仕事帰りには難しい
勤務を終えて会社を出る。レンタルサイクルに予約制度があることに気づいたので、近場で借りられる所を見つけてチェック。何とか帰る足を確保した。
近場の駐輪場を借りるようにした方が良いのだろうか。交通費の申請とかも考える必要がありそうで面倒くさい。バスも混み混みが予想できるしな。
などとつらつらと考えながら地下鉄のダンジョン出口付近を通ると、制服姿の学生らしい一団が騒いでいた。カバンの大きさから運動部のようだ。部活帰りに覗きに来た感じだろうか。
20時前後だとまだまだ人の目が多いな。
【隠密】スキルで入れるかを試してみるのもアリだとは思うが、どの道武器もない状況。大人しく帰る事にした。
定食屋で目玉焼きが乗ったハンバーグを食べながら日課になってるまとめサイトのチェック。
海外の動画投稿で更新が止まっているのが目に付くようになっているらしい。とはいえまだダンジョンが現れて5日目だ。そろそろ休みを入れてもおかしくはない。
地下4階まで降りると流石に敵も強いらしいしな。ゲームで言えば少しレベリングを行って地力をつける頃合いかも知れない。
更新停止=配信者の負傷とはまだ考えたくない所だ。
逆に日本の配信者は一気に深くというよりは、色々と試す事に主眼を置いている人が多かった。しかも敵を倒す強さというよりは、スキルで何ができるかを調べる感じで、危険よりも楽しさを追求する雰囲気だ。
クールジャパンの一環だろうか。
その一方でダンジョンでの成長が超人的なものではなく、派手な魔法や必殺技がダンジョン内に限られるという事が分かると早々にダンジョン配信を諦める者も増えている。
2階、3階に降りるにつれて強くなる敵に負傷させられる者も出ており、危険を感じたら止める。そうした者が出るのもまた不思議ではなかった。
「全体的な攻略ペースは落ちていきそうだな」
そうした落ち着きが出始めて数日、ダンジョンは新たな局面を迎えた。
木曜日、ダンジョン発生から1週間が過ぎたが地下鉄の運休は続いている。レンタルサイクルを止めて自前の自転車を会社近くの駐輪場に登録。本格的に自転車通勤へと切り替えた。
あれからまだダンジョンへは入れていない。武器がないままにダンジョンへ入る気にはなれなかったし、一度家に帰るとまたダンジョンへ向かう気力がわかなかったからだ。やはり休日くらいしか入れそうにない。
そんな事を考えていた会社からの帰り道、スーツ姿の男性が走っているのを見つけた。必死の形相で後方を振り返りながら逃げている。
その視線の先を見やると、輪郭を揺らめかせる影が走っているのを見つけた。
「不浄の獣!?」
地下一階で見かけたそいつらが、地上を走っている。その事実に驚いて自転車を止めた。
「お、おい、アンタも、早くっ」
スーツ姿の男が俺の横を駆け抜けながら、息も絶え絶えに逃げることを促してきた。スーツの腕部分が切り裂かれており、地面に点々と黒いシミを残している。
放っておいたら他にも被害者が出るだろう。そう考えた俺は、走ってくる獣を迎え撃つことにした。しかし武器がない。鞄に入っている折りたたみ傘では強度が足りないだろう。
肩掛けの鞄自体も武器としては使えない。何か棒があればと思って回りを見るが、標識の支柱、道路脇の植え込み、軒先のゴミ箱、自動販売機と視線を巡らせてもそれっぽい物はなかった。
「す、素手でやるしかない?」
それよりはマシかと畳んだままの傘を取り出して構えた。直接殴って拳を傷めるよりは、傘が折れた方がマシだ。
獣の動き自体はダンジョン内と変わらない。獲物に向かって一直線に向かってくる。後は距離で噛みついてくるか、前足の爪で叩いてくるかだ。
今回は飛び上がって噛みつきを狙ってきた。それを左に避けながら首の辺りに一撃を入れる。いつもの鉄パイプではなく、傘なので遠心力も硬さも足りていない。それでもダンジョン内で培った経験が、ある程度の手応えを感じさせた。
俺の脇を通り抜けた獣は、すぐさま振り返り爪の伸びた前足を振るってくる。しかし【空間把握】で距離を掴める俺は、2歩下がる事でやり過ごし、無防備な顔を傘で殴った。
下顎を強打された獣は、ととっと身体をよろけさせる。そこへ踏み込んで傘で突く。先端が尖った傘なら痛撃となっただろうが、折りたたみ傘では単に殴っただけ。それでも鼻先を突かれて大きく仰け反っていた。
そこへ間合いを詰めつつ傘で首を抑え込み、右足を下段回し蹴り。つま先で胴体を蹴り飛ばす。
「いつもより手数がいるなっ」
ゴロゴロと転がった獣はまだ消えない。体勢を立て直そうとする所へ追いつき、走った勢いのまま膝を顔へと叩き込む。
そのまま馬乗りの体勢に持ち込んで、傘を振り下ろしていく。2発、3発と振り下ろすとモヤとなって消えた。
「ふう」
一息ついて折りたたみ傘を見ると、見事に曲がって開かなくなっていた。やはり武器には鳴り得なかったな。
「に、兄ちゃん。大丈夫か?」
そこへさっきすれ違ったスーツの男性がやってきた。後ろを振り返りながら走っていたので、追ってこないと気づいたのだろう。
「ええ、何とか」
「傘、駄目にしちゃったか」
「1000円の安物なんで。それより、傷の手当てをしないと」
近くで見ると破れた袖の下は爪で割かれた傷が見え、まだ新しい血が流れ落ちていた。
「あ、ああ、そうだな」
「この辺で緊急治療してくれる病院は……」
ネットで調べて連れて行く事にした。俺よりも多少年上なおじさんは恐縮しつつも疲労困憊で歩くのもままならない。
救急車を呼ぼうかと言ってみたが、それほどではないと断られた。止血した方が良さそうなんだがやり方を知らない。心臓に近い所を縛った方がいいのか。
おじさんが持ってたタオルで上腕を縛ってから、病院へと向かう。
「でも兄ちゃん、すごかったな。喧嘩に慣れてそうには見えんのに」
「え、ああ、いや、何か必死で」
「そうか? まあ、そうだな。人間相手にあんなにやっちゃったら殺してたかも知れんしな」
「ははは……」
顔面強打に腹への蹴り、膝蹴りからマウントでの傘攻撃。確かに人間相手なら殺していたのかもしれない。獣に対して容赦なんてできないと、何度かのダンジョン探索で実感した。倒せたかと手を緩めた途端に噛みつかれそうになったりもあった。相手が消えるまで油断しない、それが身にしみている。
「何か人が多いですね」
「そうみたいだな」
夜間診療もやっている病院へとたどり着くと、ロビーには人が多かった。
「怪我ですか?」
「は、はい」
「結構、酷いですね。あちらの列にお願いします」
「は、はぁ」
通りすがりの看護師がおじさんの傷を見て、列を指示してすぐに去っていった。かなり忙しそうだ。
「兄ちゃん、ありがとな。少ないけど……」
「え、そんな」
「いいっていいって、傘を買い直してくれや」
おじさんに一万円を渡されて恐縮したが、受け取らないと引きそうになかったのでありがたく受け取る事にした。
「あのままじゃ、追いつかれてもっと酷い目にあってただろうからな。命の恩人だよ」
そう感謝されて悪い気はしなかった。ただ周囲の状況を考えるとかなりまずいというのも分かる。ロビーのテレビを見ると、ダンジョンから獣が出てきたというニュースをやっていた。
「いよいよ始まったって事か」




