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断片集  作者: みやこ
15/15

全音符

※今日は6月34日です

※嘘です、ごめんなさい


先生と元生徒、のおはなし。

言葉を、選ぶ。

メッセージを送るのは毎日夜だけと決めている。

そのための言葉を、一日中考えている。


相手の負担にならないように。

けれど、私があなたを思っていることが伝わるように。

会えなくても、会いたいと思っていることがわかるように。

それでいて、面倒に思われないように。


読んでくれたら、それだけで嬉しい。

お返事をもらえたなら、本当はもっとずっと嬉しい。

けれどお返事を義務に思わないでほしい。

できたら、笑って欲しい。


講義の最中、メモを取りながらも時計代わりに机上に置いた携帯へ目をやる。

時に、これまでのやり取りを見返す。

どんな時に彼は楽しそうな返事をくれたんだっけ。


よほどに忙しい時以外、彼は毎晩だって返事をくれる。

勝手に送っているだけだから、返事はなくていいよ、そう言っても律儀にくれる。

仕事が終わって、私用の携帯を見たときに、私からのメッセージが届いていると嬉しいんだ、って。

それが楽しみなんだ、って。

今日も無事に終わったな、と肩の力を抜ける瞬間なんだ。

だから、面倒じゃなかったらメッセージを明日も送ってくれる?って。

筆まめじゃなくて、返事が短くて申し訳ないけれど、って。


だからこそ、私は考える。

楽しい気分で、私からのメッセージを読んでもらいたい。

綺麗な風景、うちの猫の怠惰な姿(彼は猫が好きだ)、彼が喜ぶもののいくつかは知っている。

けれどそれも毎日ではつまらないでしょう?

つまらない子だと思われたくない。

だから、一所懸命に考える。


社会人の中でも、恐らく忙しい部類に入るだろう彼。

どこまでものんきな学生生活を送る私。

違いすぎて、経験値も知識も足りなさ過ぎて、私はいつだって四苦八苦している。

それでも彼に少しでも好かれたくて、必死で考える。


彼を好きになる日まで、私はどんな風に過ごしていたんだろう?

思い出せないほどに今は心の中が彼への想いで染まっていて、それがとても幸せだ。

将来の夢のために進んだ大学だし、そのための努力は続けている。

けれど、優しさも楽しさも、幸せな気持ちも、どれも彼への想いに起因する。

この気持ちをもっていなかった頃の私は、どんな人間だったのだろう?




アルバイトを終え、夜なのにまだ明るい道を歩きながらも考える。

今日はなんて送ろうか。


真夏になると、この長くはないけど急な坂はとてもしんどくなるの。

自宅のマンション近くにある坂を登りながら、そんなことを考える。

でもその話しから彼を楽しませられるようには広げられない、と脳内で消しゴムをかける。


昼の雨もすっかりあがって、とても気持ちが良い夜になりそう。

毎日がこうだったら、夏も辛くないのにね。

……本当だけれど、一個も面白くなんてない。

これも二重線を脳内でひく。


なんて、送ろう。

幼くてつまらない子などと思われなくて、笑ってもらえるような何か、何か、何か。

不自然じゃなくて、重くなくて、でも好きになってもらえるような何か、何か、何か。

空欄のままの携帯のメッセージ作成画面を睨みながら、脳みそを振り絞る。

何か、何か。


ふ、とその視線の端に何かがひっかかる。

その感覚に呼ばれて、「ああ」とついひとりごちった。

圧倒的な夕空が、坂の上の家の切れ目を埋め尽くしていたから。

赤と紫と水色と白とピンクと、言葉にしきれない色合いに暫く足を止めて見とれる。

これ、見せたいな。

きっと忙しくて、この空を見られていないに違いない。

前に一緒に出掛けた河原で見たのに似た、この綺麗な空を見せたい。


手に持ったままの携帯をカメラモードに切り替えて、空に向けて構える。

一番きれいなところを探して、そのままぐるりと見渡して、……見つけた。

振りむいた先、電線に居並ぶ、鳥たちの姿。

美しいマーブリングの空に、それはまるで楽譜のよう。

この空の色そのままは撮れそうにないから、ならばそれを背景に。

「今日も一日、お疲れさまでした。

 帰り道、空を見上げたら楽譜が落ちてたよ」

絵文字もスタンプもつけず、写真とともにそれだけを送る。

少しでも笑ってくれたなら、嬉しいんだけどな。

ギュッと彼に繋がる小さな機械を握りしめた。



帰宅してからは携帯が手放せない。

彼が仕事を終え、私からのメッセージを見るのは大抵22時過ぎ。

返事が届くのもそのくらい。

まだその時間には早くて、レポートのために資料を広げながらも、気持ちが携帯に引き寄せられる。


一日中、彼のことばかり考えている。

自分ばっかり好きだなんて、それは恋愛という勝負で負けているよと友達には言われた。

でも負けていていい、私が好きでいることを彼が許してくれるならばそれでいい。

それだけでも奇跡みたい。


ずっと好きだったから、それを受け入れてもらえただけでもうれしい。

叶う訳がない思いを、彼と会えなくなってからも捨てきれなかった。

偶然に再会できて、以前には尋ねる事すらできなかった連絡先を交換してもらえた。

以前なら溢れてしまってもごまかすしかなかった想いを、伝えることを許された。

そうして奇跡のように受け入れてもらえた。

奇跡の上に重なった奇跡。

本当に私ばかりが嬉しいに違いなくて、申し訳ないくらい。




21時半、いつもより少し早い時間に携帯のランプが点滅する。

急いで画面をのぞきこむ。

待ち構えていた、なんて思われて負担に思わせたくないから、既読を付けぬように見えるところだけを読んで。

「……全音符?」


夜は、全音符がひとつだけ。


そう一行だけ送られたメッセージのなぞなぞぶりに、つい我慢できずに開いてしまう。

共に送られてきたのは写真。

少し白飛びしているけれど、ほんの少し丸のゆがんだ月の写真。

その手前にうっすらと見えているのは……電柱?


パチリ、と頭の中でパズルがハマった音がする。

自分の格好を見て、うん、この部屋着なら外に出ても平気。

携帯だけを掴んで、外に飛び出す。


いつだって彼には少しでもよく思われたくて、会える日には何時間もかけて準備していた。

子供っぽいと思われないよう、でも無理しているとも思われないよう、服を買うときだって一所懸命だ。

でも、そんな努力も今はどうでも良かった。


「せんせい!」

家のそばの坂の上、私が鳥たちの姿を映した場所に人影が見える。

私はそれが先生であると、もう確信していた。

サンダルばきのままで走ろうとすると、「ああ、走るな、危ないから」と声がする。

せんせい、先生だ!


でも走るのやめるなんて、できない。

先生がそこにいるのに、走らないなんてできない。

そのままの勢いで走って、抱きついて。

しがみついて、暗い中でも先生のネクタイの色味がハッキリ見えて、心臓は落ち着くどころか勝手に跳ねまくる。



「危ないだろ、この辺、暗いんだから」

少し怒った風のその声が嬉しい、って言ったらもっと怒るかなぁ。

何日ぶりだろう?テストがあって、いつもよりさらに忙しくなるって聞いてて。

いま一番忙しい時期だったはずなのに。

嬉しくて、頭が回らなくて、だからただじっと先生にしがみつく。

どんな理由でも、いまここに彼がいるというだけで私は嬉しいのだから。


ポン、と頭に手を置かれた感覚に、ほんの少しだけ腕の力を緩めて先生の顔をうかがう。

ああ、疲れた顔をしている。

「充電をね、しにきたんだ」

でも優しい顔をして、笑ってくれている。


きっと私ばかりが好きで、彼は私を好きでいることを受け入れてくれるだけで幸せ。

私が渡せるのはこの好きだって気持ちだけで、他には何にも持っていない。

思いを返してくれなくたって、それだけで十分幸せだった。

でも、今、忙しい中、私に会いに来てくれて、笑顔を見せてくれている。

どうしよう、嬉しくて爆発してしまいそう。


「あのね、せんせい、わたし、先生のことが大好きなの」

お疲れさま、もあいさつも全部ふっとんで、一番伝えたい言葉を伝える。

「俺もね、好きだよ」

ぶわり、と幸せな気持ちが暴力的なまでに巻き起こる。


ああ、この人はどこまで私を幸せにしてくれる気なのだろう?

同じくらいこの人を幸せにできるのが、私であったならいいのに。

ポン、と浮かんだのはそんな果てしない欲求。

彼を困らせるものではないといいのだけれど。

そして、うっかりそれが叶えられる日がくるといいのだけれど。

柔らかに笑う彼の顔を見て、幸せな気分の中でそれを願った。

ムーンの方に書いた「Hotchpotch」という短編集の中の、「夏の緑」というお話の後日談的な感じです。

「夏の緑」はR要素なしなので、「好き」のきっかけに興味がある大人の方はのぞいてみてください。

(「Hotchpotch」自体の他の話にはR要素ありますのでご注意を)


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