Honey
蜂蜜は苦手。
とにかく甘過ぎる。
独特の匂いも、あんまり好きじゃない。
少しだけなら美味しく感じることもある。
けれど過ぎれば途端に甘さで頭痛がしてくる。
くっつけばベタベタするのも嫌だ。
私にとって健斗は、そんな蜂蜜みたいな存在だ。
やたらとキラキラしている。
そのキラキラ感が、近くにくると途端に邪魔。
ベタベタとやたらとくっついてくるのも、勘弁して欲しいんだけど。
健斗のひいおじいちゃんはロシア人、だそうだ。
遺伝子の力は日本よりあっちの方が強かったみたい。
長い手足、くるりとウェーブの出る金髪がかった髪。
明るいところで見るとヘーゼルっぽい色の瞳。
スマートな所作(ご祖母様が茶道の先生だそうだ)、優しい性格。
「王子様みたい」と小さな頃から女子に囲まれていた。
「あんなナヨナヨしたヤツ」と男子からは言われがちで、けれど言えば言うほど女子の反感を買うからか結局表立ってイジメられることはなかった。
健斗自身、何かを言われても言い返すこともなかった。
ただ寂しそうな顔でうつむくばかり。
そうしていれば幼いながらも罪悪感が刺激されるようで、何かいわれることも減っていく。
とはいえ、仲良くなれる訳もなく、だから健斗はいつもどこか寂しそうな顔をしていた。
…それがまた女子人気の理由にもなっていたけれど。
私は幼稚園、小学校が同じだった。
特に幼稚園の頃は母親同士が仲良かったこともあり、やたらとセットで遊ばされた。
(わたしたちを遊ばせている間、親はおしゃべりをしていた次第)
小学校になってからも、なぜか一緒によく遊んだ。
健斗が、私といたがったからだ。
同じ団地で、行き帰りが一緒なのは、まぁ、いい。
外で皆と遊びたい私と、家で二人で遊ぶことを望む健斗。
半分ずつの割合で妥協していたけれど、ある日、無理に連れ出した健斗がひどく転んで、腕を骨折したのをきっかけに、結局二人で家で遊ぶのが普通になってしまった。
そんな関係が小学4年まで続いたろうか。
「フウフ」なんてからかわれるようになって、私はキレた。
健斗のおもりはもうゴメンだ!と。
その頃の私は、クラスに憧れている男の子がいた。
健斗と全然違ってクラスのリーダー的存在で、足が速くて、背が高い。
そんな彼にまで「フウフ」と言われて、もうダメだと思ったのだ。
このままじゃ本当に「フウフ」にされちゃう。
そうなる前に、離れないと!と。
私は健斗に、「フウフってからかわれるから、離れよう」と言った。
健斗は茶色の目一杯に涙を溜めて、ポロポロと泣いた。
ただただ哀しげな涙を流す姿に、私はそれ以上言えなくなった。
「うそだよ、でも学校ではあんまり一緒にいないでいよう。
からかわれるの、恥ずかしい」
「僕とフウフって言われるのがいやなの?」
「学校でからかわれるのが、いや」
「じゃあ、おうちでなら遊んでくれる?」
「もちろんだよ、おうちでだったら、今まで通り遊んであげる」
そうやって外では一緒にいないことを健斗に言い聞かせたけれど、結局噂は消えなかった。
登下校は相変わらず一緒だったし、外で見かけないのは家で健斗と遊んでいるから、というのは知られてしまっていたからだ。
だから私は中学で受験を選んだ。
学校が違えば、学校で噂をされる必要がない。
家での時間くらい、健斗が望むなら多少は分けてやろう。
でも学校でも家でもべったりは勘弁だ。
私は受験のことを、ギリギリまで周りには話さなかった。
母にも「落ちたら恥ずかしいから」と必死で口止めした。
健斗の母にでもバレて、健斗も同じ中学を受験しようものなら、中学でも「フウフ」にされてしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。
受験の日、学校を休まなくてはならず、健斗に一緒に学校に行けない旨を伝えがてら事実を知らせた。
健斗は驚きの顔で、また目を涙でいっぱいにしてこちらを見た。
少しだけ罪悪感を刺激されて、けれど私は予定通り受験し、そして合格した。
ようやく健斗のいない世界へと羽ばたいたのだ。
中学の3年間は、とても楽だった。
学校で私を「フウフ」とからかう人は誰も居なかった。
同じ小学校出身の子はおらず、健斗の存在も誰も知らなかった。
家では相変わらず一緒に勉強したりしていたが、学校に知られることなんて当たり前だけどない。
なんて楽なんだろう!そう心から思えた。
だから健斗にも優しくできたと思う。
たまの時間を過ごすくらいなら、健斗は良い仲間だ。
ゲームも本も、同じものを面白いと思えた。
二人でそれぞれ別のものを買うから、たくさんの本とゲームを手に入れることが出来た。
健斗が学校で借りてきたゲームや、私が借りてくる本など、違う学校だからこそ楽しみは倍。
部活があるから平日に会うことは減ったけれど、週末はそんな風によく遊んだ。
一人っ子の私にとっては、弟のような存在。
いつだって私を大好きといい、側にいたがる彼は、そういえば昔は可愛かった。
そのことを、ようやく思い出せた。
だから関係はとても良好だったと思う。
中学3年になった私は浮かれていた。
ちょっとステキだな、と思う男の子と仲良くなって、週末にグループで遊びに行くこともあった。
もしかして彼氏になるかもな、なんてのん気に考えていた。
健斗も、相変わらず女の子にモテまくっているみたいだった。
誰だかとデートしてたみたいよ、なんて話を親から聞いたこともあった。
お互いに別々の時間を持ったことは、良い方向に転がったみたいだ。
エスカレーターの高校に進まない子はごく稀、という私の高校。
私も多分にもれず、上への進学を希望した。
けれど部活は形式上引退となり、時間の余裕はずっと増えた。
健斗の学校も同じ頃に引退で、私たちは以前のように二人で部屋で過ごすようになった。
ゲームをする私の傍らで、問題集に没頭する健斗。
飽きると私のゲームを取って遊んで、そしてまた問題集へと戻っていく。
「頭に入るの?それで。
ひとりで部屋で勉強すれば?」
「みなみがいる方がはかどるから、いいんだよ」
「そんなもん?わかんないなぁ。
ところで今さらそんな勉強しなきゃいけないとこ、受験するの?」
成績の良い健斗が、そこまで必死に勉強しなくてはいけないところはどこなんだろう?
不思議に思って、そう尋ねた。
「うん、絶対行くって決めてる場所があるからね。
勉強頑張るんだよ」
「ふうん」
追求しなかったことを後悔したのは、4月になってからだ。
入学式の朝。
これまでと同じ形の制服で、リボンだけが変わった格好で登校した。
何も変わりばえなどないようで、けれど通う校舎が違う。
ほとんど足を踏み入れたことのない校地に入るだけで、緊張を覚える。
少し手先が冷たかった。
上級生達の姿もないのに(始業式は明日だから、今日はほとんど1年生だけだ)、何やってるんだか。
歩くうち見知った顔があちこちに見え、徐々に熱を取り戻していく。
なんだ、やっぱりいつもと変わらない。
平和な学園生活が始まるんだ。
掲示板に張り出されたクラス分けを確認し(こういう時、「相川」という苗字は楽だ)、指定の教室へと向かう。
教室で友人たちの顔を確認して腹から息を吐いて、ようやく落ち着いた。
「おはよ、みなみ」
「あ、同じクラスなんだ!
よろしくね、ゆず」
「うん、よろしくー!
ところで新入組、結構豊作らしいよ?」
「豊作?」
「うん、結構イイ男がいるらしいよ。
新入組は内部進学組より頭良いしねぇ、うふふ。
私もさっき、ひとりいい子見つけたよ。
ああでもみなみは高岡くんが気になるんだっけ」
「ちょっと!そういうことこんなところで言わないでよっ!
でも、ふーん、イイ男。
このクラスにも来るといいねぇ」
ガイダンスを終えた新入組が、担任の先生に伴われてやってくる。
特に目を引く男子もいなくて(高岡君の方が格好いい)、ちょっとガッカリする。
40人のクラス中、新入組は15人。
大体、各クラスその割合で入っているという。
自己紹介を終え、入学式まで待機となった。
ゆずが私の席までやってきて
「あの男前は別のクラスか、残念」
そう告げた。
「あの子?どんな子だったの?」
「うん、なんかキラッキラした王子っぽい子がいたんだよね、さっき」
…そのビジュアル描写は、なんか嫌だなあ。
「ふーん、ゆずは『王子』タイプが好みなんだ?」
「鑑賞するならねー、見目麗しいのは目の保養よ。
選択か体育で一緒だといいなぁ」
「私は鑑賞するのもスポーツマンがいいなー」
「高岡くん、もろそっち方向だもんね」
「だから、そういうことを大声で言わないでよ!」
そんなお馬鹿な話をしつつ、新しく仲間になった子達を観察する。
斜め後ろの席の子は、おとなしそうで大分緊張していそう。
膝に置いた手をジッと見つめていて、うん、こっちから話しかけちゃえ。
「ねぇ、どこの中学出身なの?
あ、その前に私は相川みなみです、よろしくね?」
「織田柚です、ゆずって呼んでね?
えーっと、相良さんだっけ」
「あの、相良あやめです。
中学はね、森三中なの」
「そうなんだ!私ね、ここ来てなかったら同じ中学だったよー。
どこ小学校だったの?」
「中学2年で引っ越してきたから、小学校は違うところなんだ。
ああでもそしたら近所なのかなぁ?嬉しい!
ゆずちゃんも、良かったら仲良くしてくれませんか?
同じ中学からはほとんど来てなくて、緊張してるの」
「そんな感じだね、うん。
今度他の子も紹介するね、えっとあやめちゃん?」
「ありがとう、ゆずちゃん!
みなみちゃんもよろしくね?」
放送が入り、体育館へと移動する。
あやめちゃんとゆずと並んで、おしゃべりをしながら歩く。
この近くにある美味しいカフェの話、とか。
どんな部活があるか、とか。
地味だけど可愛い子だなぁ、あやめちゃん。
なーんて余計なことを考えながら、おしゃべりに興じる。
体育館に入ると、急に薄暗くなって目が慣れない。
先に移動したクラスが既にいるようなのだけれど、うーん。
私とゆずが目をぱちくりさせている間に、先に馴染んだらしきあやめちゃんが、急にパッと表情を明るくして「あっ、いた!」と声を出す。
体育館へは先に移動していたクラスがもう並んでいた。
そちらを見て声を出していたから
「知り合いいるの?」
とたずねてみた。
「うん!あのね、私、えっと。
…好きな人がこの高校に来るって言うから、追いかけてきたんだ」
そう恥ずかしそうに顔を赤らめて告げた彼女が、「ちょっと行ってくるね」と駆けていった先に。
「うそぉ」
ようやく暗さに馴染んだ目に、キラキラとした髪がまぶしい、健斗がいた。
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ。
なんでアイツが、ここに。
とりあえず不自然にならない程度に、でも急いで列へ加わるべく歩き始める。
そんな私の努力もむなしく、ドドドド、と足音が聞こえる。
みつ、かった。
「みなみー!!!!やっと同じ学校なれたー!」
「うわっ健斗、こらやめろ離れろくっつくな!」
「やだ、やっとやっと同じ学校なれたのに!」
「だからってくっつくな!ああもうなんでココにいるのよ!」
「なんでって、受験して合格したから?」
「聞いてない!」
「言ってなかったっけ?
でも考えても見てよ。
俺がみなみと違う学校を選ぶ訳ないでしょ?
別の学校なんてハナから受験する訳ないよ、みなみってバカ?」
「なんのために私がこの学校選んだと思ってんの―!
いい加減離してこのバカ犬!バカ健斗!」
「やだ、ああもうなんで同じクラスじゃないんだろ。
ねぇ相良、俺とクラス代わんない?
いいなぁみなみと同じクラス」
「あんたとクラス一緒になったら、一日中一緒になるじゃん。
勘弁してよ」
「なんでいやなの?俺のこと嫌い?」
「ああもう面倒くさいなぁ!泣くな!
さっさとクラスに戻れ!話しは帰りだ!」
「絶対だよ?一緒に帰るんだからね?」
「ああああああ、わかったから早く行ってよ・・・」
やられた。
道理で今朝、母親がニヤニヤしていると思った。
あの人は変な誤解をしていて、私と健斗が恋愛関係にあると思っているらしい。
違う、あれはバカ犬だ。
私(飼主)に懐いているだけの、バカ犬だ。
小さい頃からの刷り込みで、私に懐いているだけなんだ。
だからあやめちゃん、そんな恨めしそうな目で見ないで頼むから!
「ちょっとあとで話を聞かせてもらうわ」
ゆずちゃんまで顔が怖いよ!
ああ、健斗がキラッキラ笑顔でこっち向いてる…。
ないはずの尻尾が、振りきれんばかりに振られているのが見えるようだよ。
入学式の間中、後ろにジリジリとした視線を感じた。
それがあやめちゃんなんだか、ゆずなんだか、健斗なんだかわからないけれど、徹底的に無視した。
絶対後ろなんて向かない。
向くもんか!
だから式の内容なんて頭に入っちゃ来なかった。
唯一、新入生代表あいさつのことだけは覚えている。
なんと健斗の名前が呼ばれて、アイツが壇上に立ったのだ。
名前順で最前列に並んだ私に向かってヒラヒラ手を振りやがって、もう、本当に勘弁して。
あの気弱そうな子どもの頃の健斗を返して…。
クラスごとに列のまま教室へと進む。
周囲の好奇の視線が早速注がれる。
ああもうなんでアイツは、もう。
皆が進むのを見計らって、集団の最後になるように歩く。
今このタイミングで、ゆずにだって説明するのは面倒だ。
私は疲れ果てていたから、誰にも捕まらないよう必死で気配を殺していた。
けれど現実は厳しい。
可能な限り小さく、人影を選んで歩いている私の背を、誰かがポンッ!と叩いてきた。
思わず「ヒッ!」と言ってしまった私を許して欲しい。
「どうしたの、相川。
随分緊張感ある声出して」
「高岡君!は、何組だったの?」
「4組、相川は3組でしょ?
体育とか選択とか一緒だなー、よろしく」
「うん、よろしくね!」
「そういえば相川、関と知り合いなの?」
「ああ、うん…、なんていうか、腐れ縁」
「あいつ、自己紹介でかなり面白いこと言ってたぞ。
『相方を追いかけてこの高校に来ました』とかなんとか。
相川のことだったんだなー」
「勘弁して…。
同じ団地に住んでる、まぁ幼馴染なんだ。
なんか異常に懐かれてるんだけどさ」
「ふうん、彼氏じゃないんだ」
「違うよ!全然違うって!
彼氏はいません!」
「へぇ、じゃあさ、今度俺とデートしない?」
「ふぇっ?」
「デート。
映画でも見に行こうよ、考えといて」
「はっ、い、え?あの?」
「じゃあね、俺こっちだから。
後でメールするから、考えておいて」
もう、頭がパンクしそうなんですけどー?
教室に入ると、もう皆が着席していた。
コソコソと後ろから席に向かい、そうっと座る。
「みなみちゃん、コレ終わったら聞きたいことがあるの」
通り抜けざま、小声であやめちゃんに声をかけられる。
ああ、逃げられないか。
「うん、後でね」
教科書の販売などのガイダンスを受け、今日は解散になった。
終わった途端、ゆずとあやめちゃんが飛んでくる。
「みなみちゃん、って、関くんの『相方』さんってこと?」
「なにそれ、相方って何の相方よ…。
私はお笑いも何もやってないってば」
「中学のとき、関くんすっごくモテるのに、断ってばっかで。
理由が『俺、相方以外の女の子といるの、苦手』だったの。
週末誘っても『相方と遊ぶから無理』でね」
「勘弁してー。
あのね、私と健斗は幼稚園の頃からの幼馴染なの。
母親同士が仲良いから、いつも一緒にはいたけどね。
だから私は健斗にとって『女』じゃないから、例外なんだよ。
小さい頃、健斗は友だち少なかったからさ、懐かれてるんだ」
「…ふうん」
一人が終われば、待ってましたとばかりに喋り出もう一人。
疲れる。
「ねー、みなみってば王子とめっちゃ親しいんじゃない。
ずるいなー、紹介してよ」
「紹介するのはいいけど、アイツ馬鹿だよ。
筋金入りの大馬鹿、やめといたほうがいいよ」
「観賞用だからバカでもいいんだわ。
でも代表あいさつなんてやってるくらいだから、賢いんじゃない?」
「勉強ができるのとバカは別だよ。
健斗は本当にバカ」
「ふうん」
「みなみー!!!!帰ろう!」
あー、来やがった。
高校編入組の緊張感ゼロ。
普通にガラッとあけて入ってきやがった。
ムダに注目集めて、もう勘弁してくれよ。
「ハイハイ、ちょっと待って準備するから」
「みなみのカバン、これだけ?持つよ」
「いいよ、中味入ってないもん」
「ダメでしょ、女の子なんだから持たせとけばいいの」
「絶対ヤダ、自分の荷物くらいは自分で持つわい」
「みなみらしいなぁ、もう。
仕方ないから今日は持たせてあげるよ。
じゃあ、帰ろう」
「ってなんで手を繋がなきゃなんないの」
「え、だって迷うから、俺が」
「ここまで来たくせに?」
「みなみのいる場所までは来られるんだけどなー。
いいじゃん、帰ろう」
「あー、もう面倒くさい。
じゃあね、ゆず。
あやめちゃんも同じ方向でしょ?一緒帰ろう」
「えー、みなみと二人で帰ろうと思ったのに」
「同じ中学から来た子でしょ?もっと優しくできないの?」
「しないとだめ?」
「当たり前」
「…ごめんね、相良。
じゃあ一緒に帰ろうか?」
「あれで、ただ懐かれてるだけなんてよく思えたもんだ」
ゆずが呟いた言葉なんて、勿論私の耳には届いていない。
「健斗、さぁ。
いい加減『みなみ離れ』しないの?」
「しない。
なんで離れないとだめなのさ」
「中味はともかく、見た目だけならモテるんでしょ?
もうこんなに私にべったりくっつかなくても」
結局校内はおろか、駅までの道も、電車の中でもずっと手は繋がれっぱなし。
離れたのは昇降口で靴を履きかえる時と、改札を抜ける瞬間だけだ。
なんだよ、この駄犬。
邪魔くさくて、面倒くさいなぁ、もう。
「中学の分も回収しないと」って言ってたけど、意味わかんない。
なんで手を繋げば回収できるんだか。
「やだよ、みなみにくっつかなかったら、俺の存在意義がない」
「なによ『存在意義』って、もう…。
ねぇ、あやめちゃん、中学のときのこのバカはどんなバカだった?
やっぱり大バカ?」
「全然違う、から今本当にびっくりしてる。
もっとクールで、優しいけど、大人びていて。
…私、結構関くんが好きだったはずなんだけど。
なんかこう、うん。
…こんなに残念なかんじのヒトとは思わなかったな」
「…ごめんね、かなりの残念ぶりで」
ああ、高校を追いかけるほどに好意をもたれた女子にまで、「残念」判定。
これからどうするんだ、健斗。
私はもう面倒見切れないぞ、勘弁してくれ。
ポケットに入れていた携帯がブルブルと震える。
健斗と繋がった手をほどいて確認しようとするけれど、健斗はなぜか余計に力を入れて、離してくれない。
「電話鳴ってるから、離して」
「ん」
反対の手を塞いでいたバッグを奪って、結局手は繋いだまま。
もういいけどね…、疲れる。
携帯を開くと、そこには高岡君の名前。
…本気だったのかな、高岡君。
どうしよう、かなり嬉しいんだけど。
家に帰って健斗と別れてから本文は見ようと決めて、そのまま携帯を閉じる。
「誰から?」
とたずねてくるのは勿論健斗だ。
「高校の友だちだよ。
急ぎじゃないと思うし、家に帰ってから返事する」
「誰?」
「健斗は知らないでしょ?」
「関係性を知りたいんですけど」
「友だちだって、だから」
「男だったら怒るよ」
「なんで怒るの?」
「ああ男なんだ!みなみは俺がいるのに、男とメールのやり取りなんてするの?!」
「はぁっ?するでしょ、友だちだもん。
前からやりとりなんてしてる人だし、他にもいるし。
そもそも『健斗がいるのに』って意味がわかんない!」
「なんでわかんないの?
なんで約束守ってくれない訳?」
「言ってる意味わかんないんだけど」
「あのー!お二人とも、ここ電車ですー!」
「っ!」
ごめんよ、あやめちゃん。
バカにつられて私までバカなことを。
駅で複雑な顔をしたあやめちゃんと別れて、黙々と家への道をたどる。
「家帰って荷物置いたら、俺の部屋来て」
「やだ、いかない。
どうせこれから学校でも会うんだから、家ではもう過ごさない」
「いいから来て、話がある」
「…やだ」
「じゃあこのまま連れて行く」
繋いだ手を無理矢理引っ張られて、腹が立つ。
「さっきからなんなの、意味わかんないんだけど!」
「意味わかんない、って俺の台詞だよ!
ああもう、こんなところで始めるのイヤだから、早く俺の家行こう」
確かに。
散歩中のわんこ’sにガン見されまくっている。
「…行こうか」
「うん」
「あらあら、痴話げんかね?
若いっていいわねー」
なんて犬を連れたおばさまが話していた言葉なんて、私の耳には届かない。
3日ぶりの健斗の家は、おばさまがまだ仕事から戻っていなくて、二人きりだった。
「ねえ、麦茶飲んで良い?」
「冷蔵庫勝手にあけて、あと俺の分も」
「健斗も麦茶?」
「なんでもいい。
あと左の扉のポケットにゼリー入ってるよ」
「あ、ほんとだー!」
麦茶飲んでゼリーを食べてたら、何の喧嘩をしていたのかちょっと忘れてしまった。
「みなみはさぁ、俺のことどう思ってるの?」
だからそんな風に健斗に聞かれても、意味がわからなかった。
「へ?バカ犬?駄犬?」
「…酷いなぁ」
「否定できるもんならしてみな」
「まぁ、みなみに向かってはまっしぐらだね、確かに」
「可愛かった健斗はどこいっちゃったんだろうね?」
「それはみなみも一緒でしょ」
「私はいまも昔も可愛いもん」
「ああそう。
あのさ、みなみ、約束覚えてる?」
「約束、って、ゲーム貸すってやつ?
あれまだクリアしてないんだよね」
「違う、高校入ったら、ってヤツ」
「高校入ったら?ってなんだっけ」
「やっぱり覚えてないんだ、バカはみなみだよ」
「失礼な!健斗に言われるとダメージ大きいじゃないか!」
「失礼はそっち。
あのさぁ、中学1年の時、みなみが勝手に私立行った入学式の日の約束。
本当に覚えてないの?」
私が私学に進学が決定したのは3月。
しばらくの間は健斗も泣きながら文句を言いながら、それでも普通だった。
でも、入学式の日。
電車に乗るから早く出ようとする私を見つけて、追いすがって泣いた健斗。
遅刻しちゃうからとおばさまを呼んで健斗を捕まえてもらって、走って逃げた私。
やっぱり離れたのは正解だ、と心底思ったのを覚えている。
新しい場所には健斗がいなくて、これで伸び伸びと暮らせる!と喜んだことも覚えている。
けれど、帰って来た私を待っていたのは、そんな簡単なことじゃなかった。
結局泣いて暴れた健斗は、そのまま40度近い大熱を出して倒れた。
自分の入学式になんて参列できる訳もなく、今でも唸っている、と母親に聞かされた。
もしかして体調が悪いのに、泣かせたのかな。
罪悪感に苛まれながら、母に背中を押されて健斗の見舞いに行って。
うん、なんか、約束した気がする。
「えーっと、覚えてない」
「みなみって本当にバカだ」
「なにおう!」
「みなみが言い出したんだよ。
『高校がもし同じだったら、一緒にいてあげるから』
ってさぁ!」
「言わないよ、熱で夢見てたんじゃない?」
「言った、絶対忘れない」
「うーんと、万が一言ったとして。
それと男友達とどういう関係があるのさ」
「それも覚えてないの?!
俺が『ずっと?そしたらいつか家族になってくれる?』って聞いてさ。
みなみ、すぐにOKしたじゃんか」
「ハァ?何言ってるの?今も熱ある?頭煮えてる?」
「みなみこそ熱でも出して記憶喪失なってんじゃない?
『ハイハイ、わかったからいいから寝なさい』
っていったの、忘れてないんだからね」
「それは、なんていうか、えーっと、約束と違うでしょ」
「約束じゃないか!わかったっていったでしょ?
だから俺、18歳になったらみなみをお嫁さんにもらうんだから。
そのためにデイトレードとかで稼いで、財産だって作ってるんだし」
「はぁ?」
「みなみのご両親にも許可もらってるしね。
ただ、その、男女の仲になるのは俺が18歳になるまでダメって言われたけど」
「っ!あんた、うちの親になんの話ししてんの?!」
「みなみをお嫁さんにします、みなみもOKしてくれました、って」
「してないし、ああもう!」
後で両親と健斗の父母に確認したところ、本当にそんな話になっていた。
なんで私だけ知らないんだ。
中1の春の私の発言も、なぜか音声テープに残されていて言質を取られた。
(母親'sが聞き耳立てつつ録音した、と告白してきやがった。
意味がわからない)
疲れ果てた私は、ごはんも食べずに布団にもぐりこんだ。
朝になったら、全部夢だったらいいのに。
けれど現実は厳しい。
翌朝、なし崩し的に健斗に手を捕まれて引きずられるように登校させられる。
ああこんな日々が卒業まで続くのか。
もういやだ、面倒くさい。
朝からスキップを踏まんばかりに浮かれている健斗が、心底憎い。
「転べばいいのに」
「なんで?みなみ、将来の旦那さまに冷たいよ」
「ふざけたこと言ってると、耳をちぎるよ」
「なんだ、やっぱりつきあってるんじゃんか」
そう高岡君に後ろから声をかけられた。
…色々ありすぎて、すっかりメールのことを忘れていた。
「あ!ごめん、メール返事できなくて」
「いいよ、忘れてくれていいからさ、うん。
…お幸せに。」
あああ、なんだろう。
私の幸せがいま、逃げていく音がする。
「健斗!あんたのせいで台無しよ!」
「みなみが浮気するのが悪いんだよ。
俺がずーっとみなみのことを幸せにするからさ。
みなみも俺のことを幸せにしてね。
そばにいてくれるだけで、幸せだからさ」
遠くから見ている分には、キラキラと眩しい光の似合う男の子。
側にさえいなければ。
ベタベタ、もう、勘弁して。
なし崩し的に18歳でみなみちゃんは「関みなみ」にされるでしょう。
押しに弱いみなみちゃん、合掌。