伝える勇気を持っている。

私なんかよりもずっとずっと、強い。


今、彼女ははじめてのことに戸惑っている。

私に助けを求めていて、背中を押されたがっている。

でも、たとえ私がそうしなかったとしても、彼女はきっと近いうちに勇気を持ってカイに告げられる。

そんな強さが、私には見える気がした。


「カイはずっと初音のことが好きだったよ」

だから、私は彼女に本当のことを伝える。

私が彼女のためにしてあげられることは、これからきっとどんどん減って行く。

今はまだ、私に出来ることがあるから。


「ずっと、ずっと。

 小さい頃から、初音のことだけが好きなんだよ」

「本当に?そうなの、かな」

初音に愛情が生まれたきっかけは、刷り込みかもしれない。

けれどカイのことを本当に好きなんだと思える目をしていた。

きっかけなんてなんだっていいんだよ、きっと。

好きだって気持ちで繋がれるのなら。


「うん、本当。

 だから大丈夫だよ、初音。

 カイは初音を幸せにしてくれるし、初音といれたら幸せなんだよ」

そう、背中を押した。


悟は、どうするんだろう?

もしかして、そのことを知って、何か相談したくて私を誘ったのかな。

彼の気持ちを思えば、胸が苦しくなった。


私に話したことで、初音の心は決まったみたいだった。

さっきまでの不安そうな表情が嘘のように、心からの笑みを浮かべていた。

「ありがとう、まどかちゃん」

ごめんね、悟。




晴れやかな顔をした初音と、店を見て回った。

お昼を食べ、一通り見て、それから互いに服を見立てた。

白いシャツワンピは、確かに私の好んで着そうな洋服だった。

私は初音に、小花柄のシフォンワンピを選んだ。

「まどかちゃんの選んでくれた服、わたし、すごい好きだなぁ!」

本心の笑顔が、嬉しくて悲しかった。

「カイとの初デートにでも、着ていったらいいんじゃない?

 これきた初音、すっごいかわいかったよ」

少しからかってみたら、顔を真っ赤にして頷かれて。

ああ、天使が人間になるのも近いのかな、なんてことを考えて、でもどこか他人事だった。

悟が、あんまり傷つかなければいい。

私はそんなことばかりを考えていた。


夕方になり、夕食を家族と約束していた私たちは家へと向かった。

電車の中の初音は、いつもより少し饒舌だった。

見たい映画の話、新しく出来た観光スポット、来週の予定。

これまでは私がその相手を務めていた。

そこにカイと悟が入ることはあったけれど。

きっとこれからは、カイがただ一人の相手になるんだろうな。


朝、出かけたときにこんな気持ちで帰るなんて、予想もしなかった。

寂しい、よりも気持ちが重たかった。

手を振り去っていく彼女を見送りながら、気づかれないように溜息をついた。




上の空で夕飯を食べて、それから母に今日買った服を見せた。

「まどかにこれ、買ってきたのよ」

そうやって渡されたのは少しだけ華奢なデザインのサンダル。

「このワンピースに似合うわよ、きっと。

 明日も出かけるんなら、着ていけば?」

明日、の言葉が重たかった。


お風呂を済ませ、それから部屋に戻る。

携帯には初音やクラスの友達のメールに混ざって、悟からの連絡。

「明日、13時に駅で」

そんなそっけない一文に、「わかった」とだけ返す。

他のメールに返事をする気力もなくなって、電話の電源を切り、そのまま眠った。





いつもより気持ち早めに眠ってしまったせいで、いつもより早く目が覚める。

私の気分とは裏腹の、真っ青に晴れた空。

朝ごはんを食べ、掃除や洗濯を手伝ううちに、あっという間に昼時間。

12時半を過ぎて、のろのろと出かける準備をする。


悟が話したいことは、なんだろう。

カイのことは、初音のことは知っているんだろうか。

ただただ、憂鬱な気持ちが頭から離れていかない。


駅前、約束の時間の10分前に着く。

毎朝悟と会う辺りを目指して歩けば、私より先にきていた悟の姿が目に入る。

周囲より頭ひとつ分高い背。

学校のある日は眼鏡をかけているけれど、今日は素のままで。

ガラスを通さないその目には、何かを見透かされそうで怖くなる。


「お待たせ、悟」

「待ってないよ、それにまだ約束した時間前だ。

 おはよう、まどか」

「うん、話って?」

「ここじゃなんだし、定期持ってきてる?」

「一応持ってる、けど?」

「じゃあ行こう」


どこに、となんとなくきけないまま、あいまいに頷く。

手を差し出されて、首をかしげる。

「私は、初音じゃないよ?」

「そんなの当たり前だろ」

強引に手を拾われて、歩き出す悟の背を追った。


改札を抜ける時にだけ、繋いだ手が離される。

それからまた当たり前のように手を取られ、毎日乗っている電車へ。

悟は何も言わなくて、私も何も言えない。

ただ繋がれた手の辺りだけを見つめていた。


降りた駅は学校のある駅。

「学校に行くの?」

「部活で開放されてるから、入れるよ」

「用事?」

「いや、落ち着いて話ができるでしょ」

よくわからない答えを返され、また言葉が途切れる。


私服だけれど、誰にとがめられることも知り合いに会うこともなく、校舎へと入る。

校庭ではサッカー部が練習試合をやっているようで、時折歓声が聞こえる。

本校舎へと向かう道筋には人気がなくて、いつもと違うその様子が不思議だ。


「とりあえず生徒会室行こう、あそこなら人もいないし」

下駄箱などで離れるたびに解かれ、けれど当たり前のように再び繋がれる手に、私は「どうして」って聞くこともできなかった。

導かれるまま、見慣れた学校の見慣れぬ場所へと入る。

「お茶とコーヒー、どっちがいい?」

「えっと、お茶?」

「じゃあそこに座って待っていて」


生徒会室の中、整頓されたテーブルを示され、居心地悪く座る。

ここは私の場所じゃない。

私が来ないことを選んだ場所だ。


手持ち無沙汰で、ミニキッチンに立つ悟の背中をそっと見つめる。

太陽に透けた髪が綺麗。

背中が広くて、背が高い。

背筋が伸びていて、首がすっとしている。

ぼんやりとその姿を見つめる。


「お待たせ、どうぞ」

急に振り返られて、心臓がつかまれたようにドキリとしたけれど、それに気づかれないように笑顔を作って、「ありがとう」と応える。

渡されたのは、初音用なのか、ピンクの可愛らしいカップ。

お揃いで色違いのカップを持つ悟を見て、急に昨日の初音の言葉を思い出す。

あの二人が付き合い始めたら、悟はどうするんだろう。

そのことを、悟はもう聞いているんだろうか。

考えたくなくて、だから話をふる。

「そういえば、何か話があったんでしょう?」

「うん」


頷いた悟は、けれどそこからしばらく黙り込む。

どう話したらよいのか困っている風だったから、私から聞いてみる。

「初音のことでしょ?」

「…ある意味、そうだな」

「私が、初音から離れた理由?」

「それもある意味で、うん」

「ある意味で、って、じゃあ、カイのこと?」

「ある意味では、そうだね」

「…全然わからないんだけど、用件は何だろう?」


また、沈黙が支配する。

そんなに話したくないことなのかな。

それとも話すのも辛いことなのかな。


「まどか。

 まどかは、好きなヤツがいるでしょう?」

断じるように尋ねて来るから、ついうっかり「うん」と答えてしまう。


好きな人。

好きだと、気づいてしまった人。

私じゃない、他の女の子を好きな人を、好きになった私。

誰にも言わないし言えない、そんな気持ち。

そんな私の思いを知ってか知らずか、目を細めて悟がこちらを見てくる。

「誰かは、言わないよ」

尋ねられる気配を感じて、だからそう先回りして応える。

溜息で、応えられる。


「……カイが初音を好きだってことは、知ってる?」

「うん、それはもう小学校の頃からずっとだ」

「カイが初音に、それを告げたことは?」

「…昨日、初音に聞いたよ」

「そっか」

再び、小さく溜息がもれ聞こえる。

ああ、悟も聞いたんだ。

恐らくカイからなのだろう、二人は仲がいいから。


「二人は、付き合うようになるかもしれない」

小さな声で、悟はそう告げてくる。

肘をつき、手指を組合わせた上に顎を乗せ、目線をテーブルの上にやる悟。

背が高いから、悟のつむじって中々見ないな。

なんとなく真面目に考えるのがイヤで、そんなどうでもいいことに意識を寄せる。


「なぁ、まどか、俺に出来ることはない?」

沈黙を破っての言葉の意味がわからず、驚く。

「悟に出来ることって?」

「まどかは、その、…カイのことが、ずっと好きだったんだろう?」

「誰が」

「だからまどかが」

「…誰を?」

「カイ」


なぜ、そんな話になるのだろう。

私がカイを好き、そんなことがある訳もない。

悟だって見ていたらわかるだろうに。

けれど悟はかたくなにそう断じるような口調で告げてくる。

意味がわからない。


「絶対にちがう」

「初音に遠慮してんだろう?」

「だから違うって言ってるじゃんか、しつこいなぁ」

「じゃあ誰なんだよ」

「言わないよ、なんで悟に言わなきゃなんないの」

「言えないんだろ、カイだから」

「違うってば!しつこいよ、悟」


あ、なんか涙出そう。

でもきっともっと誤解される。

だからジッと我慢して、目に力を込めて、悟を睨みつける。

「なんでそんなこと言うわけ?

 ああ、私がカイを好きだと都合がいいから?

 優しいもんね、初音もカイも。

 私が好きだなんて言おうもんなら、遠慮して付き合わないよね、きっと」

「都合なんて悪いに決まってるだろう?!

 まどかは、初音とカイが一緒にいるのを観たくなくて、離れてるんだろう?」

「…はぁ?」

「部活に力を入れたいから、なんて言って生徒会断ったくせに。

 そのくせ、全然お前部活に出てないじゃないか。

 しょっちゅうサボって、ピロティの屋上で寝ててさ」

「なんで知ってるの?!」

「知ってるよ、そんなこと。

 二人のことを見たくないからだろう?」

「違う!初音のために!

 私たちがずっと側にいたら、初音はいつまでも他に友だちもできない。

 今はそれでいいかもしれないけど、これから先は?

 私は理系だし、悟だってそうでしょう?

 そうしたら文系の初音とは、大学からもう別々だ。

 もしかしたら、悟は文転するかもしれないけど、でも。

 …ずっと一緒なんて、いられないんだよ。

 いつまでもべったり一緒になんて、いられない」


悟が言った言葉には真実があった。

それを知られたくなくて、だから必死で言い募った。

全部なんてさらけ出したくない。

誰にも言いたくない。


「それじゃ、俺たちを遠ざける理由にはなんないよ、まどか。

 その理屈、初音の側に俺たちがいたんじゃ、意味がない。

 まどかだけが離れた理由には、足りないよ」


ああ、すぐに見抜かれてしまう。


「まどかが言いたくないなら、もう無理に聞かないよ。

 代わりに一つだけ。

 俺と付き合ってよ、まどか」

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