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守り人  作者: 藤堂阿弥
2/10

覆水盆に返らず

「日向。気をつけろ」

分かれ道に差し掛かる前に、突然渡辺が亜衣に声をかけた。


「気をつける…って、何にですか?」

時々。本当に時々ではあるが、この男はこんな風に言ってくる事がある。そして、それを無視すると、たいてい碌でもない目にあう。

「いや、妙な『卦』がでてる…上手く説明できない。すまんな」

「先輩にしては珍しいですね。そういう時の勘って良く当たるのに」

佐藤も不思議そうな顔をした。過去に「女難の相がでている」だの「怪我には気をつけろ」だの、親しい友人間にする忠告は外れたことが無い。

頼まれて占うことはしないが、気が向けばしてもらえる忠告は、彼らの間での信頼度が高い。

「何時も言っているが、卜占は万能じゃない。久遠ならもう少しはっきりした事がわかるだろうが」


久遠というのは、渡辺たちの同級生の名である。外国籍の彼女は、母国に戻りそちらの大学に通っている。渡辺同様、人から頼まれても絶対にしなかったが、ごくたまに気が向いたとき、仲の良い相手を占ったりすることがあった。


「出会い…の相、か。結構大きいものだと思うが、漠然としすぎてよくわからない、すまんな」

基本的に面倒ごとが嫌いな(そのわりには井上たちによく巻き込まれていたが)この男にしては、珍しい物言いである。流石に不安になった亜衣の背中を佐藤が軽く叩いた。

「それで、先輩吉凶どちらですか?」

「難しいとこついてくるな。凶、じゃ無いことは確かだ。…しかし、吉かと問われると、微妙、としか言いようがない」

先輩にしては珍しく長い台詞だなぁ。

そのときの彼女は呑気にもそう思ったのだ。その後の事件など知るはずも無く。



とにかく、気をつけろよな。

別れ際の渡辺の言葉を思い出す。








ですが、先輩。


亜衣は心の中で呟いた。

気をつけていてもどうしようも無いことってありますよね。


気が付いた場所は、いつもの見慣れた自分の部屋ではなかった。しかし、パニックに襲われることも無く状況判断を下した自分を誉めてやりたい。



映画や漫画、小説でしかお目にかかったことが無い天蓋付きのベッド。回りを見回すとおちついた作りの家具の数々。柔らかな香りはハーブだろうか。この香りのおかげで随分気持ちが落ち着いた気がする。


気を失う前に出あった人達。

あの人達が先輩の言っていた「出会い」なのだろうか。

ふと、紅い瞳の青年のことを思い出し、顔が熱くなるのを自覚する。…無理も無い、あんなかっこいい人近くで見たのは初めてだから。それだけのこと。

ぶるぶると首を振って、軽く頬を叩く。



「ぷっ」

吹き出す音に慌ててそちらを見る。…なんか、前にもこんなことあったような…。


「すまない…一応ノックはしたのだが…しかし…」

くすくすと笑う声は止みそうに無い。同じパターンに、流石の亜衣もむっとして青年に向き直った。

「何が、そんなに可笑しかったんですか?」

「申し訳ない」

謝りはするもののいつまでも笑っている相手に、溜息一つ零して亜衣はベットから降りた。



「カーク?…あら?気が付いたのね」

声がしてそちらを向くとミリアが入り口に立っていた。

「大丈夫?」

気遣う柔らかい声に、亜衣は彼女に感じた懐かしさに思い当たった。

「りっちゃん…」

「え?」

不思議そうに目を見開く相手に、慌てて首を振る。

「ごめんなさい。友人とよく似ていらっしゃったので」

あら、と微笑んでミリアは亜衣に手を差し出した。

「光栄だわ。ね、お腹すかない?」


え?と思った瞬間にタイミングよく鳴る音。


「ぷ」



青年が身体を震わせる気配がする。すでに諦めた亜衣とは対照的にミリアが驚いた顔を見せた。

「意外だわ…貴方がそんな顔を見せるなんて、ね」

はっとしたように笑いを収める相手に、ミリアは苦笑する。

「この国…少なくともこの屋敷に居る間は楽になさってください」

「お気遣い、感謝いたします」

青年の言葉に、彼女は深々と息を吐く。

「こちらにどうぞ。軽いものを用意してあるから」




案内された部屋には、洞窟で出会った男が茶の支度をしていた。

「よう、お嬢さん。気が付いたか」

勧められたソファに座ると、カップを渡される。

「ハーブティだ。気持ちが落ち着くぜ」

礼を言って、一口飲む。暖かな優しい味が身体に染み渡る。

出された手作りのクッキーやケーキはどれも優しい味がして、亜衣はようやく落ち着いた気分になる。


(このケーキもクッキーもりっちゃんの手作りの味に良く似ている)


ふ、と目頭が熱くなってきて俯くと、静かに差し出された手があった。

「こういうときは泣いた方がいい」

それまで亜衣の背後に立っていた青年は、その隣に座ると頭に手を置いた。

「気持ちは吐き出した方が楽になる」

ぽろぽろとこぼれる涙に困ったように笑うと、亜衣の頭を自分の胸に押し付けた。

堰を切ったように泣き出した彼女を、彼らは黙って見つめていた。




「落ち着いた?」

ミリアに差し出された布で顔を拭くと、亜衣ははっとしたようにカークの胸元を見て慌てた。

「す、すみません!服濡らしちゃって!」

「いや、大丈夫だから」

布で自分の服を拭こうとする姿に青年は再び噴出した。

どうやら、自分の一挙一動が相手のツボにはまるということに気が付いた亜衣は、大きく溜息を吐いた。



「ああ、いけない自己紹介がまだだったわね」

男に代わって茶を入れ替えたミリアは、カップを差し出しながら亜衣に笑いかけた。

「私はミリア。ミリア・アークフィールド。で、こっちがアルフォード。アル、でいいわよ」

「…俺の紹介はそれだけかよ」

明らかにがっくりしている相手を横目に、ミリアは青年を指した。

「で、彼が」

「カーク・ダグラス」

ミリアの言葉をひったくるように青年が口を開いた。一瞬不審そうな顔をした彼女だったが、すぐにそれを綺麗に消して亜衣の方へ向き直る。

「あ、亜衣です。日向 亜衣。こちらふうに言えばアイ・ヒムカイ、です」

「アイ…亜衣ね」

不思議と彼女が正しく発音してくれているのがわかる。これも例の『超能力』の賜物かしら、などと思ってみたりする。


「なぁ、嬢ちゃん、お前さん言葉に不自由したことないだろう」

突然言われた台詞に、はっとしたように顔を上げると、アルフォードがにやり、と笑いかけた。

「お前さん、やたら『言霊』に祝福されている」

言われたことの意味が解らずに居ると、男は暫く考えて口を開いた。

「言葉とか、読み書きとか…自分の国の言葉以外も理解するのが早い、だろ?」


幼い頃から祖母が営む留学生相手の下宿屋で「言葉」に不自由したことは無かった。ある程度聞けば、理解することが出来るし、話すことも出来る。

それが尋常な事でないと気付いたのはいつの頃からだったろう。

表向きには「それなりに」学んでいるように見せかけて、隠し通してきた。…黙って受け入れてくれた、極少数の友人以外彼女の秘密を知るものは居ない。


頷く彼女にアルフォードは笑った。


「誇るべきだ、お嬢さん。あんたの与えられた『祝福』は、稀有なもの。どんな形であれ、あんたの助けとなる」

同じようなことを言った友人達を思い出し、彼女の口元に笑みが浮かぶ。それを眩しそうに目を細めて見入った男に、ミリアは目元を和ませた。



「けどなぁ、それがあんたがここに来た理由にはならないんだよな」

ふぅ、と男が大きく息を吐く。


「正直、俺にもわからないんだよ。俺が感じたのは、何かが空間を移動する気配、別の…俺が全く知らない世界からの来訪者の存在」

それがあんただよ。

気の毒そうな表情のアルフォードに、亜衣は訊きたくはないが訊かなくてはいけない質問を恐る恐る口に出した。

「じゃあ、私が元の世界に戻れる、っていう確立は」

「限りなくゼロに近い」

「アル!」

瞬時にミリアの叱責が飛ぶ。だってよ~と、アルフォードは言葉を続けた。

「事実は事実として、ちゃんと言っておくべきだと俺は思うぜ?」

「言っている事はもっともだけどね。…そんなに一辺に話さなくても」

とん、と背中を叩かれて、そちらを見るとカークの心配そうな顔にぶつかった。

「大丈夫か?」

そっと握られる手に、安心感を憶えて、亜衣は小さく笑うと頷いた。

「悪いな、気休めも言ってやれなくて…とりあえず、知り合いに声をかけておいたからよ。あんたの世界の気配。見つけたら知らせてくれるはずだが…そういう意味では世界は広いからなぁ」

「え、と『パラレルワールド』ですか?」

一瞬きょとん、としたアルフォードだったが、すぐに「ああ」と頷いた。

「あんたたちの世界じゃそういうんだな?すこしずつずれた次元の世界のことを」

博識さを披露した男は、知らぬ言葉に苦笑する。



「とりあえず、こちらの世界では私が面倒をみるから安心して」

「え?そんな…あ、でも、できるだけのことは自分でしますから」

ええ、とミリアは笑う。

「ここの世界に慣れて、落ち着くまで、ね。身の振り方はゆっくり考えればいいわ。どちらにしろ私達も暫く王都にいなきゃならなくなったし」

溜息交じりの言葉に反応に困った亜衣に、ミリアはごめんなさい、何でもないの、と小さく笑った。


「で、貴方はどうなさるんですか?カーク」

「ああ、私はどこかに宿でも探すから心配はいらない」

青年の言葉にミリアは眉を寄せて再び溜息を吐いた。

「…そんな事を自分の留守中にさせたと知られたら私が兄に叱られます。義姉と子供達を里に送って行っただけだと聞いていますから、すぐに戻ってきますでしょう。少なくともそれまではここに御留まりください」

ふと言葉を切って、彼女は意味有りげな笑いを浮かべた。

「ご安心ください。リュクレオン様にこちらから接触するつもりはありません。もっともあの方のことですから、すでに私達の居場所もあなたの事も把握はしていらっしゃるでしょうけど」

「それでは、『あの噂』はまことなのですか?」

カークの言葉に、彼女は笑う。寂しそうな、悲しそうな笑顔で。


訳のわからない話ではあったが、立ち入ってはいけないことだと感じ亜衣は黙って彼らを見ていた。






ミリアがこの国…宰相リュクレオンの想い人で、彼から逃れるために遠い地に住んでいると彼女が知ったのは、それから暫く経っての事である。







                        






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