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守り人  作者: 藤堂阿弥
8/10

四海波静か

暗闇の中足元に広がる血だまり。


恐怖の余り声を上げることも動くことも出来ない。


助けを呼ぼうと手を差し伸べるが、その先に誰も居ない。



絶望に押しつぶされる瞬間、誰かが自分の手を取る。そして、静かに囁くような声が聞こえた。



――大丈夫、ここにいる――



安心したように息を吐いて再び静かな…さっきまでの荒い息遣いではない、穏やかな寝息に青年は静かに息を吐いた。

しっかりと握られた彼女の手は、小さく柔らかい。

女性の手など初めて握ったわけでもない。…いや、今まで彼が取ってきた手は、彼女の手よりも細く柔らかかった。働くことを知らぬ手。


あちこちに小さな傷や、荒れた後のある。


そんな手がとても愛しいと思った。


このままずっと離したくは無い、と。






目を開けるとそこは最近漸く「見慣れた」といってもいい風景。天蓋つきのベットに、柔らかなハーブの香りのする部屋。亜衣がこの世界に着てからずっと与えられた場所だった。

気配を感じると、自分が目覚めたことに気が付いて、白い獣が尾を振っている。その柔らかな感触を確かめながらあれが夢でなかったと思い知る。

と、耳を立て扉のほうに顔を向けたほむらにその視線を追うと、軽いノックのあとに、ここの主人の妹が入ってきた。

「気が付いた?」

手にはティーカップとポットを載せたトレイ。ほむらが静かに尾を振って彼女に近づく。珍しいこともあるものだと漠然と考えていると、柔らかな香りが鼻をくすぐった。

はい、と渡されたカップに口をつけると穏やかな温かさが体の隅々まで行き渡るようだった。ふいに、ほろり、と瞳から零れるものに、ミリアは亜衣のカップを手に取り傍らに置くとベットの横へと腰を下ろす。

「吐き出してしまいなさい。ずっと楽になるから」

関を切ったように泣き出した彼女の頭を肩に乗せ、ゆっくりとその背中をなでる。

(この役目は自分がやりかたっかでしょうね)

別の部屋で事情徴収を受けている青年を思い出して、ミリアは小さな笑いを口に乗せた。




「落ち着いた?」


自分の守護者にお茶の代わりを持ってこさせると、ミリアは亜衣に問いかける。

柔らかな布に顔をうずめ、頷く相手に微笑みかけると傍らに立つアルフォードを見上げた。

「…アイ。俺の話を聞けるか?」

いつになく真面目な男の声音に、そういえば彼が「ほむら」を連れてきたのだと思い出し首を縦に振る。

「まだこれは姫さんにしか話していないが…『扉』があいた」

一瞬意味を理解できなくて首をかしげた亜衣だったが、すぐに何のことかを悟って驚きに目を見開いた。

「時間軸はほぼ向こうとこちらは一緒。つまりこっちで過ごした時間と同じ時が向こうで流れているって事だ」

分かるか?と、問う男に亜衣が頷くと頭に手が乗せられる。

「お前さんの友達、ってのは話の通りの早い連中で助かったよ。…ワタナベという男がこいつを貸してくれた。アンタに一番懐いているからってな」

彼女の傍で座っている白い獣を見て、男は苦笑する。

「こいつはとりあえずの目印だ。お前さんが無事に向こうに帰りつくためのな」

一瞬言葉を切って、自分の主に視線を移すとミリアは寂しそうに笑い亜衣へと視線を向けた。



「結論から言う。帰る事はできる。…でも行き来はできない」

息を呑む音が聞こえ、亜衣は俯いた。

そんな都合のいい話は、無いと思いながらも心の中の片隅にあった希望。



「できて一往復」

ふぅ、とアルフォードが続けた。

「片道お前さんが居た世界。そして、もう片道」

つまりどちらかを選ばなくてはいけない、ということだ。

「一旦向こうに帰って考えればいい。いつでも迎えに行くし、向こうで一生を終わっても、それはお前さんの人生だ」

あいつは怒るだろうな、と心の隅で考えながらアルフォードは言う。

「今すぐに結論をだせという訳でもない。このままこっちで過ごすのもお前さんの自由だ」

一応『あちら』では留学扱いになっていると男は教えてくれた。


「お前さんの友人たちの尽力だ。…ああ、あと噂の『りっちゃん』からの伝言だ」

はっとしたように顔を上げた亜衣にアルフォードは笑いかけた。

「『二年分学費もったいなくない?』だ、そうだ。どんな意味かは知らないが」

思わず噴出してしまう。本来大学の学費というのは、年に二回支払うものだが、亜衣の場合特殊な事情で全年度支払済みだったのだ。


「そうですね…」

そうだ、と亜衣は思う。

自分はあの友人たちに説明しなくてはいけない。


「選べれるのであれば、チャンスがあるのなら、それを生かさなきゃいけませんね」

2年という月日は長いのか、短いのか。その間、向こうもこちらも同じように時間は流れる、自分だってどう動くか分からないのに、他人でさえあれば尚のこと。



でも、それでも。


「帰ります」

二人の顔を見て、亜衣ははっきりといった。

「2年…自分で決めた年月の間に決めます」

こちらに来たかったら迎えに来てくれますか?との問いにアルフォードは微笑んで頷いた。

「心配するな、ちゃんと『印』はおいてきた」

『印』とはなにか、あえて亜衣は尋ねなかった。近い将来知ることができるだろう。


「でも、ま、もう少し休んでからだな」

はい、と頷くと軽いノックの音が聞こえた。ミリアがドアを開けると思わず亜衣は目を見張る。

少し困った顔でミリアは礼をとる。その動作で相応の身分の人だと気づき、亜衣はベットを降りようとした。

「構いませんよ、どうぞ、そのままで」

その外見にふさわしい涼やかな声音で青年は亜衣を制する。言い方は穏やかなのに有無を言わせぬ響きがあった。


「災難でしたね。体の調子はいかがですか?」

「あ…は、はい。もう大丈夫です」

声が上擦るのが自分でも判る。青年は亜衣のベットの傍まで来ると、柔らかな微笑をその口に乗せた。

その瞬間、違和感が彼女を襲う。

軽く首を傾げる亜衣の姿に、ミリアが苦笑を向けた。

「閣下。この子に偽りは効きませんよ。お止めになってはいかがですか?」

青年はミリアを見、亜衣に視線を移すとその表情を消した。ようやく、違和感が消えて彼女はほっとした表情をみせる。

「なるほど、ガイゼルさまがお気に召すはずだ」

先ほどとは打って変わった冷たい調子の声だが、この方が彼にふさわしいと亜衣は密かに思う。

「亜衣、リュクレオン・フェルナンデス・グランディア公爵様よ…この国の宰相閣下でもあられる方だわ」

流石に驚いて再びベットを降りようとすると、リュクレオンは亜衣の肩に手を置いて押しとどめた。

「そのままと言ったのは私だ。休んでいなさい」

思わず頷くと青年はミリアの方へ瞳を向ける。今までの表情はどこへやらの穏やかな顔となる。

「彼女の身分は保証しましょう。私が用意しなくてもガイゼルさまが嬉々としてご用意されそうですが、それでは正直面白くないですから」

この場合面白いどうこうの話では無い気がするが、あえてそのまま放置をして、ミリアは深々と青年に礼をとった。

「それでは私はこれで。ガイゼルさまとカークには一刻も早く帰国するようお伝えしておきましたが、できれば貴女からもお口添えくださいますように」

では、と青年は扉の外へと消えた。リュクレオンがこの部屋に居た間、アルフォードを一度も見ようとはしなかった。





「やれやれ」

大きく息を吐くアルフォードにミリアは「お疲れ様」と声を掛けて、宰相を送り出すべく、外へと出て行った。


「あ…」

「ん?」

思わず声を出してしまったが、軽く首を振ると亜衣はアルフォードに笑顔を向ける。

「でも、宰相さまが『さま』をつけるガイゼルさまって何ものなんでしょう?ご本人はカークさんの上司だっておっしゃっていましたけど」

彼女の気遣いに笑顔を見せると、アルフォードは少し考えるそぶりをして、唇に人差し指をあてて「内緒だぜ」と亜衣の耳元に囁いた。

「…国…って」

慌てて自分の手で自分の口を塞ぎ、彼女は肩を落す。


暫く呆然としていた亜衣だが、ふと思い出したように息を吐いた。

「でも、凄い方ですね、ガイゼルさまもカークさんもアルフォードさんも趣はそれぞれ違うけど、皆さんとても素敵な方々ばかりなのに、なんというか、言葉にならないですね」

誰のことを指して言ったのか気づいて、男は苦笑を浮かべた。

「少なくとも俺の知る限りで、あの宰相さんの上を行く外見の持ち主は居ないな。頭脳も手腕も何もかも、な」


自嘲めいた笑いを浮かべるアルフォードに軽く眉を寄せるが、ふ、と同じ様な笑顔を浮かべる。


「できれば、このままこの国に居たい、って気持ちのほうが大きいんです」

視線を移すと、亜衣は掛け布をぎゅっと握り締め遠くを見つめる眼差しをする。

「今でさえ、身分も、何もかもつりあう人じゃないってことも、最初に出合った責任感だけで傍に居てくれるって事も分かっているのに、この上二年も離れたらどうするんだろう、って」

ソレは違う。そう言おうとしてアルフォードは口を閉ざす。それを告げるべきは自分ではない。

「りっちゃんが言いたかったのは学費…学び舎でかかるお金のことじゃなくて、後悔しないかって事なんです。何もかも中途半端に投げ出して、こちらの世界に落ち着いて、それでいいのか、って」

だから帰って来い、そう彼女の友人は言うのだ。たとえ残された日が少なくてもやれる限りのことをやってからどうしたいのか考えればいい、と。


「二年の間に、素敵な人が現れて結婚してらっしゃる可能性だってありますし」

それはどうだろう、と男は思う。あの青年が自分の主より先に身を固めるとは到底思えない。そして、その主の想われ人は、まだ当分自分に枷をつける気などないだろう。

「ひょっとしたら、私にももっと好きな人が見つかるかもしれませんしね」

どこから慌てた気配がしたが、気が付いたのはアルフォードだけであった。それに、小さく笑うと男は亜衣の頭に手をやる。

「必ず見つけてやる。何処に居ても、何があっても。呼べば応える」

男の言葉に亜衣は笑って頷いた。

「もう少し寝るがいい。どちらにしても体を休ませなくては話にならないからな」

頷いて横になった亜衣の掛け布を直してやると、窓際のカーテンを引いた。

「お休み」

「おやすみなさい」



部屋を出ると、少し離れた場所で立ちすくむカークの姿があった。視線で彼を誘うとミリアやガイゼルの居る居間へと場所を移する。



「亜衣の様子は?」

「もう少し眠るように言ってきた。今のままじゃ、移動した途端倒れちまう」

「では、やはり帰ると?」

「どういう道を選ぶにしろ、一度は戻るべきだと決めたそうだ」


ソファに座り俯く青年に、彼の主は穏やかな表情を向けた。

「お前はどうする?」


うつろな顔を上げた部下に呆れたような顔をしてから、ガイゼルは言葉を続ける。

「彼女は後悔しないために一度戻るという。その結果辛い思いをしても、それを全て飲み込み覚悟で行くのだろう。お前はどうする?」

目を閉じて俯いた青年は長い間、じっとその姿勢のままで居た。残された3人は静かにその様子を見守りながらお茶を飲む。



カークの前に出されたお茶が冷め切ってしまった頃、顔を上げた部下にガイゼルは笑顔を深くする。

「仕方が無いね。セリアルに会えなかったのは残念だが、国に帰るとしよう」

ソファから立ち上がると、カークはガイゼルの前へと跪いた。











来た時と同じ洞窟の中で、亜衣はカークと向き合っていた。洞窟の入り口にはガイゼルとミリア。亜衣の後ろには少し離れてアルフォードが立っていた。


結局最後までミリアの兄であるサイラスには会うことができなかったが、それは次回のお楽しみ、と彼女は笑う。

「っていうか、会っても面白くもなんともないわよ、目の保養にもならないし」

ミリアの言葉に苦笑しながらガイゼルは「確かに熊だね」という。この青年の正体を知ってしまったが、アルフォード

との約束が有るので、知らない振りを通した。とはいっても、どこかぎくしゃくしてしまうので、なんとなくばれている様な気もしている。



「色々ありがとうございました」

であったときと同じ異国の姿に、カークは目を細める。

「元気で」

色々考えたものの、結局言えたのはこの一言だった。向こうでガイゼルが「ふがいない奴」と呟くのが聞こえる。

「じゃ、行くか」

アルフォードの言葉に、顔がゆがむが、最後まで笑顔で居ようと手を握り締め入り口に居る二人にも頭を下げる。

そうしてアルフォードの近くへと一歩踏み出した時。


「亜衣」


ガイゼルたちと賊に襲われたときにも感じた彼が自分を呼ぶときの響きの違和感にようやく思いわたる。

彼は正確に「亜衣」と発音しているのだ。

青年は彼女の手を取り、小さく何か呟くとその掌に唇を寄せた。

ソレを見た3人はそれぞれ異なったようで同じ表情を見せる。

「また…会える日を楽しみにしている」


一瞬抱きしめられた後、軽くアルフォードへと押しやられた。呆気に取られたあと、亜衣が見せた笑顔に、この先何があってもその顔を忘れない限り耐えていける、と思う。


光の粒子に囲まれながら、彼女は静かに姿を消した。

「…派手な演出だこと」

傍に居るガイゼルにだけ聞こえる声でミリアは笑う。

「でも、それくらい必要なのかもしれませんね」

従妹の言葉に頷くと青年は部下のほうへと進んでいった。









「一応カモフラージュ?お土産」

「…これ、全部先輩が?」

「航空便で久遠が送ってくれたが…いかにも『らしい』な」

箱一杯詰めてあるのは美冴の祖国の特産品の数々。

「いったいいくらするんだろう。返せるかな、私」

「あ、それに関しては伝言が着てるぞ。『気にするな。奢りだ』ってさ」

「いいのかな?」

「いいんじゃね?なんだかんだであいつの家金持ちだし」

「お前、それ本人の前で言うなよ」

「そこまで命知らずじゃない」

戻ってきた世界。帰ってきた日常。

でも、それだけじゃない。

窓の外の空を見上げて、亜衣は微笑む。




…また、いつか。

楽しみにしているといってくれた彼ががっかりすることの無いように。

少なくとも、自分に恥じることの無いように生きて行きたいと…そう思った。






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